田中 秀太(たなか しゅうた、1977年2月23日 - )は、神奈川県横浜市出身の元プロ野球選手内野手)。右投左打。阪神タイガース1995年に選手として入団した後に、2009年の現役引退を経て、九州地区担当のスカウトを務めている[1]。選手時代には、2003年から現役を引退するまで、名前の「秀太」を登録名に用いていた。

秀太 (田中 秀太)
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現役時代
(2008年9月27日、阪神鳴尾浜球場にて)
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 神奈川県横浜市
生年月日 (1977-02-23) 1977年2月23日(43歳)
身長
体重
179 cm
78 kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 遊撃手二塁手三塁手[外野手]
プロ入り 1994年 ドラフト3位
初出場 1995年9月21日
最終出場 2008年10月11日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

実父の田中久幸(1947年6月24日[2] - 2006年9月29日[3])も元野球選手で、引退後に日産自動車硬式野球部日産自動車九州硬式野球部、自身および秀太の出身校に当たる熊本県立熊本工業高等学校の硬式野球部、第28回IBAFワールドカップ日本代表の監督を務めた。

経歴編集

プロ入り前編集

小学校卒業までは横浜に住んでいたが、父が日産自動車九州監督に就任したのに伴い中学校入学と同時に福岡県北九州市に移住。その後、父の母校でもある熊本工業高校に進学。このため選手名鑑のプロフィールなどで熊本県出身としているものがある。後に中日ドラゴンズに入団する荒木雅博は高校の1年後輩で二遊間を組んでいた。

3年時の1994年第66回選抜高等学校野球大会へ出場。1回戦の姫路工戦に3番・遊撃手として先発出場し、6回表、選抜高等学校野球大会通算10000得点目のホームを踏んだ[4][5]。ただし、試合は2-6で敗れた。また、日本代表メンバーとして日本・キューバ選手権にも出場した。同年秋のNPBドラフト会議で、阪神タイガースから3位で指名されたことを機に入団。背番号については、6を付けていた主力選手の和田豊への憧れから60を選んだ。

プロ入り後編集

1996年には、アメリカ合衆国のルーキーリーグに留学。スイッチヒッターの練習を積んだ。しかし、1998年までは一軍公式戦4試合に出場しただけで、2打数安打にとどまっていた。

1999年の対広島東洋カープ戦でセンターオーバーのサヨナラ安打を放ったのを機に2番打者に定着。チームトップの15盗塁を記録した[6]

 
遊撃守備に就く田中秀太

2000年には、「8番・遊撃手」として開幕戦のスタメンの名を連ねた。もっとも、遊撃手としては失策が多かったため、実際には大阪近鉄バファローズから移籍した吉田剛などと交互に起用されていた。

2001年には、監督の野村克也が俊足選手7人を「F1セブン」を提唱したが、野村曰く「入れ忘れた」ということで後日秀太を含め「F1エイト」に訂正されたことがあった。同年は藤本敦士沖原佳典ら新人が起用されることが多く、成績を落とした。

2002年に、背番号を00に変更。前年と同じく藤本、沖原、関本健太郎らと遊撃手のレギュラー争いに終始するが、内外野で複数のポジションをこなしながら、守備力を大幅に向上させた。

2003年には、日本ハムファイターズから田中聡が移籍したことに伴って、登録名を「秀太」に変更。藤本が正遊撃手に定着した影響で、スタメン出場の機会こそ減少したものの、全試合でベンチ入りを果たすとともに、無失策でチームの18年振りセントラル・リーグ優勝に貢献した。優勝記念の特別番組に同い年の藤本と同学年の赤星憲広らと同席して出演した際には、「入団してすぐに優勝! いかがですか?」と聞かれ「僕、長いこといるんですけどねえ」と苦笑した。

2004年には、主に代走守備固めとして起用される一方で、8月21日の対ヤクルトスワローズ戦で延長12回に決勝本塁打を放った。一軍公式戦での安打はこの1本だけで、シーズン終了後の契約交渉では、起用の不公平さを訴えた末に球団へトレードを志願した。実際に地元の福岡ダイエーホークスが獲得に動いたが、結局は残留。しかし、2005年以降も、一軍公式戦への出場機会が減少の一途をたどった。

2007年には、関本の台頭で控えに回った藤本が守備固めや代走で出場することが多く、シーズンの終盤まで二軍生活を余儀なくされた。9月下旬に一軍へ昇格。9月29日の対広島戦では、正遊撃手の鳥谷敬が故障していたことに伴って、一軍公式戦ではおよそ2年半振りに遊撃の守備に就いた。10月1日の対横浜ベイスターズ戦(横浜スタジアム)で4年ぶりのスタメン出場を果たしたが、5回裏の遊撃守備でミスを連発。一軍公式戦では5年振りの失策を記録したことをきっかけに失点を招いたため、先発投手下柳剛が地面にグラブを叩き付けて怒りを露わにする事態に至った(詳細後述)。

2008年には、レギュラーシーズンで主に代走や守備固めで起用。打撃面では一軍公式戦で4年ぶりの打点を記録したものの、4年連続の無安打でシーズンを終えた。チームのレギュラーシーズン2位で臨んだクライマックスシリーズでは、中日ドラゴンズとのファーストステージ全3試合でベンチに入りながら、出場の機会はなかった。シーズン終了後の契約更改では、「来年ダメなら自分からやめる」とのコメントを残している。

2009年には、一軍昇格の機会がないまま、9月18日に現役引退を表明[7]。同月23日には、ウエスタン・リーグ公式戦最終戦(甲子園球場の対ソフトバンク戦)が引退試合として催された。この試合では、二軍戦としては異例の多さの観客(7,000人以上)が集まる状況で2安打をマーク。試合終了後は、引退セレモニーとチームメイトによる胴上げを経て、二塁から全力疾走でホームへヘッドスライディングで駆け込むパフォーマンスを披露した。

現役引退後編集

阪神タイガースの球団職員へ転じるとともに、二軍コーチとして現場に復帰した永尾泰憲の後任扱いで九州地区担当のスカウトに就任。就任1年目の2010年には、第92回全国高等学校野球選手権大会の1回戦を新人スカウトの目で評価したコラム走れ!秀太!」を「デイリースポーツ」に連載していた。

その後は、九州地区担当スカウトとして福岡県に駐在。自身と同じ九州出身選手や、他の地方から九州球界で活躍した選手の入団に尽力している。視察から入団交渉まで担当した選手に、中谷将大2010年ドラフト3位[8]松田遼馬2011年ドラフト5位[9]横田慎太郎2013年ドラフト2位)・梅野隆太郎同年4位[10][11]竹安大知2015年ドラフト3位[12]浜地真澄2016年ドラフト4位[13]谷川昌希2017年ドラフト5位[14]小幡竜平2018年ドラフト2位)・川原陸同年5位[15][16]小川一平2019年ドラフト6位[17]がいる。

選手としての特徴編集

俊足に加え果敢なヘッドスライディングが持ち味の代走、バントスクイズといった小技が評価されての代打、また内野3ポジションに加え外野手も務めるユーティリティープレイヤーであることを生かしたスーパーサブとして活躍。試合中に積極的に声を出すなど、ムードメーカーとしても知られた。

このように高い水準での器用さを備えていながら、勝負所でミスを犯すことが多々あった。ウエスタン・リーグでの引退試合でも、2安打を放って好守も見せたが、最終回に自身の適時失策で決勝点を許す羽目になった。

初打席から引退までに1000回以上一軍公式戦の打席に立っているが、死球を受けたことが一度もなかった。

人物編集

阪神の選手時代は、チーム随一のムードメーカーで、他選手への気配りも上手かった。特に、阪神に途中入団した同世代の新井貴浩金村曉にはチームに早く溶け込むためにほぼ付きっきりで世話を焼いていた。この2人に加え、赤星、福原忍といった1976年生まれの選手たちが「松坂世代」といった言葉に対し、「僕らは秀太世代」と言うほど、面倒見のいい人気者だった。

同期入団で後に大阪近鉄バファローズへ移籍した北川博敏からは「秀太さん近鉄で待ってます」とテレビ番組で言われたことがある[注 1]。同じく同期入団で近鉄へ移籍した山村宏樹とは入団当初から仲がよく、互いに親友と呼び合う仲。アメリカ留学に同行した安達智次郎とは安達の引退後も親交があり、安達が経営する店「RocketBall」にたびたび選手をつれて顔を出していた。

現役時代の2007年に遊撃守備のミスで下柳を激怒させたシーンは、「伝説の珍プレー」「秀太事件」として、現在でもメディアやインターネットでたびたび取り上げられている[18]。下柳が現役引退を経て臨時投手コーチとして参加していた2016年阪神一軍春季キャンプの紅白戦(2月11日)では、投手陣と野手陣の練習免除を賭けたファンサービスとして、下柳と金本知憲監督による「3打席対決」が実現。既にスカウトとして活動していた秀太は、現役時代の後期と同じ背番号00のユニフォーム姿で対決前のノックに現れると、下柳と共に上記のシーンを再現した[19]

家族編集

父の田中久幸は生前、社会人野球日産自動車・日産自動車九州および、母校である熊本工業高校の硬式野球部で監督を歴任。妹の田中美弥子は、2009年度日本女子プロゴルフ協会プロテストへの合格を経て、プロゴルファーとして活動している。

阪神の選手時代に出生した長男は、兵庫西宮ボーイズを経て、高校球界の強豪校である報徳学園高等学校へ一般入試で2018年に入学。硬式野球部への入部直後までプレーを続けたが、秀太や大角健二監督からアドバイスを受けたことをきっかけに、1年時の夏からマネジャーとして大所帯のチームを支えている。3年時(2020年)に記録員として臨んだ「令和2年度夏季兵庫県高等学校野球大会」(新型コロナウイルスへの感染拡大の影響で中止された第102回全国高等学校野球選手権兵庫大会の代替大会)では、阪神の選手から裏方(スカウト)に転じた秀太への敬意を込めて、「裏方の大変さも達成感も、マネジャーになってから分かった。『父(秀太)はすごい』と改めて思った」とのコメントを残している[20]

詳細情報編集

年度別打撃成績編集

















































O
P
S
1995 阪神 3 2 2 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 .000 .000 .000 .000
1997 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- ---- ---- ----
1999 116 263 220 29 53 6 2 0 63 17 15 4 22 0 21 0 0 45 2 .241 .307 .286 .593
2000 113 355 307 32 77 4 2 1 88 17 5 6 13 1 34 6 0 51 9 .251 .325 .287 .611
2001 86 105 89 13 19 2 0 0 21 6 1 3 4 1 11 1 0 15 2 .213 .297 .236 .533
2002 81 184 155 26 38 6 0 0 44 5 8 0 17 0 12 1 0 32 1 .245 .299 .284 .583
2003 102 75 69 24 12 0 1 1 17 5 8 2 3 0 3 0 0 15 1 .174 .208 .246 .455
2004 27 12 8 5 1 0 0 1 4 1 1 1 1 0 3 0 0 4 0 .125 .364 .500 .864
2005 46 6 5 3 0 0 0 0 0 0 0 2 1 0 0 0 0 2 0 .000 .000 .000 .000
2006 21 6 4 2 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 1 0 0 4 0 .000 .200 .000 .200
2007 16 13 10 0 0 0 0 0 0 0 0 0 2 0 1 0 0 7 0 .000 .091 .000 .091
2008 12 2 2 4 0 0 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000 .000 .000 .000
通算:12年 624 1023 871 138 200 18 5 3 237 52 38 18 64 2 86 8 0 176 15 .230 .298 .272 .570

年度別守備成績編集

年度 二塁 三塁 遊撃 外野
試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率
1999 79 85 161 5 27 .980 - 30 58 84 3 22 .979 -
2000 9 9 11 0 5 1.000 - 108 148 304 14 50 .970 -
2001 42 42 41 1 10 .988 - 21 29 38 4 11 .944 -
2002 4 4 4 0 1 1.000 19 5 7 1 1 .923 64 70 130 3 21 .985 4 3 0 0 0 1.000
2003 50 25 52 0 3 1.000 37 6 13 0 1 1.000 11 10 14 0 2 1.000 3 1 0 0 0 1.000
2004 11 3 5 0 0 1.000 9 2 4 0 1 1.000 2 1 2 0 0 1.000 -
2005 5 2 2 0 0 1.000 32 3 9 0 1 1.000 1 0 0 0 0 - -
2006 8 3 7 0 1 1.000 11 0 1 0 0 1.000 - -
2007 3 0 1 0 0 1.000 7 1 1 0 0 1.000 3 3 5 2 1 .800 -
2008 - 3 0 1 0 0 1.000 - -
通算:10年 211 174 284 6 47 .987 118 17 36 1 4 .981 240 319 577 26 107 .972 7 4 0 0 0 1.000

表彰編集

記録編集

背番号編集

  • 60 (1995年 - 2001年)
  • 00 (2002年 - 2009年)

登録名編集

  • 田中 秀太 (たなか しゅうた、1995年 - 2002年)
  • 秀太 (しゅうた、2003年 - 2009年)

登場曲編集

脚注編集

[脚注の使い方]

注釈編集

  1. ^ 1994年度のドラフトで同期入団の山村宏樹、北川博敏、川尻哲郎が近鉄に移籍し、当時活躍していたため。

出典編集

  1. ^ スカウトの人って何してるの?スカウトのスゲジュールを話したよ!
  2. ^ 報知高校野球1996年9月号56P
  3. ^ 朝日新聞東京本社版2006年10月1日付朝刊19面
  4. ^ 内野手00秀太、アマ戦績
  5. ^ 報知高校野球1994年5月号61P
  6. ^ 阪神 年度別打撃各部門最高記録 | 80周年史 | 阪神タイガース球団創設80周年記念 特設サイト阪神タイガース公式サイト、2015年12月10日閲覧。
  7. ^ 秀太選手現役引退について
  8. ^ 中谷ダイブに新庄剛志を見た、秀太がつなぐ2人の縁 - 虎だ虎だ虎になれ! 日刊スポーツ 2019年4月12日
  9. ^ 【目指すは球児】秀太スカウトの掘り出し物!ドラフト5位・松田遼馬! ライブドアニュース 2011年12月30日
  10. ^ 先輩たちのバレンタインチョコがうらやましい?阪神ドラフト2位・横田慎太郎(岡本育子) Yahoo!ニュース 2014年2月14日
  11. ^ 阪神D4・梅野、中谷“監視トレ”で激震200スイング! SANSPO.COM 2014年1月4日
  12. ^ 阪神ドラフト3位竹安「シーズン終盤にデビューできれば」日刊スポーツ 2015年10月29日
  13. ^ ドラフト4位・浜地が仮契約「実感が少し沸いてきました」 デイリースポーツonline 2016年11月15日
  14. ^ 阪神・谷川を発掘した九州担当田中秀太スカウト「魅力は抜群の制球力」 SANSPO.COM 2018年6月3日
  15. ^ 阪神ドラフト2位の延岡学園高・小幡、ポスト鳥谷へ“3年計画” SANSPO.COM 2018年11月1日
  16. ^ 阪神5位川原陸が仮契約「恩返しを」苦労かけた母に 日刊スポーツ 2018年11月8日
  17. ^ 阪神ドラフト6位・小川「1年でも長く活躍」 SANSPO.COM 2019年10月28日
  18. ^ 動画再生なんと63万回!今だから話す「秀太事件」その真相は… (『Sponichi Annex』上での下柳の連載コラム「下柳剛のシモネタ発見」2014年12月15日掲載分)
  19. ^ 秀太スカウトポロリ…金本VS下柳ガチ対決で“伝説の珍場面”再現(『スポーツニッポン2016年2月11日付記事)
  20. ^ 父は元阪神・秀太さん 報徳の田中、マネジャーになって父の偉大さ再確認(『神戸新聞2020年7月26日付記事)
  21. ^ 月刊タイガース2000年5月号45P

関連項目編集

外部リンク編集