大津絵

滋賀県大津市で江戸時代初期から名産としてきた民俗絵画

大津絵(おおつ-え)とは、滋賀県大津市江戸時代初期から名産としてきた民俗絵画で、さまざまな画題を扱っており、東海道を旅する旅人たちの間の土産物護符として知られていた。

鬼の寒念仏[1]
米国オハイオ州クリーブランド美術館所蔵

大津絵の画題を唄い込んだ元唄・音曲俗曲大津絵節[2])、大津絵節を元に踊る日本舞踊の一種(大津絵踊り)にも、「大津絵」の名がついている。

歴史 編集

東海道逢坂関の西側に位置する近江国追分髭茶屋追分)を発祥の地とする。寛永年間(1624- 1644年)のころに仏画として描かれ始めた。当初は信仰の一環として描かれたものであったが、やがて世俗画へと転じ、加えて18世紀ごろより教訓的・風刺的な道歌を伴うようになった。

松尾芭蕉俳句「大津絵の筆のはじめは何佛」には、仏画が多かった初期の大津絵の特徴が表れている。また、江戸時代初期のキリシタン弾圧に際して「自分は仏教徒である」という隠れ蓑的役割も有していたと言われる。

 
歌川国芳「流行逢都絵希代稀物」

江戸時代を通じ、東海道大津宿の名物となった。文化文政期(1804- 1829年)には「大津絵十種」と呼ばれる代表的画題が確定し、一方で護符としての効能も唱えられるようになった(「藤娘」は良縁、「鬼の寒念仏」は子供の夜泣き、「雷公」は雷除け、「外法大黒」無病長寿、小児の月代きらいを直す、「鷹匠」五穀成就、「座頭」倒れない、「瓢箪」水難除け、「槍持」道中安全、「弁慶」火難除け、「矢の根男」悪魔退治など[3])。画題は増え続け、幕末には最盛期を迎えたが、画題の簡略化に伴って減少し、現在では百余種とされる。

明治期に入ると、何人もの画家や蒐集家が収集を始め、大津絵のコレクターが登場し、展覧会も開かれるようになった[4]

特徴 編集

神仏や人物、動物がユーモラスなタッチで描かれ、道歌が添えられている。多くの絵画・道歌には、人間関係や社会に関する教訓が風刺を込めて表されている。

主な画題 編集

 
青面金剛 大津絵
 
大津絵 藤娘
 
鷹匠
 
鬼の太鼓釣り
※ の付いているものは「大津絵十種」と呼ばれる主要画題。
他項に記述あるものはこれを明記する。

大津絵の歌舞伎舞踊 編集

脚注 編集

参考文献 編集

  • 森谷美保(監修)『もうひとつの江戸絵画大津絵』東京ステーションギャラリー 、福島県立美術館、2020年。 NCID BC03680759 
    • 冨田章「大津絵の需要、あるいは近代の美意識」『もうひとつの江戸絵画大津絵』、東京ステーションギャラリー 、福島県立美術館、2020年、7-9頁。 
    • 森谷美保「大津絵再考」『もうひとつの江戸絵画大津絵』、東京ステーションギャラリー 、福島県立美術館、2020年、10-20頁。 

関連文献 編集

関連項目 編集

外部リンク 編集