宮脇 健(みやわき けん、1961年6月13日 - )は、日本俳優。旧芸名および本名は宮脇 康之(みやわき やすゆき)。子役時代は劇団日本児童に所属し、「ケンちゃん」としてお茶の間の人気者だった。

みやわき けん
宮脇 健
本名 宮脇 康之
生年月日 (1961-06-13) 1961年6月13日(63歳)
出生地 日本の旗 日本東京都の旗 東京
身長 161cm[1]
職業 俳優
ジャンル 映画テレビドラマ
活動期間 1964年 -
配偶者 あり
事務所 元氣プロジェクト
公式サイト 公式サイト
主な作品
ケンちゃんシリーズ
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東京都出身。元氣プロジェクト所属。元所属事務所は、劇団日本児童、劇団若草[1]麗タレントプロモーション芸能部。堀越高等学校卒業[1]

来歴

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1964年山田洋次監督の映画『運がよけりゃ』で倍賞千恵子の子供役で芸能界にデビューした[1]1966年、NHKドラマ『おはなはん』でおはなはんの子供役でTVデビューする[1]

1967年テレビドラマ『チャコねえちゃん』(四方晴美主演)に出演。以後1976年の『フルーツケンちゃん』までケンちゃんシリーズに10年間出演(5歳 - 15歳まで[1])。人気子役となった。しかし、テレビでの活躍とは裏腹に家庭の崩壊、兄の自殺未遂、そして保証人になったことによる4億円の借金と[2]、苦難に満ちた人生を送る。

1977年頃、ジャニーズ事務所の合宿所にも出入りしていた。

1980年、テレビドラマで共演した三原順子(現・三原じゅん子)との交際が芸能誌に報じられる。しかし、その後は芸能界から干される状態となる。

20歳までお笑い芸人グループのチャンバラトリオ運転手をしたり、交通量を計測するアルバイトをしていた[2]

1982年、子役からの脱却を目的ににっかつロマンポルノ(本)噂のストリッパー』に出演。雑誌では、「犯し屋ケンちゃん」と揶揄されることになる[3]1984年マハラジャで黒服をやりながら結城哲也(現・ゆうき哲也)に弟子入りする(その際、吉本新喜劇にも出演)。1986年頃、マハラジャを退職し、東京でさまざまな職を転々する(墓地関係の営業など)[4]

1989年沖縄地上げ屋に従事する傍ら、ローカルタレントとしての活動を行う。

1993年頃、東京で再びさまざまな職を転々とする。

1996年に結婚。1997年、子役時代の家庭崩壊などの内情を綴った『名子役の虚構 ケンちゃんの真実』を出版し話題となる。この頃はガス検針の仕事をする。

1990年代末頃から2000年代初頭、「あの人は今!?」といった企画の常連となり、芸能界復帰への意欲を語り、『ケンちゃんシリーズ』をリアルタイムで知らない世代からも知名度を得る。2000年、占い番組において占い師から名前を「宮脇康之」から「宮脇健」に変えた方がいいとアドバイスされて芸名を「宮脇健」に変更。

2004年1月、自叙伝『ケンちゃんの101回信じてよかった』(講談社)を発表。現在は2001年から始めた還元水生成器ビジネスで成功を収め、その後はバッテリーのリサイクル事業も行ないながら講演活動で全国をまわる傍ら、芸能活動と並行して活躍している。

人物

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エピソード

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  • 妻は宮脇の借金も知ったうえで「一緒に返していこう」と結婚してくれて、感謝しかないという。借金は完済している[2]
  • 幼少期に家族写真がなかったため、結婚後は家族写真をたくさん撮っている[2]

出演作品

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テレビドラマ

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映画

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オリジナルビデオ

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テレビアニメ

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バラエティ(ゲスト含む)

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ラジオ番組

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著書・参考文献

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  • 『名子役の虚構 ケンちゃんの真実』バラス、1997年 - ISBN 9784842203287
  • 『ケンちゃんの101回信じてよかった』講談社、2004年 - ISBN 406212226X

ディスコグラフィー

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シングル

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  • ジャンケン・ケンちゃん(1969年、東芝音楽工業) - B面は宇野ゆう子「さよなら また あした」
  • すし屋のケンちゃん/ないしょだよ(1971年、東芝音楽工業)
  • ケーキ屋ケンちゃん/さみしいな(1972年、東芝音楽工業)
  • おもちゃ屋ケンちゃん/ケンちゃんと遊ぼう(1973年、CBS・ソニー)
  • きみはマリちゃん/勇気と夢を(1973年、日本コロムビア)
  • おそば屋ケンちゃん(1975年、日本コロムビア) - B面は岡浩也「きょうだいって いいな」
  • フルーツケンちゃん(1976年、ポリドール) - B面は岡浩也「はしゃぎっこいじめっこ」
  • 坂の道(三洋金属イメージソング)/Dear Friend(2010年9月)

アルバム

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  • ケンとチャコの東京恋物語(ラヴ・ストーリー)(1994年10月21日、日本クラウン)
  • ケンちゃんの主題歌コレクション(2006年9月23日、ウルトラ・ヴァイヴ)

自叙伝でケンちゃん役についての言及

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自叙伝で宮脇は次のように述べている。

「ドラマの中では、宮脇康之でいることは許されなかった。ケンちゃんにならなければならず、必ず半ズボンを穿いていなければならなかった。6年生にもなったら、半ズボンがたまらなく嫌になり、やめさせてくれなければ役を下りるとプロデューサーに申し入れたら、聞き入れてくれたが、その代わりケンちゃん役からは下ろされ、たまに登場するだけの中学生のお兄さん役に回された。」

実際『ケンにいちゃん』以降の作品では、主人公の「ケンちゃん」が宮脇演じる「ケンイチ」ではなく岡浩也演じる「ケンジ」であり、「ケンイチ」は「ケンにいちゃん」となり、脇役的な役回りになっている。ただし、これは宮脇自身の理由によるものではなく「小学生をターゲットとした同番組の主人公として宮脇が成長し過ぎて、小学生の感情移入対象では無理な年齢になったための措置である」と番組関係者は語っている(朝日放送驚きももの木20世紀』堕ちた天使 子役のそれから… ケンちゃんの三十七年)。

『ケンちゃんの101回信じてよかった』では、自身が大人の俳優となれなかった主因を、高校生のとき俳優になるための勉強を怠り大金を使って遊んでいたためと、自らの責任としている。しかし、一方では1980年代におけるTBSなどの扱いに関する不満(1982年以降、テレビ局に行っても仕事の話をしようともしなかったこと)も述べている。

ケンちゃん役を降板した後3年ほどは大いに仕事があったが、その後は仕事はほとんどなくなった。原因の一つは三原じゅん子との熱愛疑惑とされる(自叙伝『ケンちゃんの101回信じてよかった』より)。

関連項目

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脚注

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  1. ^ a b c d e f g h タレント 宮脇 健”. 元氣プロジェクト. 2023年11月17日閲覧。
  2. ^ a b c d e 『チャコとケンちゃん』対談「宮脇健」全盛時の年収は1億円”. FLASH. 光文社 (2018年1月1日). 2023年11月17日閲覧。
  3. ^ 週刊明星1982年7月22日号(No.30)33頁
  4. ^ 『ケンちゃんの101回信じてよかった』[要ページ番号]
  5. ^ 大恐竜時代”. メディア芸術データベース. 2016年10月30日閲覧。

外部リンク

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