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デリオ・ロッシDelio Rossi, 1960年11月26日 - )は、イタリアリミニ出身の元サッカー選手、現サッカー指導者。現役時代のポジションはミッドフィールダー

デリオ・ロッシ Football pictogram.svg
Delio Rossi.jpg
ラツィオ監督時代(2008年)
名前
ラテン文字 Delio Rossi
基本情報
国籍 イタリアの旗 イタリア
生年月日 (1960-11-26) 1960年11月26日(58歳)
出身地 リミニ
選手情報
ポジション MF
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1978-1980 イタリアの旗 フォルリンポーポリイタリア語版 54 (2)
1980-1981 イタリアの旗 カットーリカイタリア語版 29 (3)
1981-1987 イタリアの旗 フォッジャ 127 (3)
1987-1988 イタリアの旗 ヴィス・ペーザロイタリア語版 22 (0)
1988-1989 イタリアの旗 アンドリア 15 (0)
通算 247 (8)
監督歴
1990-1991 イタリアの旗 トッレマッジョーレ
1991-1993 イタリアの旗 フォッジャ U-20
1993-1995 イタリアの旗 サレルニターナ
1995-1996 イタリアの旗 フォッジャ
1996-1997 イタリアの旗 ペスカーラ
1997-1999 イタリアの旗 サレルニターナ
1999-2000 イタリアの旗 ジェノア
2000 イタリアの旗 ペスカーラ
2001 イタリアの旗 ペスカーラ
2002-2004 イタリアの旗 レッチェ
2004-2005 イタリアの旗 アタランタ
2005-2009 イタリアの旗 ラツィオ
2009-2011 イタリアの旗 パレルモ
2011 イタリアの旗 パレルモ
2011-2012 イタリアの旗 フィオレンティーナ
2012-2013 イタリアの旗 サンプドリア
2015 イタリアの旗 ボローニャ
2017-2018 ブルガリアの旗 レフスキ・ソフィア
1. 国内リーグ戦に限る。2019年2月7日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

経歴編集

選手時代編集

1978年にプロデビュー。現役生活を通じてセリエB以下のカテゴリでプレーし、その大半をフォッジャ・カルチョで過ごした。1989年に29歳で現役を引退した。

指導者時代編集

キャリア初期

アマチュアクラブやフォッジャのユースチームの指導者を経て、1993年にUSサレルニターナ1919の監督に就任。同クラブをセリエBに昇格させる。その後、他のクラブで指揮を執った後にサレルニターナに戻り、1997年にはクラブ史上2度目となるセリエA昇格を果たした。翌1998-99シーズンも引き続き指揮を執ったが、降格圏を抜け出せないままシーズン途中で解任された。

2002年より3シーズン指揮したUSレッチェでは若手の育成に手腕を発揮し、セリエAへの返り咲きと残留を達成。2004-05シーズン途中にはアタランタBCの監督に就任し最下位に低迷していたクラブを再生させるが、降格を回避するには至らなかった。

ラツィオ

2005年、アタランタでの功績が認められ財政難に苦しむSSラツィオの監督に就任。ゴラン・パンデフトンマーゾ・ロッキの2トップ、ファビオ・リヴェラーニステファノ・マウリの中盤を中心としたプレッシングとショートカウンターを主軸とする効率良いサッカーを展開した。2005-06シーズンは6位[1]、続く2006-07シーズンも3位と好成績を収めた。

2007-08シーズンはリーグとヨーロッパの二つの舞台を戦うことになったが、クラウディオ・ロティート会長の緊縮財政路線により十分な選手が得られなかったこともありシーズンを通じて低迷。自身初となるUEFAチャンピオンズリーグにおいてもグループリーグ最下位で敗退した。翌2008-09シーズン、リーグ戦では不安定な成績が続いて10位に終わったが、コッパ・イタリア決勝にてUCサンプドリアを破り、5年ぶり5回目の優勝を果たす。これを置き土産にシーズン終了後に退団を発表した。

パレルモ

2009年11月23日、ワルテル・ゼンガの後任としてUSチッタ・ディ・パレルモの監督に就任。チームの立て直しに成功し、ACミランユヴェントスFCといった強豪クラブを撃破[2]、5位でリーグ戦を終えた。翌2010-11シーズンも引き続き指揮を任されるが、2011年2月27日のウディネーゼ・カルチョ戦で0-7と大敗し、翌28日に解任された[3]。しかし、後任のセルセ・コズミが結果を残せず4試合で解任されたため、4月3日にパレルモの監督に復帰[4]。コッパ・イタリアでは決勝まで勝ち進んだが、インテルナツィオナーレ・ミラノに敗れた。シーズン終了後の6月1日、再びパレルモを退団することが発表された[5]

フィオレンティーナ

2011年11月7日、ACFフィオレンティーナの監督に就任。成績不振に陥ったクラブの再建を託されたものの、監督就任後も降格圏を彷徨うなど成績は上昇せず。2012年5月2日のノヴァーラ・カルチョ戦 (2-2) では、前半のうちに途中交代を命じられたことに不満を見せたアデム・リャイッチと口論の末に手を出したことが原因で、同日付での解任が決まった[6]

サンプドリア

2012年12月17日、解任されたチロ・フェラーラの後任としてUCサンプドリアの監督に就任[7]。2013年2月10日のASローマ戦では3-1で勝利を収めたが、試合終了間際に相手DFニコラス・ブルディッソと口論となり中指を立てたことで退席を命じられた[8]。5月15日にはクラブとの契約を2015年まで延長した[9]2013-14シーズンは開幕から躓き降格圏に低迷、11月11日に解任となった[10]

ボローニャ

2015年5月4日、ディエゴ・ロペスの後任としてセリエBのボローニャFCの監督に就任[11]。リーグ4位でプレーオフを勝ち抜き1シーズンでセリエA復帰へ導く。しかし2014-15シーズンの第10節終了時で降格圏の18位となり、2015年10月18日に更迭された[12]

レフスキ・ソフィア

2017年8月4日、パルヴァ・リガレフスキ・ソフィアに招聘され初めて国外で指揮を執ることとなった[13]。シーズンを3位で終え翌シーズンのUEFAヨーロッパリーグ出場権を獲得。しかし同大会の予選1回戦で敗退し、2018年7月18日に解任が発表された[14]

指導方針編集

フォッジャのユースを指揮していた頃にズデネク・ゼーマンの薫陶を受けており、彼の攻撃サッカーを信奉している。しかし、ゼーマンとは対照的に戦術に固執しない調和型の指揮官である。アタランタBCでは3バック、SSラツィオでは4-4-2、4-3-1-2、あるいは4-3-3とシーズンによって様々なシステムを使い分けるなど、与えられた戦力の長所を生かしつつ綿密に戦術を構築する現実的な采配を執る。

若手起用にも積極的であり、アタランタBC時代にはステファン・マキンワSSラツィオでは伸び悩んでいたマウロ・サラテゴラン・パンデフクリスティアン・ダニエル・レデスマUSチッタ・ディ・パレルモではハビエル・パストーレヨシップ・イリチッチフィオレンティーナではステファン・ヨヴェティッチマティヤ・ナスタシッチなどを成長させ、ブレイクさせている。

タイトル編集

サレルニターナ
ラツィオ

脚注編集

  1. ^ ただし、カルチョ・スキャンダルによるペナルティで勝ち点30ポイントが剥奪された結果、最終順位は16位となった。
  2. ^ ユーヴェを下して満足のパレルモ監督
  3. ^ パレルモが監督解任、後任はコズミ氏
  4. ^ ロッシ氏がパレルモ監督に復帰
  5. ^ パレルモ、ロッシ前監督の後任にピオリ氏
  6. ^ フィオレンティーナ監督、選手を殴って解任
  7. ^ カターニアに敗れたサンプドリアが監督交代
  8. ^ サンプドリア監督がローマの選手に中指を立て退席処分に”. ゲキサカ (2013年2月11日). 2019年2月7日閲覧。
  9. ^ サンプドリア監督が契約延長”. Goal.com (2013年5月16日). 2019年2月7日閲覧。
  10. ^ サンプドリアが指揮官解任を発表…後任候補にミハイロヴィッチ氏”. サッカーキング (2013年11月12日). 2019年2月7日閲覧。
  11. ^ 自動昇格遠のくボローニャ、残り4試合で監督解任…ロッシ氏を招へい”. サッカーキング (2015年5月5日). 2019年2月7日閲覧。
  12. ^ 降格圏に沈むボローニャ、デリオ・ロッシ監督を解任”. 超ワールドサッカー (2015年10月29日). 2019年2月7日閲覧。
  13. ^ ラツィオなどを指揮したデリオ・ロッシ氏がレフスキ・ソフィア監督に就任”. 超ワールドサッカー (2017年8月5日). 2019年2月7日閲覧。
  14. ^ Levski fire Italian coach Rossi”. Reuters (2018年7月19日). 2019年2月7日閲覧。

外部リンク編集