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ヨハネスブルグ

南アフリカ共和国ハウテン州の都市
ヨハネスブルクから転送)

ヨハネスブルグJohannesburgアフリカーンス語: [juˈɦɑnəsbœrx, juɦɑnəsˈbœrx]英語: [dʒoʊˈhænɪsbɜrɡ]南アフリカ英語: [ʤəˈhænəsbøːg]ズールー語: IGoli[1]は、南アフリカ共和国北東部に位置する、ハウテン州州都である。片仮名転記ではヨハネスバーグなどとも表記される[2]

ヨハネスブルグ市都市圏
City of Johannesburg Metropolitan Municipality
南アフリカ共和国の旗
Clockwise: View of Johannesburg CBD from Braamfontein, FNB Stadium (Soccer City), The Wits University East Campus, and the Sentech Tower.
Clockwise: View of Johannesburg CBD from Braamfontein, FNB Stadium (Soccer City), The Wits University East Campus, and the Sentech Tower.
ヨハネスブルグ市都市圏の市旗 ヨハネスブルグ市都市圏の市章
都市圏 都市圏
愛称 : joburg(ジョーバーグ)
位置
ヨハネスブルグの位置(南アフリカ共和国)の位置図
ヨハネスブルグの位置(南アフリカ共和国)
座標 : 南緯26度12分16秒 東経28度02分44秒 / 南緯26.20444度 東経28.04556度 / -26.20444; 28.04556
歴史
建設 1886年
都市圏 2000年
行政
 南アフリカ共和国
  ハウテン州
 都市圏 ヨハネスブルグ市都市圏
市長 パークス・トー
アフリカ民族会議
地理
面積  
  都市圏 1645 km2
標高 1753 m
人口
人口 (2011年現在)
  都市圏 4,434,827[1]
    人口密度   2696人/km2
その他
等時帯 南アフリカ標準時 (UTC+2)
市外局番 011
公式ウェブサイト : city of johannesburg

ヨハネスブルグは周辺地域からの人口流入などによって南アフリカ共和国最大の都市に成長し、人口は2011年で約443万人を数える[3]。 2011年の近郊を含む都市圏人口は755万人を擁し、同国内では第1位、アフリカ内でも第4位である[4]

アフリカを代表する世界都市の1つに数えられ、アメリカ合衆国のシンクタンクの1つであるAT Kearneyが2017年に発表した総合的な世界都市ランキングにおいて、ヨハネスブルグは世界53位の都市と評価された[5]。アフリカの都市では首位である。また、2016年に発表された「世界の都市総合力ランキング」では、世界42位と評価された[6]都市のGDPは1100億ドルで、南部アフリカ第1位である[7]。アフリカ最大の証券取引所であるJSEの所在地でもあり、アフリカ最高の金融センターと評価されている[8]。ただ、銃器が比較的簡単に手に入る上に、犯罪が多発しており、治安の悪い犯罪都市として悪名が高い。アパルトヘイトの時代と比べて治安が悪化したため、富裕層や中産階級の流出を招き、経済悪化の原因の1つとなっている。

名称編集

名称の由来は確証が得られないものの、1886年に金鉱が発見された際に測量のため派遣されたヨハネス・マイヤーヨハネス・リシックの名にちなんでいるという説が知られている。なお「Burg」は、アフリカーンス語の古語で「要塞都市」を意味する[9]

英語読みだと「ジョウハニスバーグ」、アフリカーンス語読みだと「ヨハネスブルフ」となる。略称として、Jozi、Joburg、Joni、eGoli、Joeys、Jhbなどが用いられている。

日本の高校生向け地図帳などでは「ヨハネスバーグ」と表記しているものもあるが、これは英語読みとアフリカーンス語読みが混在したもので不適切な表記だと指摘する声もある[10]

歴史編集

 
1886年に最初に金脈が発見された農場

19世紀半ばまでは、先住民族であるサン人による小さな集落の1つに過ぎなかった。1853年トランスヴァール共和国の成立以降も、開拓のためオランダ系移民のボーア人が定住したとは言え、大きく変わるものではなかった。

しかし、1886年ウィットウォーターズランド(『白水の峰』を意味するアフリカーンス語)の鉱脈が発見され、アフリカ各地からの移住者が増加した。一方、かねてより自国の南ア拠点であるケープ植民地の勢力伸長を狙っていたイギリスは、この機会を捉えて1890年セシル・ローズ率いる入植民部隊を南ローデシア(現ジンバブエ)に投入し、金鉱の利権を巡ってボーア人側との緊張を高めていった。

この結果として19世紀末から20世紀初頭にかけて戦われたボーア戦争において、イギリスはボーア人に勝利して金鉱をおさえた。ただ、その後、イギリス人とボーア人は和解し、黒人の権利を踏みにじりつつ鉱山労働などで酷使するアパルトヘイト政策(1948年〜1994年)を施行していった。

アパルトヘイト統治時代、市内はアフリカーナー(ボーア人)とイギリス系が住む白人居住区と、アフリカ系やカラードなど有色人種が住む黒人居住区に分断され、黒人の白人居住区への立ち入りを厳しく制限した。殊に、1959年のバントゥー自治促進法の公布に当たっては、ヨハネスブルグにおいてもアフリカ人居住地域ソフィアタウンが取り壊され、約6万人の住民が市域南部のソウェトに強制移住させられた。白人居住区には様々な優遇政策が実施され、ソウェトの住民の不満は高まっていった。1976年に至り、学生を中心としたアフリカ系住民による大規模な暴動であるソウェト蜂起が勃発し、国内外に波紋を投げかけることとなった。この事件を1つの契機としてアパルトヘイト政策は曲がり角を迎え、1993年にようやく全面廃止されるに至った。

この廃止を受けて旧白人・黒人居住区間の移動制限が撤廃されたため、1990年代には職を求めてアフリカーナー居住区に多くのアフリカ系とカラードが移住した。しかし現実には彼らのほとんどは職を得ることができなかったため、失業者による犯罪が多発し、市内の治安が極端に悪化していった。

2000年に周辺の自治体と合併し、ヨハネスブルグ市都市圏が発足した。

2002年には「持続可能な開発に関する世界首脳会議」が開催された。これは、1992年にリオデジャネイロで開催された地球サミットを受けたものである。この国際会議において、「持続可能な開発に関するヨハネスブルグ宣言」が出された。

しかし依然として、金鉱での採掘が難しくなってきたことなどによる経済の悪化や、人口流入や失業者による治安の悪化、さらに、治安の悪化を理由とする富裕層や企業の移転に伴う更なる経済の悪化といった悪循環が起こってきた。また、犯罪多発と共に、エイズの蔓延の問題も、近代都市・国際都市としてのヨハネスブルグの暗部であり続けている。

地理編集

 
ヨハネスブルグの上空画像

南アフリカ北東部の標高が約1753 mの高地に位置する。周辺地域は、ウィットウォーターズランドと呼ばれる小さな峰で、北部や西部の郊外は起伏のある丘が見られる。一方で、東部の都心地域は平野である。

ヨハネスブルグは年間平均降水量は713 mm程度と比較的乾燥した気候であるにも拘らず、600万本もの樹木がある世界最大の人工林を持つ都市と言われている。ほとんどの樹木は都市の北側に鉱業のため19世紀に植えられたものである。この地域はダイヤモンド鉱山などを牛耳るドイツ系移民の企業家Hermann Ecksteinが開発していた。彼はこの辺りを"forest estates Sachsenwald"と呼んでいた。その名前も、" Saxonwold"に変わり現在は郊外の地名になっている。第1次世界大戦中に、白人居住区はこの地域に移り、人工林も保持され、さらに新しい木も植えられた。しかし、その後の人口流入などのために現在は北側の開発が進み、多く樹木が伐採されている。20年から30年のうちに多くの森林が失われることが危惧されている。

気候編集

10月から4月の夏の期間は、午後遅い時間に時折激しい雨が降る。雨は夏期に集中し、年間平均降水量は713 mmでそのほとんどが、夏の期間に降る。その雨の勢いは凄まじく、道路が冠水し、衛星放送が見られなくなるなど、市民生活に影響があるほどである。豪雨は、雷や雹を伴うこともある[11]。なお、ヨハネスブルグは自称ながら「世界一雷の多い街」と呼ばれる[12]

ヨハネスブルグの気温は通常穏やかである。南緯26付近と低緯度ながら、標高が高いこともあり、夏の1月でも最高気温は26 ℃程度に留まる。また、冬の6月でも最高気温は平均して16 ℃程度である。しかし、冬の間は時々、気温が深夜に下がり、霜の降りる場合もある。なお、雪は滅多に降らず、1956年5月、1981年9月、2006年8月に経験したくらいである。2007年6月27日も降雪があり、その時は約10 cmの積雪があった。

ヨハネスブルグの気候
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
最高気温記録 °C (°F) 35
(95)
34
(93)
32
(90)
29
(84)
26
(79)
23
(73)
24
(75)
26
(79)
31
(88)
32
(90)
33
(91)
32
(90)
35
(95)
平均最高気温 °C (°F) 25.6
(78.1)
25.1
(77.2)
24.0
(75.2)
21.1
(70)
18.9
(66)
16.0
(60.8)
16.7
(62.1)
19.4
(66.9)
22.8
(73)
23.8
(74.8)
24.2
(75.6)
25.2
(77.4)
21.9
(71.4)
平均最低気温 °C (°F) 14.7
(58.5)
14.1
(57.4)
13.1
(55.6)
10.3
(50.5)
7.2
(45)
4.1
(39.4)
4.1
(39.4)
6.2
(43.2)
9.3
(48.7)
11.2
(52.2)
12.7
(54.9)
13.9
(57)
10.1
(50.2)
最低気温記録 °C (°F) 7
(45)
6
(43)
2
(36)
1
(34)
−3
(27)
−8
(18)
−5
(23)
−5
(23)
−3
(27)
0
(32)
2
(36)
4
(39)
−8
(18)
降水量 mm (inch) 125
(4.92)
90
(3.54)
91
(3.58)
54
(2.13)
13
(0.51)
9
(0.35)
4
(0.16)
6
(0.24)
27
(1.06)
72
(2.83)
117
(4.61)
105
(4.13)
713
(28.07)
平均降水日数 15.9 11.2 11.9 8.6 2.9 2 1 2.1 3.8 9.8 15.2 14.9 99.3
平均月間日照時間 251.1 224 238.7 237 275.9 267 285.2 285.2 282 269.7 249 263.5 3,128.3
出典 1: Hong Kong Observatory[13]
出典 2: South African Weather Service[14]

政治編集

 
ヨハネスブルグの行政区分

アパルトヘイト廃止以前は、ヨハネスブルグ市内には人種居住区別に11の行政区(アフリカーナー行政区7・アフリカ系、カラード行政区4)が設置されていた。行政区域は極めて非効率的で、市政府は税支出の90%をアフリカーナー居住区に、アフリカ系やカラード居住区への税支出は10%に過ぎなかった。

1995年に、アパルトヘイト廃止に伴い成立した市政府は、税支出の民族別不均衡の是正に取り組むと同時に、民族別居住区の撤廃を実施した。

1999年に、周辺の自治体と合併することで市域の拡大を行い、ヨハネスブルグ市都市圏が発足した。この時に、市内を民族構成や地域構成を基に約300,000人を目安とした新たな11行政区・109地区に再編した[15]

2006年2月、市政府は行政サービスの効率化を図るため、市議会の議決を経て7行政区へ再編した[16]

行政編集

行政区分編集

  • A区
    • ディープスロート、ミッドランド、ランセリア、など
  • B区
    • ノースクリフ、など
  • C区
    • ローデポールト、など
  • D区
  • E区
  • F区
  • G区
    • エンナーデール、オレンジファーム、など

治安悪化編集

 
有刺鉄線を張り巡らす商店。

ヨハネスブルグは、世界の中で甚だしく治安の悪い犯罪多発都市の1つとされる。アパルトヘイト時代は比較的良好だったヨハネスブルグの治安は、見る影もなく悪化した。

実際に、南アフリカ共和国は都市部での犯罪性向が強い。2011年に発表された犯罪統計によると、主要都市が所在する3州(ヨハネスブルグを含むハウテン州西ケープ州、クワズル・ナタール州)で、南アフリカ共和国における殺人事件の59.1%、住居侵入強盗事件の73.5%、性的犯罪の56.4%が発生している。更に南アフリカ全体での犯罪件数も多く(殺人が年間15,940件(1日当たり43.6件)、殺人未遂が15,493件(1日当たり42.4件)、武装強盗が101,463件(1日当たり277.9件)、強盗54,883件が(1日当たり150.3件)、強姦を含む性犯罪が66,196件(1日当たり181.3件)発生した[17]

なお、これらの数字および被害者の数の多くはギャング同士の抗争や酒場での喧嘩が原因で、観光客がこの被害に遭うことは少ないとする意見もある[18]。しかし、実際はヨハネスブルグでは昼間であっても、犯罪多発地区への立ち入りは非常に危険であり、日本の外務省などは、そのような地区への立ち入りはしないように勧告している[19]

とりわけヨハネスブルグ中央部界隈の治安の悪さは、戦時下にない地域としては世界でもワーストクラスとなってしまった。どの店でもショーウィンドーには鉄格子が据え付けられ、治安の悪い地区には有刺鉄線が張り巡らされた商店もある。

治安の悪化によって、富裕層から中産階級層のオフィスや居住地は北部のサントン地区などの郊外へ移転し始めた。彼らが移住して行った先の地区の中心部には、ホテルが併設された大型ショッピングセンターが存在している。これらの高級施設には、高圧電線、窓の鉄格子、電子防犯装置、銃火器で武装した警備員と警備犬の常駐によって、治安は比較的良好に保たれている。

背景編集

 
ヨハネスブルグの中でも危険度が高いとされるヒルブロウ地区。治安悪化に伴い白人富裕層が逃げ出したこともあり、近代的なビル群が林立する割りには車道の交通量が不自然に少ない。

ヨハネスブルグにはアパルトヘイト廃止後、職を求めて国内からは元より、国外からも不法入国者を含めて、多くのアフリカ系黒人とカラードが一挙に流れ込んだ。しかし、アパルトヘイト時代の黒人に対する教育環境は非常に貧しく、非識字者が多いことはもちろんのこと、四則計算のような算数の初歩程度の知識すら有さない者も多い。南アフリカ共和国に隣接する国家から流入する者も同様である。こうした初等教育すら受けていない黒人達が高層ビルの林立する近代都市で職を得ることは難しい。その結果、一部の者を犯罪へ駆り立て、多くの犯罪組織が作られることとなり、ヨハネスブルグの治安は急速に悪化した。これを嫌った白人富裕層は、ヨハネスブルグからサントンなどの近郊へと移住し、さらに企業も移転していった。こうした悪循環でヨハネスブルグでは益々仕事の機会が無くなり、ついには街の一部(ヨハネスブルグ中心部など)は完全なゴーストタウンと化した。写真にある近代的な高層ビル群や高級マンションには、逃げ出した白人達に代わって、周辺諸国からの不法移民や市街地に流れ込んできた職の無い黒人達が、不法入居者として住みつき、麻薬取引を始めとする犯罪の温床と化した。

また、南アフリカの都市では、経済的な貧困に加えて、既に死因の1位となっているエイズ蔓延による深い絶望感、さらにアパルトヘイト時代に鬱積した不満の反動とが複雑に絡み合い、銃器が簡単に入手できる環境から、実に簡単に殺害行為が引き起こされるようになってしまった。犯罪に手を染めるマフィアの縄張り争いや金銭のトラブル、または酒場での諍いなどが主な原因となっている。

危険情報編集

日本の外務省からは、南アフリカ共和国に対しては危険情報が出されている[19]。ヨハネスブルグはその中で1項目として挙げられている状態で、ダウンタウンやヒルブロウ地区については「可能な限り公共輸送機関の利用は避け、同地区には立ち入らないように」という勧告も出されている。ヨハネスブルグでは自動車での移動においても、交差点で赤信号のために停車した日本人ドライバーがガラスを割られて助手席の荷物を盗られるという事件や、乗用車の故障のため高速道路の脇に車を停めて車外に出たドライバーがギャングに殺される事件が発生している。

改善への取り組み編集

ヨハネスブルグ警察は治安の悪化を改善すべく防犯カメラを中心部に多数設け、24時間監視を開始した。中心部は改善が見られたものの、犯罪グループの活動拠点が中心部から移動し、治安の悪化がカメラの設置されていない郊外部に拡大した[20]

産業編集

ヨハネスブルグは金鉱山の開発によって成立した町であり、現在でも市の境界線近くで多くの金鉱山が操業しており、鉱山会社のほとんどもヨハネスブルグに本社を置いている。しかし、1世紀以上にわたって年間生産量第1位を誇ってきた南アフリカの金鉱山は、採掘坑道の長大化、深部化によるコスト増により、生産量は2009年時点でアメリカ合衆国に次ぐ世界第4位へと地位が低下してきている。

鉄鋼やセメントを中心とした工業も盛んで、長らくヨハネスブルグで重要な地位にあった。

しかし、現在のヨハネスブルグの主幹産業は、商業及び金融である。JSEはアフリカ最大の証券取引所であり、銀行や製造業の企業の多くもヨハネスブルグに本社を置き、外国企業の支店も多く立地している。 また、南アフリカの経済の中心地であるため、テレビ局や新聞社、出版社も多い。ただし、治安の悪化が暗い影を落としている。

住民編集

 
ヨハネスブルグ大都市圏内各地区の使用言語図(2001年)
  英語
  優勢言語なし

民族編集

2011年の国勢調査によると、ヨハネスブルグ大都市圏の人口の76.4%が黒人、12.3%が白人、5.6%がカラード、4.9%がインド・アジア系である。

旧ヨハネスブルグ市内(人口100万人)では2001年時点での人種構成は、黒人48.7%、白人22.9%、カラード17.1%、インド・アジア系11.2%であり、白人が比較的多い。また、治安が悪化したダウンタウン地区に代わって、業務拠点地区となった富裕層が多く住むサントン地区では白人が60.6%を占める。一方、治安の悪いソウェト地区では黒人が99.3%を占める。

言語編集

2001年の国勢調査によると、言語についてはヨハネスブルグ大都市圏の全人口の32%がングニ諸語南ンデベレ語ズールー語コサ語など)、24%がソト・ツワナ諸語英語版ソト語北ソト語ツワナ語など)、18%が英語、7%がアフリカーンス語、6%がヴェンダ語などのヴェンダ諸語を家庭で話しているなど、非常に多言語な都市である。

旧ヨハネスブルグ市内(人口100万人)では、英語が37.12%、ズールー語が17.31%、アフリカーンス語16.02%と、市中心部周辺ほど英語が主流である。特に、中心部の治安悪化を理由に移転してきた者が多く住むサントン地区での言語は、英語が65.1%と半数以上を占めている。一方で、治安の悪いソウェト地区での言語は、ズールー語が40.9%、ソト語18.3%、ツワナ語12.4%、コサ語10.3%である。

宗教編集

交通編集

O・R・タンボ国際空港(旧称・ヨハネスブルグ国際空港)を擁し、これが南アフリカ共和国の空の玄関である。鉄道高速道路も各都市を結び、よく整備されている。

鉄道編集

 
メトロレール路線図
(ヨハネスブルグ都市圏)

ヨハネスブルグ付近には網の目のようにメトロレールと呼ばれる、アフリカの都市の中では屈指の近郊列車網が敷かれている。しかし、これらには治安の問題がある。

一方で、2010年に開通した空港や市内のサントン地区、プレトリアを結ぶ近郊列車のハウトレインは、治安が比較的良好に保たれており、比較的安全に利用できる。

ヨハネスブルグの中央駅であるヨハネスブルグパーク駅はメトロレール、ハウトレインの通勤列車の他、長距離列車を運行するショショローザ・メイルのターミナルとなっており、ケープタウンダーバンイーストロンドンなど国内各地と結ばれている。しかし、観光用の豪華寝台列車であるブルートレインロボスレイルは、治安の問題によりプレトリア駅発着にしており、ヨハネスブルグパーク駅は通過する。

寝台列車
通勤列車

バス編集

都市内の路線はメトロバス社によって運行されており、年間約2000万人の旅客を輸送している。また、サントン地区に本社を置くPUTCO社は都市圏郊外においてもバス路線を展開している。

空路編集

国内最大のO・R・タンボ国際空港のほか、国内線専用のランセリア空港、小規模空港であるランド空港グランドセントラル空港がある。

観光編集

教育編集

 
ウィットウォータズランド大学

ヨハネスブルグには公立・私立共に質の高い大学がある。2005年1月、ランド・アフリカーンス大学、ウィットウォータズランド工科大学、ビスタ大学の3つが合併し、ヨハネスブルグ大学が設立された。この大学では英語だけでなくアフリカーンス語でも教育が行われる。

市内には日本人学校であるヨハネスブルグ日本人学校がある。

大学編集

スポーツ編集

FNBスタジアムが、第19回FIFAワールドカップの決勝戦を行うファイナルスタジアムとして決定したものの、命名権を持つファースト・ナショナル・バンクのFIFAスポンサー権利範囲が国内に限定されるため、大会中はスタジアム名を「サッカーシティ・スタジアム」に変更した。

スポーツ リーグ クラブ 競技場
サッカー プレミアサッカーリーグ オーランド・パイレーツFC FNBスタジアム
サッカー プレミアサッカーリーグ カイザー・チーフスFC ヨハネスブルグスタジアム
サッカー プレミアサッカーリーグ モロカ・スワローズFC ランドスタジアム
ラグビー スーパーラグビー ライオンズ コカ・コーラ・パーク
ラグビー カリーカップ ゴールデン・ライオンズ コカ・コーラ・パーク
競馬 サウスアフリカンダービー ターフフォンテン競馬場

友好都市編集

脚注編集

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  1. ^ de:Johannesburg, en:Johannesburg - より適切な出典を求む
  2. ^ 新詳高等社会科地図、帝国書院編集部、1990年、ISBN 978-4807120567
  3. ^ Table: Census 2011 by district council, gender, age in 5 year groups and population group Retrieved on 2013-07-21.(英語)
  4. ^ Demographia World Urban Areas & Population Projections
  5. ^ Global Cities 2017 AT Kearney 2017年公表 2017年8月4日閲覧。
  6. ^ 世界の都市総合力ランキング(GPCI) 2016 森記念財団都市戦略研究所 2016年11月2日閲覧。
  7. ^ Global city GDP rankings 2008-2025”. Pricewaterhouse Coopers. 2011年5月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年11月20日閲覧。
  8. ^ Xinhua-Dow Jones International Financial Centers Development Index(2013) 2013年9月15日閲覧。
  9. ^ de:Johannesburg, en:History_of_Johannesburg - より適切な出典を求む
  10. ^ 「人間の営みがわかる地理学入門」(水野一晴、2016、ベレ出版)88頁
  11. ^ 雷雨はヨハネス夏の風物詩! 南アフリカ/ヨハネスブルグ特派員ブログ”. 地球の歩き方 (2010年12月12日). 2013年11月4日閲覧。
  12. ^ “「雷の都」の名に恥じぬ落雷を観測 南ア・ヨハネスブルク”. AFPBB News. (2013年10月29日). http://www.afpbb.com/articles/-/3002266 2013年11月4日閲覧。 
  13. ^ Climatological Normals of Johannesburg”. Hong Kong Observatory. 2010年5月9日閲覧。
  14. ^ Climate data for Johannesburg”. South African Weather Service. 2010年3月6日閲覧。
  15. ^ Johannesburg's administrative regions - city of johanenesburg - ヨハネスブルグ市都市圏政府サイト(英語)
  16. ^ The seven regions - city of johanenesburg - ヨハネスブルグ市都市圏政府サイト(英語)
  17. ^ 外務省 海外安全ホームページ
  18. ^ 『ヨハネスブルグのガイドライン』はどこまで本当? 大使にきいてみた!”. ガジェット通信. 2013年3月2日閲覧。
  19. ^ a b http://www2.anzen.mofa.go.jp/info/pcinfectionspothazardinfo.asp?id=122#header
  20. ^ http://www.sponichi.co.jp/soccer/flash/KFullFlash20100104065.html

外部リンク編集