三澤 肇(みさわ はじめ、1970年7月6日 - )は、MBSメディアホールディングスの総務局長で、毎日放送(MBS)の元・アナウンサーおよび報道記者

MBSにはアナウンサーとして1994年4月に入社したが、報道局への異動(2002年4月)を経て、2007年3月からTBSテレビ嘱託社員として2年間出向。出向期間中に、『筑紫哲也 NEWS23』のサブキャスターを務めた。MBSへの復帰後は、ニュースデスクや、当時同局が運営していたJNNベルリン支局の支局長(特派員)などを歴任。MBSの本社へ帰任後の2016年4月から報道局の解説委員に就任すると、2017年7月から2023年6月まで東京支社へ赴任していた。赴任期間の後年には東京支社で解説委員と報道部長を兼務していたが、2023年7月1日付でMBSからMBSメディアホールディングス(毎日放送グループの放送持株会社)へ出向。

来歴・人物 編集

奈良県の出身で、大阪明星高校から関西学院大学経済学部に進学。大学2年生の時には、学内の交換留学制度を通じて、アメリカ南メソジスト大学へ1年間留学した[1]

大学卒業後の1994年に、MBSへ入社した。同期入社のアナウンサーに西靖がいる。毎日放送への入社後は、主に報道番組へ出演。1997年10月に『MBSナウ』のキャスターへ起用されると、2000年10月スタートの後継番組『VOICE』でもメインキャスターも務める。その一方で、犯罪被害者少年司法安全保障環境問題などを主に取材するほか、和歌山毒物カレー事件大阪教育大学附属池田小学校事件などの取材も経験。2002年の人事異動を機に、『VOICE』のメインキャスターを続けながら、報道局の記者へ転身した。

2006年3月31日に『VOICE』のメインキャスターを勇退してからは、記者としての取材活動に専念。神戸の連続児童殺傷事件の遺族の軌跡を描いた番組を取材、制作するなど「犯罪被害者」や「少年法」の問題点を指摘。同事件の加害少年である「少年A」が少年院に収監されていた時期の様子を、「少年院の調査報告書」に沿って描き出した。同年4月30日に『報道特集』(TBSテレビ)で「罪と病〜受刑者の病院に初めてカメラが!〜」を放送した際には、取材担当記者としてスタジオにも出演。刑務所や少年院などでの「更生」のあり方にもスポットを当てていた。

2007年度以降は、MBSからJNN基幹局の東京放送(TBS)嘱託社員として出向2007年3月5日から、『筑紫哲也 NEWS23』(TBSテレビ制作・JNN全国ネットの平日最終版ニュース)[2]でサブキャスターを務めた。TBSが制作するJNN全国ニュース番組のキャスターを、系列局から出向した報道記者が務めた事例は、北海道放送(HBC)から出向していた村形貞彦[3]が『JNNニュースデスク』へ1975年3月28日まで出演して以来32年振り。3日後の同年3月31日にMBSがABCとのネットチェンジNET(当時)の系列局からTBSの系列局へ変更してからは初めて[4]で、TBSへの出向扱いで同局制作の報道・情報番組にレギュラー出演したMBSの局員は、『おはよう720』→『おはよう700』の斎藤努(当時はアナウンサー)以来であった。

『NEWS23』の番組リニューアルを機に、2009年3月27日放送分で同番組を降板。同月31日付でTBSへの出向期間も満了したため、MBSへの復帰後は、本社で記者活動を再開した。

2009年から「MBS大阪府庁キャップ」として橋下徹知事時代の大阪府政を担当すると、2011年4月1日付で、当時毎日放送が管理・運営していたJNNベルリン支局長(特派員)に就任。2014年4月1日付で虎松英樹に交代するまで、ヨーロッパ中東地域の取材を担当した。帰任後には、同年5月27日放送の『ちちんぷいぷい』に、「元ベルリン支局長」という肩書でウクライナ情勢の解説を担当。その一方で、MBSテレビのニュースデスクなどを務めていた。

2015年4月3日からは、同期入社の西がメインキャスターを務める『VOICE』へのレギュラー出演を再開。コメンテーター(解説委員)として「金曜解説」→ 「わかる」(週1回放送のニュース解説コーナー)を担当していた。その一方で、「政治関連の取材へじっくりと取り組むことで、ニュース解説の幅を広げたい」との意向から、2017年7月の人事異動で毎日放送東京支社報道部に配属。配属後は、本社で平日に制作する生放送番組(『ちちんぷいぷい』『VOICE』→『ちちんぷいぷい』『ミント!』→『よんチャンTV』)への出演を続けながら、東京担当の解説委員として政治関連の取材に携わっていた[5]

毎日放送の東京支社では解説委員との兼務扱いで報道部長にまで昇進していたが、2023年7月1日に本社へ帰任したうえでMBSメディアホールディングスへ出向。前日(6月30日)に放送された『よんチャンTV』への出演をもって、アナウンサー時代から26年余りにわたって携わってきた報道の現場を離れた。ちなみに、MBSメディアホールディングスでは総務局長を務めている[6]

趣味はクライミング[7]で、「ダムウォッチャー」を自称するほど、ダムの構造や治水の事情に詳しい[8]

過去の担当番組 編集

テレビ 編集

以上の番組には、アナウンサー時代に不定期で出演。

  • MBSナウ(メインキャスター)
  • VOICE
    • 2006年3月までメインキャスターを担当。勇退後も、報道局の記者・大阪府政キャップ・ニュースデスクとして随時登場していた。
    • 2016年4月から2019年3月の番組終了まで、解説委員としてニュース解説や取材を随時担当。2017年7月に東京支社の報道部へ異動するまでは、メインキャスター代理を務めることもあった。
  • ちちんぷいぷい
    • 東京支社への異動後は、「MBS記者(東京報道)」という肩書で、「三澤は見たッ!」という国政関連などの解説を随時担当。2017年9月までは、当時レギュラーで出演していた社会部記者出身の石田英司が休演する場合に、石田に代わってスタジオでニュースを解説することもあった。2019年4月から番組終了の前週(2021年3月5日)までは、金曜日の全編にわたって出演。
  • ミント! - 『ちちんぷいぷい』へ出演する金曜日を中心に、スタジオ解説や中継リポートを随時担当。
  • よんチャンTV
    • 金曜日の関西ローカルニュースパートに、ニュース解説者としてレギュラーで出演。MBSメディアホールディングスへの出向に伴って、出向の前日(2023年6月30日放送分)で出演を終えた。
    • 2022年6月までは、前身番組の1つである『ミント!』でニュースキャスターを務めていた西も、アナウンス職のまま「MBS解説委員」という肩書で木曜日に登場。ただし、西が育児休業に入っていた期間中(2021年6 - 9月)には、三澤が木曜分のニュース解説を兼務していた。ちなみに西は、アナウンス職を続けながら所属部署の管理職(毎日放送総合編成局アナウンスセンター長)を兼務することを機に、ニュース解説の担当を三澤より1年早く2022年6月で退いている。

以下の番組は、TBSテレビ制作の全国ネット番組。

ラジオ 編集

いずれも、毎日放送のアナウンサー時代に出演。

関連人物 編集

脚注 編集

  1. ^ 関西学院大学経済学部・経済学研究科公式サイト「~経済学部卒業生からのメッセージ~われら関学経済人」2016年6月6日付記事
  2. ^ 三澤のサブキャスター期間中のMBSでは、一部の曜日(当初は月・金曜日、後に金曜だけ)で途中まで同時ネットを実施。
  3. ^ 村形も元々アナウンサー。
  4. ^ 記者職以外のJNN系列局社員では、1988年10月から1989年9月まで放送された『JNNニュースデスク'88・'89』サブキャスターとして、当時岩手放送(現・IBC岩手放送)のアナウンサーであった戸田信子京都光華女子大学出身)がTBSに出向したケースがある。
  5. ^ MBS報道局Facebook公式アカウント2017年7月28日付記事【金曜コラム #201 東京支社報道部の新メンバー】
  6. ^ 役員の改選に関するお知らせ(株式会社MBSメディアホールディングス・株式会社毎日放送2023年3月23日付プレスリリース)
  7. ^ 『ちちんぷいぷい』2017年8月31日放送分オープニングでの自己紹介を参照。
  8. ^ 『ちちんぷいぷい』2014年11月27日放送分「石田ジャーナル」を参照。