静岡県立榛原高等学校

静岡県立榛原高等学校(しずおかけんりつ はいばらこうとうがっこう)は、静岡県牧之原市静波に所在する県立高等学校

静岡県立榛原高等学校
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過去の名称 吉田村立堰南学校
榛原郡立榛原中学校
静岡県立榛原中学校
静岡県立榛原第一高等学校
川崎町立榛原女学校
静岡県立榛原高等女学校
静岡県立榛原第二高等学校
国公私立の別 公立学校
設置者 静岡県の旗 静岡県
学区 第7学区(志榛)
併合学校 静岡県立榛原第一高等学校
静岡県立榛原第二高等学校
校訓 至誠真剣
設立年月日 1900年7月16日
創立者 浅井熊太郎
共学・別学 男女共学
課程 全日制課程
定時制課程
単位制・学年制 学年制
設置学科 (全日制)
普通科(5学級)
理数科(1学級)
(定時制)
普通科
学期 3学期制
高校コード 22150D
所在地 421-0422
静岡県牧之原市静波850
外部リンク 公式サイト
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目次

設置学科編集

概要編集

1900年に吉田村立堰南学校として開校した公立高校である。第7学区(志太榛原地区)唯一の理数科設置校である。スクールバス運行により、通学区域は藤枝地区から浜岡地区までと広域に渡っている。通称は榛高(はいこう)。

本校の起源である堰南(えんなん)学校は1900年に現在の吉田町に創立された。堰南の由来は、大堰川といわれた大井川の南側に位置していた為である。開校100周年事業としてその地には記念碑が立てられている。創立者は吉田村出身で浜松中学校教員であった浅井熊太郎。当初は中等教育に対して中々理解を得られなかったが、浅井の熱意により賛同者が広がり開校にこぎつけた。これにより志太榛原地区では初、県内5番目の旧制中学校となった。

沿革・出来事編集

旧制榛原中学校
  • 1900年 - 吉田村立堰南学校創立。
  • 1901年 - 榛原郡立榛原中学校創立、堰南を吸収し、4月10日開始。生徒数250名。
  • 1917年 - 静岡県立榛原中学校設置。
  • 1948年 - 新学制実施により静岡県立榛原第一高等学校となる。
旧制榛原高等女学校
  • 1909年 - 川崎町立榛原女学校創立。
  • 1927年 - 静岡県立榛原高等女学校設置。
  • 1948年 - 新学制実施により静岡県立榛原第二高等学校となる。
新制・榛原高等学校
  • 1949年 - 静岡県下の高等学校再配置により静岡県立榛原第一高等学校と静岡県立榛原第二高等学校を統合、静岡県立榛原高等学校となる。通常課程に普通科、家庭科、農業科を、定時制課程に普通科を設置。
  • 1957年 - 農業科募集停止。普通科学級増加。
  • 1959年 - 体育館兼講堂落成。
  • 1972年 - 家庭科募集停止。普通科のみの募集となる。
  • 1976年 - 現在の体育館落成式。
  • 1980年 - 榛の木会館落成。
  • 1986年 - 理数科設置。(定員40名)
  • 1999年 - 学習館完成。
  • 2000年 - 創立100周年記念式典挙行。静岡新聞に「榛の木群像」連載。
  • 2003年 - スクールバス運行開始。
  • 2012年 - 第1回 科学の甲子園全国大会に静岡県代表として出場[1][2][3]

学校行事編集

マラソン大会編集

1月下旬に大井川のリバティーで行われ、1,2年生が参加する。男子10km、女子7kmとなっている。男子で70分以内、女子で50分以内に完走できないと、後日学校周辺で、当日見学した者とともに追マラソンなるものが行われる。当日の1か月ほど前から本番に向けて体育の時間に30分間走というトレーニングが行われる。

部活動編集

運動部編集

文化部編集

同好会編集

交通編集

しずてつジャストラインバス「榛原高校入口」から約100m。

著名な学校関係者編集

出身者編集

政治・官僚

学術

経済

文化

スポーツ

教職員経験者編集

  • 川上四郎 - 童画画家・旧制中学校時代に本校に教員として勤めた

脚注編集

関連項目編集

外部リンク編集