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モナコグランプリモナコGP: Monaco Grand Prix , : Grand Prix de Monaco )は、モナコ公国モンテカルロ市街地コースで行われるF1世界選手権レースの一戦。

Flag of Monaco.svg Monaco Grand Prix
シルキュイ・ド・モナコ
Monte Carlo Formula 1 track map.svg
レース情報
周回 78
コース長 3.337 km (2.074 mi)
レース長 260.286 km (161.734 mi)
開催回数 77
初回 1929年
最多勝利
(ドライバー)
ブラジルの旗 アイルトン・セナ (6)
最多勝利
(コンストラクター)
イギリスの旗 マクラーレン (15)
最新開催(2019年):
ポールポジション イギリスの旗 ルイス・ハミルトン
メルセデス
1:10.166
決勝順位 1. イギリスの旗 ルイス・ハミルトン
メルセデス
1:43:28.437
2. ドイツの旗 セバスチャン・ベッテル
フェラーリ
+2.602s
3. フィンランドの旗 バルテリ・ボッタス
メルセデス
+3.162s
ファステストラップ フランスの旗 ピエール・ガスリー
レッドブル-ホンダ
1:14.279
モナコグランプリ

インディ500ル・マン24時間レースと並び「世界3大レース」の1つに数えられ、F1およびモナコのシンボルともいえる名物レースとなっている。

概要編集

 
モナコGP個人最多勝記録者のアイルトン・セナ(画像は1991年大会)

1929年に第1回大会を開催し、第二次世界大戦前後の中断(1938年 - 1947年1949年)と、1950年代前半[1]を除き毎年開催されてきた。1950年のF1世界選手権発足時よりイギリスGPイタリアGPベルギーGPと並んで同シリーズに組み込まれている。この内、同じコースで開催され続けているのはモナコGPのみである。

グランプリ期間中、普段は人口3万人の小国に、およそ20万人の観客が訪れる[2]。モナコ王室を始めとして、政財界の協力によって行われる国家的な観光イベントでもある。多くの観客を招き入れるため、キリスト昇天祭の祝日となる5月の2週目か3週目の木曜日に日程を合わせるのが慣わしである[3]。近年はF1カレンダーの過密化により、キリスト教復活祭と一致しないこともあるが、木曜日からスケジュールが始まるという伝統は続いており、他のグランプリでは初日となる金曜日が、モナコGPでは休息日となる。

レースの舞台となるのは、モナコのモンテカルロ区とラ・コンダミーヌ区の公道を閉鎖して造られた1周3,340mのモンテカルロ市街地コースである。現在のF1レースでは「305kmを超える最低の周回数」がレースの規定周回数・総走行距離として定められているが、このコースでは例外として、総走行距離が1968年から約260km(約78周。それまでは約318km(約100周))に減らされている。この約260kmという距離は、このコースをF1マシンで走行し続けるとこれぐらいの距離で2時間以内に収まるから、という理由で決められている[4]。コースの設営準備には6週間、レース後の撤去作業には2週間を要する[2]

コース幅が非常に狭いためレース中の追い抜きは困難であり、他のコースに増して予選結果が重要視される。レース中はペースの遅いマシンの後方に数台が数珠繋ぎとなり、無理な追い抜きで接触する場面がよく見られる。ポールポジションを獲得したドライバーがそのまま優勝することが多く、2019年現在で29回ポール・トゥ・ウィンが達成されている。本グランプリ開始数年後の1933年にグリッドの決め方がくじ引きから現在の方式である予選タイムの早い順に変更されているが、これもこのコースが追い抜き困難で不公平であるからという理由による。

伝統と華やかさに加え、高い技量と集中力を要する難コースであることから、「モナコGPの優勝は3勝分の価値がある[5]」といわれる。ここで際立って強いドライバーは「モナコ・マイスター」と賞賛されることがある。過去3勝以上を挙げたドライバーには、スターリング・モス(3勝)、グラハム・ヒル(5勝)、ジャッキー・スチュワート(3勝)、アラン・プロスト(4勝)、アイルトン・セナ(6勝)、ミハエル・シューマッハ(5勝)、ニコ・ロズベルグ(3勝)、ルイス・ハミルトン(3勝)といった名手が名を連ねている(後述の#複数回優勝したドライバーも参照)。

ファン・マヌエル・ファンジオは出走4戦中2勝をあげ、4戦全てでポールポジションファステストラップを記録している。一方、ジム・クラークは出走6戦中4回ポールポジションを獲得しながら、4位が最高で1勝もできなかった。

事故の起きやすい環境や、マシンにも過酷でメカニカルトラブルが発生しやすいことから、優勝候補がリタイアするなど波乱の展開が繰り広げられることもあり、意外なチームやドライバーが優勝することもある。過去9名のドライバーがこのコースでF1初優勝を遂げており、初優勝が出やすいコースでもある。

起源編集

 
1931年のモナコGPで優勝したルイ・シロン

モナコGPの主催者であるモナコ自動車クラブ (Automobile Club de Monaco,ACM) は、1890年にモナコ自転車クラブとして発足した。1925年に自動車クラブに改名し、国際自動車連盟 (FIA) の前身である国際自動車公認クラブ協会 (AIACR) に登録申請を行った。1911年よりラリー・モンテカルロを開催していたため、問題なく加盟できると考えていたが、ラリーで使用しているコースのほとんどは隣国のフランス国内で行われており、レース開催経験の無さを理由に申請を却下された。

ACM会長アレクサンドル・ノゲの息子アントニー・ノゲ (Anthony Noghès) は、モナコの街路を使用してレースを開催する計画を立てた。当時の公道レースはもっぱら郊外の田舎道で行われており、市街地でのレース運営は無謀に思われた。しかし、モナコ大公ルイ2世や、高級ホテルカジノを経営するソシエテ・デ・バン・ド・メール社 (Société des bains de mer de Monaco,SBM) の理解を得て1929年の第1回開催にこぎつけ、モナコ自動車クラブはAIACRに加盟を認められた。功労者であるノゲの名は、英語読みの「アントニー・ノウズ」として最終コーナーの名称に残されている。

コースデザインにはモナコ出身のドライバールイ・シロンが協力した。シロンはインディ500出場を優先したため第1回大会は不参加だったが、第3回大会で優勝している。また、引退後は競技委員長を務め、シグナル式スタートが採用されるまでスタート/チェッカーフラッグを振った。シロンの名もプールサイドベントの入口のコーナーに残されている。

チェッカーフラッグに見られる現在の白黒市松模様は細かく指定されているが、1970年代以前のかつては今より荒い模様が使われていたことが過去のVTR映像で確認できる。シグナルも、現在はブラックアウト方式に改定された。

権威編集

上流階級の世界編集

通例では、各国のGP主催者はF1の商業管理団体であるフォーミュラワン・マネージメント (FOM) に莫大な開催権料を支払い、コースサイドの看板広告の収入もFOMに納めねばならない。モナコGPの主催者であるACMは、特例として開催権料を免除されている上に、看板広告収入も手にしている[2]。モナコGPは2007年まで、ヨーロッパで唯一たばこ広告規制のないレースであった。

高級リゾートという土地柄、富裕層の人々は高級ホテルや自宅アパートのバルコニーや、港に停泊する豪華なクルーザーの甲板、「Formula One Paddock Club」といった特等席からレースを観戦している。期間中、ホテルの宿泊料金は軒並み跳ね上がるが、予約の時点で満室になる上に、高級ホテルの多くは最低5日から7日以上の連続宿泊を条件とする。

一般観戦者は近隣のニースやイタリア方面の街に宿をとり、自家用車やフランス国鉄 (SNCF) に乗ってモナコ入りする。一番安い観戦ポイントは、最終コーナーを見下ろす断崖の立見席である。

モナコ公国は所得税非課税のタックスヘイブンとして知られる。外国人が居住するためには審査が必要となるが、F1ドライバーは名士として優遇されている。税金対策の他、治安が良い、プライバシーが守られる(有名人でも特別視されない)などの理由から、スイスと並んで居住地として人気があり、モナコGP期間中はドライバー達がマンションから「自宅通勤」する光景が見られる。2000年2002年のウィナーであるデビッド・クルサードは、最高級ホテル「コロンバス・モンテカルロ」の共同経営者という副業を持っていた。

レースウィークの休息日となる金曜日にはモナコ大公主催のパーティが開かれ、ドライバーやチーム関係者をはじめ、世界中のセレブリティが参加する。また、モータースポーツシーズンの終了後には、FIA傘下の各カテゴリのチャンピオンを集めての表彰式がモナコで行われる(2011年はインドで開催)。

表彰式編集

モナコGPはモナコ王室が観覧する御前レースであり、かつては大公レーニエ3世と大公妃グレース・ケリーオープンカーでパレード走行を行っていた。レース後の表彰式もロイヤルファミリーが出席するため、他のグランプリとは手順が大きく異なる。

  • ホームストレートのスタート地点付近に2階建てのロイヤルボックスがあり、階下に表彰ステージが設けられている。
  • レース終了後、4位以下はピットの車両保管所にマシンを止めるが、1~3位の3台はロイヤルボックスの前にマシンを停める。ドライバー3名はコースから階段を上って表彰ステージに立つ。
  • ロイヤルファミリーの前に3名が並び、プレゼンターである大公(現在はアルベール2世)からトロフィーを受け取る。
  • シャンパンは表彰ステージ上で開封してはいけない。シャンパンファイトはステージからコースに下りてから行い、ステージ方向へシャンパンを向けることは厳禁。

表彰台に関しては、大公よりも高い位置にドライバーが立つことが失礼であるとして、特別な台は設けず表彰ステージの最前列に、通常の表彰台と同じ配置でドライバーと優勝コンストラクター代表者が整列する。シャンパンに関しては、大公夫妻にシャンパンがかからないようにするため、大公の目の前での乱痴気騒ぎは失礼にあたるため、である。一国の元首から栄誉を称えられるというところも、このレースの優勝が価値あるものと見做されている理由の一つである。

1987年の優勝者アイルトン・セナは、事前にチーム側から上記の注意をされていたが、モナコ初優勝の喜びにそのことを忘れ、トロフィー授与終了直後にステージ上でシャンパンを開封した。さらに、背後にいたレーニエ3世らロイヤルファミリーに向かってシャンパンをかけてしまい、式典終了後に各方面からお叱りを受けた。

2009年の優勝者ジェンソン・バトンは手順を知らず、ウィニングラップ後ピットに戻ってしまった(後にマーシャルの誘導ミスと判明)。バトンは車両保管所でそのことを知らされ、ホームストレートを駆け足で表彰ステージに向かった。

過去のおもな出来事編集

  • 1929年 - 初開催。ブガッティに乗るウィリアム・グローバー=ウィリアムズが優勝し、のちにサン・デボーテ(第1コーナー)に彼の銅像が立てられた。
  • 1950年 - F1世界選手権開幕2戦目として開催。1周目にブラインドコーナーで多重事故が発生したが、優勝したファン・マヌエル・ファンジオはコースサイドの群集の動きから危険を察知し、接触を回避した。
  • 1952年 - スポーツカーレースとして開催。トンネルでの事故で負傷したルイジ・ファジオーリが入院中に死亡。
  • 1955年 - アルベルト・アスカリのマシンがシケイン付近で海中に転落したが、無事救助される[6]
  • 1961年 - スターリング・モスフェラーリの2台を振り切り、モナコ通算3勝目を達成。モスのレースキャリアにおいてベストレースのひとつにあげられる。
  • 1963年 - グラハム・ヒルがモナコ初優勝。以後1964年、1965年、1968年、1969年と5勝を獲得し、「ミスターモナコ」と呼ばれる。
  • 1965年 - ポール・ホーキンスのマシンがアスカリと同様にシケインから海に転落。その後無事に救助された。
  • 1966年 - エンジンの最大排気量が3リッターに変更された最初のレースとして開催。完走と認められたのはわずか4台で、2019年現在においてもF1最少完走台数の記録を保持している。
  • 1967年 - ロレンツォ・バンディーニのマシンがシケインで炎上。バンディーニは火傷により3日後に死亡。
  • 1970年 - 最終ラップの最終コーナーでジャック・ブラバムが痛恨のスピンを喫し、ヨッヘン・リントが大逆転優勝。
  • 1982年 - 終盤に上位が次々脱落し、リカルド・パトレーゼがF1初優勝。
  • 1984年 - 大雨により赤旗終了。ルーキーアイルトン・セナステファン・ベロフの追走が注目される。またこのレースでセナは初のファステストラップを記録している。
  • 1988年 - トップ独走中のセナがポルティエ(第8コーナー)で単独クラッシュ。
  • 1992年 - ナイジェル・マンセルが1位、セナが2位を走行していたが、レース終盤にマンセルがタイヤ交換で2位に後退してセナが1位に。ピットアウトしたマンセルがセナを猛追するモナコGP史に残るデッドヒートを展開したがセナが抑え切って優勝。アクティブサスペンションによる圧倒的な競争力を誇ったウィリアムズのマシンを制した大金星。
  • 1993年 - セナがモナコGP5連覇、並びにヒルの記録を塗り替えるモナコ通算6勝目を達成。
  • 1994年 - 前戦サンマリノGPで事故死したセナとローランド・ラッツェンバーガーへの哀悼の意を表して1番・2番グリッドを空席とし、両ドライバーの母国の国旗をペイントした。
    予選中、カール・ヴェンドリンガーがシケインのバリアに激突。一時意識不明となる。ミハエル・シューマッハが自身初のポールポジションからモナコGP初制覇。
  • 1995年 フリー走行でマシンがストップしたために、井上隆智穂が乗車しながらロープで牽引されている最中、突然飛び出してきたオフィシャルカー(ジャン・ラニョッティが運転していた)に衝突されマシンが横転した。その様子をモニターで見ていたシューマッハは大笑いした。また、そのシューマッハのドライブによりルノーエンジンが念願のモナコGP初制覇を達成。
  • 1996年 - 雨中の乱戦でオリビエ・パニスがF1初優勝。リジェに搭載された無限エンジンにとってもF1初優勝。チェッカーを受けたのはわずか3台で、完走扱いを含めても7台のサバイバルレースとなった。
  • 2004年 - ルノーのヤルノ・トゥルーリが自身初のポールポジションからF1初優勝。ルノーエンジン9年ぶりのモナコ制覇。またこのトゥルーリ以降モナコGPで初優勝を達成したドライバーは2019年モナコGP終了時点では出ていない。
  • 2006年 - 予選中、シューマッハがラスカス(第17コーナー)に故意にマシンを停め、後続のアタックを妨害したとして予選記録を無効とされる。(俗に言う「ラスカス・ゲート」)
  • 2007年 - ワン・ツー・フィニッシュしたマクラーレンチームオーダー疑惑発生。(チームオーダーは2010年まで禁止だった)
  • 2008年 - 雨の決勝レース、フロントロウを独占したフェラーリの2台は奮わず、3番手スタートのルイス・ハミルトンが序盤のミスを挽回しモナコGP初制覇。一時表彰台目前の4位まで浮上したエイドリアン・スーティルだったが、キミ・ライコネンに追突されてリタイヤし男泣き。
  • 2009年 - この年台風の目となったブラウンGPがこのGPでも危なげなくワン・ツー・フィニッシュを決めるが、優勝したバトンはモナコのしきたりを知らず前述の珍事を起こす。
  • 2010年 - レース終了直前に2台のマシンの衝突によりセーフティカーが入り、セーフティカー先導でレースが終了することに。しかしこの年セーフティカー退出時のルールが変更され、セーフティカーがピット入口のラインを越えた時点から追い抜きが可能となっていた。この年メルセデスから復帰したシューマッハはこれを利用し、最終ラップでセーフティカーが退出するや否やコントロールラインまでのわずかな間に前のフェルナンド・アロンソをオーバーテイク。しかしこれは明らかなルール違反で20秒加算のペナルティを受けた。この一件がセーフティカー退出時のルールが再考されるきっかけとなった。[7]
    また、決勝レースで単独クラッシュしたルーベンス・バリチェロが苛立ちのあまりマシンから出る際にステアリングホイールをコース上に投げ捨て、危険行為と高価な代物を粗末に扱ったことで非難された。
  • 2011年 - 予選Q3でザウバーセルジオ・ペレスがトンネル出口でバランスを失いヌーベルシケイン入口のバリアに高速で衝突。マシンは大破、ペレスは脳震盪を起こして決勝レースと次戦カナダGPを欠場し、カナダGPではペドロ・デ・ラ・ロサが代役を務めた。
  • 2013年 - メルセデスのニコ・ロズベルグが優勝し、父ケケ・ロズベルグが1983年に優勝してから30年越しで親子2代でのモナコGP優勝を達成。
  • 2014年 - 予選Q3の終盤にロズベルグがミラボー(第5コーナー)でオーバーランしてエスケープロードにマシンを止め、イエローフラッグが振られる。これによりアタック中だったハミルトンはアタックを断念、ロズベルグがポールポジションを獲得し、決勝ではロズベルグがポール・トゥ・ウィンを飾り2連覇するも物議を醸す。
  • 2015年 - レース終盤に2台のマシンの衝突によりセーフティカーが入る。ポール・トゥ・ウィンを目指していたハミルトンは、後続のロズベルグやセバスチャン・ベッテルもこのタイミングでピットに入ると考えタイヤ交換のためピットインしたが2台はステイアウト、なんと戻った場所は彼らに続く3番手の位置だった[8]。ハミルトンはこの自滅によって3位でレースを終え、ロズベルグは図らずもF1史上4人目のモナコGP3連覇を達成した。
  • 2016年 - このGPで改良型のルノーパワーユニットを積んだレッドブルダニエル・リカルドがチーム久々かつ自身初のポールポジションを獲得、雨の中スタートした決勝もこのまま優勝かと思われた。しかし雨が上がってきた終盤、2位のハミルトンのタイヤ交換(ウェット→ウルトラソフト)を見たレッドブル陣営はリカルドの交換タイヤを直前で「ソフト」から「スーパーソフト」に変更、しかしガレージに適切に情報伝達されず、リカルドがピットインした時にタイヤが用意されていなかった[9]。このピットでのタイムロスによりリカルドはハミルトンに順位を明け渡す形となって2位でレースを終え、怒りと失意を口にした[10]
  • 2017年 - 予選でライコネンが自身2008年フランスGP以来のポールポジションを獲得し、フェラーリがフロントローを独占。決勝ではベッテルがライコネンを逆転して優勝。これは自身にとって6年ぶりのモナコGP優勝、チームとしては2001年以来16年ぶりのモナコGP優勝、及び2010年ドイツGP以来のワン・ツー・フィニッシュとなった。
  • 2018年 - コースレコードを塗り替える圧巻の走りで自身2度目のポールポジションを獲得したリカルドだったが、決勝では19周目でMGU-Kの故障により180馬力を失い、回生ブレーキが効かなくなったことに伴うリアブレーキの加熱、その上柔らかいウルトラソフトタイヤでロングランを強いられるという苦境に立たされた。しかし手負いのマシンで逃げ切って優勝し2016年の雪辱を果たした。[11]
  • 2019年 - メルセデスの重役を務めていた元F1世界王者で5月20日に亡くなったニキ・ラウダをF1全体で追悼。決勝スタート前にドライバー達は彼のトレードマークだった赤いキャップを着けて黙祷し、メルセデスは特別に1戦限りの赤いハロを2台のマシンに着けて臨んだ。
    レースはポールからスタートしたハミルトンがチームの選択ミスにより終盤タイヤが磨耗しきっていたが、マックス・フェルスタッペンの猛追を辛くも抑え切り優勝(フェルスタッペンは5秒加算ペナルティで4位に降格)。自身をメルセデスに引き入れてくれたラウダの死去に人一倍ショックを受けたハミルトンにとっては、ラウダに捧げる特別な勝利となった。

過去の結果編集

F1世界選手権編集

★は初優勝。☆はその年のドライバーズチャンピオン。■はポール・トゥ・ウィン

決勝日 ラウンド サーキット 勝者 所属チーム
1950 5月21日 2 モンテカルロ   ファン・マヌエル・ファンジオ★■ アルファロメオ 詳細
1955 5月22日 2 モンテカルロ   モーリス・トランティニアン フェラーリ 詳細
1956 5月13日 2 モンテカルロ   スターリング・モス マセラティ 詳細
1957 5月19日 2 モンテカルロ   ファン・マヌエル・ファンジオ☆■ マセラティ 詳細
1958 5月18日 2 モンテカルロ   モーリス・トランティニアン ロブ・ウォーカー
クーパー
詳細
1959 5月10日 1 モンテカルロ   ジャック・ブラバム★☆ クーパー 詳細
1960 5月29日 2 モンテカルロ   スターリング・モス■ ロブ・ウォーカー
ロータス
詳細
1961 5月14日 1 モンテカルロ   スターリング・モス■ ロブ・ウォーカー
(ロータス)
詳細
1962 6月03日 2 モンテカルロ   ブルース・マクラーレン クーパー 詳細
1963 5月26日 1 モンテカルロ   グラハム・ヒル BRM 詳細
1964 5月10日 1 モンテカルロ   グラハム・ヒル BRM 詳細
1965 5月30日 2 モンテカルロ   グラハム・ヒル■ BRM 詳細
1966 5月22日 1 モンテカルロ   ジャッキー・スチュワート BRM 詳細
1967 5月07日 2 モンテカルロ   デニス・ハルム★☆ ブラバム 詳細
1968 5月26日 3 モンテカルロ   グラハム・ヒル☆■ ロータス 詳細
1969 5月18日 3 モンテカルロ   グラハム・ヒル ロータス 詳細
1970 5月10日 3 モンテカルロ   ヨッヘン・リント ロータス 詳細
1971 5月23日 3 モンテカルロ   ジャッキー・スチュワート☆■ ティレル 詳細
1972 5月14日 4 モンテカルロ   ジャン=ピエール・ベルトワーズ BRM 詳細
1973 6月03日 6 モンテカルロ   ジャッキー・スチュワート☆■ ティレル 詳細
1974 5月26日 6 モンテカルロ   ロニー・ピーターソン ロータス 詳細
1975 5月11日 5 モンテカルロ   ニキ・ラウダ☆■ フェラーリ 詳細
1976 5月30日 6 モンテカルロ   ニキ・ラウダ■ フェラーリ 詳細
1977 5月22日 6 モンテカルロ   ジョディー・シェクター ウルフ 詳細
1978 5月07日 5 モンテカルロ   パトリック・デパイユ ティレル 詳細
1979 5月27日 7 モンテカルロ   ジョディー・シェクター☆■ フェラーリ 詳細
1980 5月18日 6 モンテカルロ   カルロス・ロイテマン ウィリアムズ 詳細
1981 5月31日 6 モンテカルロ   ジル・ヴィルヌーヴ フェラーリ 詳細
1982 5月23日 6 モンテカルロ   リカルド・パトレーゼ ブラバム 詳細
1983 5月15日 5 モンテカルロ   ケケ・ロズベルグ ウィリアムズ 詳細
1984 6月03日 6 モンテカルロ   アラン・プロスト マクラーレン 詳細
1985 5月19日 4 モンテカルロ   アラン・プロスト☆ マクラーレン 詳細
1986 5月11日 4 モンテカルロ   アラン・プロスト☆ マクラーレン 詳細
1987 5月31日 4 モンテカルロ   アイルトン・セナ ロータス 詳細
1988 5月15日 3 モンテカルロ   アラン・プロスト マクラーレン 詳細
1989 5月07日 3 モンテカルロ   アイルトン・セナ■ マクラーレン 詳細
1990 5月27日 4 モンテカルロ   アイルトン・セナ☆■ マクラーレン 詳細
1991 5月12日 4 モンテカルロ   アイルトン・セナ☆■ マクラーレン 詳細
1992 5月31日 6 モンテカルロ   アイルトン・セナ マクラーレン 詳細
1993 5月23日 6 モンテカルロ   アイルトン・セナ マクラーレン 詳細
1994 5月15日 4 モンテカルロ   ミハエル・シューマッハ☆■ ベネトン 詳細
1995 5月28日 5 モンテカルロ   ミハエル・シューマッハ☆ ベネトン 詳細
1996 5月19日 6 モンテカルロ   オリビエ・パニス リジェ 詳細
1997 5月11日 5 モンテカルロ   ミハエル・シューマッハ フェラーリ 詳細
1998 5月24日 6 モンテカルロ   ミカ・ハッキネン☆■ マクラーレン 詳細
1999 5月16日 4 モンテカルロ   ミハエル・シューマッハ フェラーリ 詳細
2000 6月04日 7 モンテカルロ   デビッド・クルサード マクラーレン 詳細
2001 5月27日 7 モンテカルロ   ミハエル・シューマッハ☆ フェラーリ 詳細
2002 5月26日 7 モンテカルロ   デビッド・クルサード マクラーレン 詳細
2003 6月01日 7 モンテカルロ   ファン・パブロ・モントーヤ ウィリアムズ 詳細
2004 5月23日 6 モンテカルロ   ヤルノ・トゥルーリ★■ ルノー 詳細
2005 5月22日 6 モンテカルロ   キミ・ライコネン マクラーレン 詳細
2006 5月28日 7 モンテカルロ   フェルナンド・アロンソ☆■ ルノー 詳細
2007 5月27日 5 モンテカルロ   フェルナンド・アロンソ■ マクラーレン 詳細
2008 5月25日 6 モンテカルロ   ルイス・ハミルトン マクラーレン 詳細
2009 5月24日 6 モンテカルロ   ジェンソン・バトン☆■  ブラウン 詳細
2010 5月16日 6 モンテカルロ   マーク・ウェバー レッドブル 詳細
2011 5月29日 6 モンテカルロ   セバスチャン・ベッテル☆■ レッドブル 詳細
2012 5月27日 6 モンテカルロ   マーク・ウェバー■ レッドブル 詳細
2013 5月26日 6 モンテカルロ   ニコ・ロズベルグ メルセデス 詳細
2014 5月25日 6 モンテカルロ   ニコ・ロズベルグ■ メルセデス 詳細
2015 5月24日 6 モンテカルロ   ニコ・ロズベルグ メルセデス 詳細
2016 5月29日 6 モンテカルロ   ルイス・ハミルトン メルセデス 詳細
2017 5月28日 6 モンテカルロ   セバスチャン・ベッテル フェラーリ 詳細
2018 5月27日 6 モンテカルロ   ダニエル・リカルド レッドブル 詳細
2019 5月26日 6 モンテカルロ   ルイス・ハミルトン☆■ メルセデス 詳細

F1世界選手権外編集

1935年から1937年ヨーロッパ・ドライバーズ選手権の一戦[12]として、1952年はスポーツカーレースとして開催された。

決勝日 勝者 所属チーム
1929 4月21日   ウィリアム・グローバー=ウィリアムズ ブガッティ 詳細
1930 4月20日   レネ・ドリュフュス ブガッティ 詳細
1931 4月19日   ルイ・シロン ブガッティ 詳細
1932 4月17日   タツィオ・ヌヴォラーリ アルファロメオ 詳細
1933 4月23日   アキーレ・ヴァルツィ ブガッティ 詳細
1934 4月02日   ギ・モル アルファロメオ 詳細
1935 4月22日   ルイジ・ファジオーリ メルセデス・ベンツ 詳細
1936 4月13日   ルドルフ・カラツィオラ メルセデス・ベンツ 詳細
1937 8月08日   マンフレート・フォン・ブラウヒッシュ メルセデス・ベンツ 詳細
1948 5月16日   ジュゼッペ・ファリーナ マセラティ 詳細
1952 6月02日   ヴィットリオ・マルゾット フェラーリ 詳細

複数回優勝したドライバー編集

 
アイルトン・セナが最多の6勝を挙げている。
回数 ドライバー 優勝年
6   アイルトン・セナ 1987, 1989, 1990, 1991, 1992, 1993
5   グラハム・ヒル 1963, 1964, 1965, 1968, 1969
  ミハエル・シューマッハ 1994, 1995, 1997, 1999, 2001
4   アラン・プロスト 1984, 1985, 1986, 1988
3   スターリング・モス 1956, 1960, 1961
  ジャッキー・スチュワート 1966, 1971, 1973
  ニコ・ロズベルグ 2013, 2014, 2015
  ルイス・ハミルトン 2008, 2016, 2019
2   ファン・マヌエル・ファンジオ 1950, 1957
  モーリス・トランティニアン 1955, 1958
  ニキ・ラウダ 1975, 1976
  ジョディー・シェクター 1977, 1979
  デビッド・クルサード 2000, 2002
  フェルナンド・アロンソ 2006, 2007
  マーク・ウェバー 2010, 2012
  セバスチャン・ベッテル 2011, 2017

複数回優勝したコンストラクター編集

回数 コンストラクター 優勝年
15   マクラーレン 1984, 1985, 1986, 1988, 1989, 1990, 1991, 1992, 1993, 1998,
2000, 2002, 2005, 2007, 2008
10   フェラーリ 1952, 1955, 1975, 1976, 1979, 1981, 1997, 1999, 2001, 2017
8   メルセデス 1935, 1936, 1937, 2013, 2014, 2015, 2016, 2019
7   ロータス 1960, 1961, 1968, 1969, 1970, 1974, 1987
5   BRM 1963, 1964, 1965, 1966, 1972
4   ブガッティ 1929, 1930, 1931, 1933
  レッドブル 2010, 2011, 2012, 2018
3   アルファロメオ[13] 1932, 1934, 1950
  マセラティ 1948, 1956, 1957
  クーパー 1958, 1959, 1962
  ティレル 1971, 1973, 1978
  ウィリアムズ 1980, 1983, 2003
2   ブラバム 1967, 1982
 [14] ベネトン 1994, 1995
  ルノー 2004, 2006

過去のコースレイアウト編集

脚注編集

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  1. ^ 1951・1953・1954年は開催せず。1952年はF1ではなくスポーツカーレースとして開催。
  2. ^ a b c Christian Sylt and Caroline Reid / Me (2010年5月14日). “モナコ、そのたぐいまれな引力”. ESPN F1. http://ja.espnf1.com/monaco/motorsport/story/17138.html 2012年1月13日閲覧。 
  3. ^ 尾張正博 "F1ピットストップ「メルセデスのテストは違反行為か!?魔の金曜日にF1界騒然の事件発覚。」". Number Web.(2013年5月31日)2013年6月29日閲覧。
  4. ^ 現在の競技規則では規定周回数に達するか、2時間を超えた最初の周でレースが成立する。
  5. ^ 辻野ヒロシ (2008年11月18日). “セナの名前がF1に帰ってくる!?”. All About. http://allabout.co.jp/gm/gc/192498/3/ 2012年1月13日閲覧。 
  6. ^ しかし、この4日後にモンツァでスポーツカーのテスト走行中に事故死。
  7. ^ モナコGP シューマッハに20秒加算ペナルティ!”. ESPN F1 (2010年5月17日). 2016年8月28日閲覧。
  8. ^ How tyre confusion influenced Hamilton’s pit call”. F1 Fanatic (2015年5月25日). 2015年5月28日閲覧。
  9. ^ レッドブル、ピットストップでのミスを防ぐための予防策を約束”. オートスポーツweb (2016年6月2日). 2016年6月8日閲覧。
  10. ^ モナコGP優勝を逃し、怒りのリカルド「2レース連続で失敗された」 ミスはなぜ起きたのか”. オートスポーツweb (2016年5月30日). 2016年6月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年6月8日閲覧。
  11. ^ 三重苦となったマシンを生還させたリカルドの力走【今宮純のF1モナコGP決勝分析】”. オートスポーツweb (2018年5月29日). 2019年5月28日閲覧。
  12. ^ a b 1931年-1932年および1935年-1939年に行われた四輪モータースポーツにおける最高峰の選手権。現在のF1世界選手権の前身にあたる。
  13. ^ 2019年にザウバーから名称を変更したアルファロメオ・レーシングとは別扱い。
  14. ^ 1986-1995年はイギリス国籍、1996-2001年はイタリア国籍。

関連項目編集

外部リンク編集