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日本テレビ音楽祭(にほんテレビおんがくさい)は、日本テレビの主催により1975年から1990年まで開催された音楽祭であり、日本テレビ系列局で放送されたテレビ番組でもある。正式名称は「輝け!!第○回日本テレビ音楽祭」である。

日本テレビ音楽祭
Nippon Budokan 2018.jpg
多くの年で公開生放送が行われた日本武道館
ジャンル 特別番組音楽祭番組
演出 吉岡正敏土屋泰則ほか
出演者 高島忠夫
萩本欽一
徳光和夫ほか
オープニング 日本テレビ音楽祭讃歌
(作詞:阿久悠/作曲:宮川泰
エンディング 同上
プロデューサー 遠藤克彦(CP)
原薫太郎(CP)
吉岡正敏
増田一穂ほか
制作 日本テレビ
放送
放送国・地域 日本の旗 日本
放送期間 1975年 - 1990年
1988年は放送せず)
回数 15
公式ウェブサイト

本項では後継企画として1991年から放送された日本テレビ音楽の祭典(にほんテレビおんがくのさいてん)についても扱う。

目次

概要編集

在京キー局や在阪準キー局が年末に競うかのようにコンテスト形式による音楽祭(読売テレビ全日本有線放送大賞(現・ベストヒット歌謡祭)』、フジテレビFNS歌謡祭』、NET(現・テレビ朝日)全日本歌謡音楽祭』、放送音楽プロデューサー連盟『日本歌謡大賞』など)を開催・放送し、高視聴率を記録していたことに触発された日本テレビが「東京音楽祭」などの例に倣って時期を前倒しし、その年の歌謡賞レースの先陣を切る(1981年まで)[注釈 1]かたちで1975年に同様の音楽祭を創設。毎年8月から10月の間の不定日に開催・放送されていた。運営委員長は日本テレビ放送網社長(小林與三次高木盛久)が務めていた。

審査対象期間については「当年度を前年8月1日から本年7月31日までとする」と定めていた。また、1984年まではノミネート歌手選考会(予選)も開催されていた。当初は『木曜スペシャル』枠内で放送され、本選は日本武道館で開催・生放送されていた。末期には「歌のトップテン」などが放送されていた月曜日の19、20時台に移行し、赤坂プリンスホテルクリスタルパレスや渋谷公会堂から開催されたこともあった。最終回の第16回は9月10日に武道館から生放送であった。また、関東ローカルで本選の翌々日に85分短縮編集版の再放送を『ビッグサタデー』で放送していた。

本音楽祭では「」をモチーフにしたシンボルマークトロフィーが製作・使用された。これは、日テレが長年オープニングクロージングのタイトル映像として使用した「鳩の休日」にちなむとされる。

本音楽祭のテーマ曲は「日本テレビ音楽祭讃歌」(エンディングテロップで紹介していた楽曲名。作詞:阿久悠、作曲:宮川泰)。やはり、空に羽ばたく鳩をイメージして作られた曲であった。

第14回大会(1988年)は昭和天皇の病状悪化の影響により中止。

第16回大会(1990年)をもって終了。この年は新人賞・金の鳩賞のみを選出した。

授賞規定編集

グランプリ
第10回迄は「日本歌謡大賞」同様、最も優秀と認められた楽曲に関わった歌手・作詞家・作曲家・編曲家・レコード会社に授与。第11回以降は日本テレビ系列の音楽番組での活躍が顕著で、かつ最も優秀な歌手に対して授与された。受賞者にはトロフィーと賞金500万円が贈られた。グランプリの発表は日本歌謡大賞同様、封筒内にある受賞曲の前奏の譜面を指揮者の高橋達也に渡し、その演奏した時点で発表されていた。後に前年度グランプリ受賞者が発表されていたこともあった。
歌唱賞・優秀賞
以上の賞は、日本テレビ系列の音楽番組での活躍が顕著で、かつ優秀な歌手に対して授与された。のちに優秀賞はグランプリ候補の歌手に与えれられた。
金の鳩賞
当音楽祭のオリジナル。デビューして2年目の歌手を対象とし、日本テレビ系列の音楽番組での活躍が顕著で、かつ将来性が期待できる歌手に対して授与された。受賞者には金の鳩のトロフィーと賞金300万円(一時期は200万円)が授与された。審査基準が厳しかったため、該当者なしの年もあった。
新人賞
当年度にデビューした歌手を対象とし、日本テレビ系列の音楽番組での活躍が顕著で、かつ将来性が期待できる歌手に対して授与された。金の鳩賞とともに受賞歌手にはグランプリ候補の資格を得ていた。
アイドル賞
当時はトップアイドル賞と称して、『月刊明星』読者の投票により決定し、授与された。のちに、日本テレビ系列の音楽番組での活躍が顕著で、かつ若年層に人気のある歌手に対して授与された。
特別賞
日本テレビ系列の音楽番組での功労が特に認められる歌手に対して授与された。

歴代司会者・演奏編集

歴代司会者について
第1回目では萩本欽一が、その後は高島忠夫が長年にわたって司会を務めた。又、豪華な女優陣がサブ司会を務め、徳光和夫(当時)を始めとする日テレアナウンサーの面々もサブ司会やインタビュアーを務めた。1989年は「歌のトップテン」司会の島田紳助和田アキ子小倉淳と共に司会を務めた。[1]
演奏
高橋達也と東京ユニオン」・「新音楽協会」(第1回 - 第15回)
ガッシュアウト」(第16回)(「東京ユニオン」解散に伴う。「ザ・トップテン」や「歌のトップテン」などでの長年の演奏出演が評価されての起用。「日本テレビ音楽の祭典」でも演奏を担当した。)

歴代受賞一覧編集

グランプリ(大賞)編集

年(回) 放送日 受賞歌手 受賞曲(第11回以降は本選日に歌った曲)
第1回 1975年8月21日 五木ひろし 千曲川
第2回 1976年8月19日 野口五郎 きらめき
第3回 1977年8月25日 石川さゆり 能登半島
第4回 1978年8月24日 ピンク・レディー サウスポー
第5回 1979年8月23日 西城秀樹 ホップ・ステップ・ジャンプ
第6回 1980年8月28日 八代亜紀 雨の慕情
第7回 1981年8月20日 寺尾聰 ルビーの指環
第8回 1982年8月19日 岩崎宏美 聖母たちのララバイ
第9回 1983年8月25日 細川たかし 矢切の渡し
第10回 1984年9月6日 中森明菜 十戒 (1984)
第11回 1985年8月29日 近藤真彦 「夢絆」
第12回 1986年9月18日 中森明菜 DESIRE -情熱-
第13回 1987年9月3日 近藤真彦 「さすらい」
第14回 開催中止
第15回 1989年10月2日 光GENJI 太陽がいっぱい
第16回 1990年9月10日 (グランプリは廃止)

日本テレビ音楽の祭典編集

『日本テレビ音楽祭』の後継企画として1991年から開始された音楽特番。『日本テレビ音楽祭』や、現在の『日テレ系音楽の祭典 ベストアーティスト』とは異なり、「未来に残したい曲」を選定することをテーマとしており、放送される年のヒット曲に限らず、過去の名曲も取り上げられた。非公開形式の生放送(第11、12回は収録)で、曲の演奏についても事前収録や過去映像の流用となることも多かった。開始から2000年までは毎年1回放送され、2001年に後継番組『ベストアーティスト』が開始された後は2005年に5年ぶりに復活され、3回放送されている。

放送日一覧編集

日本テレビ音楽の祭典
放送日 テーマ 司会者
第1回 1991年10月17日 21世紀に残したい曲 -
第2回 1992年10月15日 -
第3回 1993年10月14日 -
第4回 1994年10月15日 -
第5回 1995年10月14日 -
第6回 1996年10月12日 -
第7回 1997年10月11日 -
第8回 1998年10月10日 徳光和夫、永井美奈子中居正広
第9回 1999年10月16日 徳光和夫、永井美奈子、西田ひかる
第10回 2000年9月27日 徳光和夫、永井美奈子、中山エミリ爆笑問題
第11回 2005年7月24日 未来に残したい夏の名曲 徳光和夫、白石美帆研ナオコ
第12回 2005年8月7日 徳光和夫、白石美帆、爆笑問題
第13回 2005年9月4日 未来に残したい名曲 徳光和夫、中山エミリ、アンガールズ

スタッフ編集

脚注編集

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注釈編集

  1. ^ 1982年にテレビ東京が「メガロポリス歌謡祭」を創設してからは、同歌謡祭が開幕戦となった。

出典編集

  1. ^ 朝日新聞1989年10月02日付朝刊、32面、テレビ欄。

関連項目編集

いずれの番組も、ノミネート歌手や受賞歌手が出演した時には、歌のタイトルのテロップに当番組のシンボルマークを添えて放送した。