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寺越 友枝(てらこし ともえ、1931年 - )は、1963年(昭和38年)5月に行方不明になり、1987年(昭和62年)1月に北朝鮮で生存が判明した寺越武志の母親。

概要編集

寺越武志の生存が判明した1987年1月以降、当初は数年に1度、その後年に数回の割合で頻繁に訪朝していたが、万景峰号の日本入港が禁止されたことによる渡航費の増加に苦しんでいる。2009年1月の訪朝で50回、2018年4月の訪朝で66回に達した。66回目の訪朝は、健康問題によって13年4月以来5年ぶりであった。北朝鮮への旅費は清掃員として得た給金などを充てている[1]

周囲の人からは「度々訪朝することで北朝鮮の外貨獲得に貢献している」、「北朝鮮に洗脳された」などと陰口をたたかれた。しかし友枝は「北朝鮮に媚びているのではなく、これまでできなかった親らしいことを、今しているだけです」と反論している。拉致被害者家族会に参加していたが、武志本人が拉致を否定したため会の活動から離れた。

家族編集

夫の寺越太左エ門(1921年生まれ)は武志と再会した後、2001年7月に訪朝した際そのまま北朝鮮に留まり、平壌市内で武志一家と生活していたが、2008年1月、平壌市の武志宅にて86歳で死去した。

著書編集

  • 『生き別れて37年 北朝鮮にいる息子よわが胸に帰れ』徳間書店,2000年

脚注編集

  1. ^ 寺越友枝さん「息子を守るためにオルガン、サバ缶も北朝鮮へ…」” (日本語). WEB女性自身 (2018年8月26日). 2019年1月3日閲覧。

関連項目編集