久春古丹

久春古丹(クシュンコタン)は、江戸時代から明治初期にかけて用いられた樺太の地名。アイヌ語のkus-un-kotan(対岸・にある・村)に由来する。 九春古丹とも。後の大泊町楠渓町。市街地中央にある台地・神楽岡の北に位置する。 江戸時代、松前藩の穴陣屋があった。また、交易の拠点で北前船も寄港し、松前藩の出先機関として運上屋も置かれていた。 江戸時代末、度々ロシア人の襲撃に遭ったが、明治時代に入って一時期樺太開拓使が置かれた。日露戦争後は樺太民政署を経て樺太庁が置かれたが、樺太庁は後に豊原に移転した。

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