高木祥吉
日本の大蔵・金融官僚
高木 祥吉(たかぎ しょうきち[1]、1948年(昭和23年)5月22日 - )は、日本の大蔵・金融官僚。金融庁長官、ゆうちょ銀行社長、日本格付研究所社長を歴任。徳島県出身[1]。
人物・経歴
編集徳島県徳島市南前川町出身。父は助任川周辺の材木店街に店を構える材木商。小学校時代に徳島市北前川町に転居。小中学校時代の得意科目は体育で、ローラースケートを好んで遊んでいたが、余り勉強はしなかった。高校時代に数学が好きになり、他の授業は聞かずに2年生までに高校の全範囲を終えた。数学科への進学も考えたが、親の勧めで東京大学文科一類に進学。東大紛争のため講義が少なく、独学で公務員試験の勉強を行い合格。東大紛争のため卒業が遅れ、1971年6月に東京大学法学部第1類(私法コース)を卒業し[2]、同年大蔵省入省。金融庁長官を最後に退官し、日本郵政公社副総裁、ゆうちょ銀行社長などを歴任した[3]。
学歴
編集- 1961年3月 - 徳島大学附属小学校(現鳴門教育大学附属小学校)卒業
- 1964年3月 - 徳島大学附属中学校(現鳴門教育大学附属中学校)卒業
- 1967年3月 - 徳島県立城南高等学校卒業
- 1971年6月 - 東京大学法学部第1類(私法コース)卒業[2]
- 1980年 - ハーバード・ロー・スクール修了(LL.M.)
職歴
編集- 1971年(昭和46年) 大蔵省入省(理財局総務課)
- 1975年(昭和50年)7月 証券局資本市場課企画係長[4]
- 1976年(昭和51年)7月 尾張瀬戸税務署長
- 1977年(昭和52年)7月 国税庁直税部法人税課課長補佐
- 1979年(昭和54年)6月 米国留学(ハーバード・ロー・スクール国際租税セミナー)
- 1980年(昭和55年)6月 派遣職員(国際復興開発銀行)
- 1982年(昭和57年)7月 理財局国有財産課長補佐
- 1983年(昭和58年)6月 理財局資金第二課長補佐(総括・運用二)[5]
- 1985年(昭和60年)7月 理財局資金第一課長補佐
- 1986年(昭和61年)6月 大臣官房企画官兼理財局資金第一課(総括・企画)[6]
- 1987年(昭和62年)7月 日本たばこ産業企画部経理管理課長
- 1989年(平成元年)6月 東京国税局直税部長
- 1990年(平成2年)7月 証券局流通市場課長
- 1992年(平成4年)7月20日 証券局証券市場課長
- 1993年(平成5年)7月2日 理財局国債課長
- 1994年(平成6年)7月8日 証券局証券業務課長
- 1995年(平成7年)5月26日 証券局総務課長
- 1996年(平成8年)7月12日 大臣官房文書課長
- 1998年(平成10年)7月1日 大阪国税局長
- 1999年(平成11年)7月8日 大臣官房参事官兼金融企画局金融先物取引所監理官
- 2000年(平成12年)7月1日 金融庁監督部長
- 2001年(平成13年)1月6日 金融庁監督局長
- 2002年(平成14年)7月12日 金融庁長官
- 2004年(平成16年)4月26日 併任内閣官房内閣審議官(内閣官房副長官補付)命内閣官房郵政民営化準備室副室長
- 2006年(平成18年)
- 2007年(平成19年)
- 2009年(平成21年)
- 10月28日 日本郵政株式会社取締役兼代表執行役副社長 退任
- 11月 ゆうちょ銀行社長 退任
- 2010年(平成22年)4月1日 アメリカンファミリー生命保険特別顧問
- 2013年(平成25年)4月 早稲田大学大学院ファイナンス研究科客員教授(「グローバル化と金融証券規制」担当)
- 2014年(平成26年)6月20日 株式会社日本格付研究所代表取締役社長[7]
- 2018年(平成30年)11月 瑞宝重光章受章
同期
編集脚注
編集公職 | ||
---|---|---|
先代 中川雅治 |
東京国税局直税部長 1989年 - 1990年 |
次代 村上喜堂 |
先代 田村義雄 |
大阪国税局長 1998年 - 1999年 |
次代 森田好則 |
先代 乾文男 |
金融庁監督部長→金融庁監督局長 2000年 - 2002年 |
次代 五味廣文 |
先代 森昭治 |
金融庁長官 2002年 - 2004年 |
次代 五味廣文 |
ビジネス | ||
先代 (新設) |
ゆうちょ銀行社長 初代:2007年 - 2009年 |
次代 井澤𠮷幸 |