日本 > 静岡県 > 熱海市 > 初島

初島(はつしま)は、静岡県熱海市に属するである。古い文献などでは波島(はしま)、端島(はしま)、波津幾島(はつきしま)との表記もある。

初島
2015年撮影 国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成
所在地 日本の旗 日本 静岡県
所在海域 太平洋 相模灘
座標 北緯35度2分20秒 東経139度10分10秒 / 北緯35.03889度 東経139.16944度 / 35.03889; 139.16944座標: 北緯35度2分20秒 東経139度10分10秒 / 北緯35.03889度 東経139.16944度 / 35.03889; 139.16944
面積 0.437 km²
海岸線長 4 km
最高標高 33.5 m
初島の位置(静岡県内)
初島
初島
初島 (静岡県)
初島の位置(関東地方内)
初島
初島
初島 (関東地方)
初島の位置(日本内)
初島
初島
初島 (日本)
プロジェクト 地形
テンプレートを表示

地理 編集

 
西北西から望む。
初島港
 
初島の海岸。島の周囲はこのようなゴロタ浜である。

伊豆半島東方沖の相模灘に位置しており、熱海市の本土から南東に約10キロメートルの海上にあるため、静岡県の最東端でもある。

2018年平成30年)時点での人口は193人114世帯であった[1]である。住民のほとんどは島の北部に位置する宮の前地区に居住している[2]

火山島が活動を終え、浸食されて海中に没し、その後に隆起してできた島と考えられている [3]。最高地点が33.5 m(三角点)と平坦で、これは波によって削られた海底の平坦面が隆起したことによる[4]。島内には数段の隆起段丘があり[5]。1923年の関東地震では1.8-2 m隆起し[4]、これが最新の隆起となる[4]

歴史 編集

近代以前 編集

島内から縄文時代の遺跡が発見されており、古くから人の居住があったと考えられている。

島に関連する伝説(神話)としては、三宅島の壬生家『三宅記(三島大明神縁起)』に伝わる三島大明神(三嶋大社)系の「島生み」神話と、地元の初木神社と伊豆山神社の起源に関わる「初木姫」神話などがある[6][7]

初木神社は元来、地理的に近い網代の阿治古神社の高杉家が神主を兼ねていて、当家には鎌倉時代以前の作と推定される初木神社の御正体(懸仏)も伝わっているが、現在は神話による繋がりが深い伊豆山神社によって神事が行われている[7][8]

鎌倉時代には源実朝が二所詣で伊豆山神社に至る途中に「箱根路を わが越えくれば 伊豆の海や 沖の小島に 波の寄る見ゆ」と詠んでおり(金槐和歌集)、風光明媚で知られていたことが窺える。 明らかな記録では南北朝時代観応2年(1351年)に18戸の家があった。

古くから島の産業は漁業農業で、現存する記録では天明2年(1782年)に江戸の魚市場に魚を売った記録帳がある[9]江戸時代から島内の戸数は41戸前後で天保元年(1830年)に41戸との記録があり、この戸数が現在まで続いている。島内の耕作地や生活用水が限られることから次男以下は島を出て、男子がいない場合は婿を取り、41戸と一定の人口を維持するという慣習があった。島内に由来がある家系ではこの慣習が受け継がれてきたが、1980年代以降[いつ?]では長男以外のものが後継ぎになる例もある。島の生活は共同体であり、耕作地や漁獲は等分に分けられていたという[注釈 1]

江戸時代中期以降は熱海が温泉場として発展したが、初島は長らく沖の小島として旧来の姿を守っていたと考えられている。幕末の混乱期には一時期伊庭八郎が匿われたとの資料がある。

近代以降 編集

明治に入り1881年(明治14年)に熱海までの県道が通じ、温泉場として発展するとともに、初島にも徐々に開明の波が及び1886年(明治19年)10月には熱海尋常小学校初島分教場が開校している。

1913年(大正2年)1月24日に幼少の昭和天皇が校外学習で海軍の水雷艇で来島し植物採集をしている。

1921年(大正10年)1月には与謝野晶子が島を訪れ、『初島紀行』という作品を書いた。その文中から未だ初島は「観光地」とは認識されておらず、古くからの集落によそ者が訪れるという趣であったことが窺える。(具体的記述は注釈参照) [注釈 2]

1923年(大正12年)の関東大震災では島が隆起し[4]、島内の家屋が損害を受けたとの記録がある。

1925年(大正14年)には東海道本線が熱海まで開通し、さらに1934年(昭和9年)に丹那トンネルが開通すると熱海は一大観光地となり、初島への遊覧も増加していった。

1959年(昭和34年)3月25日、初島灯台設置。

1964年(昭和39年)の東海道新幹線の開通とともに、富士急がインフラを整備するとともに「初島バケーションランド」を開業し、観光が一層盛んとなった。

1980年(昭和55年)、簡易水道の海底送水管が整備され、熱海市宮川浄水場から最大日量1,000立方メートルの送水が可能となった[2]

1993年(平成5年)8月に「初島クラブ」開業、2000年(平成12年)にリゾートトラストが「エクシブ初島クラブ」として事業継承。

1997年(平成9年)3月、初島小中学校が新校舎のログハウスへ移転。7月にはペルーアルベルト・フジモリ大統領、橋本龍太郎首相が来校。

2006年(平成18年)、「初島バケーションランド」が「初島アイランドリゾート」としてリニューアル(2019年4月より「PICA初島」に改称[10])。

2007年(平成19年)3月28日、初島灯台を参観灯台として一般公開開始。

2020年(令和2年)4月7日、初島港の定期船待合施設「シマテラス初島」開所。

観光施設・レジャー等 編集

リゾート開発 編集

PICA初島 編集

 
初島クラブ開発前の初島(1983年)国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成

1964年富士急が「初島バケーションランド」をオープンした(トロピカルガーデン、ゴーカートコース、ハワイアンプール)。高度成長期レジャーブームで東京から日帰りで行ける島として人気を呼び、ピーク時には年間15万人の来場者があった。近年[いつ?]は施設の老朽化もあり集客力が落ちていたことから、2006年(平成18年)に「初島アイランドリゾート」に改名のうえ全面改装し、プールスパ、キャンプサイトを備えたアジアのビーチリゾートをイメージした施設となった。2019年4月よりPICAリゾートのブランド統一により現名称[10]。面積は7万3000m2

初島クラブ 編集

 
エクシブ初島クラブ
L字型の建物のため、写真の部分の3倍程度の規模がある。

1989年(平成元年)にバブル景気から空前のリゾートブームとなり、不動産・リゾート開発会社の日本海洋計画が「初島クラブ」というリゾート施設を建設する計画をたてた。それまでにも開発計画や土地買収の話が相次ぎ、1945年(昭和20年)には島に住む41戸全てが「島外の資本には土地を売らない」という誓約書を取り交わしていたが、「初島クラブ」の計画は島民が初島区事業協同組合を設立して10%を出資し、役員になり土地は賃貸するというものであったため、開発が実現することとなった。日本海洋計画にはサントリー富士急トヨタ日本長期信用銀行フジケンコーも出資していた。

1993年(平成5年)8月に施設はオープンしたが、バブル経済崩壊の影響からリゾート会員募集が順調に進まずに、当初から苦しい経営となった。1998年(平成10年)度には売上高は目標額の3分の2となり、ついに経営が行き詰まり、1999年(平成11年)4月26日会社更生法の適用を申請し倒産した。その後、リゾートトラストの支援の下、新会社の「リゾートトラスト初島」となり、施設の名称も「エクシブ初島クラブ」と変更され営業を続けている。

初島クラブの倒産は日本長期信用銀行の破綻に大きな影響を与えたとされ、後に出資・融資を推進した取締役が告訴されている。

観光施設等 編集

 
初島灯台
  • シマテラス初島 - 定期船待合施設。2階建。物販、ATM、展望テラス等も。
  • 漁師食堂街
    • さかや
    • 大西
    • 力丸
    • はしもとや
    • うえの
    • 鈴木丸
    • 木村屋
    • みやした
    • 中石亭
    • 白扇
    • めがね丸
    • 田中屋
    • HATSUSHIMA STORE & CAFE(土産+飲食)
    • なかの
    • 坂下
    • すみ
  • 初島漁協スーパーマーケット
  • PICA初島
    • Terrace Restaurant ENAK
    • SARUTOBI(サルトビ)
    • VOTAN(ボウタン)
    • 海泉浴「島の湯」
    • アジアンガーデンR-Asia
  • 初木神社 - 伊豆山神社の境外社。毎年7月に例大祭があり鹿島踊りが披露される。
  • 竜神宮 - 地元漁師の信仰を集める社、4月に例大祭[6]
  • 初島灯台 - 1959年(昭和34年)3月設置、2007年(平成19年)3月28日より参観灯台として一般公開を開始、灯台資料館も併設。
  • (初島海洋資料館 - 1984年開館、2020年閉館[11]。)

レジャー 編集

宿泊施設 編集

行政・インフラ等 編集

 
初島小中学校

行政 編集

インフラ 編集

 
定期船。奥は本土で、左に熱海市街、右に箱根火山の山体。
  • 電気上水道温泉は伊豆半島からの海底ケーブル、パイプで運ばれる。2003年(平成15年)4月に送電用の海底ケーブルが破損し、ゲリラや敵対国(地域)などの工作員による切断も疑われるなど様々な疑惑や憶測を呼んだが、その後の調査ではケーブルの老朽化による破断と結論した。ケーブルが復旧するまでのあいだ、東京電力は発電機と燃料を船で輸送し対応した。
  • 携帯電話ドコモauソフトバンクいずれも使用できるが、地形と基地局の数により電波が届かない場所がある[16]Y!mobilePHSは初島港およびエクシブ初島周辺でのみ使用できる。2022年には、KDDIスターリンクを利用した基地局を電波状態が悪い場所に設置した[17][16]
  • 常設の病院・診療所はなく、週一日熱海から医師がやってくるのみ。緊急時にはヘリポートを利用。ヘリコプターが飛べない荒天時の急患は船で熱海に移され、熱海港から救急車で搬送される。
  • 銀行郵便局は無い。ATMはJFマリンバンクのものが1か所ある。ポストは島内に1つあり、ゆうパック宅急便は初島漁業協同組合で受け付けている。

交通 編集

富士急行(富士急マリンリゾート)が熱海港からの定期航路を開設している。2019年(平成31年)3月までは伊東港からの定期航路もあった[18]

島内にヘリポートがあり、ヘリコプターのチャーターも可能。東京ヘリポートから初島まで約30分。料金は1機(3名まで)で20万円弱[19]

島内道路のほとんどが舗装されており、軽自動車を使う島民もいるが、航路がカーフェリーではないので本土から観光客が自動車を持ち込むことは不可能である。

熱海テレビ・ラジオ中継局 編集

概要 編集

中継局概要 編集

デジタルテレビ放送 編集

リモコン
キーID
放送局 物理
チャンネル
空中線
電力
ERP 放送対象地域 放送区域
内世帯数
偏波面 運用開始日
1 NHK静岡
総合
33 10W 140W 静岡県 約4万4100世帯 水平偏波 2007年9月28日
2 NHK静岡
教育
13 全国
4 SDT
静岡第一テレビ
29 静岡県
5 SATV
静岡朝日テレビ
14
6 SBS
静岡放送
15
8 SUT
テレビ静岡
17

AMラジオ放送 編集

放送局名 周波数
kHz
空中線
電力
放送対象地域 放送区域
内世帯数
運用開始日
SBS
静岡放送
1557 100W 静岡県 約-世帯 1962年9月

FMラジオ放送 編集

放送局名 周波数
MHz
空中線
電力
ERP 放送対象地域 放送区域
内世帯数
運用開始日
K-mix
静岡エフエム放送
83.0 100W 220W 静岡県 約-世帯 -
NHK静岡
FM
84.2

廃止された局の概要 編集

アナログテレビ放送 編集

チャンネル 放送局名 空中線
電力
ERP 放送対象地域 放送区域
内世帯数
偏波面 運用開始日
39[21] SDT
静岡第一テレビ
映像100W[22]/
音声25W
映像1.15kW/
音声280W
[要出典]
静岡県 約-世帯 水平偏波[要出典] 1980年
7月23日[23][24]
41[21] SATV
静岡朝日テレビ
43[21] SUT
テレビ静岡
映像1.4kW/
音声350W
[要出典]
1977年
5月20日[25]
45[21] SBS
静岡放送
映像1.15kW/
音声280W
[要出典]
1963年
12月30日[26][27]
47[21] NHK静岡
総合
映像1.45kW/
音声370W
[要出典]
49[21] NHK静岡
教育
全国

放送エリア 編集

デジタルテレビ放送 編集

  • 熱海市および伊東市の各一部、約1万4100世帯。

AM・FMラジオ放送 編集

  • 熱海市および周辺地域をカバーしている。

アナログテレビ放送 編集

  • 熱海市および伊東市の各一部地域をカバーしていた。

歴史 編集

  • 1962年9月 - 「SBS熱海ラジオ中継放送所」開局。
  • 1963年12月30日 - 「NHK熱海テレビ中継局」「SBS熱海テレビジョン中継局」開局。
  • 1977年5月20日 - 「SUT熱海テレビジョン中継放送所」開局。
  • 1980年7月23日 - 「SATV・SDT熱海テレビジョン中継放送所」開局。
  • 2007年
  • 2011年7月24日 - 正午でアナログテレビ放送が終了し、デジタルテレビ放送に完全移行した。

登場する作品 編集

文庫本
テレビ

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ 下記の与謝野晶子の紀行文を参照。
  2. ^
    行く人の稀な島へ特に船を雇つて出掛けると云ふのは、我れながら醉興なことだと思ひました。初島へ行くには土産を持つて行く慣例であると宿の番頭から聞いて居たので熱海の鹽瀬の店で、五人が出し合つて、十圓の駄菓子を大きな五つの袋に詰めて貰ひました。
    島の戸數は現在四十一戸です。以前は四十三戸であつた相です。それ以上殖やすことの出來ない不文律が昔から行はれて居て、二男以下の子女はすべて他國へ行つて職業を求めます。島の土地が其等の人口を養ひ得ないからです。土地は昔から四十餘戸へ殆ど平分されて居て、その耕作は共同的であり、相互扶助の理想が自然の必要から實現されて居ます。食料と薪炭とは米を除いて自給自足の状態を繼續して居ます。米は夏期の雨が乏しいために陸稻さへも出來ません。夏は乾燥して露さへも全く降らないと云ひます。その割に夏の氣候は非常に涼しい相です。島に醫師は一人もありませんが、死亡者は統計に由ると(之は區長さんの言葉です、)五六年に四五人しか無いと云ふことです。現在の人口は二百四十三名だと聞きました。生活は半農半漁です。女子は自家用の縞木綿を織つて居ます。私の感心した事は、村の道路から庭内の隅隅までが歐洲の田舍のやうに丸石を敷き詰めてある事と、島中の植物の手入が行屆いて、何處の土地も掃いたやうに清潔な事です。併し此島では一草一木も日常生活の功利的必要から愛護されるのである事と思ふと、狹い土地の植物が家畜と同じ待遇を受けてゐる事を氣の毒に感じます。區長さんは大きな椿を見る度に指點して「之は何斗の實を結びます」と云つて、その大切な木である事を教へてくれました。區長さんは少年の日から島中の椿の實の收穫量を樹毎に就いて暗記してゐるので。
  3. ^ 初島ダイビングセンター(シーフロント初島)
  4. ^ 2004年までイルカ猟を行っていた伊東市富戸では、近年も不定期にホエールウォッチングが行われている。
  5. ^ 初島フィッシャリーナ

出典 編集

  1. ^ 平成30年地区・月別人口及び世帯 のPDF - 、2018年12月閲覧
  2. ^ a b 静岡県離島振興計画(平成25年度~34年度) (PDF) - 静岡県企画広報部政策企画局地域政策課 、2018年12月閲覧
  3. ^ ツイート(2016年1月16日) - 伊豆半島ジオパーク推進協議会事務局 、2018年12月閲覧
  4. ^ a b c d 伊豆半島ジオパーク: 初島 - 伊豆半島ジオパーク推進協議会、2018年12月閲覧
  5. ^ ツイート(2012年3月15日) - 伊豆半島ジオパーク推進協議会事務局 、2018年12月閲覧
  6. ^ a b 初島の神話 - 初島に行こうよ
  7. ^ a b 初木神社 - 伊豆山神社
  8. ^ 初島の成り立ち・歴史 - 初島に行こうよ
  9. ^ 水産総合研究センター中央水産研究所所蔵資料
  10. ^ a b 4/1〜「PICA」のアウトドアリゾート施設名を統一します』(PDF)(プレスリリース)富士急行株式会社、株式会社ピカ、2019年4月1日https://www.fujikyu.co.jp/data/news_pdf/pdf_file2_1554458735.pdf2022年5月11日閲覧 
  11. ^ 初島海洋資料館が3月末で閉館 財政事情で36年の歴史に幕 ― 熱海 - 伊豆新聞 2020/4/11
  12. ^ 伊豆新聞, 2022年01月19日, 熱海沖にクジラ? 初島近海 肉眼で潮吹き確認
  13. ^ 岩瀬良一, 2017年09月11日,『単一ハイドロフォンを用いた相模湾初島沖深海底におけるマッコウクジラ鳴音の位置推定の検討』, 日本音響学会研究発表会講演論文集, 2017号
  14. ^ 茂野優太, ちょっと特別な旅を!初島のダイビングは伊豆の中でも一味違う, しげのゆうたの旅ぶろぐ
  15. ^ ダイブキッズ, 東伊豆・富戸カマイルカ・ドルフィンスイムツアー
  16. ^ a b ASCII. “Starlinkをバックホール回線に使うau基地局を、熱海近くの初島で見た”. ASCII.jp. 2023年2月4日閲覧。
  17. ^ 大坪玲央 (2022年12月1日). “KDDI、衛星通信スターリンクの運用開始 熱海の離島・初島で”. 産経新聞. 2022年12月2日閲覧。
  18. ^ 伊東航路の運航終了について - 初島に行こうよ、2019年1月24日閲覧
  19. ^ フライト料金一覧 - AIROS、2018年12月閲覧
  20. ^ 民間放送30年史編纂委員会/編 『民間放送30年史』 日本民間放送連盟、1981年、381頁。
  21. ^ a b c d e f NHK静岡放送局受信チャンネル(2002年8月10日現在のアーカイブ)オリジナルURL
  22. ^ 放送用周波数使用計画(総務省 2009年7月22日現在のアーカイブ)
  23. ^ 静岡第一テレビ社史編纂室 編纂『静岡第一テレビ十年史』静岡第一テレビ、1991年、279頁。 
  24. ^ 二十年史編集事務局 編『明日へ翔ぶ : 静岡朝日テレビ二十年史』静岡朝日テレビ、1998年、328頁。 
  25. ^ テレビ静岡社史編纂委員会/編『テレビ静岡二十年の歩み』テレビ静岡、1988年、301頁。 
  26. ^ 日本放送協会 編『NHK年鑑'64』日本放送出版協会、1964年、221頁。 
  27. ^ 静岡放送50年史編纂委員会/編『静岡放送50年史』静岡放送、2002年、256頁。 
  28. ^ TBS『火曜ドラマ『着飾る恋には理由があって』|TBSテレビhttps://www.tbs.co.jp/kikazarukoi_tbs/2021年6月2日閲覧 

参考文献 編集

  • 内田寛一『初島の経済地理に関する研究』中興館、1934年。ASIN B000JARDME 

関連項目 編集

外部リンク 編集