ジョー・リン・ターナー

アメリカの歌手

ジョー・リン・ターナーJoe Lynn Turner1951年8月2日 - )は、アメリカ人の歌手、アメリカ合衆国ニュージャージー州ハッケンサック出身。本名・ジョゼフ・アーサー・マーク・リンキート(Joseph Arthur Mark Linquito)。ハード・ロック・バンドであるレインボー在籍時の作品で知られる[1]。ターナーは、かつてジャズ・ロック・バンドであるファンダンゴのフロントマンを務め、またイングヴェイ・マルムスティーンが率いるライジング・フォース及びディープ・パープルと、ごく短期間だが共同作業を行っている。1990年代半ばから、ターナーは自分のソロ活動を追究する一方で、同時に様々な音楽グループにも加わり、作品を残してきた(プログレッシブ・ロック・バンドのマザーズ・アーミー、ファンク・ロックのデュオであるヒューズ・ターナー・プロジェクト、アダルト・オリエンティド・ロックサンストームなど)。ターナーは2014年9月現在、マザーズ・アーミーから発展したレイテッド・エックスのボーカリストである。彼らのアルバムは2014年11月に発売される予定である[2]

ジョー・リン・ターナー
Joe Lynn Turner
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2010年、スウェーデン公演
基本情報
出生名 Joseph Arthur Mark Linquito
別名 JLT
生誕 (1951-08-02) 1951年8月2日(69歳)
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ニュージャージー州ハッケンサック
ジャンル ハードロック
職業 シンガーソングライター
担当楽器 ボーカル
活動期間 1976年 - 現在
共同作業者 ファンダンゴ
レインボー
イングヴェイ・マルムスティーンズ・ライジング・フォース
ディープ・パープル
サンストーム
公式サイト www.joelynnturner.com

経歴編集

ジョー・リン・ターナーことジョセフ・アーサー・マーク・リンキートは、イタリア系アメリカ人の家に生まれる。高校生の時、ターナーはエズラというバンドを組み、自分達のオリジナル曲やカヴァー曲を演奏していた。子供の時はアコーディオンを弾いていたが、その後典型的なリズム&ブルースに興味を持つようになる。そして、10代前半でギターを弾きこなすようになった。ターナーに影響を与えたのは、レッド・ツェッペリンジミ・ヘンドリックスフリーといったアーティスト達だった[3]1976年、ターナーはファンダンゴに参加し、初めてバンドの持つ全国的な影響力というものを経験する。このバンドは、リズム&ブルース、ポップスカントリージャズ、そしてメロディアスなロックをミックスしたバンドだと形容されていた。ターナーはファンダンゴの4枚のアルバム全てで歌とギターを担当している。ファンダンゴは非常に多くのバンドと一緒にツアーをしたが、そうしたバンドの中にはオールマン・ブラザーズ・バンド、マーシャル・タッカー・バンド、ザ・ビーチ・ボーイズなどがいた。ビリー・ジョエルとも一緒にツアーで回っている。

ファンダンゴが解散した後、ターナーにイギリス人ギタリスト、リッチー・ブラックモアから電話がかかってきた。これはオーディションへの誘いの連絡で、結果としてターナーはすぐにレインボーのメンバーに加入することになった。レインボーは、ターナーが加入する以前はヨーロッパと日本では人気があったものの、アメリカでは同様に人気を獲得しているとは言えない状態だった。ターナーの加入によってよりポップス志向が強まり、その結果アメリカで一気に成功を勝ち取ることになった。ターナーが参加したアルバムの中からの何曲かは、1980年代初期から中期にかけて、ロック専用のラジオ局のチャートでトップ20に入っている。「ストーン・コールド」は、トップ40入りしたレインボーの最初の曲で、この曲のPVはMTVでヘヴィー・ローテーションとして放送された。ターナーは、レインボー名義でのスタジオ録音のアルバム3枚に参加している。『アイ・サレンダー』『闇からの一撃』『ストリート・オヴ・ドリームズ』である。アルバム『ストリート・オヴ・ドリームズ』からは同名のシングルが発売された。レインボーは1984年に解散する。

1985年、レインボーの解散後、ターナーはソロ・アルバムを発売する。『レスキュー・ユー』は、クイーンカーズとの仕事で知られていたロイ・トーマス・ベイカーのプロデュースで制作された。ターナーはほとんどの曲をフォリナーのキーボーディスト、アル・グリーンウッドと共作している。一枚目のシングル曲「エンドレスリー」はラジオとMTVで繰り返し放送された。その後ナイト・レンジャーパット・ベネターとのツアーを行い、またテレビ映画『ブルー・デ・ヴィユ』に出演したりしている[4]

1987年には、ターナーはマイケル・ボルトンのアルバム『いざないの夜(The Hunger)』でバックコーラスに参加している。ターナーの声が聞ける曲は「ホット・ラヴ」と「ジーナ」の2曲である。

1988年には、イングヴェイ・マルムスティーンライジング・フォースに参加し、アルバム『オデッセイ』を録音している。このアルバムの発売後、短期間のツアーに出ているが、その際にレニングラードでコンサートを行い、これが録音されて『トライアル・バイ・ファイアー:ライヴ・イン・レニングラード』(1989年)として発売された。しかし1989年中に彼はライジング・フォースを離れ、ディープ・パープルに参加する。アルバムは1枚だけ、『スレイヴズ&マスターズ』(1990年)を録音している。このアルバムはビルボードで第87位まで上がり、発売後の1991年に行われたツアーは比較的成功したものになった。しかしターナーはディープ・パープルも1992年後半に脱退してしまう[5]。その後、プログレッシブ・ロック・バンドであるマザーズ・アーミー(ジェフ・ワトソンボブ・デイズリーカーマイン・アピス)と3枚のアルバムを制作している[6]

ターナーは、主に1990年代半ばからソロ活動を行い、多くの成果を挙げている。ブルガリア人ギタリストのニコロ・コッツェフ率いるフィンランドのロックバンドであるブレイズン・アボットとの共演、ヒューズ・ターナー・プロジェクト名義でのグレン・ヒューズとの共演などである。ターナーは、ニコロ・コッツェフのロック・オペラ『ニコロ・コッツェフのノストラダムス』にも参加している。2005年にはターナーはロシアのスタジオ・プロジェクト、マイケル・メン・プロジェクトのアルバム『メイド・イン・モスコウ』にも、グレン・ヒューズとともに参加した。2006年には非常に音楽的に成功したスタジオ・プロジェクト「サンストーム」に参加し、ドイツのロック・バンド「ピンク・クリーム69」のベーシスト、デニス・ワードと共演している。ターナーは『ヴォイスイズ・オヴ・クラシック・ロック』のゲストを務めている。ターナーは、オーストラリアのバンドAC/DCのボーカリスト、ブライアン・ジョンソンと共に、クラシック・ロック・ケアズ・チャリティ・ツアー(長きにわたる友人である、ジョン・エントウィッスル・バンドのドラマーでプロデューサーでもあったスティーヴ・ルオンゴの呼びかけで行われた)で主演を務めている。

2006年8月4日には、日本の東京芸術劇場新日本フィルハーモニー交響楽団と共にレインボーの楽曲を歌うという特別公演を行っている。

2008年、ターナーは「OVER THE RAINBOW(オーバー・ザ・レインボー)」を結成した。このバンドは元レインボーのメンバーであるキーボーディストのポール・モリスと、リッチー・ブラックモアの息子ユルゲンがギターを担当するトリビュートバンドである。

ターナーはツアー・バンドである「ビッグ・ノイズ」のメンバーの一人を務めた。このバンドは、ギタリストのカルロス・カヴァーゾ、ベーシストのフィル・スーザン、そしてドラマーのヴィニー・アピスというメンバーで構成されていた。

ターナーはノルウェイのグループ「ヤン・ホルバーグ・プロジェクト」に加入している。このバンドは2011年にスタジオ・アルバムである『センス・オヴ・タイム』を発売している。

2012年夏、スウェーデンで行われたゴールデン・タイムズ・フェスティヴァルで、ターナーとレジェンズ・ヴォイス・オヴ・ロックが共演している。

2013年、ドイツのヘヴィメタル・バンド「アヴァンタシア」のアルバム『ミステリー・オヴ・タイム』の数曲にゲスト参加している。このアルバムは同年3月に発売された。

2013年の3月と4月には、ラスベガスのLVHホテルとカジノで行われたショー『レイディング・ザ・ロック・ヴォルト』に特別ゲストとして出演している。

主な来日公演編集

  • 1981年8月、レインボーのボーカルとして来日。この時、ポリドールから『アイ・サレンダー』のゴールドディスクが授与された。
  • 1982年10月、レインボーのボーカルとして来日。
  • 1984年3月、レインボーのボーカルとして来日。
  • 1988年8月、イングヴェイ・マルムスティーンズ・ライジング・フォースのボーカルとして来日。
  • 1991年6月、ディープ・パープルのボーカルとして来日。
  • 2000年10月、ソロとして来日。ゲストは後に正式にプロジェクトを組むことになるグレン・ヒューズ。
  • 2002年5月、「ヒューズ・ターナー・プロジェクト」としてグレン・ヒューズと共に来日。
  • 2004年2月、「ヒューズ・ターナー・プロジェクト」として2度目の来日。
  • 2006年8月4日 新日本フィルハーモニー交響楽団と「トリビュート・トゥ・レインボー」で一夜限りの共演を果たす。
  • 2007年5月、グラハム・ボネット率いるアルカトラスと、ダブル・ヘッドライナーとして競演。各地でライブを行った。
  • 2009年4月、レインボーのトリビュートバンド、OVER THE RAINBOWで来日。大阪、東京でライブを行った。
  • 2010年9月、グラハム・ボネット、ドゥギー・ホワイトと、レインボーのボーカリスト3名をフィーチャーした企画ライブ「Voices of Rainbow」で来日。東京、名古屋、大阪でライブを行った。
  • 2013年3月、「Voices of Rainbow」で再来日。東京、名古屋、大阪でライブを行った。

ディスコグラフィ編集

ソロ・アルバム編集

  • 『レスキュー・ユー』 - Rescue You (1985年)
  • 『ナッシングス・チェンジド』 - Nothing's Changed (1995年)
  • アンダー・カヴァー』 - Under Cover (1997年) ※カヴァー・アルバム
  • 『ハリー・アップ・アンド・ウェイト』 - Hurry Up and Wait (1998年)
  • 『アンダー・カヴァー2』 - Under Cover 2 (1999年) ※カヴァー・アルバム
  • 『ホーリー・マン』 - Holy Man (2000年)
  • 『スラム』 - Slam (2001年)
  • 『JLT』 - JLT (2003年)
  • 『ザ・ユージュアル・サスペクツ』 - The Usual Suspects (2005年)
  • 『セカンド・ハンド・ライフ』 - Second Hand Life (2007年)
  • The Sessions (2016年) ※コンピレーション・アルバム

EP編集

  • 『ガール・ライク・ユー』 - Waiting for a Girl Like You (1999年)
  • 『チャレンジ・ゼム・オール』 - Challenge Them All (2001年)
  • 『ザ・ワン』 - The One (2004年)

ライブ・アルバム編集

  • 『ライヴ・イン・ジャーマニー』 - Live in Germany (2008年)
  • Street of Dreams - Boston 1985 (2016年)

ファンダンゴ編集

  • 『ファンダンゴ』 - Fandango (1977年)
  • 『ワン・ナイト・スタンド』 - One Night Stand (1978年)
  • Last Kiss (1979年)
  • Cadillac (1980年)

レインボー編集

イングヴェイ・マルムスティーン編集

マザーズ・アーミー編集

  • 『マザーズ・アーミー』 - Mothers Army (1993年)
  • 『プラネット・アース』 - Planet Earth (1997年)
  • 『ファイアー・オン・ザ・ムーン』 - Fire On The Moon (1998年)

ブレイズン・アボット編集

  • 『アイ・オブ・ザ・ストーム』 - Eye of the Storm (1996年)
  • 『バッド・リリジョン』 - Bad Religion (1997年)
  • 『ギルティ・アズ・シン』 - Guilty as Sin (2003年)
  • A Decade of Brazen Abbot (2004年) ※ライブ・アルバム
  • My Resurrection (2005年)

ヒューズ・ターナー・プロジェクト編集

  • 『ヒューズ / ターナー』 - HTP (2002年)
  • 『ライヴ・イン・トーキョー』 - Live in Tokyo (2002年) ※ライブ・アルバム
  • 『ヒューズ / ターナー2』 - HTP2 (2002年)

アキラ・カジヤマ+ジョー・リン・ターナー編集

  • 『ファイアー・ウィズアウト・フレイム』 - Fire Without Flame (2005年)

サンストーム編集

  • 『サンストーム』 - Sunstorm (2006年)
  • 『ハウス・オブ・ドリームズ』 - House of Dreams (2009年)
  • 『エモーショナル・ファイア』 - Emotional Fire (2012年)
  • 『エッジ・オブ・トゥモロー』 - Edge of Tomorrow (2016年)
  • 『ザ・ロード・トゥ・ヘル』 - The Road to Hell (2018年)

The Jan Holberg Project編集

  • Sense of Time (2011年)
  • At Your Service (2013年)

その他編集

脚注編集

  1. ^ Thompson, Dave (2004). Smoke on the Water: The Deep Purple Story. ECW Press. pp. 260–. ISBN 978-1-55022-618-8. http://books.google.com/books?id=LzzCw6xs9roC&pg=PA260 2011年9月24日閲覧。 
  2. ^ Larry Petro (2014年8月12日). “Supergroup RATED X To Release Debut Album In November”. KNAC.com. http://www.knac.com/article.asp?ArticleID=12589 
  3. ^ Jeb Wright (2012年11月12日). “Discover the 10 albums that changed Joe Lynn Turner’s life”. Goldmine (magazine). http://www.goldminemag.com/article/discover-the-10-albums-that-changed-joe-lynn-turners-life 
  4. ^ Blue de Ville (TV Movie 1986)”. IMDb. 2013年10月12日閲覧。
  5. ^ Marybeth Mitchell. “Can Happen Here – Joe Lynn Turner”. Higher Rock Music. オリジナルの2015年9月24日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20150924030057/http://www.higherrockmusic.com/index.php?option=com_content&view=article&id=1826%3Acan-happen-here-joe-lynn-turner-&catid=63%3Aother-genre-news&Itemid=94 2013年10月14日閲覧。 
  6. ^ Biography”. Joe Lynn Turner official website. 2014年2月23日閲覧。

外部リンク編集