道玄坂
道玄坂(どうげんざか)は、東京都渋谷区にある町名。その由来となった坂、渋谷駅ハチ公口前から目黒方面へ向かう上り坂の名称[5]でもあり、命名はこの坂に出没して山賊野盗のふるまいをしたという和田義盛の残党、大和田太郎道玄に因む[注釈 1]、もしくは道玄庵という寺の庵主が、徳川家康に由緒書を出したことに因む[注釈 2]とされる[5]。
道玄坂 | |
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町丁 | |
道玄坂(2008年12月) | |
北緯35度39分34秒 東経139度41分53秒 / 北緯35.659358度 東経139.698186度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 東京 |
特別区 | 渋谷区 |
地域 | 渋谷地域 |
人口情報(2023年(令和5年)1月1日現在[1]) | |
人口 | 561 人 |
世帯数 | 456 世帯 |
面積([2]) | |
0.221329193 km² | |
人口密度 | 2534.69 人/km² |
郵便番号 | 150-0043[3] |
市外局番 | 03(東京MA)[4] |
ナンバープレート | 品川 |
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概要
編集渋谷駅西側の丘陵部に位置する繁華街である。
町名
編集南から北へ道玄坂一丁目および二丁目がある。地区としては、北に宇田川町、東にJR渋谷駅、南に桜丘町、南平台町、西に円山町に接する。
地区の大部分を緩やかな傾斜地が占め、おおむね東の渋谷川方向に下る傾向がある。1970年代半ば頃までは多くの民家が店舗などと共に混在する地域だったが、その後は店舗系の商業地がほとんどを占める反面で近年は業務系のフロアが多くを占めるビルも目立つ。
道玄坂のうち、東急百貨店本店の建つ地点と、道玄坂上・道玄坂上交番前・南平台交差点の3点で囲まれる区域を除いた区域は、2019年6月20日から施行された渋谷駅周辺地域の安全で安心な環境の確保に関する条例の「渋谷駅周辺地域」と「区規則で定める区域」に定められており、ハロウィン当日とその直前の週末、年末年始は路上等の公共の場での飲酒が禁止される。
坂
編集坂道としての道玄坂はかつての住所で渋谷区上通3丁目に位置し、宮益坂のふもとから続いて西に上っている[7]。上は玉川通りの道玄坂上交差点から、下は渋谷駅前までである。一時期は玉電が坂の中腹から道玄坂上までを走り、現在では玉電の代替とした新玉川線が名称変更した東急田園都市線が坂の地下を通過している。名称は、「道元坂」、「道源坂」と表記されることもあった[7]。
道玄坂は、谷底である渋谷川を挟んで宮益坂(富士見坂)と対面しており、江戸時代に著された『江戸町づくし』には、「行人坂」としても紹介されている[8]。
現在の地理では坂下にはターミナルである渋谷駅があり、坂の沿道には109など東急系の大型店舗・施設を中心に飲食店や雑居ビル、映画館などが多く立ち並んでいる。通りから文化村通りへつながる道玄坂小路や百軒店には風俗店や飲食店、交番前交差点から円山町と接してBunkamura方面につながる「ランブリングストリート」沿いにはライブハウスやラブホテルが密集する地域もあり、狭い範囲ながらも多様性のある地域である。
歴史
編集道玄坂の由来
編集「道玄坂」の名の由来は諸説あり、鎌倉時代前半まで勢力を持っていた和田氏の一族、または高座・渋谷氏(相模渋谷氏)の子孫だとされ、山賊として暮らしていた道玄という人物に由来するという説や、道玄が結んだ庵(いおり)かどうか不明ではあるものの、坂に道玄庵とよばれる庵があったからとも伝えられる[9]。
鎌倉時代に勢力を振るっていた和田義盛が、北条氏によって一族もろとも滅ぼされた後、和田氏の一族の大和田道玄は数人の一族とともに、現在の道玄坂の坂の上で旅人を見つけては山賊となって、衣類や金品を奪って暮らしていたと言われている[9]。
また、道玄については、相模国の高座郡(現・大和市と綾瀬市付近)に住んでいた高座・渋谷氏の残党という説もある。渋谷氏は、桓武平氏の子孫である秩父武綱を祖とする秩父氏から分派した一族で、鎌倉時代に高座・渋谷氏が滅亡して、その残党が現在の渋谷一帯を領有していた武蔵・渋谷氏を頼って渋谷付近に住みつき、その子孫の一人が道玄で、山賊をしていたと言われている[9]。
道玄坂について、江戸時代末期に著された地誌 『江戸名所図会』には、次のような記載がある。
- 「道玄あるいは道元に作る。里諺に云、大和田氏道玄は和田義盛が一族なり。建暦三年(1213年)五月和田一族滅亡す。其の残党此所の窟中に隠れ住て、山賊を業とす。故に道玄坂というなり」[6]
- 「或人云。道玄は沙門にして、此地に昔一宇の寺院ありて道玄寺と称したり。故に坂の名に呼び来れるともいひて、一ならず」[10]
道玄坂地区沿革
編集- 1932年(昭和7年)
- 1933年(昭和8年)
- 1943年(昭和18年)
- 1964年(昭和39年)
- 1965年(昭和40年)
- 1967年(昭和42年)
- 11月1日 - 東急百貨店本店が開店(現在の道玄坂2丁目)
- 1969年(昭和44年)
- 1970年(昭和45年)
- 1977年(昭和52年)
- 1978年(昭和53年)
- 8月1日 - 地下鉄半蔵門線が開通
- 1979年(昭和54年)
- 4月28日 - ファッションコミュニティー109(後のSHIBUYA 109)が開業(道玄坂2丁目)
- 2000年(平成12年)
- 2019年(令和元年)
治安の維持に向けた取り組み
編集2012年(平成24年)、東京都は道玄坂一丁目、二丁目を含む渋谷の繁華街一帯を公衆に著しく迷惑をかける暴力的不良行為等の防止に関する条例に基づき、客引きやスカウト、それらを行うために待機する行為などを禁止する区域に指定した[13]。
2019年(令和元年)10月1日、東京都は道玄坂一丁目、二丁目を含む渋谷の繁華街一帯を暴力団排除条例に基づき暴力団排除特別強化地域に指定[14]。強化地域内では暴力団員との間でみかじめ料のやりとりや便宜供与などが禁止され、違反者は支払った側であっても懲役1年以下または罰金50万円以下の罰則が科されることとなった[15]。
2024年に警視庁が取りまとめた『令和5年区市町村の町丁別、罪種別及び手口別認知件数』では、道玄坂二丁目で2023年に発生した犯罪認知件数は259件とされており、東京23区の中で12番目に多い町とされている[16]。
町名の変遷
編集実施後 | 実施年月日 | 実施前(各町名ともその一部) |
---|---|---|
道玄坂一丁目 | 1970年(昭和45年)1月1日 | 大和田町、上通三丁目、上通四丁目、南平台町、桜丘町 |
道玄坂二丁目 | 上通三丁目、円山町、大和田町、栄通一丁目 |
世帯数と人口
編集2023年(令和5年)1月1日現在(東京都発表)の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
丁目 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
道玄坂一丁目 | 143世帯 | 193人 |
道玄坂二丁目 | 313世帯 | 368人 |
計 | 456世帯 | 561人 |
人口の変遷
編集国勢調査による人口の推移。
年 | 人口 |
---|---|
1995年(平成7年)[17] | 661
|
2000年(平成12年)[18] | 516
|
2005年(平成17年)[19] | 538
|
2010年(平成22年)[20] | 578
|
2015年(平成27年)[21] | 598
|
2020年(令和2年)[22] | 485
|
世帯数の変遷
編集国勢調査による世帯数の推移。
年 | 世帯数 |
---|---|
1995年(平成7年)[17] | 386
|
2000年(平成12年)[18] | 322
|
2005年(平成17年)[19] | 391
|
2010年(平成22年)[20] | 446
|
2015年(平成27年)[21] | 513
|
2020年(令和2年)[22] | 424
|
学区
編集区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる(2023年3月時点)[23]。
丁目 | 番地 | 小学校 | 中学校 | 調整区域による変更可能校 |
---|---|---|---|---|
道玄坂一丁目 | 全域 | 渋谷区立神南小学校 | 渋谷区立松濤中学校 | 渋谷区立猿楽小学校 |
道玄坂二丁目 | 1~10番 11番1~3号 16番、28番 | |||
その他 |
交通
編集鉄道
編集バス
編集- 都営バス
- 早81系統 渋谷駅東口行
- 池86系統 渋谷駅東口行
- 東急バス
- 小田急バス
- 渋26系統 渋谷駅行、調布駅南口行
- 小田急バス、東急トランセ
- 渋24系統 渋谷駅行、成城学園前駅西口行
- フジエクスプレス
- ハチ公バス渋1系統 渋谷駅ハチ公口行
道路
編集事業所
編集2021年(令和3年)現在の経済センサス調査による事業所数と従業員数は以下の通りである[24]。
丁目 | 事業所数 | 従業員数 |
---|---|---|
道玄坂一丁目 | 995事業所 | 24,460人 |
道玄坂二丁目 | 1,230事業所 | 18,457人 |
計 | 2,225事業所 | 42,917人 |
事業者数の変遷
編集経済センサスによる事業所数の推移。
年 | 事業者数 |
---|---|
2016年(平成28年)[25] | 2,109
|
2021年(令和3年)[24] | 2,225
|
従業員数の変遷
編集経済センサスによる従業員数の推移。
年 | 従業員数 |
---|---|
2016年(平成28年)[25] | 37,137
|
2021年(令和3年)[24] | 42,917
|
施設
編集- 渋谷中央街郵便局
- 渋谷道玄坂郵便局
- ハチ公前献血ルーム
- Bunkamura
- SHIBUYA 109
- 渋谷マークシティ
- ヤマダデンキLABI渋谷
- 渋谷ソラスタ
- 渋谷フクラス
- ハチ公像
- モヤイ像
- Shibuya O-EAST
旧跡
編集道玄坂を舞台にした作品
編集- 文学
- 『怪人二十面相』江戸川乱歩 - 二十面相の隠れ家が道玄坂にあった。
- 『幻魔大戦』平井和正 - 主人公東丈の主催するGENKENの所在地が道玄坂。
- 『悪霊シリーズ』小野不由美 - 主人公谷山麻衣のバイト先、「SPR(渋谷サイキックリサーチ)」の所在地が道玄坂。
- 『みみずのたはこと(水汲み)』徳冨蘆花「余り腕が痛いので、東京に出たついでに、渋谷の道玄坂で天秤棒を買つて帰つた。」
- 『九月十月十一月』太宰治「銀座通りといふ賑やかな美しいまちがある。堂々のデパアトもある。道玄坂歩いてゐる気持である。」
- 『文学的自叙伝』林芙美子「三、四ヶ月で馘(くび)になり、私は両親と一緒に神楽坂だの道玄坂だのに雑貨の夜店を出すに至りました。」
- 『青服の男』甲賀三郎「暖くなった春の宵、望月刑事は別の事件で上京して、渋谷の道玄坂の通りを歩いていた。」
- 『堕落論』坂口安吾「道玄坂では、坂の中途にどうやら爆撃のものではなく自動車にひき殺されたと思われる死体が倒れており、一枚のトタンがかぶせてある。」
- 『武蔵野』国木田独歩「僕が考えには武蔵野の詩趣を描くにはかならずこの町外れを一の題目とせねばならぬと思う。たとえば君が住まわれた渋谷の道玄坂の近傍、目黒の行人坂、また君と僕と散歩したことの多い早稲田の鬼子母神あたりの町、新宿、白金……」
- 『砂がき』竹久夢二「夜も昼も道玄坂をすさまじい響をたてゝ下つていつた陸軍の軍用タンクの自動車は、私の頭に異常な不安を殘したと見えて、いつでも夜ふけてあの響を聞くと、實に荒唐無稽な恐怖におそはれる。」
- 『綺堂むかし語り(箙の梅)』岡本綺堂「渋谷の道玄坂辺は大変な繁昌で、どうして、どうして、この辺どころじゃありませんよ」
- 『晶子詩篇全集(街に住みて)』与謝野晶子「かかる時、たとへば渋谷の道玄坂の如(ごと)く、突きあたりて曲る、行手の見えざる広き坂を、今結びし藁鞋の紐の切目すがすがしく、男も女も脚絆して足早に上(のぼ)りゆく旅姿こそをかしからめ。」
- 『海野十三敗戦日記』海野十三「通りより道玄坂の右側を通りて下りる。戦災の焼あとに店続々と出来てものすごき勢いなり。」
- 『東京人の堕落時代』夢野久作「東京はこんな風に、大人の享楽主義の天国であるように、少年少女の花の都である。牛込の神楽坂、渋谷の道玄坂、神田の神保町付近、本郷の湯島天神あたりの夜は、今でもそんな気分の「淀み」を作っている。」
- 『海豚と河豚』佐藤垢石「これ(鯨肉)を友達数人と、道玄坂のさる割烹店へ提げ込んだが、ここでは残念なことに、船で食べたような調理の旨味をだしてくれなかったのである。」
- 音楽
- 「雨ふり道玄坂」ふきのとう - 1976年(昭和51年)に発表された、道玄坂を舞台に失恋した女性の心境を歌った楽曲。
- 「恋の道玄坂」並木路子 - 道玄坂を舞台に、1986年(昭和61年)にコロムビアから発表された楽曲。
- 「東京の冬」コブクロ - 「道玄坂の雑踏」という歌詞が登場する。アルバム『MUSIC MAN SHIP』(2004年11月3日発売、WPCL-10137)に収録。
- 「道玄坂で見た景色」BEGIN - 道玄坂に実在するライブハウス“B.Y.G”で録音されたアルバム『MUSIC FROM B.Y.G』(2002年3月21日発売、TECN-30740)に収録。
- 「two of us」CHAGE and ASKA - 道玄坂のマンションや街中を舞台にした失恋の歌。ASKAは「CHAGEの至上最高作品」と評価している。アルバム『NO DOUBT』(1999年8月25日発売、YCCR-00003)に収録。
- 「109(マルキュー)」AKB48 - 歌詞の中に道玄坂らしき坂を上る歌詞がある。
- 「道玄坂ネオンアパート」亜沙 - 重音テトの楽曲。道玄坂や渋谷センター街を舞台にした、素っ気ない彼氏を誘惑したい女の心情を詠んだ歌。
ギャラリー
編集-
道玄坂の途中から駅方向を見る
-
道玄坂小路と百軒店を結ぶ階段状の道
その他
編集日本郵便
編集脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ a b “住民基本台帳による東京都の世帯と人口(町丁別・年齢別) 令和5年1月” (CSV). 東京都 (2023年4月6日). 2023年12月17日閲覧。 “(ファイル元のページ)”(CC-BY-4.0)
- ^ “『国勢調査町丁・字等別境界データセット』(CODH作成)”. CODH. 2024年1月20日閲覧。(CC-BY-4.0)
- ^ a b “道玄坂の郵便番号”. 日本郵便. 2023年11月17日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2019年6月24日閲覧。
- ^ a b 通りの名前 渋谷区ウェブサイト、平成23年4月17日閲覧
- ^ a b 江戸名所図会 1927, p. 182.
- ^ a b 「道玄坂」 横関英一 『江戸の坂 東京の坂(全)』 筑摩書房 平成22年11月10日発行
- ^ 「渋谷の行人坂」 横関英一 『江戸の坂 東京の坂(全)』 筑摩書房 平成22年11月10日発行
- ^ a b c ロム・インターナショナル(編) 2005, pp. 110–111.
- ^ 江戸名所図会 1927, p. 183.
- ^ 同年2月2日、自治省告示第22号「住居表示が実施された件」
- ^ 同年7月25日、郵政省告示第653号「郵便局を改称する件」
- ^ “客引き等の相手方となるべき者を待つ行為を規制する区域の指定について”. 警視庁ホームページ (2016年3月11日). 2022年8月27日閲覧。
- ^ “暴力団排除特別強化地域”. 警視庁ホームページ (2019年). 2022年8月27日閲覧。
- ^ “東京都暴力団排除条例”. 東京都ホームページ (2019年). 2022年8月27日閲覧。
- ^ “東京23区「治安が悪い街」ランキング〈ワースト100〉をすべてみる”. 資産形成ゴールドライン (2024年5月22日). 2024年8月20日閲覧。
- ^ a b “平成7年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年3月28日). 2019年8月16日閲覧。
- ^ a b “平成12年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年5月30日). 2019年8月16日閲覧。
- ^ a b “平成17年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年6月27日). 2019年8月16日閲覧。
- ^ a b “平成22年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2012年1月20日). 2019年8月16日閲覧。
- ^ a b “平成27年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2017年1月27日). 2019年8月16日閲覧。
- ^ a b “令和2年国勢調査の調査結果(e-Stat) -男女別人口,外国人人口及び世帯数-町丁・字等”. 総務省統計局 (2022年2月10日). 2022年2月20日閲覧。
- ^ “住所別通学区域一覧”. 渋谷区. 2024年1月20日閲覧。
- ^ a b c “経済センサス‐活動調査 / 令和3年経済センサス‐活動調査 / 事業所に関する集計 産業横断的集計 事業所数、従業者数(町丁・大字別結果)”. 総務省統計局 (2023年6月27日). 2023年9月15日閲覧。
- ^ a b “経済センサス‐活動調査 / 平成28年経済センサス‐活動調査 / 事業所に関する集計 産業横断的集計 都道府県別結果”. 総務省統計局 (2018年6月28日). 2019年10月23日閲覧。
- ^ “郵便番号簿 2022年度版” (PDF). 日本郵便. 2023年10月28日閲覧。
参考文献
編集- ロム・インターナショナル(編)『道路地図 びっくり!博学知識』河出書房新社〈KAWADE夢文庫〉、2005年2月1日。ISBN 4-309-49566-4。
- 斎藤長秋 編「巻之三 天璣之部 道玄坂」『江戸名所図会』 2巻、有朋堂書店〈有朋堂文庫〉、1927年、179-183頁。NDLJP:1174144/94。