BRM・P180は、F1コンストラクターのブリティッシュ・レーシング・モータース(BRM)が1972年に開発したフォーミュラ1カーである。デザイナーはトニー・サウスゲート

BRM・P180
ドニントン・グランプリ・コレクションに展示されているP180
カテゴリー F1
コンストラクター BRM
デザイナー トニー・サウスゲート
先代 BRM・P160
後継 BRM・P201
主要諸元
エンジン BRM・P142 V12 NA ミッドエンジン
タイヤ ファイアストン
主要成績
チーム マールボロBRM
ドライバー フランスの旗 ジャン=ピエール・ベルトワーズ
イギリスの旗 ピーター・ゲシン
ニュージーランドの旗 ハウデン・ガンレイ
カナダの旗 ビル・ブラック
イギリスの旗 ブライアン・レッドマン
出走時期 1972
通算獲得ポイント 0
初戦 1972年スペインGP
最終戦 1972年アメリカGP
出走優勝表彰台ポールFラップ
50000
テンプレートを表示

概要

編集

1972年からマールボロがBRMのスポンサーに付き、多額の資金を得て開発された。P180の特徴はラジエターやオイルクーラーを車体最後部に配置して重量をマシン後半に集中させている点(重量配分は前輪30、後輪70[1]。)である。フロントのノーズは低く薄いスポーツカーノーズを採用(実戦では使用されず、通常のウイングノーズを使用)。空力を意識してコクピット前方が低く設計され、その結果コクピットカウルとステアリングホイールが干渉してしまうため、ステアリングを逃す穴が開けられている。

2台製作されスペインGPピーター・ゲシンのドライブによりデビュー。(ジャン=ピエール・ベルトワーズにも用意されたが、ブレーキの問題のためP160Bに乗り換えた[1]。)。しかし、極端な重量配分によりアンダーステアが発生して操縦性が悪化したため、モナコGPが終わった後一旦レースから撤退。この間アンダーステア解消のためマシンを改修。オイルクーラーがマシン右側に移設されイタリアGPより復帰するが、結果を残すことはできなかった。

10月22日ブランズハッチで行われた非選手権レース「ワールド・チャンピオンシップ・ヴィクトリーレース」でベルトワーズのドライブにより優勝している。

成績

編集

(key)

チーム エンジン タイヤ ドライバー 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 ポイント 順位
1972 マールボロ BRM BRM
P142
F ARG
 
RSA
 
ESP
 
MON
 
BEL
 
FRA
 
GBR
 
GER
 
AUT
 
ITA
 
CAN
 
USA
 
0 NC
  ベルトワーズ 8 Ret Ret
  ゲシン Ret
  ガンレイ Ret
  ブラック Ret
  レッドマン Ret

脚注

編集
  1. ^ a b 大串(1992)p115。

参考文献

編集

外部リンク

編集