四宮信隆
四宮 信隆(しのみや のぶたか、1950年3月29日 - )は、日本の外交官。2010年(平成22年)11月から2013年(平成25年)10月まで、ポルトガル駐箚特命全権大使[1]。
四宮 信隆 しのみや のぶたか Nobutaka SHINOMIYA | |
---|---|
生誕 |
1950年3月29日(74歳) 神奈川県 |
職業 | 外交官 |
公式サイト | 在ポルトガル共和国日本国大使館 |
2010年8月まで、駐ドミニカ共和国(ハイチ兼轄)日本国特命全権大使。2010年1月のハイチ地震発生後、日本政府の緊急調査チームの団長として、現地入りする[2][3][4]。四宮は「復興に向けて各国の得意分野を生かし、重複しないような支援が必要であり、日本は医療や教育といったソフト面を担当していくべきだ」と述べている[5]。
経歴
編集- 東京都出身。
- 1973年8月 外務公務員採用上級試験合格
- 1974年3月 慶應義塾大学経済学部卒業。
- 1974年4月 外務省入省
- 1975年~77年 フランス語研修(仏Dijon大学)
- 1981年5月 大臣官房儀典官室首席事務官
- 1983年7月 在スペイン日本国大使館一等書記官
- 1985年11月 在イラン日本国大使館一等書記官
- 1989年2月 領事移住部領事移住政策課首席事務官
- 1990年3月 大臣官房総務課企画官
- 1990年4月 沖縄県総務部知事公室参事
- 1992年7月 文化交流部文化第二課長
- 1994年2月 中近東アフリカ局アフリカ第一課長
- 1996年1月 在サウジアラビア日本国大使館公使
- 1998年1月 在イタリア共和国日本国大使館公使
- 1999年7月 マルセイユ日本国総領事
- 2002年8月 法務省大臣官房審議官(入国管理局担当)
- 2004年8月 モントリオール日本国総領事
- 2007年3月 特命全権大使 ドミニカ共和国駐箚(兼ハイチ共和国)
- 2010年8月 特命全権大使 ポルトガル共和国駐箚
- 2013年12月 綜合警備保障株式会社顧問
- 2014年6月 日本ポルトガル協会会長[6]
同期
編集- 佐々江賢一郎(12年駐米大使・10年外務事務次官・08年政務担当外務審議官)
- 林景一(11年駐英大使・08年内閣官房副長官補・08年駐アイルランド大使)
- 小田部陽一(11年ジュネーブ国際機関政府代表部大使・08年経済担当外務審議官)
- 吉川元偉(13年国連大使・10年OECD大使・09年アフガニスタン・パキスタン支援担当大使・06年駐スペイン大使)
- 高松明(11年駐スロバキア大使・科学技術振興機構理事・06年駐キューバ大使)
- 石田仁宏(08年駐アルゼンチン大使・05年駐ペルー大使・72年語学研修員採用、74年外務省公務員採用上級試験に合格して再入省)
- 原田親仁(16年日露関係担当大使・11年駐露大使・08年駐チェコ大使)
- 目賀田周一郎(11年駐メキシコ大使・08年駐ペルー大使)
- 卜部敏直(11年駐フィリピン大使・07年駐アイルランド大使)
- 遠藤茂(09年駐サウジアラビア大使・07年駐チュニジア大使)
- 多賀敏行(12年駐ラトビア大使・09年駐チュニジア大使)
- 斉藤隆志(10年駐ミャンマー大使・06年駐セネガル大使)
- 城田安紀夫(10年駐ノルウェー大使・07年駐イラン大使・04年イラク復興支援等調整担当大使・01年駐カタール大使)
- 山本忠通(12年駐ハンガリー大使・10年アフガニスタン・パキスタン支援担当大使・08年ユネスコ日本政府代表部大使)
- 山中誠(11年駐ポーランド大使・10年科学技術担当大使・07年駐シンガポール大使)
- 佐藤重和(12年駐タイ王国大使・10年駐オーストラリア大使)
- 中根猛(12年駐独大使・09年ウィーン国際機関代表部大使)
- 黒木雅文(13年駐セルビア大使・09年駐カンボジア大使)
- 西ヶ廣渉(14年宮内庁宮務主管・12年駐ルクセンブルク大使・09年駐リビア大使)
- 吉澤裕(12年駐南アフリカ共和国大使・08年駐フィジー大使)
- 貞岡義幸(10年駐パラオ大使)
- 寒川富士夫(10年駐マラウイ大使)
- 沼田幹男(12年駐ミャンマー大使・11年外務省領事局長)
- 白石和子(12年駐リトアニア大使)
- 高橋二雄(13年駐アゼルバイジャン大使)
- 小池孝行(13年駐キルギス大使)
- 中北徹(07年アジア・ゲートウェイ戦略会議座長代理)
脚注
編集外部リンク
編集- 四宮信隆大使(在ポルトガル日本国大使館ホームページ)
|
|
|