ダイハツ工業

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ダイハツ工業株式会社(ダイハツこうぎょう、英語:Daihatsu Motor Co., Ltd.)は、日本の自動車メーカーである。本社は大阪府池田市東証1部などに上場されているトヨタ自動車完全子会社トヨタグループ16社のうちのひとつ。

ダイハツ工業株式会社
Daihatsu Motor Co., Ltd.
Daihatsu logo.png
Headquarter of Daihatsu Motor Co., Ltd..jpg
ダイハツ工業 本社
種類 株式会社
市場情報 非上場(以下は過去のデータ)
東証1部 7262
1949年5月 - 2016年7月27日
本社所在地 日本の旗 日本
563-8651
大阪府池田市ダイハツ町1番1号
設立 1907年明治40年)3月1日
(発動機製造株式会社)
業種 輸送用機器
法人番号 3120901019710
事業内容 自動車車種一覧を参照)
代表者 代表取締役会長 三井正則
代表取締役社長 奥平総一郎
資本金 284億400万円
2015年3月31日現在)
発行済株式総数 4億2,712万2,966株
売上高 単体:1兆1,910億8,100万円
連結:1兆8,171億300万円
(2015年3月期)
営業利益 単体:225億7,500万円
連結:1,106億1,300万円
(2015年3月期)
純利益 単体:376億8,300万円
連結:681億4,500万円
(2015年3月期)
純資産 単体:3,591億7,500万円
連結:7,511億7,300万円
(2015年3月31日現在)
総資産 単体:7,838億2,400万円
連結:1兆5,186億400万円
(2015年3月31日現在)
従業員数 単体:1万1,446人
連結:4万2,575人
(2015年3月31日現在)
決算期 3月31日
主要株主 トヨタ自動車 100%
関係する人物 伊瀬芳吉
加藤光久
寺師茂樹
外部リンク http://www.daihatsu.co.jp/
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現在のコーポレーションスローガンは「Light you up 〜らしく、ともに軽やかに〜」。

目次

概要編集

日本で最も歴史の長い量産車メーカーで、大阪高等工業学校(後の大阪帝国大学工学部、現大阪大学工学部の前身)の研究者を中心に、1907年に「発動機製造株式会社」として創立された。その当初は工場等の定置動力用として用いられるガス燃料の内燃機関(ガス発動機)の製造を手がけていた。ブランド名・社名は、創業後、社名に「発動機」を冠する後発メーカーがいくつも出現し、既に出回っている「発動機製造」の発動機をどこで造った発動機か認識するため顧客の方で「阪の動機」と区別呼びし、やがて詰めて「大発(だいはつ)」と略称したことに由来する。

1960年代に業界再編の波が吹き荒れる中で三和銀行によってトヨタ自販トヨタ自工ダイハツの提携話が持ち出され、1967年11月に両社は業務提携に至った。この時の提携は同時期にトヨタ傘下入りした日野に比べると対等な関係で、それぞれの経営に自主性を持って運営していくと声明文が出された[1][注釈 1]。またこの翌年ダイハツ自動車販売株式会社が設立されている(1981年ダイハツ工業と合併)。その後ダイハツ工業は1998年にトヨタ自動車子会社、2016年に完全子会社となっている。また同じくトヨタ傘下の日野自動車とも提携しており、1995年には商品相互供給に関する基本契約の締結を発表、部品の取引を行っている。

親会社でありトヨタグループの中核企業であるトヨタ自動車は三井グループに属しているが[2]、ダイハツ工業は三和グループに属し三水会みどり会に加盟している[2][3]

エンブレムは以前は「大阪城」のイラストを模したものを使用していた。またこれとは別で、店舗看板やテレビ番組協賛の提供クレジット用に「ダイハツ」に楕円形の囲みをしたロゴもあった。現在の「D」を模したマークは1966年に登場し、数回の修正を経ながら現在まで使用され続けている。1998年まで車台にエンブレムが搭載されることは少なかったが、同年2月のロゴリニューアルに伴い多用されるようになった。

自動車編集

1930年に自社製小型4サイクル空冷単気筒サイドバルブ(SV)のガソリンエンジンを搭載した試作型オート三輪「ダイハツ號(号)HA型」の開発で自動車業界に参入[4]1972年まで東洋工業(現マツダ)とともにオート三輪業界の覇権を争った。

四輪市場には1963年コンパーノから参入。しかし当時四輪車の技術で劣っていたため、トヨタとの提携後はパブリカをベースとしたコンソルテトヨタ・カローラをベースとしたシャルマンを生産するなどしている。

1977年には満を持してダイハツ独自開発のコンパクトカーであるシャレードを投入。それまで振動の問題などから国内外のメーカーから敬遠されていた4ストローク3気筒エンジンを採用。軽自動車程度の価格に見合わぬ高い燃費・動力性能でカーオブザイヤーを受賞し、ダイハツは一気に躍進した。

その後も軽自動車・小型車を中心に生産し続け、2006年度には(2006年4月から2007年3月までの一年間)軽自動車総販売台数で30年以上首位であったスズキの牙城を崩してシェア首位に立った[5]。その後も年度・暦年ベースともに8年間首位の座を守り続けていたが、ホンダ日産が軽自動車に力を入れてきたことや、スズキのハスラーのようなヒット商品の影響もあり2014年2015年は首位から陥落している。しかし軽需要の落ちてきた2016年には再びトップを取り返すなど、スズキと激しいシェア争いを展開している。なおダイハツの新車購入者の過半数は女性である[6]

トヨタの完全子会社となった後TNGAのダイハツ版であるDNGAの開発を行っており、2020年に第一弾が投入される見込みである[7]

技術力・開発思想編集

低価格・高機能・安全性を同時実現することの難しい小型車生産の分野に特化しており、長らくトヨタから小型車・小型エンジンの開発・生産・OEM供給を委託されてきた。デュエットパッソラッシュヴィッツKRエンジンなどはその代表である[8][注釈 2]。また軽自動車生産から撤退したスバルにも2009年から軽自動車・軽福祉車をOEM供給している。

親会社のトヨタ同様、使い勝手と品質に優れたクセのない車が多く、居住空間や乗降性に優れたタントムーヴはその代表である。これらをベースにした福祉車両や、軽トラックも評価が高く、2014年の軽福祉車両市場においてダイハツが50%を占めるに至っている[9]。また軽トラック市場もハイゼットなどを主力に、スズキとシェアトップを奪い合っている[10]。また車種やカラーのバリエーションも豊富で、買い手のニーズに細かく対応している。 その分スポーティーな印象は薄いが、コペンタント・カスタムキャスト・スポーツのような趣味性を売りにした車種も存在する。特にコペンは現行車では貴重な軽オープンクーペであり、パーツを着せ替えることでライトを含めて外見を大きく変えることができる[11]。 またトールブーンなどで、軽自動車開発で培った技術を小型車開発にも生かしている。

親会社のトヨタと違う点として、ハイブリッドではなく内燃機関・シャーシの改良によって低燃費・低コストを実現する「イース(eS)テクノロジー」にこだわる姿勢を見せているところが挙げられる。エンジンは90年代後半から採用され始めた『TOPAZ(TOP from A to Z)』と名付けられたシリーズで、低圧縮比による低燃費だけでなく、世界初採用の触媒早期活性化システムとスーパーインテリジェント触媒により低排出ガスを実現している。シャーシはTAF(Total Advanced Function)と呼ばれる、軽量化・高剛性・安全を同時に実現する技術である[12][注釈 3]。一方で2014年発売のムーヴでは過剰な燃費競争から降りて、走行性能を追求することを宣言している[13]。同様に衝突被害軽減ブレーキなどの安全装置に関してもトヨタに頼らず、スマートアシストと呼ばれる技術を独自に開発・採用している。

以前は逆にモーター駆動の開発に熱心で、電気自動車の開発を1965年に始めていた。1966年にコンパーノバンをベースとした試作車を発表、1968年にはハイゼットバンをベースとしたハイゼットEVの販売を開始、以後電動ゴルフカートやDBC-1ハローラガーEVなどさまざまな車種を発表、販売している。公道走行可能なEVで2000台近く、遊園地などの構内専用車種を含めると8000台を超える販売実績がある。2005年には軽初となるハイブリッドのハイゼットカーゴを発売したり、2012年にはハイゼットEVの実証実験車が発表されている。なお将来的にゼロ・エミッション法の世界的広がりにより販売が必須となることが予想されるEVに関しては「トヨタに頼らない」としていたが、昨今の急激なEVシフトの流れにより、トヨタとマツダの合弁会社『EV.C.A.SPIRIT』への出資が確実と見られている[14]

ディーゼルエンジン開発にも早くから取り組み、特に小型ディーゼルエンジン技術で実績を残している。1960年代初頭に小型トラック用としてはクラス初のディーゼルエンジン採用で先鞭を付け、1991年にはシャレードで当時世界最小排気量となる1リッター3気筒の乗用ディーゼルエンジン(CL型)を開発。これが1リッター36.54kmという驚異の燃費で世界記録を樹立し、ギネスブックにも記載された[注釈 4]。2003年の東京モーターショーでも660ccの2ストロークディーゼルエンジンが出展されたものの、こちらは市販化には至っていない。過去には船舶用の低速大型ディーゼル機関も生産しており、太平洋戦争後の1950年代以降は、国鉄のディーゼル機関車気動車向けディーゼル機関生産に、先発の新潟鐵工所神鋼造機と共に携わった。これら船舶用ディーゼルエンジンは1966年(昭和41年)に分社された系列の「ダイハツディーゼル」に移管して製造されているが、ランドクルーザープラドなど自動車のディーゼルエンジンの受託生産は今もダイハツ工業が行っている。

1970年代にスズキ4ストロークエンジンを供給していたことがある。当時の排ガス規制に対応できず困っていたスズキはトヨタを頼り、トヨタは系列会社となっていたダイハツにAB型エンジンの供給を要請、これが実現した[15]

日本で初めて水平対向エンジンの乗用車(三輪)を作ったメーカーでもある。1951年のBeeがそれで、駆動形式はRR、リアサスペンションは独立懸架式という当時としては先進的なものだった。この他軽自動車に四輪独立懸架を積極的に導入したり、660ccの4気筒エンジンであるJBエンジンを開発したり、「軽のGTカー」とも呼べるソニカや対国内ラリー特化型兵器ストーリアX4を販売したりするなど、現在の堅実な車作りとは裏腹に挑戦的な開発姿勢を見せていたこともあった。

その機械加工能力の水準を買われ、1920年代以来、国鉄(当初は鉄道省)との関わりも深く、鉄道向け機器としては蒸気機関車用の給水加熱器や自動給炭機(国鉄・汽車製造との共同開発)、客車室内の引き戸ドアチェック通勤電車自動ドア向けドアエンジンなどを製造した。このため、鉄道用空気ブレーキ装置の大手メーカーである日本エヤーブレーキ(現・ナブテスコ)の設立にも関わっている。

モータースポーツ編集

1965年にコンパーノ・スパイダーで地方のレースに参加したのがダイハツのモータースポーツデビューとなる。このときP-1、P-2と異なる仕様のコンパーノが同時期に登場していた。 1966年、ダイハツはコンパーノ・ベルリーナをベースとし、DOHC16バルブ化したプロトタイプレーシングカーP-3を2台揃えて第三回日本グランプリにデビュー。ライバルのロータス・エリートアバルトシムカ[要曖昧さ回避]を破ってGP-Iクラスで優勝を収めた。第四回日本グランプリでも同クラスにミッドシップエンジンのP-5を2台開発して参戦するものの、メカニカルトラブルで予選を走れず、予選落ちとなってしまった。第五回ではP-5で4台体制を敷き、クラス優勝を再び取り戻した。1969年の第六回に向けてもフェロー7を公開していたものの、結局参戦せずチームは解散、これによりダイハツはサーキットの大舞台から姿を消した。

WRCには1979年からシャレードラリー・モンテカルロにスポット参戦し、1981年にクラス優勝を挙げた。1984年からはサファリラリーに参戦。シャレードは多数のクラス優勝をする活躍を見せ、1993年には排気量で1L上回るグループAマシンを押しのけて総合5位〜7位を占めた。シャレードをグループB化する計画もありコンセプトモデルの926Rも発表していたものの、突然のグループB消滅により立ち消えとなっている。

国内ではラリーダートトライアルで活躍。全日本ラリーでは1984年にシャレードで初めてクラスタイトルを獲得した。1990年代にはミラの4WDターボ仕様であるTRXX X4Rを投入し、アルトワークスヴィヴィオと激しく争い、全日本ラリーで3度クラスタイトルを獲得。1998年にストーリアX4が登場すると黄金時代を迎え、全日本ラリー選手権全日本ダートトライアル選手権の両方で2000年〜2005年までクラスタイトルを連覇した。素性の良さから、ストーリアX4は後継車のブーンX4が登場した後も2014年まで参戦し続けた。後継のブーンX4も2006年にJN2クラスでタイトルを獲得し、2008年のWRC(ラリージャパン)にスポット参戦、N1クラス優勝もしている。このように国内外のモータースポーツに積極的に参戦してきたが、2009年1月13日、「昨今の自動車業界を取り巻く経済状況の厳しい状況」および「(年を追うごとに)深刻化する若年層の車離れなどを理由に、モータースポーツ活動からの撤退と、関連会社DCCSが主催するジムカーナ競技会ダイハツチャレンジカップの終了を発表した。

ダイハツのカスタマイズブランドとしてD-SPORTが存在する(SPKという会社の1部門でダイハツ工業と直接の資本関係はないが、東京オートサロンにダイハツ工業が出展する際は毎年ダイハツ工業のブースで車両・商品展示を行うなど深い関係を持つブランド。全ダイハツディーラーでも唯一、商品の取り扱いがある)。また、かつてダイハツのワークス活動を率いたDRS(ダイハツ・レーシング・サービス)の名を冠する競技向けパーツの販売も行っている。またDRSの母体であったDCCS(正式名称はディーシーシーエス)は現在も長野県佐久市に存在する。

コマーシャル戦略編集

 
JR新大阪駅在来線コンコース内展示スペース

オート三輪業界でもいち早く、太平洋戦争直後の1940年代末期から大量生産システムの本格導入に取り組むと共に、日本全国へのディーラー網整備を早期に完了し、小型商用車市場に地歩を築いた存在である。

自動車業界では、テレビコマーシャルの活用の先駆的存在でもあった。1957年に発売した軽オート三輪「ミゼット」は、小型軽便な実用性と廉価さを武器に「街のヘリコプター」のキャッチフレーズで売り出されたが、相前後してダイハツは、大阪の大阪テレビ放送(現・ABCテレビ)で製作され1958年から放送されて高い視聴率を誇った喜劇テレビドラマやりくりアパート』のスポンサーとなり、ミゼットの売り込みをかけた。番組の最後には主演のコメディアン大村崑佐々十郎らが実車のミゼットを横に、コミカルなギャグ混じりに「ミゼット!」と車名を連呼するインパクトたっぷりの生コマーシャルが放送され、ミゼットはこのCM効果も手伝って当時の大ヒット作となっている。

地元であるJR新大阪駅の在来線コンコース、及び和歌山駅には常設のダイハツ車の展示スペースがあり[注釈 5]、新型モデルが時折入れ替わりをしながら1台展示されている(ちなみに、マツダも地元広島県のJR広島駅のコンコースに常設の展示スペースがある)。

(親会社の)トヨタと同様、テレビCMには多くの芸能人が出演する傾向がある。

海外事業編集

インドネシアではアストラ・インターナショナルとの合弁で「アストラ・ダイハツ・モーター」 (ADM) を設立。ダイハツ車の販売と、ジャカルタ・スンター工場にてダイハツおよびトヨタブランド車の製造を行っている。スンター工場は2010年度には生産能力を年30万台に引き上げている[16]マレーシアでは1993年に現地資本との合弁でマレーシア第二のメーカープロドゥアを設立。2006年には第一のマレーシアの自動車メーカープロトンを抜いてマレーシア市場最大手に踊り出ている。1995年にはマレーシア政府がゼブラを国民車に指定した。

一方、その他の地域においては販売不振による撤退が目立つ。1989年には当時、小型車市場が拡張の傾向にあったアメリカ市場への参入を1959年トライモービル(日本名・ミゼットMP)の現地への800台限定投入以来、30年ぶりに試みたが、親会社のトヨタの知名度が強すぎたせいか米国内でのダイハツの知名度が低く、ディーラー網の整備にてこずったことなどから売れ行きが伸びなかったため、1992年をもって撤退した。また、2006年3月には韓国車との競合などでやはり不振を極めていたオーストラリア市場からの撤退を、2007年11月にはベトナムの現地合弁会社ベトインド・ダイハツ(ビンダコ)の清算および同国市場からの撤退を発表している。さらに2011年1月にはヨーロッパ市場からの撤退も発表した[17]

中華人民共和国ではこれまでシャレードテリオスなどダイハツの車種が現地生産されていたものの、ダイハツブランドでの販売は行われていなかった。2007年第一汽車子会社の一汽吉林汽車との合弁でセニアの生産・販売を行いダイハツブランドの展開を開始したが、知名度不足から販売が低迷したため2009年には早くも展開を断念し、同年中に一汽ブランドへ変更することを発表した。しかしながら、双方のメンツを重んじ、対外的には「技術援助契約の枠組の変更」という表現が取られている。主な要因は、

  1. 既存の吉汽ブランドは小型商用車を主に販売し、乗用車を拡販するための日本国内ノウハウ移転が定着しなかったこと
  2. 投入したセニアは元々インドネシア市場用に開発された車両であり、モータリゼーションでは先を進んでいた中国市場のユーザーの嗜好(特に見栄を重んじる)に適合しなかったこと
  3. コスト抑制のため中国国内での部品調達を試み、調達部門を先頭に現地メーカーの指導がなされたが、目標とする品質を達成することができず、吉汽側にも改善の意欲がなく、「ダイハツ」ブランドを名乗り続けることが困難との判断がなされたこと

と考えられている[18]

トヨタの完全子会社となった後はトヨタと合同で仮想カンパニー「新興国小型車カンパニー」を設立、トヨタグループの尖兵としてアジア展開の強化に努めることとなる。

沿革編集

車種一覧編集

生産拠点編集

※2017年3月現在

※なお、OEM供給を受けるアルティスメビウスは共にトヨタ自動車堤工場(愛知県豊田市)で生産される。

関連企業編集

コーポレーションスローガン編集

  • 「ワールドミニで未来を創る!」(1987年1月〜1998年9月)
  • 「それ、ダイハツがやります。」(1996年4月〜1998年6月)
  • 「We Do Compact」(1997年4月〜2004年9月)
  • 「テーマは、品質。」(1998年10月〜2000年9月)
  • 「ひとりひとりを楽しくする品質。Goodが、ギュッと。」(2000年10月〜2002年12月)
  • 「ワンダフルスモール」(2003年1月〜2007年2月)
  • 「Innovation for Tomorrow」(2007年3月 - 2017年2月[注釈 8]
  • 「もっと軽にできること。」(2011年9月 - 2017年4月、軽自動車専用のスローガン)
  • 「軽の技術で、コンパクトを変えていく。」(2016年4月 - 、小型自動車専用のスローガンだったが、2017年5月からは軽自動車でも使用されるようになった。)
  • 「Light you up 〜らしく、ともに軽やかに〜」(2017年3月 - )

関連項目編集

企業など編集

事件・不祥事など編集

出勤停止事件編集

ダイハツを欠勤して沖縄返還協定阻止のデモに参加した組立工員Xが、凶器準備集合等の嫌疑で現行犯逮捕・勾留された。その後1ヶ月後Xは工場に復帰するが、その間に行われた配置転換でXは余剰人員として扱われており、Xはこれを無視して就労。事情聴取のための労務課の呼び出しも無視し続けたため、ダイハツ側は自宅謹慎を命ずるが、これも無視して出勤したXは警備員と揉み合いになった。その後もXは立ち入りを試みるとともに、会社前でのビラ配りや、工場ゲリラと称する17人を率いて警備員と揉み合うなどし、ダイハツは遂にXを解雇するに至った。Xはこれを不服として裁判所に提訴、1審・2審で訴えを認められたものの、最高裁判所はXの訴えを棄却した[20][21]

「燃える車」編集

サービス残業編集

同社が、フレックスタイム制を適用した社員約1,000人に対してサービス残業を行わせていたとして、淀川労働基準監督署から是正勧告を受けていたことが、2009年4月2日に判明した。同社は、フレックス制適用の社員について、社内のパソコンが社内ネットワーク接続している時間を労働時間として計算していたが、同労基署の調査によって、接続を切断した後も業務を続けていた社員が複数に亘って存在していたことが確認された。これを受け同社は、該当社員に対し、未払いの時間外労働手当約5,000万円を支払った[22]

爆発事故編集

2009年10月10日、滋賀工場で粉塵爆発による火災が発生し1人死亡、2人負傷。

注釈編集

  1. ^ この提携の際トヨタ自工の豊田英二社長は「外資の攻勢に対する防波堤の役を果たしたい」と語っているように、当時売り上げ台数で圧倒的優位に立っていたGM、フォードに対抗するための業務提携だったとされる。特にラインナップ・生産台数を増やすこととそれにともなうコストダウンが重点的に行われた(200万台体制)。
  2. ^ 近年はプロボックスサクシードなどの車両や2700ccガソリンエンジン、4100ccディーゼルエンジンなどの大型なものを生産することもある。
  3. ^ [これらの技術の名称からも分かる様に、まずトータルバランスを第一に重視した車作りが現代のダイハツの開発思想の中核であると言える。
  4. ^ この記録はフォルクスワーゲン・ルポ 3L TDIが2001年に登場するまでの10年間破られなかった
  5. ^ 新大阪駅はダイハツ工業本体、和歌山駅は傘下のディーラーである和歌山ダイハツ販売によるもの
  6. ^ テレビCMでの「ダイハツ」日本語ロゴは既に1993年をもち廃止。「DAIHATSU」(旧フォント)は2002年のパイザー生産終了まで継続採用。
  7. ^ 本社は伊丹市に所在。2014年5月1日にビジネスサポートセンターがダイハツテクナーを吸収合併し商号変更。連結子会社間の合併に関するお知らせダイハツ工業 2014年5月12日閲覧。東京に本社のあるビジネスサポートセンターとの資本・人的関係はない。
  8. ^ 2011年8月以降はパンフレット(カタログ)のみの展開となった。

脚注編集

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  1. ^ トヨタ自動車75年史 第五項 ダイハツとの業務提携
  2. ^ a b 六大企業集団の無機能化 - 同志社大学学術情報検索システム内にあるPDFファイル。筆者は経済学者の田中彰。
  3. ^ メンバー会社一覧 - みどり会
  4. ^ ダイハツ号HB型三輪自動車
  5. ^ 社団法人全国軽自動車協会連合会の該当ページ
  6. ^ Economic News 軽自動車のターゲット層を絞る自動車メーカーの戦略
  7. ^ 「DNGA」を展開するダイハツ、第1弾は次期「ミラ」か?
  8. ^ DAIHATSU公式HP 受託・OEM事業
  9. ^ 【自動車メーカー福祉車両開発インタビュー】ダイハツ工業株式会社 より低価格・高機能 軽の福祉車両で実現[PR]
  10. ^ JAMA
  11. ^ Dress Formation
  12. ^ ダイハツ軽新規格車 新型「ミラ」、「ムーヴ」、「テリオスキッド」を新発売
  13. ^ 日経トレンディネット ダイハツ・ムーヴ “燃費チキンレース”はもうしない!
  14. ^ ダイハツ新社長「EVはトヨタに頼らない」
  15. ^ トヨタとダイハツ提携の歴史にはスズキとの関わりもあった
  16. ^ ダイハツ、インドネシアの生産能力を年30万台に引き上げ”. 日刊工業新聞 (2010年1月13日). 2011年1月15日閲覧。
  17. ^ ダイハツ、欧州市場での新車販売を終了…2013年に”. Response. (2011年1月14日). 2011年1月15日閲覧。
  18. ^ ダイハツ、中国事業を縮小 自社ブランド展開断念”. 日本経済新聞 (2009年7月18日). 2009年7月18日閲覧。
  19. ^ トヨタ自動車とダイハツ工業、両ブランドで小型車事業強化 -ダイハツ工業を完全子会社化、グローバル戦略一本化-”. トヨタ自動車株式会社、ダイハツ工業株式会社 (2016年1月29日). 2016年1月29日閲覧。
  20. ^ 村岡社会保険労務士事務所 ダイハツ工業事件
  21. ^ 女性就労支援バックアップナビ ダイハツ工業出勤停止。懲戒解雇等事件(パワハラ)
  22. ^ ダイハツがサービス残業 是正勧告受け5000万円支払う Archived 2009年4月3日, at the Wayback Machine. 産経新聞 2009年4月4日

外部リンク編集