電動こけし/肉」(でんどうこけし/にく)は、日本ロックバンドであるザ・スターリンのファースト・シングル。

電動こけし/肉
ザ・スターリンシングル
初出アルバム『trash
A面 「電動こけし」
「肉」
リリース
規格 ソノシート
録音 バックペイジスタジオ赤坂
ジャンル パンク・ロック
時間
レーベル ポリティカル・レコード
作詞・作曲 遠藤みちろう
プロデュース THE STALIN
ザ・スターリン シングル 年表
電動こけし/肉
1980年
ロマンチスト
1982年
trash 収録曲
EANコード
EAN 4948722177661(2005年・CD)
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結成して間もないザ・スターリンが初めてリリースした作品。作詞、作曲は両曲共に遠藤みちろう、プロデュースはザ・スターリンとなっている。

1980年9月5日にインディーズレーベルであるポリティカルレコードより、ソノシートの形態でリリースされた。

背景編集

高校在学時代にザ・カーナビーツの凱旋公演を観覧しカルチャーショックを受けた遠藤はロックに傾倒し、ドアーズジャックスなどを愛聴するようになる[1]。その後山形大学へと進学した遠藤はフォークブームの影響でジャックスのコピーバンドを結成するも、遠藤自身はバンド活動はあまりせずライブの開催やプロデュースのような裏方の作業を主に担当していた[1]。大学4年の時に知人より譲り受けたロック喫茶のマスターとなるも、元来の旅行好きの側面やヒッピーに対する愛好から大学卒業後の1975年頃よりネパール東南アジアへと放浪の旅に出る[1][2]。ネパールでは購入したヒツジの肉が腐敗しており、丸焼きにして口にした所、中からが出てきた事などを体験した[3]。また、当時ベトナム戦争の直後であったためベトナムには入国できず、代わりにラオスに入国するも現地はまだ戦争中であったという[1]。結果として放浪の旅は1年ほど続き、当時交際していた彼女には「2ヶ月で戻る」と告げていたため、帰国した時には別の男性と交際しており失恋する事となった[1]。この出来事により遠藤は自ら失恋のラブソングを歌う事となり、ミュージシャンになる切っ掛けとなった[1]

1977年に上京し、都内のライブハウスでアコースティック・ギターのみで弾き語りのライブを行うようになる[2]。この頃のレパートリーは自作曲ではなく、遠藤賢司の「夜汽車のブルース」や西岡恭蔵の「プカプカ」などであり、また遠藤は自らライブを企画する裏方のスタッフとして活動しており、出演者が不足した際に自らが出演して演奏していた[4]

1979年頃、当時遠藤が居住していたアパートの向かいにあった喫茶店がパンク・ロックを中心に店内放送を行っており、その影響からセックス・ピストルズなどを愛聴するようになった[5]。また、ディーヴォの初来日公演を観覧した遠藤は、その影響でエレクトリックギターを手にしたまま全身をビニールテープでぐるぐる巻きにするなどのライブパフォーマンスを行うようになった[5]。それ以外にもパティ・スミスなどニューヨーク・パンクの影響を受けていた遠藤は、「コケシドール」、「バラシ」、「自閉隊」などのバンドを結成しては解散を繰り返していた[2]。当初は遠藤がギターを弾きながら歌う弾き語りの方式で演奏していたが、同時期に結成したパンクバンドINUのライブを見た影響で「自閉隊」以降は遠藤はギターを持たず、ボーカルのみのスタイルに変更した[5]。同年12月31日に映画『ウッドストック/愛と平和と音楽の三日間』(1970年)を鑑賞した遠藤はヒッピーに対する愛着が薄れ、パンクへの移行を決意し髪を短く散髪した[1]

1980年6月、「コケシドール」に在籍していたドラムスの乾純[5]に加え、ギターの金子あつしと共にザ・スターリンを結成。バンド名の由来は大学在学時に学生運動に参加していた際に反帝国主義・反スターリン主義に影響された事で、ソビエト連邦の最高指導者であったヨシフ・スターリンに対する嫌悪感が強く、バンドでの世界進出を目論んでいた事や遠藤と同年代の人間にも注目される事を想定しあえてスターリンの名前を使用する事となった[1]。9月には自主制作レーベルのポリティカル・レコードを設立した[4]

録音編集

本作は遠藤が上京した後にフォークソングとして製作された[4]。曲の着想は当時新宿に高層ビルが建設され始めていた頃であり、小田急線沿いに居住していた遠藤はその風景を見た事と、アダルトグッズ販売店に勤務していた事などから本作の製作に至った[4]

ザ・スターリン結成後には、弾き語りであったアコースティックバージョンをどうすればパンク・ロックに落とし込めるかを試行錯誤し、ジェームス・チャンス・アンド・ザ・コントーションズやセックス・ピストルズなどの影響から絶叫するようなボーカルと奇形のパンク・ロック調のサウンドへと変化した[6]

ジャケット表記では遠藤がベースを担当している事になっているが、実際は金子がベースを弾いている[6]

リリース編集

ボーカルである遠藤ミチロウが設立したインディーズレーベル、ポリティカルレコードよりソノシートとして当時200円という破格の値段でリリースされた[7][6]

1984年には遠藤が発行していたソノシート・マガジン「ING,O」No.4の付録として、カップリング曲を「天婦羅ロック」にして再リリースされた。

2005年2月25日には完全復刻版としてCDとソノシートの両方で再リリースされた。現在、この作品が最後の国内製造となった音楽ソフトとしてのソノシートとなっている[8]

アルバム『trash』(1981年)にライブバージョンが収録されたが、このシングルに収録されているバージョンは長らくアルバム未収録となっていた。後にコンピレーションアルバムSTALINISM』(1987年)に初収録されたが、このシングルとは若干ミックスが違っている。その後、遠藤ミチロウの25周年記念BOX『飢餓々々帰郷』(2007年)においてこのシングルのバージョンが正式に収録された[6]。また、本作の元となったアコースティックバージョンを本来は同ベストアルバムに収録する予定であったが、同じ曲を2つ収録しないという方針のため未収録となった[9]

カップリング曲の「肉」は、初期スターリンの代表曲。「電動こけし」に比べると、正統派のパンク・ロックを思わせる楽曲。当時P-MODELとして活動していた平沢進が、ライブハウスの壁に貼り付けてあったこの曲が収録されたソノシートを持ち帰り、歌詞に感銘を受けたという話がある[6]。また後に、テレビ番組『LOVE LOVEあいしてる』(1996年 - 2001年フジテレビ系列)において、ロックバンドJUDY AND MARYがこの曲をカバーしている。

アートワーク編集

ジャケットは劇画家・AV監督の平口広美が手掛けている。これは当時遠藤が知り合いの編集者から漫画雑誌『ガロ』に連載していた漫画家の副業として紹介されて実現したものである[5]

映画監督の阪本順治は知り合いの仲介により遠藤と接点をもっており、本作のソノシートの袋詰め作業などを手伝っていた[10]。また、映画『爆裂都市 BURST CITY』(1982年)に美術スタッフとして参加していた阪本は、撮影用の豚の臓物の買い出しなども行っていた[10]

ライブ・パフォーマンス編集

曲が製作された当初のザ・スターリン結成前の遠藤のソロライブでは、ステージ上に電動コケシを配置し動作させながら演奏したため、ライウハウス側から苦情が寄せられた[4]

ザ・スターリン結成後のライブではキーを低くして歌唱する事が多い。1981年の年越しで開催された「New Years World Rock Festival」では、ズボンに手を入れ股間を弄りながら歌唱した。

シングル収録曲編集

全作詞・作曲: 遠藤みちろう
#タイトル作詞作曲・編曲時間
1.電動こけし遠藤みちろう遠藤みちろう
2.遠藤みちろう遠藤みちろう
合計時間:

参加ミュージシャン編集

リリース履歴編集

No. 日付 レーベル 規格 規格品番 最高順位 備考
1 1980年9月5日 ポリティカル・レコード ソノシート MIG-2501 -
2 1984年 Lucky Strike Records 7インチレコード ING-004S - ソノシート・マガジン「ING,O」No.4付録、カップリング曲が「天婦羅ロック」になっている
3 2005年2月25日 SS RECODINGS ソノシート
CD
SS-5501 (ソノシート)
SS-501 (CD)
- 24bitデジタルリマスター紙ジャケット仕様

収録アルバム編集

脚注編集

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  1. ^ a b c d e f g h 屋代卓也、山浦正彦 (2015年9月25日). “第131回 遠藤 ミチロウ 氏 ロックミュージシャン”. Musicman-net. エフ・ビー・コミュニケーションズ. 2019年6月23日閲覧。
  2. ^ a b c 遠藤ミチロウ「MICHIRO's History」『遠藤ミチロウ全歌詞集完全版「お母さん、いい加減あなたの顔は忘れてしまいました。」1980 - 2006』マガジン・ファイブ、2007年3月6日、314 - 323頁。ISBN 9784434102165
  3. ^ 遠藤ミチロウ「【1980年代初期】単行本未発表エッセイ集「玉ネギ病のあやしい幻覚」」『Digital Disk ブックシリーズ第2弾 【1980 - 1985】遠藤ミチロウエッセイ集「嫌ダッと言っても愛してやるさ!」2003 リミックス版』マガジン・ファイブ、2003年5月2日、17 - 39頁。ISBN 9784434030413
  4. ^ a b c d e 遠藤ミチロウ「あとがき」『遠藤ミチロウ全歌詞集完全版「お母さん、いい加減あなたの顔は忘れてしまいました。」1980 - 2006』マガジン・ファイブ、2007年3月6日、306 - 311頁。ISBN 9784434102165
  5. ^ a b c d e ISHIYA (2017年12月28日). “遠藤ミチロウが語る、THE STALINとブラックユーモア「自分がパンクっていうふうには考えてない」”. リアルサウンド. blueprint. 2019年6月9日閲覧。
  6. ^ a b c d e いぬん堂 「ライナーノーツ」 『飢餓々々帰郷』、ジャパンレコーズ 、2007年。
  7. ^ 1980年当時、日本における一般的なシングルレコードの価格は600円、同年10月には700円に改定された。
  8. ^ 日本国外での製造はその後も行われている
  9. ^ 遠藤ミチロウ インタビュー”. hotexpress. プランテック. 2011年8月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年6月9日閲覧。
  10. ^ a b 遠藤ミチロウと33年ぶりの再会、阪本順治が回想「豚の臓物を買いに走った」”. 音楽ナタリー. ナターシャ (2016年1月24日). 2019年6月9日閲覧。

外部リンク編集