ジャン=ピエール・ベルトワーズ

ジャン=ピエール・モーリス・ジョルジュ・ベルトワーズ(Jean-Pierre Maurice Georges Beltoise, 1937年4月26日 - 2015年1月5日)は、フランス人の元レーシング・ドライバー。1965年フランスF31968年ヨーロッパF2チャンピオン。

ジャン=ピエール・ベルトワーズ
Jean Pierre Beltoise 1969 Nürburgring.jpg
基本情報
フルネーム ジャン=ピエール・モーリス・ジョルジュ・ベルトワーズ
国籍 フランスの旗 フランス
出身地 フランスの旗 フランス共和国 パリ
生年月日 (1937-04-26) 1937年4月26日
没年月日 (2015-01-05) 2015年1月5日(77歳没)
F1での経歴
活動時期 1967-1974
所属チーム '67-'71 マトラ
'72-'74 BRM
出走回数 85
タイトル 0
優勝回数 1
表彰台(3位以内)回数 8
通算獲得ポイント 77
ポールポジション 0
ファステストラップ 4
初戦 1967年モナコGP
初勝利 1972年モナコGP
最終勝利 1972年モナコGP
最終戦 1974年アメリカGP
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マトラチームと縁が深く、スポーツカーレースおよびF1でも長年マトラを駆っていた。

略歴編集

元々は2輪でレースのキャリアをスタートさせたが、その後4輪に転向。

1964年、スポーツカーレース参戦時における大クラッシュで負傷。これ以後片足に障害を抱え、また右肘も曲げることが出来なくなる。しかし、翌1965年にフランスF3でチャンピオンを獲得するなど、以後も活躍を見せる。

F1編集

マトラ時代編集

1966年

1966年第6戦ドイツGPにおいて、マトラのF2マシンでF1に出走。F2マシンでの参戦の為、公式にはデビューとはならなかったが、8位で完走を果たしている。

1967年

翌1967年は、第2戦モナコGP・第10戦アメリカGP・第11戦メキシコGPの3戦にマトラのF1マシンでスポット参戦。モナコGPは予選落ちとなったが、アメリカGPでは予選を通過しF1デビュー戦を果たし7位完走。メキシコGPでも同様に7位で完走した。

1968年

1968年よりレギュラー参戦を果たし、開幕戦の南アフリカGPで6位に入り初入賞を記録。第2戦スペインGPでも5位入賞、この際に初のファステストラップ(以下:FL)を獲得している。また第5戦オランダGPでは、2位に入り初表彰台を記録、また2度目のFLを記録している。シーズン後半はリタイヤが続くが、第9戦イタリアGPでは5位入賞。12戦中4度入賞、FL2回という成績をおさめた(ランキング9位)。

 
1968年8月、ドイツグランプリ(ニュルブルクリンク)でマトラを駆るベルトワーズ
1969年

この年は第5戦フランスGPで、自身の当時最高位となる2位を記録。これを含め、全11戦中7度入賞(うち表彰台3回)、FL1回の成績でランキング5位を獲得、結果的はF1における自身最高成績となった。また第3戦モナコGPで3番グリッド、第9戦カナダGPで2番グリッドにつけるなど、予選でも速さを見せるようになる。

1970年

1970年は全13戦中、2度の3位表彰台を含む6度の入賞を記録。ランキングは9位となった。

1971年

1971年は全11戦中参戦は計7戦のみとなった。それまでは、優勝こそ無いものの毎シーズンに数回表彰台にのぼる活躍を見せていたが、この年は入賞すら第2戦スペインGPでの6位1度の不本意な成績に終わり、ランキングは22位。シーズン終了後、BRMに移籍する。

BRM時代編集

1972年

BRMの初年度となった1972年は、全12戦中開幕戦アルゼンチンGPを欠場したため、11レースへの参戦となった。豪雨の第4戦モナコGPでは、予選4位からスタートでトップを奪取し、そのまま終始トップを走り続け初優勝。FLもマークしており、2位のジャッキー・イクスに28秒差をつけての完全勝利だった。しかしシーズンを通しては、モナコGP以外は表彰台はおろか、入賞すら無しという結果に終わる(ランキング11位)。

1973年

1973年も不振が続き、全15戦中8回のリタイヤを喫した。そんな中でも4位1回・5位3回と計4度の入賞を記録するが、表彰台にあがることは出来なかった(ランキング10位)。

1974年

1974年は、それまでチームのスポンサーだったマールボロが離れてしまい、資金難の中でのレースとなるが、開幕戦アルゼンチンGPで5位に入る。第3戦南アフリカGPでは2位に入り、久々に表彰台にのぼった。また第5戦ベルギーGPでも5位に入るが、以降は入賞を記録出来なかった。最終戦のアメリカGPでは、デビュー年以来となる予選落ちも喫し、このGPをもってF1からは去っていった(ランキング13位)。

リジェのテストドライバー編集

1975年シーズンオフ、翌年より参戦を開始するリジェのテストを担当[1]。レギュラードライバーとしての参戦も予定されていたが、共にテストを担当していたジャック・ラフィットと交代となり[2]、F1復帰はかなわなかった。

F1後編集

元々スポーツカーレースで名を馳せており、F1後も、スポーツカーレースでは活躍。1980年代にはプジョー・505GTIを駆ってフランスのツーリングカー選手権で多くの勝利を挙げた。また、ラリーに参戦したこともある。

2015年1月5日、脳卒中によりセネガルダカールの別荘で死去[3][4]。77歳没。

補足編集

1971年ブエノスアイレス1000kmレース編集

1971年ブエノスアイレス1000kmレースにおいては、「無謀な行為によって死亡事故を招いた」として、アルゼンチン警察に逮捕された(その後保釈金を払った為、すぐに解放され帰国している)。事故に至るまでの経緯は以下の通り。

レース序盤、ベルトワーズの駆っていたマトラのマシンが、序盤にエンジントラブルを起こしストップ。この際、止まった場所が最終コーナーでありピットから近かった為、修復の為に運ぼうと、降車後にコース上でマシンを押していった。しかし、危険と避難を促されその場を離れかけた瞬間、バトルで前方の視界を遮られていたイグナツィオ・ギュンティフェラーリ・312PBが、減速する間もなくコースに残されていたマトラに激突。フェラーリは大破し炎上、マシンに取り残されたギュンティはそのまま焼死してしまった。

この件は通常のレース中のアクシデントとしては処理されず、コース上でマシンを押し進める行為が招いた人災とみなされた為、逮捕という事態となった。ただしこのことに加え、「イエローフラッグを振っていなかった」「マシン消火中もレースを続行し、後続車に回避指示を送ることもしない」等、主催者側に怠慢と取られかねない要素があったことも指摘されている。

戦績編集

ロードレース世界選手権編集

順位 1 2 3 4 5 6
ポイント 8 6 4 3 2 1

(key) (イタリック体はファステスト・ラップのレースを示している)

クラス チーム 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 ポイント 順位 勝利数
1962 250cc Moto Morini ESP
-
FRA
5
IOM
-
NED
-
BEL
-
GER
-
ULS
-
DDR
-
NAT
-
ARG
-
2 20th 0
1963 50cc Kreidler ESP
-
GER
-
FRA
5
IOM
-
NED
-
BEL
6
FIN
-
ARG
-
JPN
-
3 11th 0
125cc Bultaco ESP
-
GER
-
FRA
-
IOM
-
NED
-
BEL
6
ULS
-
DDR
-
FIN
-
NAT
-
ARG
-
JPN
-
1 20th 0
1964 50cc Kreidler USA
5
ESP
-
FRA
3
IOM
-
NED
-
BEL
-
GER
-
FIN
-
JPN
-
6 6th 0
125cc Bultaco USA
5
ESP
-
FRA
5
IOM
-
NED
-
GER
-
DDR
-
ULS
-
FIN
-
NAT
-
JPN
-
4 13th 0

ヨーロッパ・フォーミュラ2選手権編集

チーム シャーシー エンジン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 順位 ポイント
1967年 マトラ・スポーツ マトラ・MS5 コスワース SNE
Ret
SIL
Ret
NÜR
10
HOC TUL
3
JAR
Ret
ZAN
4
PER
2
BRH
DNS
VLL
2
3位 27
1968年 マトラ・MS7 HOC
1
THR
2
JAR
1
PAL TUL
2
ZAN
1
PER
NC
HOC VLL
4
1位 48
1969年 THR
3
HOC
1
NÜR
3
JAR
2
TUL
4
PER
Ret
VLL NC 0
1970年 Constructions Mécaniques Pygmée Pygmée MDB15 THR HOC BAR
Ret
ROU
DNQ
PER
Ret
TUL IMO HOC
Ret
NC 0
1971年 Pygmée MDB16 HOC THR NÜR JAR
DNS
PAL ROU
Ret
MAN TUL NC 0
GTEレーシング・カーズ ロータス・69 ALB
DNQ
VLL VLL
1972年 シェル・アラウンドチーム マーチ・722 MAL THR HOC PAU
Ret
NC 0
モートル・ロンデル・レーシング ブラバム・ BT38 PAL
6
HOC ROU
Ret
ÖST IMO MAN PER SAL ALB HOC
1973年 STP マーチ・エンジニアリング マーチ・ 732 BMW MAL
Ret
HOC
Ret
THR
DNQ
NÜR PAU
NC
KIN NIV HOC ROU MNZ MAN KAR PER SAL NOR ALB
3
VLL 20位 4
1974年 エキュリエ・エルフ アルピーヌ・ A367 BAR HOC
NC
PAU SAL HOC MUG KAR PER HOC VLL NC 0
1975年 Racing Organisation Course シェブロン・B29 クライスラー EST THR HOC NÜR PAU
NC
HOC SAL NOG
NC
VLL NC 0
エキュリエ・エルフ アルピーヌ・A367 BMW ROU
Ret
MUG PER SIL ZOL
Source:[5]

F1世界選手権編集

所属チーム シャシー 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 WDC ポイント
1966年 マトラ MS5 (F2) MON BEL FRA GBR NED GER
8
ITA USA MEX NC 0
1967年 MS7 (F2) RSA MON
DNQ
NED BEL FRA GBR GER CAN ITA USA
7
MEX
7
NC
(22位)
0
1968年 RSA
6
9位 11
MS10 ESP
5
MS11 MON
Ret
BEL
8
NED
2
FRA
9
GBR
Ret
GER
Ret
ITA
5
CAN
Ret
USA
Ret
MEX
Ret
1969年 MS10 RSA
6
5位 21
MS80 ESP
3
MON
Ret
NED
8
FRA
2
GER
12*
ITA
3
CAN
4
USA
Ret
MEX
5
MS84 GBR
9
1970年 MS120 RSA
4
ESP
Ret
MON
Ret
BEL
3
NED
5
FRA
13
GBR
Ret
GER
Ret
AUT
6
ITA
3
CAN
8
USA
Ret
MEX
5
9位 16
1971年 MS120B RSA ESP
6
MON
Ret
NED
9
FRA
7
GBR
7
GER AUT ITA CAN
Ret
USA
8
22位 1
1972年 BRM P160B ARG RSA
Ret
ESP
Ret
MON
1
BEL
Ret
FRA
15
11位 9
P160C GBR
11
GER
9
AUT
8
P180 ITA
8
CAN
Ret
USA
Ret
1973年 P160D ARG
Ret
BRA
Ret
RSA
Ret
10位 9
P160E ESP
5
BEL
Ret
MON
Ret
SWE
Ret
FRA
11
GBR
Ret
NED
5
GER
Ret
AUT
5
ITA
13
CAN
4
USA
9
1974年 ARG
5
BRA
10
13位 10
P201 RSA
2
ESP
Ret
BEL
5
MON
Ret
SWE
Ret
NED
Ret
FRA
10
GBR
12
GER
Ret
AUT
Ret
ITA
Ret
CAN
NC
USA
DNQ
  • 太字ポールポジション斜字ファステストラップ。(key)
  • * 印は1969年ドイツグランプリにおいて、5位から10位までのドライバーがF2の車両でフィニッシュしたため(規定によりF2の車両は入賞圏内でフィニッシュしてもポイントは与えられない。)、12位のベルトワーズが6位にあたる1ポイントを獲得した。

ル・マン24時間レース編集

チーム コ・ドライバー 使用車両 クラス 周回 総合順位 クラス順位
1963年   オートモビル・ルネ・ボネ   クロード・ボブロフスキー ルネ・ボネ・アエロジェット LM6 P
3.0
269 11位 4位
1964年   ソシエテ オートモビル・ルネ・ボネ   ジェラール・ローロー ルネ・ボネ・アエロジェット P
3.0
54 DNF DNF
1966年   マトラ スポーツ SARL   ジョニー・セルボ=ギャバン マトラ・MS620 P
2.0
112 DNF DNF
1967年   エクィップ マトラ スポーツ   ジョニー・セルボ=ギャバン マトラ・MS630 P
2.0
155 DNF DNF
1969年   エクィップ マトラ エルフ   ピアス・カレッジ マトラ・MS650 P
3.0
368 4位 2位
1970年   エクィップ マトラ-シムカ   アンリ・ペスカロロ マトラ-シムカ・MS660 P
3.0
79 DNF DNF
1971年   クリス・エイモン P
3.0
263 DNF DNF
1972年   クリス・エイモン マトラ-シムカ・MS670 S
3.0
1 DNF DNF
1973年   エクィップ マトラ-シムカ シェル   フランソワ・セベール マトラ-シムカ・MS670B S
3.0
157 DNF DNF
1974年   エクィップ ジタン   ジャン=ピエール・ジャリエ マトラ-シムカ・MS680 S
3.0
104 DNF DNF
1975年   ジタン オートモビル リジェ   ジャン=ピエール・ジャリエ リジェ・JS2-マセラティ S
3.0
36 DNF DNF
1976年   イナルテラ   アンリ・ペスカロロ イナルテラ・LM-フォード コスワース GTP 305 8位 1位
1977年   アル・ホルバート イナルテラ・LM77-フォード コスワース S
+2.0
275 13位 5位
1979年   ITT オセアニック ジャン・ロンドー   アンリ・ペスカロロ ロンドー・M379-フォード コスワース S
+2.0
279 10位 2位
Source:[6]

出典編集

[脚注の使い方]
  1. ^ 『オートスポーツ』 1976年1月15日号(三栄書房)43頁。
  2. ^ 『オートスポーツ』 1976年3月1日号、36頁。
  3. ^ ジャン・ピエール・ベルトワーズ、77歳で死去 F1-Gate.com 2015年1月5日
  4. ^ F1ベルトワーズ氏死去 モナコGPで優勝 朝日新聞 2015年1月6日
  5. ^ Jean-Pierre Beltoise – Biography”. MotorSportMagazine. 2019年1月20日閲覧。
  6. ^ All Results of Jean-Pierre Beltoise”. RacingSportCars. 2019年1月20日閲覧。

関連項目編集