メインメニューを開く

開発と経緯編集

1991年はフェラーリ、1992年はランボルギーニというイタリアメーカー製のV12エンジンを搭載してきたが、今季は量販型V8エンジンのフォードHBシリーズIVにスイッチした。チームは乏しい資金力ながらも、簡易型の油圧式アクティブサスペンション(実際には後年FRICサスペンションとして注目された、前後サスを油圧で繋ぎ外部動力を使わないパッシブサスだった)を開発。イタリアの工具メーカーBetaがメインスポンサーとなり、従来の黄色と黒のカラーリングから白一色にイメージチェンジした。

ドライバーはクリスチャン・フィッティパルディファブリツィオ・バルバッツァを起用。フィッティパルディは開幕戦南アフリカGPで4位、第6戦モナコGPで5位と結果を残したが、ラスト2戦はジャン=マルク・グーノンにシートを譲った。バルバッツァもヨーロッパGPとサンマリノGPで6位入賞するが第8戦で解雇され、第9戦以降からピエルルイジ・マルティニがチームに復帰した。

イタリアGPではゴール目前のホームストレート上でフィッティパルディがマルティニに追突し、空中で一回転するという派手な事故を起こした[1]。幸いフィッティパルディのマシンは元通りに着地し、マルティニ7位、フィッティパルディ8位でチェッカーを受けた。

チームの獲得ポイントはフィッティパルディが5ポイント、バルバッツァが2ポイント獲得し、コンストラクターズランキング7位と前年を上回る成績でシーズンを終えた。

1994年シーズンは第5戦スペインGPまで改良型M193Bを使用。ドライバーはピエルルイジ・マルティニミケーレ・アルボレートを起用した。モナコGPでアルボレートが6位、スペインGPでマルティニが5位となり2度ポイントを獲得した。第6戦カナダGPより新型M194が投入された。


F1における全成績編集

(key) (太字ポールポジション

シャシー エンジン タイヤ No ドライバー 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 ポイント 順位
1993年 M193 フォード コスワース
HB
V8, 3.5
G RSA
 
BRA
 
EUR
 
SMR
 
ESP
 
MON
 
CAN
 
FRA
 
GBR
 
GER
 
HUN
 
BEL
 
ITA
 
POR
 
JPN
 
AUS
 
7 8位
23   クリスチャン・フィッティパルディ 4 Ret 7 Ret 8 5 9 8 12 11 Ret Ret 8 9
24   ファブリツィオ・バルバッツァ Ret Ret 6 6 Ret 11 Ret Ret
23   ピエルルイジ・マルティニ Ret 14 Ret Ret 7 8 10 Ret
24   ジャン=マルク・グーノン Ret Ret
1994年 M193B フォード コスワース
HB
V8, 3.5
G BRA
 
PAC
 
SMR
 
MON
 
ESP
 
CAN
 
FRA
 
GBR
 
GER
 
HUN
 
BEL
 
ITA
 
POR
 
EUR
 
JPN
 
AUS
 
5[2] 10th
23   ピエルルイジ・マルティニ 8 Ret Ret Ret 5
24   ミケーレ・アルボレート Ret Ret Ret 6 Ret

参照編集