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株式会社ヨロズYorozu Corporation )は、神奈川県横浜市に本社を置く、自動車サスペンション部品の大手メーカー。主要取引先は、日産自動車ゼネラルモーターズ本田技研工業マツダスズキいすゞ自動車トヨタ自動車ダイハツ工業三菱自動車工業フォルクスワーゲンなど。

株式会社ヨロズ
YOROZU CORPORATION
ロゴ
種類 株式会社
市場情報
略称 YC
本社所在地 日本の旗 日本
222-8560
横浜市港北区樽町三丁目7番60号
設立 1948年4月1日
(萬自動車工業株式会社)
業種 輸送用機器
法人番号 7020001030517
事業内容 自動車部品、農業機械部品、生産設備の開発・設計・製造・販売
代表者 代表取締役会長(CEO) 志藤昭彦
代表取締役社長(COO) 佐藤和己
資本金 62億円
(2015年3月31日現在)
売上高 単体516億96百万円
連結1,507億17百万円
(2015年3月期)
純資産 単体747億81百万円
連結977億10百万円
(2015年3月期)
総資産 単体1,159億38百万円
連結1,487億4百万円
(2015年3月期)
従業員数 連結6,411名(2015年3月31日現在)
決算期 3月31日
主要株主 日本トラスティ・サービス信託銀行 10.47%
関係する人物 志藤六郎
外部リンク www.yorozu-corp.co.jp
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ヨロズ本社(横浜市港北区樽町)

目次

概要編集

創業の背景編集

1940年4月、富士電機製造株式会社(現・富士電機株式会社)で「つくり屋」として有能な技術者であった志藤六郎は自身の技術とアイデアを実現できる場を求めわずか24歳にして横浜市鶴見区に合資会社「志藤製作所」を設立。主要な生産品目は海軍用エンジン部品、陸軍用電探(レーダー)など軍需品を生産していた。

1942年5月、国家総動員法に基づく企業整備令(中小民間企業の整理統合政策)が公布され、吸収合併の危機に直面する。当時、従業員は40名近くになり、小規模とはいえ業績も順調に伸びていた中で志藤は吸収合併されるならと、自ら吸収合併先を物色、同じ鶴見区内にある萬(よろず)製作所(社長・萬武夫、従業員約80名)を買収することとし、手続き上、萬製作所の商号をとった。

1943年6月、志藤製作所は「株式会社萬製作所」(従業員約110名)として新発足するが、くしくも当時日本の戦局は敗戦濃厚となっていく。1945年2月、萬製作所は軍の命令によって新潟県南蒲原郡見附の織物工場跡に工場疎開を余儀なくされ、また志藤に召集令状が届き、工場経営を維持することが不可能となったが、残った従業員で細々と生産活動を続けた。

1945年8月、終戦を迎え、志藤は見附に戻り参謀らと再建策について協議、平和産業として自動車関連が最も有望と判断し、京浜地区復帰を考え、情報収集を行っていく。1947年4月、志藤は単身上京し、京浜地区での工場用地取得に取り掛かり、横浜市鶴見区に借地ではあったが、地の利を得て再建の足掛かりとし、1947年12月、見附に残っていた従業員に鶴見工場建設の指令を出し、復帰を夢見ていた従業員たちは勇躍上京し、工場建設に取り掛かった。

沿革編集

事業所編集

本社編集

横浜市港北区樽町三丁目7番60号

テクニカルセンター、事務所編集

  • ヨロズグローバルテクニカルセンター
  • 広島事務所

グループ会社編集

  日本編集

  • 株式会社ヨロズ栃木
  • 株式会社ヨロズ大分
  • 株式会社ヨロズ愛知
  • 株式会社庄内ヨロズ
  • 株式会社ヨロズエンジニアリング
  • 株式会社ヨロズサービス

米州編集

  •   アメリカ
    • ヨロズ アメリカ
    • ヨロズ オートモーティブ テネシー社
    • ヨロズ オートモーティブ ノースアメリカ社
    • ヨロズ オートモーティブ アラバマ社
  •   メキシコ
    • ヨロズ メヒカーナ社
    • ヨロズオートモーティブ グアナファト デ メヒコ社
  •   ブラジル
    • ヨロズ オートモーティバ ド ブラジル社

アジア編集

  •   タイ
    • ヨロズ タイランド社
    • ヨロズ エンジニアリング システムズ タイランド社
    • ヨロズ オグラオートモーティブ社
  •   中国
    • 广州萬宝井汽車部件有限公司
    • 武漢萬宝井汽車部件有限公司
  •   インド
    • ヨロズJBM オートモーティブ タミルナドゥ社
  •   インドネシア
    • ヨロズオートモーティブ インドネシア社

製品編集

外部リンク編集