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地理編集

東京都渋谷区の南西部、渋谷駅南西の丘陵地に位置しており、広義の渋谷エリアの一部である[4]。道としての道玄坂の南側に当たる。北側は町名としての区内道玄坂と、玉川通り(国道246号)を境界に同神泉町に向き合う。東部は同桜丘町、南部は同鉢山町鶯谷町に隣り合う。西部は、旧山手通りを境界として目黒区青葉台に接する。

明治半ば頃から「南平台」という地名が用いられていたが、1932年昭和7年)「南平台」に改称した[5]。近年はマンションなど集合住宅が多数建設され、大企業が所有して研修施設などとしている地所もみられる。また、幹線道路沿いや渋谷駅寄りの地域にはオフィスビルも多い。

地価編集

住宅地の地価は、2017年平成29年)の公示地価によれば、南平台町19-18の地点で144万円/m2となっている[6]

歴史・人物編集

明治半ば以降から邸宅街として発展した。外交官内田定槌洋館は、現在、重要文化財として横浜の山手イタリア山庭園に移築保存されている[5]。また、終戦時に共に自刃した陸相阿南惟幾の陸相官邸[5]と海軍軍令部次長大西瀧治郎の次長官舎(官邸)が、共にセルリアンタワー南西側の現在の東京急行電鉄本社の地にあった。

さらに、内閣総理大臣を務めた岸信介三木武夫の私邸があった。前者は1940年代にこの地に居住し、60年安保闘争の際にデモ隊に包囲される騒ぎとなった。後者は現存しており、かつては三木武夫記念館として一般公開されていたが、2012年(平成24年)4月末をもって閉館した。

また岸信介邸の隣には統一教会本部があり、相互に交流があったとされている[7][8]

文化人では、かつて住んでいた映画監督市川崑が映画関係者から「南平台」と呼ばれており、旧宅が「市川崑記念室」となっている[9]。また、山階鳥類研究所が1932年(昭和7年)から1984年(昭和59年)までこの地にあった。

世帯数と人口編集

2017年(平成29年)12月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]

町丁 世帯数 人口
南平台町 1,029世帯 1,936人

小・中学校の学区編集

区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[10]

番地 小学校 中学校 調整区域による変更可能校
全域 渋谷区立神南小学校 渋谷区立松濤中学校 渋谷区立猿楽小学校
渋谷区立鉢山中学校

交通編集

地域内に鉄道駅はないが、渋谷駅代官山駅神泉駅池尻大橋駅が徒歩圏内にある。

町内にはハチ公バス東急トランセが運行する代官山循環のバス停があるほか、至近の道玄坂上バス停は東急バスの多数路線が発着する。

施設編集

関連項目編集

脚注編集

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  1. ^ a b 住民基本台帳・外国人登録による人口”. 渋谷区 (2017年12月1日). 2017年12月22日閲覧。
  2. ^ 郵便番号”. 日本郵便. 2019年8月30日閲覧。
  3. ^ 市外局番の一覧”. 総務省. 2017年12月22日閲覧。
  4. ^ 例えば、東急不動産は渋谷再開発の一環として地上21階建オフィスビル「渋谷ソラスタ (旧呼称:(仮称)南平台プロジェクト)」(地番上は道玄坂1丁目)を建設中である。「渋谷再開発IoT駆使/東急不、相次ぎ複合ビル」[1]『日本経済新聞』朝刊2018年3月8日(東京・首都圏経済面)。
  5. ^ a b c BUNKA|AREA 南平台エリア 渋谷文化project 2009年
  6. ^ 国土交通省地価公示・都道府県地価調査
  7. ^ 久保木修己『愛天愛国愛人 ─母性国家、日本のゆくえ─』 世界日報社, 1996年 pp.107-112
  8. ^ 南平台町に、かつて女優高峰三枝子と在日韓国人の夫との私邸があり、その邸宅を、高峰邸隣に居住する岸信介が総理大臣私邸兼迎賓館として借受けた。岸の退陣後1964年に統一教会が岸信介と入れ替わりで入居したが、翌1965年に現在の松濤に転居した。
  9. ^ 市川崑記念室(2018年3月14日閲覧)
  10. ^ 通学区域”. 渋谷区. 2017年12月22日閲覧。

外部リンク編集