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生涯編集

生い立ち編集

レーニエ3世はポリニャック伯爵ピエールヴァランティノワ女公シャルロット(モナコ公ルイ2世の娘)の間の長男として、モナコ公宮殿で生まれた。なお、姉にアントワネット公女がいる。

フランスとスペインドイツイングランドスコットランドオランダイタリアの血を引いており、祖先にはスコットランドジェームズ4世ナポレオン・ボナパルトの養女であったステファニー・ド・ボアルネ、18世紀のイギリス人作家ウィリアム・トマス・ベックフォードオラニエ公ウィレム1世イングランドチャールズ2世の愛妾でイタリア人であったオルタンス・マンチーニマリー・アントワネットの寵臣ポリニャック伯爵夫人デンマークフレゼリク2世などがいる。

青年期編集

イギリスパブリックスクールを卒業後、スイスル・ロゼに進学した。その後はモンペリエ大学パリ政治学院に学ぶ。第二次世界大戦フランス軍に従軍。大佐まで進む。

即位編集

祖父ルイ2世の死去により1949年に即位する。なお、1940年代から1950年代にかけて、女優のジゼル・パスカルと交際していた。

その後、カンヌ映画祭で知り合ったアメリカ人の女優であるグレース・ケリーと恋に落ち、1956年1月5日に婚約を発表。同年4月18日に、モナコ公宮殿にて法的な結婚式が行われた。翌4月19日に、モナコ大聖堂(サン・ニコラ大聖堂)にてカトリック式の挙式が行われた。これらの模様は、ヨーロッパ諸国で生中継されたほか、世界各国で報じられ大きな注目を集めた。なお挙式は、カトリックの伝統に沿い、グレースの出身地であるアメリカで行われることも検討されたが、最終的にはモナコで行われることになった。

1957年カロリーヌ公女1958年に後継者であるアルベール公世子1965年ステファニー公女らが生まれた。

モナコ公として積極的に行動し、憲法改革や、国営企業の「モンテカルロ・ソシエテ・デ・バン・ド・メール」を通じて、モナコ公国の経済基盤をモータースポーツなどギャンブル事業以外にも発展させるなどの功績があった。

しかし1982年9月14日に、公妃グレースが南仏のロックアジェルの別荘から自ら自動車を運転してモナコに戻る途中に脳梗塞を発症。そのまま急カーブの坂道でガードレールに激突し、道路横の崖を40メートルほど転落して自動車は大破した。自動車事故で逝去。レーニエ3世は悲しみにくれたが、その後もモナコ公としての勤めを継続した。

晩年編集

2004年の初め、冠状動脈疾患により入院。10月26日には、肺感染症のため再び入院した。2005年3月21日に集中治療室に移された。3月23日に、心不全腎不全人工呼吸の状態になった(これに伴い3月31日、ボー侯であるアルベール公世子摂政として職務を代行)。4月6日、肺感染症などにより薨去。

家族編集

 
レーニエ3世と家族(1966年)

ハリウッド女優のグレース・ケリーとの間に1男2女がいる。

趣味編集

カーマニアとして知られ、自動車博物館を公開している。伝統のモナコグランプリではレース前に公妃を乗せたオープンカーを運転してパレード走行を行っていた。

関連項目編集

レーニエ3世を扱った作品編集

外部リンク編集

先代:
ルイ2世
モナコ
1949年 - 2005年
次代:
アルベール2世