浅い夢
『浅い夢』(あさいゆめ)は、1976年にリリースされた来生たかおの1枚目のオリジナル・アルバム(LP〈規格品番:MKF-1006〉/CT〈規格品番:CKG-1005〉)である。
『浅い夢』 | ||||
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来生たかお の スタジオ・アルバム | ||||
リリース | ||||
録音 |
1975年10月 - 1976年8月 (ポリドールスタジオ) | |||
ジャンル | ニューミュージック | |||
時間 | ||||
レーベル | キティレコード | |||
プロデュース | 多賀英典 | |||
来生たかお アルバム 年表 | ||||
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『浅い夢』収録のシングル | ||||
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表題曲は同年に先行してシングルでもリリースされている。これについても記述する。
概要
編集- ※原則的に、来生たかおは“来生”に省略、来生えつこは“来生えつこ”と表記。
収録曲は全て、姉である来生えつこと共にデビュー前から書き溜めていたものだったが、アルバム完成までには約2年を要した。フォークソングが若者の音楽の定番だった当時、都会的で垢抜けた楽曲の数々は荒井由実にも高く買われ、周辺関係者からは30万枚セールスは間違いないと目されていたが、実際は6000枚という結果に終わった。
アレンジャーやスタジオミュージシャンとして、元ザ・モップスの星勝や、高中正義、高橋ユキヒロ、小原玪、今井裕、後藤次利などのサディスティック・ミカ・バンドの参加メンバー、さらに安田裕美、大村憲二、是方博邦、斉藤伸雄、村上秀一、浜口茂外也らが名を列ねている。
当初、ジャズ・ピアニストの世良譲を交えてアルバム制作をしていたが、プロデューサーである多賀英典の意向により、星勝が中心となって編曲を務めることになったという[1]。来生は、ドラムのフィルインまで譜面に書き記し、レコーディングにもたっぷり時間をかける星勝に対し、独学ながら凄い人物であるとの感想を述べている[1]。ちなみにレコーディングの際、食通の多賀と星が出前で“トロ鉄火丼”を取っていた(ただの鉄火丼でなくトロだった)のを目の当たりにし、“歌の世界は良いな”と思ったという[1]。
ジャケット写真は、ハリー・ニルソンの1976年のアルバム『...That's the Way It Is』(ハリーの真相)をイメージして撮られたものと思われる。
井上陽水は、本アルバムを聴いた感想として、1曲目(浅い夢)から来生の人柄に触れ、また、姉弟の調和に驚きを、レコーディングスタッフには熱意を、そして何より「生きていたのがとてもうれしく感じられた」と述べている[2]。
復刻盤
編集パッケージの体裁
編集アルバムタイトル
編集※初出のジャケット表記“浅い夢”以外のもの
- 帯
- 1986年版CD:“浅い夢”“ASAI YUME”の併記
ディスクジャケット
編集- 1986年版CD:ジュエルケースにブックレットを挿入
- 1991年版CD:ジュエルケースに1986年版CDのものを基調としたブックレットを挿入
- 1995年版CD:ジュエルケースに2つ折りのカード(及び、LP版のものを基調とした歌詞カード、既出オリジナル・アルバムのディスコグラフィー)を挿入
- 2007年版CD:ジュエルケースに2つ折りのカード(及び、LP版のものを基調とした歌詞カード)を挿入(及び厚紙製ケース付き)
帯のコピー
編集- LP:音の印象派、来生たかおファースト・アルバム 新鮮なメロディー・ラインとボーカル・フィーリングが、新しいポップ・ミュージックを切り拓く!!
- LP:来生たかおフェア 確かな音楽活動と優しさに裏打ちされた来生たかおの世界を、今あなたのライブラリーに! 本格ポップ・ヴォーカル時代の到来を予感させた'76年、デビュー・アルバム!
- 1986年版CD:“CDオリジナル・セレクション”“10th anniversary -since 1976-”との記載あり(帯はシール仕様)
- 1991年版CD:記載なし
- 1995年版CD:ファーストアルバムにして、全て来生姉弟による作品集。デビュー曲「浅い夢」、「赤毛の隣人」収録。(“20th anniversary”との記載あり)
収録曲
編集全作詞:来生えつこ 全作曲:来生たかお 全編曲:星勝(注記を除く)
SIDE 1
編集- 浅い夢(3:46)
- 編曲:福井峻
- 第1弾オリジナル・シングル(後述)だが、本アルバムに収録されているものはミックスが異なる(ジャケット写真は本アルバムと同じものが使用されている)。
- タイトルは、来生えつこが敬愛する吉行淳之介の小説「浅い夢」に由来しており、自身も短編集『エピソード』(角川書店/1988年)に同名小説を収めている。
- メロディーは来生が19歳の頃に既に作られており[4]、レナード・バーンスタインの「Somewhere」がモチーフとなっている[5]。
- ピアノとストリングのみというシングルとしては地味な印象であるが、コンサートにおいては定番曲であり、自身のベスト盤や他歌手とのコンピレーション・アルバムにもたびたび収録される一方、河合奈保子、倉橋ルイ子、椎名純平、高橋洋子によってカヴァーもされている。
- 赤毛の隣人(3:58)
- 晴れのち曇り(3:18)
- 痛手(4:14)
- “石膏”“アルミサッシ”等の無機的な言葉を鏤め、来生えつこ自身が感じる都会の憂鬱を描いている。また、執筆当時は“不完全燃焼”等の歌いづらい言葉が自由に使えたことを回顧している[6]。
- 次々と異なるメロディーパターンで展開して行く構成は、コール・ポーターの「Begin The Beguine」に触発されたものだという[8]。
- 雑踏(4:04)
- 来生えつこによれば、団地育ちである来生姉弟の、ニュータウン化して行く郊外の風景に対する寂寥感が込められているという。来生は、自分自身に近い人物が描かれた楽曲として挙げている[9]。
SIDE 2
編集参加ミュージシャン
編集- Piano:渋井博(SIDE1-1,3,4/SIDE2-3)、栗林稔(SIDE1-2,5/SIDE2-1,4,5)、今井裕(SIDE1-3)、富樫春生(SIDE2-2)
- Electric Guitar:是方博邦(SIDE1-2,4,5/SIDE2-1,2,4,5)、長井充男(SIDE1-2/SIDE2-1,4,5)、椎名和男(SIDE1-4)、大村憲二(SIDE2-1,2)、高中正義(SIDE1-3/SIDE2-3,5)
- Acoustic Guitar:安田裕美(SIDE1-5/SIDE2-2,4,5)
- 12 string guiter:長井充男(SIDE1-2/SIDE2-1,2,4)
- Electric Bass:高水健司(SIDE1-2)、岡沢章(SIDE1-4,5/SIDE2-4)、後藤次利(SIDE1-3/SIDE2-3)、小原玪(SIDE2-1,2)
- Drums:村上秀一(SIDE1-2,4,5/SIDE2-1,2,4,5)、高橋ユキヒロ(SIDE1-3)、市原康(SIDE2-3)
- Percussion:斉藤伸雄(SIDE1-2/SIDE2-3,5)、浜口茂外也(SIDE1-3,4,5/SIDE2-1,2,4)
- Chorus:来生たかお(SIDE1-3)、岡本和夫(SIDE1-3)、Tan Tan(SIDE2-3)、星勝(SIDE2-1)、PRICELLA(SIDE2-1)
- Synthesizer:渋井博(SIDE1-3,4,5/SIDE2-2,4,5)
- Wooden Block:星勝(SIDE1-4,5)
- Clabinet:渋井博(SIDE1-5)
- Glockenspiel:渋井博(SIDE1-5)
- Tree Bells:星勝(SIDE1-5)
- Cubula Bells:星勝(SIDE2-2)
- Harp:山川恵子(SIDE2-2)
- Marinba:高中正義(SIDE2-3)
- Castanets:渋井博(SIDE2-4)
- Simbal:星勝(SIDE2-4)
参加スタッフ
編集シングル
編集「浅い夢」 | ||||
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来生たかお の シングル | ||||
初出アルバム『浅い夢』 | ||||
B面 | 待ち人来たらず | |||
リリース | ||||
レーベル | キティレコード | |||
作詞・作曲 | 来生えつこ、来生たかお | |||
来生たかお シングル 年表 | ||||
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シングル収録曲
編集共に作詞:来生えつこ / 作曲:来生たかお
脚注
編集- ^ a b c 『報知新聞』の芸能欄“悪友親友こう言う録”(1991年5月23日)
- ^ 『週刊少年マガジン』1976年12月12日号(第50号)の特集記事「カラー特別企画 陽水・小椋佳につづく彗星 ニューシンガーソングライター 来生たかお大誕生」内の「生きていたんだね,来生くん」(講談社/1976年12月12日)
- ^ 『Switch』2008年12月号(Vol.26 No.12)の特別企画“「小林武史的名盤」を聴き取る 小林武史が選ぶ、名盤69枚”(スイッチパブリッシング/2008年11月20日)
- ^ ライヴビデオ(VHS・LD・DVD)『TAKAO KISUGI LIVE 浅い夢から』
- ^ FM東京『TDKトップ・オブ・ジャパン』(来生自身が進行役を務めた“マイ・ベストソング来生たかお”/1983年)
- ^ a b c d e f g キティサークル公認ファンクラブ「TAKAO CLUB OSAKA」の会報『I Will...』No.9(1988年6月)
- ^ FM東京『TDKトップ・オブ・ジャパン』(来生自身が進行役を務めた“マイ・ベストソング来生たかお”/1983年)
- ^ コンサート(2006年)のMC
- ^ a b ファンクラブ「TAKAO CLUB」の会報『égalité』vol.28
- ^ TBSラジオ『小堺一機のサタデーウィズ』(2005年)
- ^ ベストCD-BOX『Times Go By』付属冊子の対談“来生たかお×来生えつこ”