内外タイムス

リアルライブから転送)
内外タイムス
種類 日刊紙

事業者 株式会社内外タイムス社
本社 東京都江東区東雲2丁目3番地14号
代表者 重森弘充
創刊 1949年6月1日
廃刊 2009年11月30日
前身 「国際中日公報」(1946年1月創刊)
言語 日本語
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株式会社内外タイムス社
種類 株式会社
市場情報 非上場
本社所在地 135-0062
東京都江東区東雲2丁目3番地14号
設立 1972年3月
事業内容 「内外タイムス」の発行
代表者 破産管財人 卜部忠史
関係する人物 重森弘充(前代表取締役社長)[1]
特記事項:2009年11月30日、破産手続開始決定。
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内外タイムス(ないがいタイムス)は、かつて存在した日本の新聞社・株式会社内外タイムス社が発行していた東京都夕刊地方紙である。創刊当初より題号末尾の「ス」は濁らない[2]2009年9月2日付(9月1日発行)から創刊60周年を機に一般公募で決定したリアルスポーツ(REAL SPORTS)、略称「リアスポ」に題字を改めたが、同年11月30日発行分を以て発行元・内外タイムス社の倒産に伴い廃刊した。なお、改題後も発行元の企業名は「内外タイムス社」のままだった。なかにし礼をはじめ、無名時代の多くの作家たちが当紙でペンを取っていたことも知る人ぞ知る事実である。[要出典]

目次

歴史編集

1946年1月に華僑向け新聞「国際中日公報」(間もなく「中華日報」と改題)として創刊された。ただ、これは表向きのもので、実際は読売新聞のダミーであった(#読売との関係)。1949年6月1日、正式に読売新聞傘下に入り「内外タイムス」と改題、報知新聞とともに読売新聞の夕刊代替紙として発行された。しかし同年12月には読売内部に夕刊紙発行体制が整ったことから、内外・報知ともにその役割を終えた。後ろ盾が無くなった両紙のうち、報知新聞は読売系列の朝刊スポーツ紙へ方向転換したが、当紙は読売傘下から独立し大衆娯楽紙の道を歩むことになった。当初のスタッフは、旧報知新聞の社会部と政治部の面々で、これが現在の内外タイムスの第一歩[3]である。石原裕次郎北原三枝の婚約をスクープした。

1970年にプロ野球で起きた黒い霧事件において、1969年11月に永久追放処分を受けた後行方をくらませていた西鉄ライオンズの元投手永易将之が元気に暮らしていたと3月24日発行の一面で報道。以後、「独占スクープ」と称して永易が西鉄球団から口止め料の名目で約550万を貰っていたこと、自分以外に西鉄が八百長に関わった選手が5,6人いた、と報道を続けた。これらの記事はいずれもルポライターの大滝譲司の手によるものであった。行方不明状態の永易から連絡を受けた大滝が永易にインタビューし、それを録音したテープを内外タイムスに持ち込み、同紙が「独占スクープ」と称して第2弾、第3弾、第4弾と小分けして一面で報道した。

また、4月14日には東映フライヤーズ森安敏明暴力団と関係があったとスクープ。これは、暴力団の男から借金を申し込まれたため、銀座のバーのマダムを通じて経営者から借りたが、その女性から返済を迫られたことを恨んで彼女を怒鳴り散らしたというものである。

1999年6月、創刊50年を迎えた。だが、過去の経営者による乱脈経営で生じた水面下の莫大な負債等から経営は非常に苦しく、発行部数も低迷の一途であった。その状況を打開すべく、「週刊文春」創刊チーム梶山軍団長として名を馳せた恩田貢(おんだ みつぐ、1929年 - 2003年1月31日[4]が社長に就任し、紙面および体制の変革を試みた。印刷所も徳間プレスセンターより東証、大証の一部上場企業廣済堂へ変更し、新社屋を廣済堂有明印刷工場に併設させ即応性を高め、時代に乗り遅れない新体制の確立に取り組むも、志半ばにして癌に倒れた。これにより経営権は廣済堂へと移譲され、恩田貢の子息・恩田将葉が社長に就任。更にその後の紆余曲折を経て、2008年11月には株式会社アムス・インターナショナルへ経営権が再移譲された。

このように脆弱な経営基盤の上に成り立つ当紙が2009年まで存続できていた理由としては、官庁等に存在するいわゆる記者クラブへの加盟を認められていたことが大きかった。また、駅売りルートも安定しており、首都圏の駅売店では同紙と日刊ゲンダイ夕刊フジ東京スポーツの夕刊専門4紙が長らく新規参入を寄せ付けない状態にあった。

同年4月1日付から、前述の理由で風俗関係の記事や“三行広告”と呼ばれる風俗店の広告の掲載を廃止したが、風俗記事を撤廃したことで読者や広告主から苦情や復活を求める意見が相次ぎ、部数激減や内外タイムス社の経営悪化の恐れも懸念され、結局、5月22日付から1ヶ月半振りに風俗記事と風俗店の広告掲載を再開した。同時に、風俗記事の復活に伴い“甦る 内外タイムス”のキャッチコピーを1面に記載している。同年6月1日に創刊60周年を迎え、同日、東京都内で“故 内外タイムス新聞葬”と称した創刊60周年記念イベントが行われ、アントニオ猪木田代まさし他芸能・スポーツ関係者が大勢出席した。当イベントは、内外タイムス社が業績不振であることから、生まれ変わって一から出直すという意味を込めて「新聞葬」とした[5]。また、田代まさしは同年6月17日付(6月16日発行)から毎週火曜日発売の内外タイムス紙面にコラムの連載を始めた。

また、創刊60年を機に、1面と最終面の割り付けを、従来の縦組みから横組みにしたが、題字が「リアルスポーツ」に改題された際に再び割り付けを縦組みに戻した。

内外タイムスからリアルスポーツへ編集

2009年8月31日発行分を以って、創刊以来長く親しまれた「内外タイムス」は“終刊”となり、翌日の9月1日発行分から「リアルスポーツ」として“新創刊”した。創刊からの紙齢(バックナンバー)も内外タイムス時代からの物を継承せず、2009年9月2日付(9月1日発行)には「第00001号」と表記されている。

内外タイムス社倒産編集

2009年11月30日帝国データバンクによると、11月30日付けで内外タイムス社が東京地裁自己破産申請。債権者数195名、負債は約26億7700万円と発表された[6][7]

読売との関係編集

今日でも名の残る大手新聞は太平洋戦争中、新聞紙法の規制を受けて悉く日本軍部を翼賛する報道を繰り返してきた為、連合国GHQはそれら大手新聞を戦争犯罪人(戦犯)と考え、新聞の新旧交代を図るために物資枯渇による新聞用紙の割当配給制を背景に、敗戦によってそれまでの新聞統制が無くなったことで、新聞社の設立も自由になり倫理的に無傷な新興新聞社に新聞用紙を優先的に配給することで発行を容易にし、戦犯かつ旧勢力としての既存大手新聞の力を削ぐことで立場を入れ替えさせようとしていた[8]

この施策に対し既存の大手新聞各社は「自紙のダミー会社をGHQが喜びそうな新興新聞社として設立する」という極めて脱法的な方法で密かに抵抗していた。内外タイムスもまた、当初は華僑向け新聞を口実として創刊された新興新聞社のひとつであったが、実態は読売新聞社のダミー会社であり、内外タイムスへの割当+読売新聞への割当=読売新聞が実際に使うことができる用紙量となる。

そのようなダミー紙としては同紙のほか以下に挙げるものがあるが、いずれも現在までに廃刊となっている。

この経緯から、当時の内外タイムスは銀座に本社があり、読売新聞の印刷工場で印刷されていた。その後GHQによる用紙割当配給制度が廃止されると大手新聞はダミー紙を抱える必要がなくなり、同紙の独立にもつながることとなった。しかしその後も読売新聞販売店で取り扱うなど一定の繋がりはあった。

紙面編集

かつてはプロレス記事を扱っている数少ない日刊紙として知られた(1980年代までは、同紙と東京スポーツデイリースポーツのみ)。輪島のプロレス入り以降、多くの新聞がプロレスを扱うようになったが、本紙も継続してプロレスを扱い続けており、ケータイでのコンテンツとするなど目玉商品となっている。なお、新オーナーのアムス・インターナショナルもかつては格闘技(スマックガール)のスポンサーをしていたが、スマックガールの崩壊もあり、紙面とは関係ないと思われている。

ライバル紙の東京スポーツと同様に、UFO、宇宙人、ゴム人間などの捏造スクープ記事などが一面を飾ったり、夕刊紙お定まりのギャンブル情報、野球・芸能ゴシップなどにも紙面の多くが割かれている。なお、競馬と競艇では冠レース「内外タイムス杯」も提供[9]

特筆すべきは、性風俗店情報の豊富さである。紙面のみならず、広告も含めて日刊各紙の中で最も充実している(特にストリップ)。いわゆる三行広告のメッカであり、現在のようにインターネットが普及する前には、三行広告ページだけを目当てに購入していた読者もいたほどである。

インターネット上での展開編集

以下のような展開を行ていたが新聞としての「リアルスポーツ」休刊を受けてWEBサイトは「リアルライブ」と改められ、サイト運営の委託を受けていたコンテンツメーカー「株式会社フェイツ」(所在地:東京都新宿区高田馬場)のもとで存続することが決まった[10]。インターネット展開についても、引き続き他社ポータルサイトへの記事提供などを引き継いでいる。

  • 自社サイトでのニュース発信(PC・携帯電話のそれぞれに対応したサイトを構築)。上記「三行広告」については、紙面とウェブを連携させた試みも事業化している
  • ニフティライブドアなどのポータルへの記事提供
  • 格闘技情報サイト「ナイガイモバイル☆バトル」(au携帯電話向けオンラインサービス)
  • 最新の動画ポータルサイトWWSチャンネルと提携してR JEWEL GIRLSの動画を配信中

類似紙名編集

以下の二紙は当紙とよく似た紙名であるが(いずれも後発で、わざと似せた、あるいは連想させる紙名にした可能性もある)関係は一切無い。現在は両紙とも廃刊となっている。また、いずれも内外タイムス同様にプロレスと深い関わりがあった。

  • ナイタイスポーツ(「ナイスポ」)2008年廃刊(関西版については述べない)
  • 海外タイムス(第一次UWFのスポンサー)1985年頃廃刊

発行会社編集

  • 株式会社 内外タイムス社
    住所: 東京都江東区東雲二丁目3-14(現在はこの場所はマンション「スカイコート東京ベイ東雲壱番館」となっている) 
    販売エリア: 南関東(神奈川県・東京都・埼玉県・千葉県)、静岡県(大井川以東)、山梨県の1都5県

脚注編集

  1. ^ 帝国データバンク 株式会社内外タイムス社自己破産申請
  2. ^ 英単語「Times」の正統な発音は「タイム
  3. ^ その後、同じく東京都で発行されていた「スポーツタイムズ」「内外スポーツ」を経営統合したと思われるが、詳細は不明。
  4. ^ 文藝春秋社を経て、政治専門月刊誌『政界』(のちに『政財界』)の発行元「株式会社政界出版社」と「株式会社ぴいぷる社」のオーナー。
  5. ^ マーシーが“弔辞”「内外タイムス新聞葬」 スポニチ 2009年6月2日
  6. ^ 帝国データバンク 株式会社内外タイムス社自己破産申請
  7. ^ あえて書く!!内外タイムス破産の真相(「高須基仁の人たらしの極意」、夕刊フジ 2009年12月4日付)によると、「11月30日発行の新聞校了後、会議室に社員約40人が集められ、「破産申請をした」と告げられ、その後一時金が支払われて社員は幹部の一部を除き会社を退出した。12月1日付以後は発行されず、休刊という形で幕を閉じた」とある。
  8. ^ このような背景で急成長した新聞として東京タイムズがある。
  9. ^ 中央競馬については、主に3月の中山競馬で社杯を提供していた。リアルスポーツへの名称変更後も2010年は「リアルスポーツ杯」として社杯を提供する予定であった。その後、休刊を受けて2010年は「両国ステークス」に名称変更となった(JRAニュース 第2回中山競馬第2日の番組変更のお知らせ)。
  10. ^ リアルライブ - インフォメーション

関連項目編集

外部リンク編集