野口 五郎(のぐち ごろう、1956年〈昭和31年〉2月23日 - )は、日本歌手俳優タレント情報技術者[1]実業家岐阜県美濃市出身。血液型はA型。本名は佐藤 靖(さとう やすし)。オフィス・ジー所属、株式会社ティーオーエア(Take Out Air)代表。新御三家とも称された1970年代の日本を代表する男性アイドルの一人であった。身長174cm(1972年3月)[2]

野口 五郎
出生名 佐藤 靖(さとう やすし)
生誕 (1956-02-23) 1956年2月23日(68歳)
出身地 日本の旗 日本岐阜県
ジャンル
職業
担当楽器
活動期間 1971年 -
レーベル
事務所 NPミュージック・プロモーション(デビュー時 - 1986年6月)
オフィス・ジー(1986年7月 - )
公式サイト GORO-NET

妻は三井ゆりで、一女一男がいる。兄は佐藤寛、長女は佐藤文音

来歴 編集

岐阜県美濃市常盤町に生まれる。曽祖父は人形浄瑠璃太夫、両親はアマチュア楽団「青空楽団」の歌手同士[3]。本来、家族会議で「直樹」と命名するつもりだったが、父親が家族に許可を得ずに「靖」という名前で出生届を出したという。

1966年10月、『日清ちびっこのどじまん』で荒木一郎の「今夜は踊ろう」を歌い優勝[4]中部日本放送の『どんぐり音楽会』に出演し、ザ・ワイルド・ワンズの「青空のある限り」を歌い1位となる[5]

『ちびっこのどじまん』をきっかけに本格的に歌手を目指すことを決意。自ら“ソウルソング”と語る美空ひばりの『リンゴ追分』の作曲者・米山正夫の門下生になりたく、約2年間、米山が係わるオーディションに何度も出場。ついに声が掛かって[3]中学2年生の時、プロを目指し実母とともに上京[4]、東京・浅草の伯父の経営する印刷工場の一室に下宿し[3]美濃市立美濃中学校から台東区立台東中学校に転校[6]ポリドール児玉英毅が設立したアルカートプロダクション(のちのNPミュージック・プロモーション)の第一号タレントとして所属し[7]堀越高等学校に進学する[6]

1971年5月1日、当初は演歌歌手としてシングル曲「博多みれん」でデビュー。キャッチフレーズは「青い木の芽の、はだざわり」で売り出した[注釈 1]が、同曲のセールスは全く振るわなかった。しかし2曲目の「青いリンゴ」からポップス歌手に転向してスマッシュ・ヒット[4]、若い女性ファンの人気を獲得。

1972年12月31日、『第23回NHK紅白歌合戦』において当時としては最年少(16歳10か月)となる初出場歌手に抜擢されて、「めぐり逢う青春」を歌う。

1973年4月9日、「オレンジの雨」がオリコン週間チャートで初のベストテン入り。続く「君が美しすぎて」は第3位にランクされ、『第24回NHK紅白歌合戦』も同曲で出場。西城秀樹郷ひろみと共に新御三家と呼ばれ、一躍トップアイドルの仲間入りを果たす。

1974年11月25日、「甘い生活」で初のオリコン週間チャートの第1位を獲得[4]。最大のヒット曲となり、『第25回NHK紅白歌合戦』も同曲で出場。この作品で筒美京平第16回日本レコード大賞・作曲賞を受賞。

1975年2月10日、兄作曲による「私鉄沿線」が有線放送をきっかけに大ヒットし、「甘い生活」から2作品連続してオリコン週間チャートの第1位を獲得する。また年末の第8回日本有線大賞・グランプリ、第17回日本レコード大賞・歌唱賞、第6回日本歌謡大賞・放送音楽賞など、多くの音楽賞を受賞し『第26回NHK紅白歌合戦』も同曲で出場。さらに第3回FNS歌謡祭(1975年上半期)では「哀しみの終るとき」で最優秀歌唱賞を受賞。『再会』で映画初主演。

1975年4月4日 - 1983年3月、『カックラキン大放送!!』にレギュラー出演。コントにも挑み、コミカルな面をアピールすることで、幅広い世代からの人気を獲得した。

1976年、「きらめき」が第2回日本テレビ音楽祭・グランプリ、第5回東京音楽祭・ゴールデンスター賞を受賞。「針葉樹」では第18回日本レコード大賞・歌唱賞、第7回日本歌謡大賞・放送音楽賞を受賞し、第27回NHK紅白歌合戦も同曲で出場。発売前の「むさし野詩人」で第9回日本有線大賞・有線功労賞を受賞。4月29日、日本テレビ系で単独のバラエティー番組『輝け!五郎・マペット ゲバゲバ90分!』が放送される。

1977年、「風の駅[注釈 2]で第8回日本歌謡大賞・放送音楽賞を受賞、第28回NHK紅白歌合戦も同曲で出場。映画『季節風』で主役を演じ、同名主題歌「季節風」を歌う。

1978年、「グッド・ラック」で第9回日本歌謡大賞・放送音楽賞、第20回日本レコード大賞・金賞を受賞し、『第29回NHK紅白歌合戦』も同曲で出場。

1979年、「青春の一冊」で5年連続となる第10回日本歌謡大賞・放送音楽賞を受賞し、第30回NHK紅白歌合戦にも同曲で出場。

1980年12月31日、『第31回NHK紅白歌合戦』に「コーラス・ライン」で出場。

1981年12月31日、『第32回NHK紅白歌合戦』に「裏切り小僧」で10年連続10回目の出場を果たす。

1983年、連続ドラマ『誰かが私を愛してる』にヒロイン多岐川裕美の相手役として出演。その主題歌「19:00の街」が「グッド・ラック」以来久々の15万枚を超えるヒットとなる。第12回東京音楽祭・世界大会でフリオ・イグレシアス賞を受賞。同年末の『第34回NHK紅白歌合戦』も同曲で2年ぶり11回目のカムバック出場した[注釈 3]

1985年4月 - 1987年9月、再び日本テレビ系のバラエティー番組『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』にレギュラー出演。

1995年、『八代将軍吉宗』に徳川頼職役で大河ドラマ初出演。2006年には『功名が辻』にも出演。

1999年、刑事ドラマ『ケイゾク』に出演、早乙女仁役を演じる。

2002年、『さくら』に出演。英語教師、沢田純一郎を演じる。

私生活では長年独身を通していたが、2000年、審査員を務めていた『ものまね王座決定戦』での共演をきっかけに三井ゆりと交際をスタートし、2001年2月に北マリアナ諸島ロタ島で挙式した。なお、結婚披露宴は徳光和夫が司会を務め、その模様が日本テレビにより全国に中継放送された。2002年6月5日、2780グラムの第一子となる女児が誕生。2004年5月2日、2994グラムの第二子となる男児が誕生。

2005年、音楽プロデューサーとして音楽映像配信サイト『音コレ』 (2006年7月20日、『Gプロデュース』と改名) を立ち上げ、ものまね、インディーズ、オリジナル楽曲をプロデュース。根本はるみ網野泰寛などもプロデュースしている。NTTドコモKDDI auSoftBankの公式サイトにおいても、「音コレものまねMIX」「うれセン!」として着うたフル着うた、着モーションなどを配信。

2007年10月16日、飛騨・美濃観光大使を委嘱される。

2008年9月21日、北マリアナ諸島の観光親善大使に夫妻で任命される。

2009年2月4日、初のプロデュース作品となる双子歌手ユニット「あ☆ぅん」がデビュー[9]

2010年5月1日、デビュー40周年を迎える。近年は、六本木 STB139スイートベイジルにおけるライブがゴールデンウィークの恒例になっていた。最終公演2014年5月22日。

2015年4月13日、新御三家の盟友、西城秀樹が自ら「ヒデキ還暦!」と題した満60歳の記念ライブに、野口がサプライズ・ゲストとしてバースデーケーキを運びながら登場、西城は思わず感激の涙を浮かべる。その後野口は「1回だけ、恥ずかしいけど、抱いていいか?」との懇願に、西城は「なんだよ~!」と照れながらも、二人共に熱い抱擁を交わしていた[10][11]

2016年2月23日、60歳の誕生日を迎える。新御三家が3人揃っての還暦祝いを機に、久々に郷ひろみも参加し「還暦鼎談」を行った[12]

しかし、2年後の2018年5月16日、西城秀樹が急性心不全により63歳で死去。翌5月17日、取材に対して、文書で「あまりにも突然で、今は言葉が見つかりません。気持ちの整理がつくまで少し時間を下さい。申し訳ありません」と述べるに留まった[13]

同年5月25日に野口は、郷ひろみを始め歌手仲間達と共に西城の通夜へ出席したが、終始憔悴しきった表情を浮かべ[14]、新御三家の郷は「(五郎は)本当に残念だと。毎日泣いていると言ってました。僕より遥かに秀樹に近い存在でいた。悲しみは想像つかない位深いと思う」とコメント[15][16]。翌5月26日、西城の告別式に参列した野口は「僕もひろみも秀樹の代わりになれないけど、まだ暫くはお前の分も頑張って歌うからね。もうリハビリ頑張らなくて良いから。君の可愛い子供達、家族を見守って欲しい。そしてお前の思うラブソングを天国で極めてくれ。秀樹、お疲れ様。そしてありがとう」とハンカチで涙を拭い、時折声を詰まらせながら弔辞を読んだ[17][18]。告別式終了後、取材に応じた野口自ら「(2003年最初の脳梗塞発症後)秀樹が会見で『引退する』と言おうと思った瞬間、インタビュアーの方が『2人目のお子さんがもうすぐ誕生ですね』との言葉が有った。それで秀樹は引退を言えなくなったので、あれから十数年歌い続ける事が出来た。僕はその方に感謝をしたい」とコメントしている[19]

それ以降野口は、西城の追悼特集に関し特別ゲストとして、ワイドショートークドキュメンタリー番組などに登場[20][21][22][23]。2018年8月18日にはNHK「第50回思い出のメロディー」へ生出演し、西城の代表曲「傷だらけのローラ」を当番組の司会進行役・氷川きよしが、「ブルースカイ ブルー」を野口がそれぞれ西城を偲んで歌唱[24]。司会の氷川と木村佳乃の二人が感極まって涙する場面が見られた[25]

2019年2月11日、Bunkamuraオーチャードホールで行われたコンサートで、前年12月25日に食道がんの手術をしたことを公表[26]

2020年5月6日、デビュー50周年を飾る記念シングル「光の道」を配信限定でリリース。

デビュー50周年の2021年9月、Bunkamuraオーチャードホールの開催中、シークレット・ゲストとして、岩崎宏美が登場。岩崎と初のデュエット『好きだなんて言えなかった』のシングル・リリースと、及び愛知県・大阪府・東京都にてジョイントコンサートの決行を発表[27]。翌2022年7月には、東京国際フォーラム東京フィルハーモニー交響楽団が参加の「野口・岩崎2022プレミアムオーケストラコンサート〜Eternal Voices〜」を筆頭に、全国11箇所のジョイントライブツアーを共催予定[28]

2022年5月には同学年で野口をリスペクトしている桑田佳祐からのオファーを受け「時代遅れのRock'n'Roll Band」のレコーディングに佐野元春世良公則Charと共に参加した[29]

人物・エピソード 編集

歌手として 編集

日清ちびっこのどじまん』の司会者、大村崑の「黄金の人差し指」がなかったら今の自分はないとも話している。大村の「出たい人!」の呼びかけに周りが一斉に手を挙げる中で野口も精一杯手を伸ばし、指されてステージに出て行った。後に「実際は自分の周りが指されていたが、体が自然と前へ出て行った」と回顧している[3]。小学生の頃には、すでに成人並みのビブラートが掛けられるようになっていた。ちびっこのど自慢大会にいくつも参加する中で、幼い頃ライバルとして一目置いていたのが現在の天童よしみであるという[30]

芸名は野口五郎岳に由来するもので[31]、雄々しく逞しい歌手になるようにと名付けられた[31]。名付け親はデビュー時に所属していたポリドール・レコードのディレクター[32]。現在では歌手・野口五郎の知名度が高く、山の名前が歌手にちなんで付けられたと誤解している人もいるという。なお、黒部五郎岳にちなんだ「黒部五郎」も芸名の候補となっていた。野口五郎とどちらかを選ぶように言われ「山の名前を芸名にするなら高い山のほうがいい」と考えて、黒部五郎岳 (2,840m) よりも高い野口五郎岳 (2,924m) にちなんだ野口五郎を選んだという[3]。当初は「水城哲也」という芸名でデビュー予定であった[33]

歌手デビューから50年の節目を迎えていた2021年には、堀越高校での後輩にも当たる岩崎とのデュエット曲として、『好きだなんて言えなかった』を「野口五郎・岩崎宏美」名義でリリース[34]。岩崎とはデビューの当初(1975年)から面識があって、現在では家族ぐるみでの交流に発展しているが、この曲のリリースをきっかけに「野口五郎・岩崎宏美」として番組やコンサートで頻繁に共演している。

新御三家 編集

新御三家となった経緯に関して野口は、「僕がデビューし、翌年にひろみと秀樹がデビューしたが秀樹がちょっと出遅れた。秀樹の事務所で秀樹と他の2人で新御三家というキャッチフレーズでデビューしたが、西城のマネージャーが別事務所のひろみと僕を合体させて新御三家にした。事務所も違うので番組などでぶつけ合ってファン獲得をした」。

ギタリストとして 編集

子どもの頃はプロ野球選手を目指していたが脚を傷めて諦め、以来、ギターに打ち込むようになったという (『中一時代』グラビアより)。「(脚の) 故障がなかったら"歌手・野口五郎"は存在しなかったかも」と述懐している。実際歌手よりギタリストとしての活動歴の方が長い。中学生のときからキャバレーなどで演奏する「ハコバン」に在籍して腕を磨き、当時の「エレキギターコンテスト」にも多数出演していた[6]

音楽に目覚めたきっかけはビートルズで、ギターを始めた時は教則本もない中全くの独学で覚え、調弦も正規のギター調弦ではなく弾く曲に合わせた独自の調弦方法で古賀メロディーを中心に弾いていた。そして小学3年の時、兄から現在も所有している木曽鈴木バイオリン製ソリッド・ボディー・エレキギターをプレゼントされ、本格的にギターを弾き始める。音楽的には60年代後半から70年代前半のものを好むが、ギタリストとしては、その時代以外のものにも関心を示し、ヴァン・ヘイレンスティーヴ・ヴァイの来日公演の観客席で目撃されている。1982年1993年2014年にはインスト・アルバムを発表し、ギタリストとしても優れた音楽センスを披露した。フジテレビの深夜番組『寺内ヘンドリックス』にも、度々、アナウンサーにギターを指導する講師等として出演していた[35]。2014年10月にはギターメーカーPRS(Paul Reed Smith)主催のイベント「EXPERIENCE PRS in JAPAN 2014」(於:ディファ有明)に出演。ライブステージにてアルバム『Playin' It All』から「雪の華」「ありがとう」「異邦人」「ミ・アモーレ」を演奏した。

自身のアルバムにラリー・カールトン等の著名ギタリストが参加したことがある。またサンタナのヒットシングル「Smooth」を、「愛がメラメラ」として日本語詞を付けてカバーした際には、カルロス・サンタナとの面会も果たしている。2005年には、ヘヴィメタル専門番組『ヘビメタさん』に出演。元メガデスマーティ・フリードマンと競演する。 東京都に本社と工房を置くギターメーカー「Combat Guitars」から、野口五郎モデルのギターが発売されていた (現在は製造販売終了)。

ベーシストとしても活動しており、主に演歌のレコーディングにスタジオ・ミュージシャンとして数多く参加している。

タレントとして 編集

カックラキン大放送!!』では、当時のアイドルとしては珍しく身体を張ったギャグが定番だった[36]。バラエティ番組では、ダジャレ好きなタレントとして、歌手活動とは違った魅力を見せており[37]、自ら「ぼくも野口五郎というタレントを作るスタッフの一人なんですよ」と答えている。しかし『カックラキン』への出演に際しては、当初、歌番組だと思って引き受けたものの[注釈 4]、初回の収録が終わった後に寸劇やコントが主体であることがわかり、プロデューサーに「コント番組はあんまりやりたくないんで、辞めさせて下さい」と降板を申し入れたところ、プロデューサーから「分かった。降りるのはいいが、その代わり(これからの芸能活動が)どうなるか分かってるな」と言われ、芸能界を干されると思い、怖れおののいた野口はその場で「喜んでやらせてもらいます」と答えたという。後に「(実際のところ)やったら楽しかった」と振り返っている[39]

なお、かつて「野口=短足」という噂が広まったことがあり、『カックラキン』でも自虐的なギャグとして使用していたが、これは野口が、日本で流行するかなり前からロンドンブーツの愛用者だったことに端を発しており、ブーツを見た人が「短足を隠すためだからに違いない」と、シークレットブーツのように思い込んだことからだったという[37]

火曜ワイドスペシャル」で放送された芸能人野球大会に投手として出場し、背番号は560番であった。野口をものまねしたコロッケと軽妙にトークした[40]

2006年、『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』に出演し、お笑い好きな一面を披露している。

情報技術者として 編集

自身の音楽活動とは別に、QRコードスマートフォンに読み込ませ、音楽コンサート・ライブの映像などをデジタル配信するサービス『テイクアウトライブ』を発案したことで知られ[41]、2014年に事業を立ち上げ株式会社「ティーオーエア」(Take Out Air)を設立した[42]

野口は路上ライブでCDを手売りする無名の若者ミュージシャンの姿を見て、「若い子たちに音楽に集中できる時間を作ってあげよう」と考え[43]、『観客がライブを持ち帰る』という着想の下にアイデアを生み出し、自ら特許を取得してコンピュータソフト会社のトーセ傘下のフォネックス・コミュニケーションズにより実用化サービスが開始された[44]。このサービスは現在ではDREAMS COME TRUEBOYS AND MENなどといったアーティストたちのライブ会場でも提供されている[43]。さらに、情報技術関連で複数の特許を取得したことによって、商標に関する権利を得ている[45]

2020年には、年頭から新型コロナウイルス感染が日本で拡大していることを踏まえて、『テイクアウトライブ』をベースに『テイクアウトライフ』というアプリを開発した。『テイクアウトライフ』は、新型コロナウイルスへ感染した登録者に接触した場合にその旨を他の登録者へ通知する機能を備えているほか、 他の災害時でも安全・安心の確保に必要な情報を登録者に提供できるようになっている[1]。野口は自治体に対して『テイクアウトライフ』を無償で導入するよう打診していたが、行政サービスで利用するアプリに関してLINE社(LINEの運営会社)と契約していることを理由に、打診した全ての自治体から導入を断られたという。『朝日新聞』ではこの件に関して、2020年12月に野口へ取材。その際に野口が「なぜ、ほとんどの政府(機関)や自治体がLINEを使っているのでしょうか。個人情報が流出することはないのでしょうか」と問い掛けたことをきっかけに、日本政府や自治体におけるLINEの利用実態を調査したところ、「LINE中国」(LINE社が2018年に中華人民共和国内へ設立した関連会社)の技術者が日本向けのソフト開発を担っていたことや、登録者の個人情報を保管している日本国内のサーバーへ(少なくとも2020年3月から1年間にわたって)アクセスを繰り返していたことを突き止めた。『朝日新聞』では、Zホールディングス(2021年3月1日付の経営統合によってLINE社を完全子会社化)から謝罪のコメントが出たことを受けて、同月17日付の朝刊で上記の調査結果を公表。総務省と日本政府の個人情報保護委員会では、LINE社への立ち入り調査や運用改善の指導を経て、「政府機関や自治体によるLINEの利用自体は認めるが、機密性のある情報を扱うことを原則として禁止する」との指針を打ち出した。ちなみに、朝日新聞社は上記の報道(「LINEの個人情報管理問題のスクープと関連報道」)によって、2021年度の日本新聞協会賞を受賞している[46]

音楽 編集

シングル 編集

# 発売日 A/B面 タイトル 作詞 作曲 編曲 規格品番
1970年代
1 1971年
5月1日
A面 博多みれん 鳳司哲夫
大日方俊子
荒井英一 竹村次郎 DR-1605
B面 ひとり雨 大日方俊子
2 1971年
8月1日
A面 青いリンゴ 橋本淳 筒美京平 高田弘 DR-1634
B面 君のためぼくのため
3 1971年
12月10日
A面 好きなんだけど DR-1655
B面 陽の当る家
4 1972年
4月1日
A面 悲しみの日曜日 DR-1680
B面 愛のレッスン
5 1972年
6月1日
A面 青い日曜日 大日方俊子 馬飼野俊一 DR-1690
B面 若い夏
6 1972年
9月1日
A面 めぐり逢う青春 DR-1715
B面 約束 千家和也 荒井英一 高田弘
7 1972年
12月15日
A面 雨に消えた恋 筒美京平 DR-1735
B面 愛ゆえに
8 1973年
3月21日
A面 オレンジの雨[注釈 5] 吉田栄子
大日方俊子
筒美京平 高田弘 DR-1750
B面 君を求めて 千家和也
9 1973年
7月1日
A面 君が美しすぎて 馬飼野俊一 DR-1780
B面 ぬれた瞳
10 1973年
10月21日
A面 愛さずにいられない 阿久悠 DR-1805
B面 熱愛
11 1974年
2月5日
A面 こころの叫び 筒美京平 DR-1830
B面 傷だらけのたびだち
12 1974年
4月25日
A面 告白 千家和也 馬飼野俊一 DR-1850
B面 友よ、君のために
13 1974年
7月21日
A面 愛ふたたび 山上路夫 佐藤寛 馬飼野俊一 DR-1875
B面 愛のきらめき 馬飼野俊一
14 1974年
10月20日
A面 甘い生活 筒美京平 DR-1895
B面 さよならは云わない 筒美京平 高田弘
15 1975年
1月21日
A面 私鉄沿線 佐藤寛 筒美京平 DR-1905
B面 帰郷
16 1975年
4月21日
A面 哀しみの終るとき 筒美京平 DR-1925
B面 雨の別離 筒美京平 高田弘
17 1975年
7月10日
A面 夕立ちのあとで 筒美京平 DR-1950
B面 遠い夏
18 1975年
10月21日
A面 美しい愛のかけら 佐藤寛 東海林修 DR-1990
B面 旧い喫茶店
19 1976年
2月10日
A面 女友達 クニ河内 DR-3020
B面 一人の部屋
20 1976年
6月10日
A面 きらめき 筒美京平 DR-6010
B面 熱い砂
21 1976年
9月10日
A面 針葉樹 麻生香太郎 DR-6040
B面 火の鳥
22 1977年
1月15日
A面 むさし野詩人 松本隆 佐藤寛 筒美京平 DR-6075
B面 さよなら綴り
23 1977年
4月25日
A面 沈黙 筒美京平 DR-6085
B面 鼓動
24 1977年
7月21日
A面 季節風[注釈 6] 有馬三恵子 DR-6125
B面 感情曲線[注釈 7]
25 1977年
10月25日
A面 風の駅 喜多條忠 DR-6165
B面 冬木立
26 1978年
2月21日
A面 愛よ甦れ 藤公之介 平尾昌晃 船山基紀 DR-6180
B面 ドラマ
27 1978年
5月10日
A面 泣き上手 岡田冨美子 佐藤寛 クニ河内 DR-6210
B面 前奏曲
28 1978年
9月1日
A面 グッド・ラック 山川啓介 筒美京平 高田弘 DR-6240
B面 消えたハリケーン 筒美京平
29 1978年
12月25日
A面 送春曲 阿久悠 DR-6275
B面 1981年
30 1979年
4月21日
A面 真夏の夜の夢 DR-6300
B面 ローリング・サマー
31 1979年
7月10日
A面 女になって出直せよ 筒美京平 船山基紀 DR-6335
B面 シスコ・ドリーム
32 1979年
9月15日
A面 青春の一冊 伊藤アキラ 佐藤寛 萩田光雄 DR-6360
B面 HIMIKO 佐藤寛
1980年代
33 1980年
2月16日
A面 愛の証明 なかにし礼 佐藤寛 井上鑑 DR-6390
B面 パリ北駅
34 1980年
5月1日
A面 コーラス・ライン 麻生香太郎 東海林修 DR-6420
B面 CHARGE & GET IN 藤公之介 佐藤寛 東海林修
35 1980年
6月5日
A面 さすらい気分[注釈 8] 山上路夫 筒美京平 大村雅朗 DR-6425
B面 夕暮れギター
36 1980年
9月21日
A面 愁雷 三浦徳子 山中涼平 7DX-1011
B面 やさしく教えて 山上路夫 筒美京平 井上鑑
37 1981年
2月5日
A面 序曲・愛 伊藤アキラ 三木たかし 船山基紀 7DX-1030
B面 少女の風景
38 1981年
4月25日
A面 氷をゆらす人[注釈 9] 浜辺芳光
伊藤アキラ
7DX-1088
B面 YOUR SONG 伊藤アキラ
39 1981年
8月21日
A面 裏切り小僧 宇崎竜童 新井英治 7DX-1115
B面 カリビアン・フライ ちあき哲也 筒美京平 船山基紀
40 1981年
12月25日
A面 ダイヤル177 伊藤アキラ 山中涼平 7DX-1144
B面 君よ雪になれ
41 1982年
5月25日
A面 ふるえて眠れ 水木れいじ 浜圭介 船山基紀 7DX-1175
B面 ある再会 伊藤アキラ 山中涼平
42 1982年
8月1日
A面 水木れいじ 浜圭介 船山基紀 7DX-1190
B面 さよならは黄昏にとけて
43 1983年
1月25日
A面 19:00の街[注釈 10] 伊藤薫 筒美京平 川村栄二 7DX-1205
B面 誰かが私を愛してる 市川森一
44 1983年
5月25日
A面 過ぎ去れば夢は優しい 売野雅勇 筒美京平 7DX-1235
B面 愛を全てに変えて 伊藤薫 野口五郎 山中涼平
45 1983年
10月10日
A面 今夜はつれづれ 三浦徳子 宇崎竜童 後藤次利 7DX-1275
B面 夜の虹
46 1984年
2月25日
A面 停車場 高森悦郎 川村栄二 7DX-1285
B面 あふれる想い
47 1984年
5月1日
A面 一人が好きですか[注釈 11] 小椋佳 筒美京平 若草恵 7DX-1300
B面 恋の薫り時
48 1984年
9月25日
A面 花遊戯 小椋佳 松井忠重 7DX-1330
B面 ジャズ ちあき哲也 山中涼平
49 1985年
3月25日
A面 別れのエチュード 荒木とよひさ 芹澤廣明 若草恵 7DX-1363
B面 サイレントムービー
50 1986年
2月23日
A面 サ・ヨ・ナ・ラ 松本一起 佐藤健 佐藤準 T07S-1077
B面 最後のクラクション
51 1986年
12月21日
A面 涙のチケット[注釈 12] 三浦徳子 P.D.Wijn 佐藤寛 T07S-1084
B面 同じ夜 別の朝 松本一起 佐藤健
52 1987年
12月25日
A面 少し抱かれて 荒木とよひさ 筒美京平 川村栄二 07TR-1173
B面 愛をとめたまま
53 1988年
7月24日
A面 さらば友よ-最後の握手-[47] 都倉俊一 桜庭伸幸 07TR-1190
B面 ふたつのカーネーション
54 1988年
10月26日
A面 スマイルアゲイン[注釈 13] 泉冴子 Keith Brown 佐藤寛 07TR-1201
B面 陽が当たる街 麻生圭子 林哲司
1990年代〜2000年代
55 1990年
4月25日
01 流沙れて 伊藤薫 川村栄二 TADX-7312
02 ラブ・イズ・ブラインド
56 1991年
12月4日
01 想い出のメリークリスマス 渡辺なつみ 佐藤寛 TADX-7331
02 ストレンジャー 来生えつこ 鈴木康志 佐藤寛
57 1996年
4月25日
01 さよならは、誰のため 水木かおる 佐藤寛 白石幸一郎 TADX-7431
02 また 君に逢えそうで… 田中みほ 野口五郎 猪股義周
58 2000年
4月5日
01 愛がメラメラ
〜Smooth〜
[注釈 14]
山田ひろし I.Shur
R.Thomas
船山基紀 BVDP-21001
59 2002年
10月23日
01 私鉄沿線02 山上路夫 佐藤寛 野口五郎
aqua.t
KICM-16
02 星屑の町[注釈 15] 東條寿三郎 安部芳明 野口五郎
03 ノーノーボーイ[注釈 16] 田辺昭知 釜萢弘
60 2003年
9月26日
01 Sweet Rain 松尾潔 筒美京平 和田昌哉 KICM-19
02 銀座線 縄田寿志
2010年代
61 2012年
5月2日
01 僕をまだ愛せるなら 松井五郎 森正明 鳥山雄司 IOCD-20341
02 君に逢いたいよ つんく 湯浅公一
03 また、めぐり逢うために ちあき哲也 杉本真人 佐藤寛
62 2014年
1月1日
01 でも好きだよ 松井五郎 森正明 都啓一 IOCD-20354
02 愛してると言うまえに 佐藤雄大
63 2015年
7月29日
01 再会タイムマシン 秋元康 筒美京平 佐橋佳幸 IOCD-20365
02 Rainy〜会えない週末 つんく 鈴木俊介
64 2019年
5月1日
01 これが愛と言えるように 松井五郎 森正明 IOCD-20378
02 涙憶[注釈 17] 伊勢正三 大谷幸
2020年代
65 2020年
5月6日
01 光の道 小渕健太郎 小渕健太郎
野口五郎
-
66 2021年
11月24日
01 好きだなんて言えなかった 松井五郎 森正明 中川幸太郎 IOCD-20387

その他のシングル 編集

アルバム 編集

オリジナル・アルバム 編集

  1. 青いリンゴが好きなんだけど/ 野口五郎ファースト・アルバム (1972年2月1日)
  2. 青春の旅路 新しい汽車 (1972年10月10日)
  3. GORO IN ROCK / 野口五郎ロックの世界 (1973年7月21日)
  4. GORO! LOVE IN LONDON / 愛ふたたび (1974年8月21日)
  5. 風に舞う花びら / 野口五郎演歌の世界 (1975年1月21日)
  6. GORO! LOVE STREET IN LONDON / 雨のガラス窓 (1975年8月1日)
  7. GORO&HIROSHI / 通りすぎたものたち (1976年3月10日) - 実兄の佐藤寛との「兄弟アルバム」
  8. GORO IN LOSANGELES U.S.A. / 北回帰線 (1976年7月21日)
  9. GORO&HIROSHI 2 / ときにはラリー・カールトンのように (1976年12月21日) - 実兄の佐藤寛との「兄弟アルバム」
  10. GORO IN NEWYORK / 異邦人 (1977年9月10日)
  11. 飛翔 / GORO&HIROSHI 3 〜 移りゆく季節の中で 〜 (1978年3月15日) - 実兄の佐藤寛との「兄弟アルバム」
  12. L.A. EXPRESS ロサンゼルス通信 (1978年8月4日)
  13. 南十字星 (1979年5月10日)
  14. ロサンゼルス盤 ラスト・ジョーク (1979年7月21日)
  15. 樹海 Ballade (1980年2月1日)
  16. スマイル (1980年12月23日)
  17. ON THE CORNER (1981年10月10日)
  18. パレード (1982年6月1日)
  19. 過ぎ去れば夢は優しい (1983年6月25日)
  20. 琥珀 (1984年7月10日)
  21. ALL OF ME (1989年10月4日)
  22. 名画座 〜 20周年記念アルバム 〜 (1991年5月10日)
  23. Dear・・・(1991年11月27日)
  24. せつないほどONLY YOU (1992年5月27日)
  25. Prize Years , Prize Songs 〜五郎と生きた昭和の歌たち〜 (2010年8月4日) - 昭和歌謡カバー・アルバム 演奏:三原綱木 とザ・ニューブリード
  26. 風輪(2017年2月22日)

ギター・インストゥルメンタル・アルバム 編集

  1. FIRST TAKE (1982年11月25日)
  2. 1013hpa 〜 ANOTHER WAVE 〜 (1993年3月17日)
  3. Playin' It All -My Fingers Sing J-Female Melodies-(2014年11月19日) - 日本人女性ボーカリストのヒット曲を曲ごとに異なったギターでカバーした。

ライブ・アルバム 編集

  1. GORO ON STAGE / 日本縦断コンサート (1972年6月25日)
  2. GORO ON STAGE 2 / 野口五郎故郷に帰る (1973年3月15日)
  3. '74 GORO IN KOKUSAI / こころの叫び (1974年4月10日)
  4. GORO IN SUNPLAZA / 甘い生活 (1975年2月21日)
  5. GORO ON STAGE / ひとりぼっちの栄光 (1975年10月10日)
  6. GORO IN NISSEI THEATRE / 日生劇場特別リサイタル (1977年6月15日)
  7. GORO IN NISSEI THEATRE / '78日生劇場特別リサイタル (1978年12月10日)
  8. HOT SUMMER LIVE '79 熱い夏を撃て! (1979年10月1日)
  9. 10th ANNIVERSARY U.S.A. STUDIO CONNECTION (1980年5月1日)
  10. 特別コンサート・ライブ / 第1楽章 春ing (1981年6月5日)
  11. '83スプリングコンサートライブ / ちょっとその気でSPRING (1983年5月1日)
  12. A♭に愛をのせて -収録:1984年11月3日東京・中野サンプラザ- (1984年12月10日)

ベスト・アルバム 編集

  1. 野口五郎パーフェクト20 (1972年11月5日) 2LP
  2. 野口五郎パーフェクト20 (1973年11月10日) 2LP
  3. 野口五郎パーフェクト (1974年11月10日) 2LP
  4. 野口五郎5年の歩み (1976年5月21日) 3LP+EP
  5. ゴールデン・ヒット・アルバム 〜博多みれんからむさし野詩人まで〜 (1977年3月10日) 2LP
  6. GORO THE BEST / 泣き上手 (1978年6月10日)
  7. 青春の一冊 (1979年12月1日)
  8. GORO IN U.S.A. PAST 4YEAR STEPS (1980年3月21日)
  9. 10周年記念 / 歌そして愛 (1980年11月5日) 6LP
  10. トップスター ベスト&ベスト (1981年12月) 2LP
  11. 舞 (1982年 9月1日)
  12. 野口五郎 BEST ALBUM (1983年6月1日)
  13. 野口五郎 増刊号 (1983年12月25日)
  14. 野口五郎SELECT/15周年記念アルバム (1986年3月21日)
  15. GORO THE BEST '88 (1988年2月5日)
  16. FAVORITES 14 (1988年11月6日)
  17. A Side collection (1989年12月6日)
  18. A Side collection 2 (1990年1月24日)
  19. B Side Collection (1990年9月27日)
  20. The Songs 〜 BRAND NEW TRACKS 〜 (1995年4月28日) - セルフ・カバー・アルバム
  21. GORO THE BEST '96 (1996年4月25日)
  22. FACE / GORO A SIDE STORY (1997年4月25日) 4CD
  23. 野口五郎/ 筒美京平ウルトラ・ベスト・トラックス (1998年2月18日) 2CD
  24. GORO BOX / 30th ANNIVERSARY (2000年12月20日)
  25. SUPER VALUE 野口五郎 (2001年12月19日)
  26. GOLDEN☆BEST 野口五郎 (2003年11月26日)
  27. 野口五郎 エッセンシャル・ベスト (2007年8月22日)
  28. Light Mellow 野口五郎 (2014年8月6日)

サウンドトラック 編集

  1. 季節風 オリジナルサウンドトラック盤 (1977年12月21日)
  2. 青春諸君・夏! オリジナル・サウンドトラック (1980年7月1日)

その他のアルバム 編集

  1. 野口五郎 オリジナルカラオケ集 (1978年6月21日)
  2. GORO SPECIAL BAND (1979年6月21日) バック・バンドによるアルバム。野口は作曲と演奏のみの参加。

出演 編集

テレビ番組 編集

NHK紅白歌合戦出場歴 編集

年度 放送回 曲目 出演順 対戦相手 備考
1972年 第23回 めぐり逢う青春 10/23 南沙織 紅白初出場
1973年 第24回 2 君が美しすぎて 03/22 森昌子
1974年 第25回 3 甘い生活 08/25 南沙織(2)
1975年 第26回 4 私鉄沿線 16/24 由紀さおり
1976年 第27回 5 針葉樹 01/24 山口百恵 先攻トップバッター
1977年 第28回 6 風の駅 06/24 岩崎宏美
1978年 第29回 7 グッド・ラック 04/24 研ナオコ
1979年 第30回 8 青春の一冊 05/23 桜田淳子
1980年 第31回 9 コーラス・ライン 03/23 石野真子
1981年 第32回 10 裏切り小僧 17/22 石川さゆり
1983年 第34回 11 19:00の街 02/21 柏原芳恵 2年ぶりの復帰出場
2022年 第73回 12 朝起きたら…(小林万里子)の替え歌
夜空の星加山雄三
時代遅れのRock'n'Roll Band
特別企画 - トリ前
「桑田佳祐 feat. 佐野元春, 世良公則, Char, 野口五郎」名義で『LOVE & PEACE スペシャルセクション』として特別企画でVTR出演・披露[48][49]

(注意点)

  • 対戦相手の歌手名の( )内の数字は、その歌手との対戦回数。
  • 曲名の後の(○回目)は、紅白で披露された回数を表す。
  • 出演順は「(出演順) / (出場者数)」で表す。

ドラマ 編集

バラエティ 編集

ほか多数

映画 編集

舞台 編集

ラジオ 編集

CM 編集

書籍 編集

  • 野口五郎 哀しみの終るときに (立風書房 1975年)
  • 五郎へのらぶ・ぽえむ (ルック社 1975年)※TBSラジオの番組『あなたとゴローのラブ・タイム』に寄せられた投書を特集した書籍で、野口自身が選考に係わっている。
  • 芸能人はなぜ老けない (ぶんか社 1999年)

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ デビュー当時のキャッチフレーズが「かわいらしい演歌のホープ」と言われていたが、これは週刊誌が勝手につけたものでレコード会社が付けたキャッチフレーズは「青い木の芽の、はだざわり」[8]
  2. ^ 1978年1月19日に放映開始されたTBS『ザ・ベストテン』の第1回放送時、獲得ポイント5436点の10位だったが、栄えある第1曲目として歌われた楽曲でもある(角川インタラクティブ・メディア「別冊ザテレビジョン ザ・ベストテン 〜蘇る! 80'sポップスHITヒストリー〜」2004年12月、ISBN 978-4-0489-4453-3 (p.46)参照)。
  3. ^ この回は新御三家が揃って出場した最後の紅白歌合戦でもある。
  4. ^ この話が来た時には「当時はとにかく多忙で、分刻みのスケジュールで動いていて目の前の仕事をこなすのに必死だった時だったから、話が来ても何も感じなかった」と話している[38]
  5. ^ 明星20周年記念募集歌。
  6. ^ 松竹映画「季節風」主題歌。
  7. ^ 松竹映画「季節風」挿入歌。
  8. ^ TBS系テレビドラマ「青春諸君!夏」主題歌。
  9. ^ 雑誌「週刊明星」募集歌。
  10. ^ TBS系テレビドラマ「誰かが私を愛してる」主題歌。
  11. ^ フジテレビ系テレビドラマ「弐十手物語」主題歌。
  12. ^ ジェラルド・ジョリングの「Ticket To The Tropics」の日本語カバー。
  13. ^ ニュートン・ファミリーの同名曲の日本語カバー。
  14. ^ GORO名義。サンタナの「スムース」の日本語カバー。
  15. ^ 三橋美智也の同名曲のカバー。
  16. ^ ザ・スパイダースの同名曲のカバー。
  17. ^ 伊勢正三の同名曲のカバー。

出典 編集

  1. ^ a b “野口五郎さんがコロナ対策アプリ開発 歌いたいから安心な環境に”. デジタル毎日. 毎日新聞社. (2020年12月9日). https://mainichi.jp/articles/20201209/dde/012/040/020000c 2020年12月10日閲覧。 
  2. ^ 内外人気スターからバレー選手まで 決定版STアイドル名鑑 野口五郎」『週刊セブンティーン』1972年3月14日号、集英社、113頁。 
  3. ^ a b c d e 週刊現代 2016年3月26日・4月2日号 p.92 - 94「私の地図」
  4. ^ a b c d “もういちど流行歌 1975年2月の曲 私鉄沿線(野口五郎)日々の生活に浸透したタイトル”. 朝日新聞 be on Saturday: p. 2. (2017年2月4日) 
  5. ^ 「野口五郎 哀しみの終るときに」p.87
  6. ^ a b c 「野口五郎 哀しみの終るときに」p.225 - 226「年譜」
  7. ^ 第30回 児玉 英毅 氏”. Musicman-NET (2002年9月10日). 2021年6月26日閲覧。
  8. ^ 昭和46年6月4日発行 日刊レコード特信に博多みれんのキャッチフレーズ
  9. ^ あ☆ぅん、プロデューサー・野口五郎と一緒に神頼み”. BARKS (2009年2月4日). 2019年2月6日閲覧。
  10. ^ 還暦ヒデキ感激…盟友・五郎登場に涙 デイリースポーツ 2015年4月14日配信
  11. ^ “還暦”ヒデキを野口五郎が祝福「抱いていいか?」 ORICON NEWS 2015年4月13日配信
  12. ^ 追悼「西城秀樹」さん 「郷ひろみ」「野口五郎」と語った貴重な“還暦鼎談” 週刊新潮 2016年2月25日号掲載
  13. ^ 野口五郎 絶句「少し時間を…」/西城さん悼む 日刊スポーツ 5月17日配信
  14. ^ 郷ひろみ&野口五郎、26日の西城秀樹さん告別式で弔辞 サンスポ 5月26日配信
  15. ^ 郷ひろみ、野口五郎は「毎日泣いてる」西城さん通夜 日刊スポーツ 5月25日配信
  16. ^ 郷ひろみ「次男が先に逝くのは…」西城さん通夜 日刊スポーツ 5月26日配信
  17. ^ 野口五郎「秀樹、もう、頑張らなくていいから…」 日刊スポーツ 5月27日配信
  18. ^ お前の思うラブソングを天国で極めて/野口五郎弔辞」 日刊スポーツ 5月27日配信
  19. ^ 【西城秀樹さん葬儀】歌手・野口五郎さん「(引退おもいとどまらせた)インタビュアーに感謝したい」サンスポ 5月26日配信
  20. ^ 野口五郎、西城さんとホテルの10階窓から抜け出し…「よくこんな危ないことを」 デイリースポーツ 5月30日配信
  21. ^ 野口五郎 闘病中の西城秀樹さんに会えなかった理由「強引にでも会っていたほうが…」スポニチ 6月11日配信
  22. ^ あの日 あのとき あの番組▽西城秀樹歌声は熱く 野口五郎が語る人生のデュエット NHKドキュメンタリー 7月1日放映
  23. ^ 司会者・中居正広は何が凄いのか? 金スマで見せた繊細な感性 NEWSポストセブン 7月17日配信
  24. ^ NHK「思い出のメロディー」で野口五郎と西城秀樹さんが“共演”果たす デイリースポーツ 8月1日配信
  25. ^ 野口五郎×西城秀樹、「ブルースカイブルー」で時空を超えた奇跡の競演 Musicman-net 8月23日配信
  26. ^ “野口五郎、食道がん手術を告白「昨年末の健康診断で病気がみつかりました」”. SANSPO.COM (産経デジタル). (2019年2月11日). https://www.sanspo.com/article/20190211-A3CCHFO5L5LEHKFXLK2YQ5WEEI/ 2019年2月12日閲覧。 
  27. ^ 野口五郎の50周年ツアーで岩崎宏美と夢のコラボ、デュエットソングとツアーも開催全日本歌謡情報センター 2021年9月13日配信
  28. ^ 野口五郎、岩崎宏美とのツアーを発表。7月には東京国際フォーラムも。キョードーメディアス・PR TIMES 2022年2月25日配信
  29. ^ 桑田佳祐が平和を願い新曲 佐野元春、世良公則、Char、野口五郎と“最強の同級生”5人結集 日刊スポーツ 2022年5月22日配信, 2022年5月22日閲覧。
  30. ^ 2015年10月23日放送 ファミリーヒストリー 野口五郎〜歌にかけた家族の絆〜”. ワイヤーアクション (2015年10月23日). 2017年3月14日閲覧。
  31. ^ a b 「スターの芸名はどうして作られたの 芸名をつけたエピソード」『近代映画』1976年10月号、近代映画社、168頁。 
  32. ^ 「野口五郎 哀しみの終るときに」p.96
  33. ^ 「野口五郎 哀しみの終るときに」p.98
  34. ^ 【ライブレポート】野口五郎、オーチャードホール公演で岩崎宏美と共演”. BARKS (2021年9月13日). 2021年10月21日閲覧。
  35. ^ 生徒役:近藤サト 課題曲:Sunshine Of Your Love
  36. ^ 週刊現代 2014年3月1日号 p.150 - 153「『カックラキン大放送!!』を語ろう」
  37. ^ a b 週刊宝石 2000年8月17日号 p.54 - 56」
  38. ^ 週刊現代 2014年3月1日号 p.150 - 153「『カックラキン大放送!!』を語ろう」
  39. ^ 野口五郎 芸能界「干す」と脅された過去…番組降板申し入れで”. デイリースポーツ (2017年3月11日). 2017年3月14日閲覧。
  40. ^ 2015年2月4日放送「水トク!」”. ワイヤーアクション (2015年2月4日). 2017年3月14日閲覧。
  41. ^ “野口五郎が発案、ライブの感動を持ち帰る「テイクアウトライブ」”. ORICON STYLE. オリコン. (2013年10月26日). https://www.oricon.co.jp/news/2030122/full/ 2018年6月12日閲覧。 
  42. ^ 株式会社ティーオーエア 会社概要”. 株式会社ティーオーエア. 2021年1月8日閲覧。
  43. ^ a b “ライブを持ち帰り&永久保存! ドリカム導入で大人気 発案は野口五郎”. Sponichi ANNEX. スポーツニッポン新聞社. (2018年1月13日). https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2018/01/13/kiji/20180112s00041000332000c.html 2018年6月12日閲覧。 
  44. ^ 連結子会社による「テイクアウトライブ/Take Out Live」のサービス開始について』(PDF)(プレスリリース)株式会社トーセ、2012年10月4日http://fs.magicalir.net/tdnet/2012/4728/20121004013512.pdf2018年6月12日閲覧 
  45. ^ Covid-19で注目を浴びる野口五郎さんの特許発明”. 日本電子公証機構 (2020年8月28日). 2021年1月8日閲覧。
  46. ^ 「公共インフラ」の自覚問う 「LINE個人情報保護、不備」報道 2021年度新聞協会賞”. 朝日新聞デジタル (2021年10月7日). 2021年10月7日閲覧。
  47. ^ 益田喜頓とのデュエットシングル。
  48. ^ 爆笑問題・太田 桑田佳祐から聞いていた「紅白」の”秘話”披露「ブルース歌手の替え歌なんだよ」スポニチアネックス 2023年1月4日配信・閲覧
  49. ^ 今年のテーマ「LOVE & PEACE」を象徴するスペシャルバンドの出場が決定!「桑田佳祐 feat. 佐野元春, 世良公則,Char, 野口五郎」 第73回NHK紅白歌合戦,日本放送協会,2022年12月18日配信,2022年12月18日閲覧。
  50. ^ “高畑充希:TBSドラマ初主演で刑事役初挑戦 西島秀俊ら豪華“おじさま”俳優と共演”. MANTANWEB. (2018年10月20日). https://mantan-web.jp/article/20181019dog00m200092000c.html 2018年10月23日閲覧。 

関連項目 編集

外部リンク 編集