内閣法制局
内閣法制局(ないかくほうせいきょく、英: Cabinet Legislation Bureau、略称: CLB)は、日本の行政機関のひとつ。内閣に置かれ、行政府内における法令案の審査や法制に関する調査などを所管する[3]。
内閣法制局 ないかくほうせいきょく Cabinet Legislation Bureau | |
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![]() | |
![]() 内閣法制局が設置されている中央合同庁舎第4号館 | |
役職 | |
内閣総理大臣 | 岸田文雄 |
長官 | 近藤正春 |
次長 | 岩尾信行 |
組織 | |
上部組織 | 内閣 |
内部組織 |
第一部 第二部 第三部 第四部 長官総務室 |
概要 | |
法人番号 | 1000012010003 |
所在地 |
〒100-0013 東京都千代田区霞が関3丁目1番1号 北緯35度40分23.3秒 東経139度44分52.8秒 / 北緯35.673139度 東経139.748000度 |
定員 | 77人[1] |
年間予算 | 11億9582万9千円[2](2021年度) |
設置 | 1962年(昭和37年)7月1日 |
前身 | 法制局 |
ウェブサイト | |
内閣法制局 |
概説編集
内閣法制局は、内閣の下で法案や法制についての審査・調査等を行う機関であり、その長は内閣が任命する内閣法制局長官である[注釈 1]。内閣法に言うところの主任の大臣は、内閣総理大臣である。内閣が国会に提出する新規法案を、閣議決定に先立って憲法やその他の法令に照らして問題がないかを審査することから、「憲法の番人」「政府の法律顧問」などと呼ばれている[4][5]。第二次世界大戦後に司法省と統合されて法務庁(後に法務府)となるが、法制局設置法に基づき、1952年8月に内閣に法制局が設置され、ほぼ現在の姿となる。その後、総理府設置法等の一部を改正する法律により1962年7月に法制局設置法は内閣法制局設置法に改題され、法制局は内閣法制局と改称された。
長官の待遇は、特別職の職員の給与に関する法律で副大臣と同等とされるが、これらの職とは違い認証官ではない。長官は、首班指名による組閣があるたびに、いったん依願免官を申し出て、再度任命される慣例となっている。2009年9月に発足した鳩山由紀夫内閣では、長官を政府特別補佐人から除外して、国会での答弁を禁止し、行政刷新相に法令解釈担当相を兼務させていたが、2012年1月20日、野田佳彦内閣は長官による答弁を復活させた[4]。
沿革編集
- 1875年(明治8年)7月3日、太政官正院の法制課を法制局に改組。
- 正院の呼称は、1877年(明治10年)1月18日に廃止。
- 1880年(明治13年)3月3日、法制局を廃止し、太政官に法制部を設置。
- 1881年(明治14年)10月21日、太政官に参事院を置き、参事院に法制部を設置。
- 1885年(明治18年)12月22日、太政官を廃止し、内閣制度を創設。
- 1885年(明治18年)12月23日、内閣総理大臣の管理に属する法制局を設置。行政部、法制部、司法部の3部構成。
- 1890年(明治23年)6月12日、法制局の位置づけを改め、内閣に属するものとする。部制を廃止。
- 1891年(明治24年)4月10日、部制を復活させ2部制とする(第一部・第二部)。
- 1893年(明治26年)11月10日、法制局の位置づけを改め、内閣に隷するものとする。部制を廃止。
- 1918年(大正7年)5月29日、部制を復活させ2部制とする(第一部・第二部)。
- 1939年(昭和14年)4月28日、2部制を3部制に改める(第一部から第三部まで)。
- 1945年(昭和20年)5月24日、3部制を4部制に改める(第一部から第四部まで)。
- 1945年(昭和20年)9月6日、4部制を3部制に改める(第一部から第三部まで)。
- 1945年(昭和20年)11月24日、法制局に次長を置く。
- 1948年(昭和23年)2月15日、法制局を廃止して司法省と統合し、国務大臣たる法務総裁を長とする法務庁を設置。
- 法務庁では法務総裁のもとに5長官制を敷き、長官のうち、法制局の所管を引き継ぐものとして法制長官と法務調査意見長官とが置かれる。
- 法制長官の指揮監督のもとに長官総務室のほか3局(法制第一局から法制第三局まで)を置く。
- 法務調査意見長官の指揮監督のもとに長官総務室のほか3局(調査意見第一局、調査意見第二局、資料統計局)を置く。
- 1949年(昭和24年)6月1日、国家行政組織法施行に伴い、法務庁を法務府に改組。
- 法務総裁のもとの5長官制を3長官制に改め、法制長官と法務調査意見長官を統合して、法制意見長官を置く。
- 法制意見長官の指揮監督のもとに長官総務室のほか4局(法制意見第一局から法制意見第四局まで)を置く。
- 1952年(昭和27年)8月1日、法務府を解体し、法務省と法制局を設置。
- 法制局の長は法制局長官とし、法制局次長を設置。長官総務室のほか第一部から第三部までの構成とする。
- 1962年(昭和37年)7月1日、法制局を内閣法制局に改称。第四部を増設。
所管事務編集
内閣法制局の所管事務は次のとおりである。
- 閣議に附される法律案、政令案及び条約案を審査し、これに意見を附し、及び所要の修正を加えて、内閣に上申すること:審査事務
- これが内閣法制局の主たる事務であり、他の法律と抵触する部分はないか、文章の体裁が法令表記の慣例から逸脱していないか等々について審査する。実務上は、各部に所属する内閣法制局参事官が、審査を担当する省庁の課長補佐クラスと協議しつつ法律案等を審査・修正していく。
- 法律案および政令案を立案し内閣に上申すること:立案事務
- 内閣法制局自身が案を立案した例はかつては、文官制度に関する勅令の起案を行う[6]などかなりの例があった[注釈 2]。戦後も特にこれを所管する機関がない場合(例えば、ポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件の廃止に関する法律)、各省の起案に係るものを技術的な見地から一本の法令に統合する場合(例えば、奄美群島の復帰に伴う法令の適用の暫定措置等に関する法律)、政府各省庁の所管に属さない事項(例えば、会計検査院法)について当該関係機関の一応の草案に基づいて起案する場合があったが、現在では内閣官房がこのような事務を担当することが通例となり、憲法調査会施行令を最後に、内閣法制局の設置法施行令を除き、内閣法制局の起案は行われていない[7]。なお、内閣法制局の起案上申については、部長はもちろん、長官自ら主査となって行うものがある[注釈 3]。一般の行政機関ではおよそ考えられないことである[8]。
- 法律問題に関し内閣並びに内閣総理大臣及び各省大臣に対し意見を述べること:意見事務
- 内閣および各府省庁からの意見照会に関する回答を行うことがあるほか、国会において関係大臣の間で意見に相違があるとき閣内統一見解を求められた際に内閣法制局長官が答弁する例が多い。また国会法第74条による質問主意書に対する回答で法制に関するものを含む場合は内閣法制局が関与する。
- 内外および国際法制ならびにその運用に関する調査研究を行うこと:調査事務
- その他法制一般に関すること
組織編集
幹部編集
内部部局編集
- 第一部(部長)
- 所管事務は以下のとおり。
- 意見事務
- 調査事務
- 内閣法制局設置法3条5号に掲げる事項(その他法制一般に関すること)のうち他の部の所掌に属しないものに関する事務
- 憲法資料調査室(室長)
- 所管事項は以下のとおり。
- 憲法調査会が憲法調査会法(昭和31年法律第140号)2条の規定によってした報告および同調査会の議事録その他の関係資料の内容の整理に関する事項
- 上記報告に関する補充調査に必要な資料の収集に関する事項
- 上記に掲げるものの外、特に命ぜられた事項
- 所管事項は以下のとおり。
- 参事官
- 法令調査官
- 所管事務は以下のとおり。
- 第二部(部長)
- 第三部(部長)
- 第四部(部長)
- 長官総務室(総務主幹)
- 総務課
- 会計課
- 調査官
人事編集
キャリア官僚は独自採用せず、各省庁から参事官以上を出向で受け入れ、法務省、財務省、総務省、経済産業省、農林水産省の5省の出身者だけが局長級以上の幹部になることができ、さらに長官までには上記の内から農水省を除いた4省の出身者が、第一部長→法制次長→長官という履歴を経て就任する人事慣行が確立されてきた。この慣行は1952年以来崩されることがなかったが[9]、2013年8月、法制局勤務経験のない外務省出身の小松一郎が長官に就任した[10]。ただし、小松の後任からは法制次長の昇格が復活している。
この他、ノンキャリア組職員として、国家公務員一般職試験合格者より、若干名を採用している。 また、各省庁のノンキャリア組職員からの出向者も、課長補佐級以下のポストにおいて受け入れている。
幹部職員編集
内閣法制局の幹部は以下のとおりである[11]。
- 内閣法制局長官:近藤 正春 (経済産業省出身)
- 内閣法制次長:岩尾 信行 (法務省・検察官出身)
- 第一部長:木村 陽一 (経済産業省出身)
- 第二部長:平川 薫 (総務省・旧自治省出身)
- 第三部長:佐藤 則夫 (金融庁・旧大蔵省出身)
- 第四部長:栗原 秀忠 (農林水産省出身)
- 総務主幹:嶋 一哉 (総務省・旧自治省出身)
所管法人編集
内閣法制局が主管する独立行政法人、特殊法人及び特別の法律により設立される民間法人(特別民間法人)は存在しない[12][13][14]。
財政編集
職員編集
一般職の在職者数は2022年7月1日現在、内閣法制局全体で73人(男性54人、女性19人)である[15]。
内閣法制局の一般職の職員は非現業の国家公務員なので、労働基本権のうち争議権と団体協約締結権は国家公務員法により認められていない。団結権は認められており、職員は労働組合として国家公務員法の規定する「職員団体」を結成し、若しくは結成せず、又はこれに加入し、若しくは加入しないことができる(国家公務員法第108条の2第3項)。
脚注編集
注釈編集
出典編集
- ^ 令和3年度歳出概算要求書第3表令和3年度概算要求定員表 (PDF) 内閣法制局
- ^ a b 令和3年度一般会計予算 (PDF) 財務省
- ^ “内閣法制局設置法(昭和二十七年法律第二百五十二号)”. e-Gov法令検索. 総務省行政管理局. 2020年1月8日閲覧。
- ^ a b 内閣法制局 | 時事用語事典 | 情報・知識&オピニオン imidas - イミダス
- ^ これでわかった!内閣法制局 法の番人か?権力の侍女か?
- ^ 佐藤達夫「法案作りの四半世紀(VI)(自治時報1956年12月号)P40~41
- ^ 内閣法制局百年史p160,180、235。
- ^ 内閣法制局百年史p236。
- ^ 『朝日新聞グローブ』第41号、G-3面。
- ^ 法制局長官に小松大使 集団的自衛権解釈見直し派 日本経済新聞(2013年8月2日付)
- ^ 名簿(令和3年4月1日現在) 内閣法制局
- ^ “独立行政法人一覧(令和3年4月1日現在)” (PDF). 総務省. 2021年4月16日閲覧。
- ^ “所管府省別特殊法人一覧(令和3年4月1日現在)” (PDF). 総務省. 2021年4月16日閲覧。
- ^ “特別の法律により設立される民間法人一覧(令和3年4月1日現在:34法人)” (PDF). 総務省. 2021年4月16日閲覧。
- ^ 一般職国家公務員在職状況統計表 (PDF) (令和4年7月1日現在)
- ^ 令和3年度 年次報告書(公務員白書) 「第1編第3部第6章:職員団体 - 資料6-2;職員団体の登録状況。2022年3月31日現在。