オオゴキブリ

オオゴキブリ科に属する昆虫の一種

オオゴキブリ(大蜚蠊[3]、学名:Panesthia angustipennis spadica)とは、ゴキブリ目オオゴキブリ科に属する昆虫の一種である。その生息環境は自然の保全状態が良好な証とされる[4]

オオゴキブリ
オオゴキブリ
分類
: 動物界 Animalia
: 節足動物門 Arthropoda
: 昆虫綱 Insecta
: ゴキブリ目 Blattaria
: オオゴキブリ科 Blaberidae
亜科 : オオゴキブリ亜科 Panesthiinae
: オオゴキブリ属 Panesthia
: P. angustipennis
亜種 : オオゴキブリ P. angustipennis spadica
学名
Panesthia angustipennis spadica
Shiraki, 1906[1]
シノニム

Panesthia angustipennis yayeyamensis Asahina, 1988[2]

和名
オオゴキブリ

学名・名称 編集

松村松年が1898年におおあぶらむし Panesthia angustipennis Illigerとして最初に記録し、1904年に改めて記載、次いで素木得一が1906年の論文で播磨産のPanesthia angustipennis成虫とCryptogercus spadicusを記載[5]。後者は翅を持たない小型種として新種記載されたものだが、実際のところはオオゴキブリの若齢幼虫にすぎない[5]

その後Furukawa (1941)でPanesthia spadicaとして日本産のオオゴキブリが記録され、これが日本のオオゴキブリに正式にspadicaの名を与えた最初の例とされる[6]。spadicaの名自体は素木が1931年に松村 (1913)で図説された「つのおほごきぶり Panesthia javanica Serville」に対して使っているが、このつのおほごきぶりは実のところ雄のオオゴキブリであり、P. javanicaはP. angustipennis angustipennisのシノニムとされている[6]。朝比奈 (1988)はspadicaの名について、日本産オオゴキブリの最も古いシノニムと位置づけられたおかげで亜種名として使わざるを得なくなったと記している[7]

形態 編集

成虫の体長は40 - 45 mm[3](雄37 - 41 mm、雌38 - 41 mm)、前胸背板幅は雄13 - 14 mm、雌12 - 14 mm、前翅長は雄30 - 42 mm、雌30 - 33 mm[8]。頭部は円く平滑で頭頂部はわずかに凹んでいる[9]。体色は漆黒色だが、前頭楯と上唇は褐色味が強い[9]。触覚は16 mmと短く、先端に向けて細まっていく[9]

前胸背は台形で[3]、雄は前端縁に短く弱い牛角状の突起を1対有し、背板中央にはスマトラ産のP. angustipennis angustipennisよりもハッキリとした小隆起が1対見える[9]。雌は前胸背の前端部中央が浅く凹み、明瞭に牛角状を呈することはない[5]。前肢は比較的短く、腿節前下縁に通常1本から2本の強棘を持ち、まれに3本、左右非対称のこともある[9]。雌は通常2本で時に3本[5]

雄の翅はふつう腹端に達するか、わずかに腹端を超える長さだが、成熟した個体は翅端が切れた個体が多い[9][注釈 1]。雌は雄よりも短く腹端に達することはない[5]。前翅は光沢のある黒色で、若干褐色味帯びた個体が多い[9]。後翅が発達しているが、飛翔傾向は極めて低いと考えられている[11]

雄の腹部の輪郭は楕円形で、翅の前縁部を超えて腹部左右縁が露出する[9]。雌の腹部は扁平で幅広である[5]。雌雄は腹部末端に第8節が視認できるかどうかで見分けられ、視認できるものは雄、できないものは雌となる[11]

幼虫は若齢から終齢に至るまで黒色[12]。朝比奈 (1988)は幼虫の中胸背板に1対の赤褐紋があるという点を根拠に別亜種としてヤエヤマオオゴキブリ Panesthia angustipennis yayeyamensisを記載している[13]。しかし、Maekawa et al. (1999)の分子系統学的研究ではヤエヤマオオゴキブリをオオゴキブリとして扱うことが提案されており[14]、X Wang et al. (2014)も幼虫の斑点の違いによってのみ正確に区別することは十分だとも合理的だとも考えられないとして、Maekawa et al. (1999)と同様にPanesthia angustipennis spadicaのシノニムとして扱うべきであることを支持した[15]

生態 編集

原植生の照葉樹林における代表的な生物構成種の一種で、主に平野部の社叢林城跡などに残るヤブコウジスダジイ群落に生息する[11]二次林に生息することもある[11]。山地の森林中ではそれほど珍しくない[12]。森林の林床部の倒木や枯株などの朽木中に家族単位のコロニーを形成して生息する[11]。常緑照葉樹林に従属性が認められる傾向が高いが[16]落葉広葉樹林針葉樹林にも生息しており[17]、利用する朽木の種類や腐朽段階は相当幅広いと推測される[18]。発生木の樹種はスダジイが最多で、アカマツモミコジイウラジロガシアカガシマテバシイでも見られる[11][16]。朽木中の木質部を餌とし、腸内の共生微生物の力を借りてこれを消化する[3]

朽木に依存するという点でクチキゴキブリと共通し、場所によっては同じ朽木から共に見つかることもあるが、一夫一妻と子供で構成される家族で営巣するクチキゴキブリとは異なり、本種は多数の個体が集まって営巣する集合性を持つ[19]

福本ら (2002)による観察結果によると、幼虫期間は推定4 - 5年以上で、数回の越冬を重ねて成虫になると考えられる[4]。成虫の寿命は2年半から3年で、雌は年1度、7月から8月に産卵し、少なくとも生涯に3回産卵する[4]。孵化幼虫数は23 - 27頭で、ゴキブリの中でも繁殖率が非常に低い[4]。1齢幼虫の時点で成虫とあまり変わらないセルロース分解能力を持ち、孵化直後に独立して活動できる早成性であることが示唆されている[19]

分布 編集

日本本州四国九州の他、島嶼部では隠岐諸島佐渡島壱岐島対馬島五島列島中通島)、屋久島種子島から記録された標本が知られる[7]台湾にも分布する[12]。太平洋側では海沿いの温暖な地域を中心に、日本海側では対馬海流の影響による照葉樹林の分布域のみ生息が確認されている[11]。生息環境は局地的で、個体数は多くない[20]

幼虫の中胸背板に1対の赤褐紋があることを根拠に朝比奈 (1988)で別亜種扱いされたヤエヤマオオゴキブリ Panesthia angustipennis yayeyamensis石垣島西表島、台湾に分布する[21]。ただしP. angustipennis yayeyamensisはMaekawa et al. (1999)で本種のシノニム扱いされている[2]

保全状況 編集

森林伐採などによる生息環境の縮小、地球温暖化による土地の乾燥化が進むことによる林床の朽木の状態悪化で、所により種の存続が危ぶまれている[17]。本種について、宮城県は絶滅危惧II類に[22]青森県[20]石川県[23]愛知県は準絶滅危惧種(NT)に指定しているほか[17]千葉県は一般保護生物[24]富山県は情報不足[25]栃木県は要注目種としている[26]

備考 編集

昆虫食 編集

昆虫料理研究家の内山昭一は、本種は素揚げにして食べることができ、揚げたてのものは翅や脚ごと食べられるが、取る事でさらに食べやすくなるとする[27]。また、一番オススメするゴキブリだとも述べ、調理法の例として唐揚げを紹介している[28]。ゴキブリ研究者の柳澤静磨は焼いたものは苦味はありながら香ばしくて悪くない味わいだったとしている[29]

近縁種 編集

種Panesthia angustipennis (Illiger1801)は分類学的に扱いづらく、Roth (1979)の整理統合で5地域亜種が与えられる[30]まで整理されることがなかった[31]。Beccaloni, G. W. (2014)によれば、種Panesthia angustipennisは本種の他に以下の6亜種が知られている[32]

Panesthia angustipennis angustipennis Illiger1801
インドネシアパプアニューギニアマレーシアオーストラリアクリスマス島ココス諸島)、インドアンダマン諸島セーシェルフィリピンシンガポールタイ王国カンボジアラオスベトナムに分布[33]
Panesthia angustipennis baluensis Hanitsch, 1933
マレーシアサバ州に分布[34]
Panesthia angustipennis bravipennis Brunner von Wattenwyl1893
インドネシア(アンボン島ハルク島英語版バンダ島ブル島モロタイ島オビ島バチャン島英語版テルナテ島ハルマヘラ島セラム島)に分布[35]
Panesthia angustipennis cognata Bey-Bienko1969
インド中国海南省広西チワン族自治区貴州省雲南省チベット自治区)、ベトナムブータンミャンマーラオスタイ王国に分布[36]
Panesthia angustipennis epostalata Roth1979
マレーシア・サラワク州に分布?[37]
Panesthia angustipennis wegneri Princis, 1957
インドネシア(スンバ島ロンボク島スンバワ島フローレス島ティモール島)に分布[38]

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ 理由は集団生活の中で他個体の翅をかじるためとされる[10]

出典 編集

  1. ^ subspecies Panesthia angustipennis spadica (Shiraki, 1906)Beccaloni, G. W., Cockroach Species File Online(Version 5.0/5.0). 2023年3月19日閲覧。
  2. ^ a b synonym Panesthia angustipennis yayeyamensis Asahina, 1988Beccaloni, G. W., Cockroach Species File Online(Version 5.0/5.0). 2023年3月19日閲覧。
  3. ^ a b c d オオゴキブリコトバンク(ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典、日本大百科全書/山崎柄根)、2023年3月21日閲覧。
  4. ^ a b c d 福本絹子、福本照夫、山口礼子、山口裕子、辻英明「京都府南部におけるオオゴキブリの採集と飼育」『環動昆』第13巻第3号、日本環境動物昆虫学会、2002年、133-137頁、doi:10.11257/jjeez.13.133 
  5. ^ a b c d e f 朝比奈正二郎 1988, p. 57.
  6. ^ a b 朝比奈正二郎 1988, p. 58.
  7. ^ a b 朝比奈正二郎 1988, p. 59.
  8. ^ 朝比奈正二郎 1988, pp. 56–57.
  9. ^ a b c d e f g h 朝比奈正二郎 1988, p. 56.
  10. ^ オオゴキブリ幼虫国立研究開発法人 森林研究・整備機構 森林総合研究所 多摩森林科学園、2023年3月22日閲覧。
  11. ^ a b c d e f g 新井浩二「オオゴキブリの埼玉県から初めての記録」『埼玉県立自然の博物館研究報告』第16巻、埼玉県立自然の博物館、2022年、49-52頁、doi:10.24715/smnh.16.0_49 
  12. ^ a b c 朝比奈正二郎 1988, p. 60.
  13. ^ 朝比奈正二郎 1988, p. 61.
  14. ^ Kiyoto, Maekawa; Lo, Nathan; Osamu, Kitade; Toru, Miura; Tadao, Matsumoto (11 1999). “Molecular Phylogeny and Geographic Distribution of Wood-Feeding Cockroaches in East Asian Islands” (pdf). Molecular Phylogenetics and Evolution (Elsevier) 13 (2): 360-376. doi:10.1006/mpev.1999.0647. https://www.academia.edu/download/6486935/4-PanesthiaSalganea-MPE1999.pdf. 
  15. ^ Xiudan, Wang; Zongqing, Wang; Yanil, Che (2014). “A taxonomic study of the genus Panesthia (Blattoidea, Blaberidae, Panesthiinae) from China with descriptions of one new species, one new subspecies and the male of Panesthia antennata”. ZooKeys (Pensoft Publishers) 466: 53-75. doi:10.3897/zookeys.466.8111. https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC4296483/#__ffn_sectitle. 
  16. ^ a b 菊屋奈良義「九州地方のゴキブリ類の分布状況(予報)」『家屋害虫』第13巻第1号、家屋害虫研究会、1991年7月20日、29-39頁、NDLJP:10507192 
  17. ^ a b c 9.昆虫類2(準絶滅危惧NTから国リスト)愛知県「レッドデータブックあいち2020」動物編p.362.
  18. ^ オオゴキブリ穿孔材の特性について(第124回日本森林学会大会)伊藤広記、大澤直哉、2013年。日本森林学会。2023年3月21日閲覧。
  19. ^ a b 前川清人、嶋田敬介「食材性ゴキブリ類の家族性と若虫の発達」『昆虫と自然』第43巻第13号、ニューサイエンス社、2008年、5-9頁。 
  20. ^ a b 青森県レッドデータブック(2020年版)昆虫類青森県「青森県レッドデータブック(2020年版)」p.279. Cランク(希少野生生物)として掲載されているが、同p.3によればこの区分は環境省カテゴリーの準絶滅危惧 NTに対応する。
  21. ^ 朝比奈正二郎 1988, pp. 61–62.
  22. ^ 宮城県レッドリスト2021(昆虫類)宮城県「宮城県の希少な野生動植物-宮城県レッドリスト2021年版-」より
  23. ^ 石川県の絶滅のおそれのある野生生物 いしかわレッドデータブック2020 動物編p.177. 石川県「いしかわレッドデータブック2020」より
  24. ^ 千葉県の保護上重要な野生生物 一千葉県レッドリスト一 動物編千葉県環境生活部自然保護課 生物多様性センター「千葉県レッドリスト動物編(2019年改訂版)」p.26. Dランク(一般保護生物)として掲載されている。
  25. ^ 分類別(昆虫類)No.139. 富山県「富山県の絶滅のおそれのある野生生物-レッドデータブックとやま2012-」より
  26. ^ 昆虫p.6. No.407. 栃木県「第4次栃木県版レッドリスト(2023年版)」より
  27. ^ 【再掲】オオゴキブリの採集と試食(初出:2007年2月19日)内山昭一 Official Website、2017年5月31日。2023年3月21日閲覧。
  28. ^ 昆虫食の是非で思い出される"ゴキブリを食べて死亡"、昆虫料理研究家に聞いた都市伝説の真偽「可能性はゼロじゃない」週刊女性PRIME、2023年3月14日。2023年3月22日閲覧。
  29. ^ ゴキブリ研究者に聞く<Gにまつわる都市伝説>1匹見つけたら100匹いる説はホント?テレ東プラス+、2022年7月9日。2023年3月22日閲覧。
  30. ^ 朝比奈正二郎 1988, p. 55.
  31. ^ 朝比奈正二郎 1988, p. 53.
  32. ^ species Panesthia angustipennis (Illiger, 1801)Beccaloni, G. W., Cockroach Species File Online(Version 5.0/5.0). 2023年3月21日閲覧。
  33. ^ subspecies Panesthia angustipennis angustipennis (Illeger, 1801)Beccaloni, G. W., Cockroach Species File Online(Version 5.0/5.0). 2023年3月21日閲覧。
  34. ^ subspecies Panesthia angustipennis baluensis Hanitsch, 1933Beccaloni, G. W., Cockroach Species File Online(Version 5.0/5.0). 2023年3月21日閲覧。
  35. ^ subspecies Panesthia angustipennis brevipennis Brunner von Wattenwyl, 1893Beccaloni, G. W., Cockroach Species File Online(Version 5.0/5.0). 2023年3月21日閲覧。
  36. ^ subspecies Panesthia angustipennis cognata Bey-Bienko, 1969Beccaloni, G. W., Cockroach Species File Online(Version 5.0/5.0). 2023年3月21日閲覧。
  37. ^ subspecies Panesthia angustipennis epostalata Roth, 1979Beccaloni, G. W., Cockroach Species File Online(Version 5.0/5.0). 2023年3月21日閲覧。
  38. ^ subspecies Panesthia angustipennis wegneri Princis, 1957Beccaloni, G. W., Cockroach Species File Online(Version 5.0/5.0). 2023年3月21日閲覧。

参考文献 編集

  • 朝比奈正二郎「日本産ゴキブリ分類ノート:XVII. オオゴキブリ属の種類」『衛生動物』第39巻第1号、日本衛生動物学会、1988年、53-62頁、doi:10.7601/mez.39.53