平山トンネル(ひらやまトンネル)は、岐阜県郡上市東海北陸自動車道にある道路トンネルぎふ大和IC - 白鳥IC間に位置する[2]

平山トンネル
概要
位置 岐阜県の旗 岐阜県
現況 供用中
所属路線名 E41 東海北陸自動車道
起点 岐阜県郡上市
終点 岐阜県郡上市
運用
所有 中日本高速道路株式会社
通行対象 自動車
技術情報
全長 (上り線)1,395.5 m[1]
(下り線)1,413 m[1]
道路車線数 (上り線)2車線
(下り線)2車線
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概要 編集

1997年平成9年)11月10日郡上八幡IC - (ぎふ大和IC) - 白鳥IC間が開通し[3]、同時に供用を開始した。

開通当時は現在の下り線トンネルを利用した対面通行(暫定2車線)で供用されていたが、2004年に発生した後述の正面衝突による7人死亡事故を受けて日本道路公団[注 1]岐阜工事事務所は同年11月19日に地元自治体との協議会で「翌2005年(平成17年)3月にも本トンネルの4車線化工事に着手する」と表明し[注 2][4]、2005年3月には本トンネルを含む延長1,549 mの4車線化工事を発注した[6]

公団は2005年7月14日に本トンネルを含むぎふ大和IC - 白鳥IC間の4車線化工事(総事業費:約134億円)を着工し[7]2008年(平成20年)10月16日13時から本トンネルを含むぎふ大和IC - 白鳥IC間の4車線化2期線(上り線・全長4.9 km)を1車線で供用開始した[8]。これにより、上下線が分離されたことで対面通行は解消された[8]。その後は上下の摺り付け部工事などを行い[8]2009年(平成21年)2月20日に上下4車線(片側2車線)で供用開始された[7]

トンネル長 編集

  • 上り線(一宮JCT郡上八幡IC方面) 1,395.9 m - 2009年に完成[1]。従来のトンネル(現在の下り線)から30 m東側に並行する形で掘られ[9]、2005年10月に工事を開始し[6]、約1年3か月後の2007年1月に貫通した[10]
  • 下り線(飛騨清見IC小矢部砺波JCT方面) 1,413 m - 1997年に完成[1]

平山トンネル正面衝突事故 編集

2004年(平成16年)7月27日7時25分ごろ、当時対面通行だったトンネルの北側出入口付近で[11]、北進中[12](下り車線走行中)[11]トラックが対向車線へはみ出し、南進中[12](上り車線走行中)[11]の乗用車と正面衝突する交通事故が発生した[12]。双方の車は炎上し、双方の乗員7人(トラックの乗員2人+乗用車に乗っていた同県大野郡白川村在住の一家5人)全員が死亡する大惨事となった[12]

事故原因はトラックの右前輪タイヤが走行中に破裂(バースト)したことだが、トラックは最大積載量3トン(t)に対し1.5倍となる約4.5 tの積み荷(鉄パイプなど)を積んだ過積載状態で運行していた[13]。そのため、岐阜県警察は「トラックは日常的に過積載状態で運転しており、空気圧の定期点検もしていなかったことで『スタンディングウェーブ現象』を引き起こし、事故につながった」と推測し[14]、同年10月28日には岐阜県警交通指導課高速隊業務上過失致死道路交通法違反(過積載容認など)の容疑でトラックを所有・運行させた建設資材リース会社(愛知県海部郡七宝町(現あま市))[注 3]書類送検した[注 4][13]。その後、岐阜区検察庁は道交法違反容疑のうち「過積載容認」に関しては「社長らはトラックの過積載を認識していなかった」として立件を見送ったが、残る「安全運転管理者選任義務違反」の罪などで、リース会社2社と、両社を経営していた社長を、岐阜簡易裁判所略式起訴し、岐阜簡裁は2006年(平成18年)1月10日までに被告人(会社2社・社長)に対し、罰金計20万円の略式命令を出した[17]

事故を起こしたトラックは三菱ふそうトラック・バス製造の「キャンター」だったが、三菱自動車工業・三菱ふそうによるリコール隠し問題におけるリコール対象車種ではなかった[11]

トンネル近くの陸橋には過積載禁止を掲げた垂れ幕が設置されている。

なお事故で死亡した一家の主婦(乗用車に乗っていた)は事故から2年前となる2002年(平成14年)に地元の新聞[注 5]から取材を受け、自身が長女(同じくこの事故で死亡)を出産した時[注 6]の苦労を振り返り「あの時に東海北陸道があれば、病院は近くて道も安心で焦らずに済んだ」とコメントしており[18][19]、東海北陸道の全線開通を心待ちにしていた[20]。そのため、全線開通が叶わぬまま死亡してしまったという。(東海北陸道の全線開通は2008年

位置情報 編集

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E41 東海北陸自動車道

(9)ぎふ大和IC/PA - 平山トンネル - (10)白鳥IC

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ 2005年10月1日に同公団は民営化され、中日本高速道路(NEXCO中日本)が事業を継承した。
  2. ^ 公団はそれ以前から4車線化に向けて調査していたものの着工の目途が立っていなかったが、事故がきっかけで対面通行の危険性が改めて浮き彫りになり[4]、公団は工事発注を前倒しすることとなった[5]。この時、公団は同じく2004年7月に正面衝突死亡事故が発生した磐越自動車道(いわきJCT - いわき三和IC間および同区間に隣接するいわき三和IC - 小野IC間)に関しても4車線化工事着工を前倒しした[5]
  3. ^ トラックの名義上の所有者は名古屋市東区の会社だったが、その会社は実体がなく、親会社に当たる七宝町の会社がトラックを利用していた[15]
  4. ^ 書類送検容疑は「死亡した従業員の運転手男性がトラックに最大積載量を大幅に上回る積み荷を積んで運行したことを黙認した」および「車両を5台以上所有・運行していたにも拘らず安全運転管理者を選任していなかったこと」ことで、同社社長も道交法違反(過積載容認など)容疑で書類送検された[13]。また、死亡した運転手も「過積載状態でトラックを運転して死亡事故を起こした」として[16]業務上過失致死・道交法違反(過積載)容疑で被疑者死亡のまま書類送検された[13]
  5. ^ 東海北陸自動車道の一部区間開通を控えて『北陸中日新聞』(中日新聞北陸本社)が2002年11月7日付で配信した記事[18]
  6. ^ 同記事掲載前から15年前(1987年)の2月、深夜に産気づき夫(同事故で死亡)の車で同県高山市内の病院まで約2時間かけて走ったが「当時は路面が凍結していて危なかった」と回顧していた[18]

出典 編集

  1. ^ a b c d 【別添】点検計画・修繕計画 (トンネルのリスト)” (PDF). 高速道路・高速情報はNEXCO 中日本. 中日本高速道路. p. 4 (2009年2月13日). 2020年4月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年4月27日閲覧。
  2. ^ 東海北陸自動車道 4車線化工事位置図” (PDF). 高速道路・高速情報はNEXCO 中日本. 中日本高速道路. p. 2 (2009年2月13日). 2020年4月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年4月27日閲覧。 “東海北陸自動車道 ぎふ大和IC~白鳥IC間の現況写真”
  3. ^ 東海北陸自動車道”. 岐阜県 公式ウェブサイト. 岐阜県. 2020年4月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年4月27日閲覧。 “東海北陸自動車道の経緯”
  4. ^ a b 『朝日新聞』2004年11月20日名古屋朝刊第二社会面28頁「4車線化工事、来年3月に着手 7人死亡のトンネル 【名古屋】」(朝日新聞名古屋本社
  5. ^ a b 朝日新聞』2005年1月4日朝刊第二社会面30頁「4車線化、前倒し 死亡事故現場の磐越道など」(朝日新聞社
  6. ^ a b 『中日新聞』2005年10月6日朝刊中濃版地方面18頁「07年4車線化へ起工式 東海北陸道 平山トンネル」(中日新聞社 記者:島崎賢一)
  7. ^ a b 2月20日、東海北陸自動車道 ぎふ大和(やまと)ICから白鳥(しろとり)IC間が4車線になります -ぎふ大和IC~白鳥IC間の渋滞が解消-”. 高速道路・高速情報はNEXCO 中日本. 中日本高速道路 (2009年2月13日). 2020年4月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年4月27日閲覧。
  8. ^ a b c 中日新聞』2008年10月17日朝刊岐阜総合版地方面18頁「東海北陸道平山トンネル 対面交通は解消 ぎふ大和-白鳥 4車線化2期線開通」(中日新聞社 記者:島崎賢一)
  9. ^ 『朝日新聞』2007年1月15日名古屋夕刊第一社会面9頁「対面式解消、上り線貫通 7人死亡事故から2年半 岐阜・平山トンネル 【名古屋】」(朝日新聞名古屋本社)
  10. ^ 『中日新聞』2007年1月16日朝刊第三社会面27頁「7人死亡事故 平山トンネル 片側2車線へ貫通 東海北陸道」(中日新聞社)
  11. ^ a b c d 毎日新聞』2004年7月27日中部夕刊一面1頁「乗用車とトラックが正面衝突 岐阜の家族ら7人死亡--郡上の高速で」(毎日新聞中部本社 記者:米川直己)
  12. ^ a b c d 『中日新聞』2004年7月27日夕刊一面1頁「トンネルで衝突7人死亡 乗用車とトラック 白川村の家族ら 郡上の東海北陸道」(中日新聞社)
  13. ^ a b c d 『中日新聞』2004年10月28日夕刊第一社会面11頁「東海北陸自動車道の7人死亡事故 会社社長ら書類送検」(中日新聞社)
  14. ^ 『中日新聞』2004年8月6日朝刊岐阜県版地方面20頁「検証・東海北陸道事故 タイヤ空気圧低下→高速走行 変形しパンク誘発 分離帯ない対面通行区間 速度抑制が最善策」(中日新聞社 記者:今村太郎)
  15. ^ 『朝日新聞』2004年7月28日名古屋夕刊第二社会面10頁「トラック、1.5倍の過積載 会社捜索へ 7人死亡事故【名古屋】」(朝日新聞名古屋本社)
  16. ^ 『朝日新聞』2004年10月28日名古屋夕刊第二社会面8頁「社長ら書類送検 東海北陸道7人死亡事故 【名古屋】」(朝日新聞名古屋本社)
  17. ^ 『中日新聞』2006年1月11日朝刊第三社会面27頁「事故トラック業者罰金 東海北陸道 7人死亡 安全管理者置かず 岐阜簡裁命令」
  18. ^ a b c こちら富山支局>【飛越新時代 ~日本縦断へつなぐ~】4 県境越えた病院建設 広域行政 過疎地“安心の拠点”」『北陸中日新聞中日新聞北陸本社・富山支局、2002年11月7日。オリジナルの2003年10月20日時点におけるアーカイブ。
  19. ^ 特集 7人死亡事故 それぞれの人生」『報道STATIONテレビ朝日、2004年8月4日。オリジナルの2017年12月18日時点におけるアーカイブ。
  20. ^ 『中日新聞』2008年7月5日朝刊第二社会面38頁「ニュース前線 東海北陸道で5人死亡 対面通行の怖さ『忘れないで』 全通前に遺族が祈り」(中日新聞社 記者:矢嶋宏明)

関連項目 編集