ワタツミ
ワタツミ・ワダツミ(海神・綿津見)とは日本神話の海の神。転じて海・海原そのものを指す場合もある。
大綿津見神 | |
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神祇 | 国津神 |
全名 | 大綿津見神 |
別名 | 綿津見大神、海神豊玉彦、少童命、海神、和多都美神、和多津見神、綿摘神、海童、大海津見神、大海津美神 等 |
神格 | 海神 |
父 | 伊邪那岐命 |
母 | 伊邪那美命 |
子 | 宇都志日金析命(穂高見命)、振魂命、豊玉毘売、玉依毘売 |
宮 | 綿津見の宮 |
関連氏族 | 皇室、安曇氏、和邇氏、尾張氏、八木氏、大倭国造等 |
概要編集
『古事記』は綿津見神(わたつみのかみ)、大綿津見神(おおわたつみのかみ)、『日本書紀』は少童命(わたつみのみこと)、海神(わたつみ、わたのかみ)、海神豊玉彦(わたつみとよたまひこ)などの表記で書かれる。
「ワタ」は海の古語、「ツ」は「の」を表す上代語の格助詞、「ミ」は神霊の意であるので、「ワタツミ」は「海の神霊」という意味になる[1]。
神話での記述編集
日本神話に最初に登場する綿津見神は、オオワタツミ(大綿津見神・大海神)である。神産みの段で伊邪那岐命(伊弉諾尊・いざなぎ)・伊邪那美命(伊弉冉尊・いざなみ)二神の間に生まれた。神名から海の主宰神と考えられているが、『記紀』においては伊邪那岐命は後に生まれた三貴子の一柱須佐之男命(素戔嗚尊・すさのお)に海を治めるよう命じている。
伊邪那岐命が黄泉から帰って禊をした時に、ソコツワタツミ(底津綿津見神、底津少童命)、ナカツワタツミ(中津綿津見神、中津少童命)、ウワツワタツミ(上津綿津見神、表津少童命)の三神が生まれ、この三神を総称して綿津見三神と呼んでいる。この三神はオオワタツミとは別神であるとの説や[1]、同神との説がある。この時、ソコツツノオノカミ(底筒之男神)、ナカツツノオノカミ(中筒之男神)、ウワツツノオノカミ(上筒之男神)の住吉三神(住吉大神)も一緒に生まれている。
また、綿津見神三神の子の宇都志日金析命(穂高見命)が九州北部の海人族であったとされる阿曇連(阿曇氏)の祖神であると記している。現在も末裔が宮司を務める志賀海神社は安曇氏伝承の地である。また穂高見命は穂高の峯に降臨したとの伝説があり、信濃にも安曇氏が進出している。
山幸彦と海幸彦編集
山幸彦と海幸彦の段では、火照命又は火須勢理命(海幸彦)の釣針をなくして困っていた火遠理命(山幸彦)が、塩土老翁の助言に従って綿津見大神(豊玉彦)の元を訪れ、綿津見大神の娘である豊玉毘売と結婚している。二神の間の子である鵜草葺不合命は豊玉毘売の妹である玉依毘売に育てられ、後に結婚して若御毛沼命(神倭伊波礼琵古命・かむやまといわれひこ)らを生んでいる。綿津見大神の出自は書かれていないが、一般にはオオワタツミと同一神と考えられている。
系譜編集
伊邪那岐命、または同神と伊邪那美命の子に置かれる神で、子には宇都志日金析命(穂高見命)、布留多摩命(振玉命)、豊玉毘売命、玉依毘売命の四兄妹がいる。
この内、宇都志日金析命は阿曇氏の祖神で、布留多摩命は倭国造、八木氏、尾張氏の祖神とされる。なお豊玉毘売命と玉依毘売命の姉妹は、火遠理命の妻になったという世代を考えて、実際には宇都志日金析命の妹ではなく娘であったと見る説がある[2]。