森 慎二(もり しんじ、1974年9月12日 - 2017年6月28日)は、山口県岩国市出身のプロ野球選手投手・右投左打)・監督コーチ

森 慎二
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 山口県岩国市
生年月日 (1974-09-12) 1974年9月12日
没年月日 (2017-06-28) 2017年6月28日(42歳没)
身長
体重
189 cm
88 kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 投手
プロ入り 1996年 ドラフト2位
初出場 NPB / 1997年4月27日
最終出場 NPB / 2005年9月28日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督・コーチ歴
  • 石川ミリオンスターズ (2009 - 2014)
  • 埼玉西武ライオンズ (2015 - 2017)

目次

経歴編集

プロ入り前編集

山口県立岩国工業高等学校卒業後、新日鐵光に入るが、新日鐵グループ野球部の再編に伴って新日鐵君津に転籍。1996年第67回都市対抗野球大会で優秀選手賞を受賞し、同年ドラフト2位で西武ライオンズに入団。

西武時代編集

入団1年目の1997年はプロ初登板は先発だったが先発としては結果を残せず中継ぎで好投したことからリリーフに転向。後半には石井貴と入れ替わる形で抑えに抜擢され、最終的に38試合に登板し6勝2敗9セーブを記録しチームの優勝に貢献。日本シリーズにも登板した。

1998年は開幕からストッパーとして期待され起用されたものの不振で、同じく先発で不振だった西口文也と配置転換で先発登板する。中継ぎと谷間のローテーションを埋め徐々に調子を取り戻し52試合に登板8勝8敗5セーブを記録しリーグ連覇に貢献した。

1999年、谷間の先発や中継ぎで起用されたがムラの激しい投球が目立ち5勝8敗と成績を落とした。

2000年、開幕から好調でストッパーとして完全定着。自己最高の23セーブを挙げ防御率も1点台を記録する。

2001年、不調だったことからクローザーの座を豊田清に譲り、自身は28試合の登板にとどまり、1セーブしか挙げられなかった。

2002年、ストッパーの豊田に繋ぐセットアッパーとして自己最多の71試合に登板し、最優秀中継ぎ投手のタイトルを獲得。4年ぶりのリーグ優勝に貢献した。

2003年も最優秀中継ぎ投手を獲得し、2年連続で同タイトルを獲得した。このように森-豊田の継投はチームの勝利の方程式であった。球速のある荒れ球気味のストレートと落差のあるフォークボールが武器。奪三振率が非常に高く、毎年投球回を大きく上回る奪三振数を記録した。

2004年9月24日の大阪近鉄バファローズとの試合は近鉄にとって球団最後の本拠地での試合となった。自身は延長11回に星野おさむにサヨナラタイムリーヒットを打たれ敗戦投手となった。近鉄は3日後の球団最終戦では敗れているため、森は近鉄相手の最後の敗戦投手となった。同年はオールスターゲームに出場し、2002年から3年連続で出場したが、シーズンでは34試合の登板に終わった。豊田の故障離脱時に抑えを任されることもあったが、0勝4敗4セーブ防御率も4.59と安定感を欠いてプロ初の未勝利に終わる。

2005年は48試合に登板し、2勝2敗5セーブ17ホールドの成績を残した。この年も豊田の故障離脱があり、代役の抑えを務めることがあったが、防御率4点台と安定感を欠いた。

ユニホームの背ネームはS.MORIだった。シーズンオフ、ポスティングシステムによるメジャーリーグ挑戦を表明し、タンパベイ・デビルレイズと2年契約を結んだ。

デビルレイズ傘下時代編集

移籍1年目の2006年は右肩痛の影響で調整が遅れ、初登板したオープン戦で3球目を投げたときに右肩を抱えたままうずくまってそのまま交代となる。診断の結果、右肩を脱臼しており全治1年を要する重傷だった。

2007年1月19日にメジャー出場がないままデビルレイズからメジャー契約を解除される。その後マイナー契約を結ぶが、2007年6月11日に契約を解除したと球団の公式ページにて発表された。その後国内(西武ドーム新日鐵君津球場など)でリハビリをしながら、メジャー挑戦を目指していたが断念。ポスティングシステムを利用してメジャー球団から入札があってメジャー契約した日本人選手がメジャー公式戦に出場できなかった初めての例であり、メジャーリーグ傘下のマイナーリーグ公式戦にも一度も登板していない。

独立リーグ・石川時代編集

2009年BCリーグ石川ミリオンスターズの選手兼任投手コーチに就任した。当初はコーチのみでの発表だったが、肩の調子が良くなり現役復帰の目途が立ったため、選手兼任となった。しかし、同年の公式戦登板はなかった。2010年からは選手を一旦引退し、金森栄治の後任として監督に就任[1]

監督としては在任した5シーズン中全て前・後期のいずれかで北陸地区優勝を果たし[2]、BCリーグチャンピオン3度(2010・2011・2013年)、さらに独立リーグチャンピオン(グランドチャンピオンシップ優勝)も2度獲得した(2011・2013年)。

公式戦ではないが、この期間の2012年9月10日、11日に行われた、米独立リーグであるノース・アメリカン・リーグ所属マウイ・イカイカとの国際交流戦において、試合への登板を果たしており、2013年6月7日、兼任監督として現役復帰することが正式に発表された[3]

西武コーチ時代編集

2014年10月11日、石川ミリオンスターズを退団し[4]2015年より埼玉西武ライオンズの二軍投手コーチに就任した。[5]2016年5月6日から同球団の一軍投手コーチ(ブルペン)に就任する[6]

死去編集

2017年6月25日福岡ソフトバンクホークス戦の試合前に体調不良を訴え福岡市内の病院に入院[7]、27日には病気療養のため休養することが発表された。西武の渡辺久信シニアディレクターは森の病状について、「病状は不明であり復帰の見通しは分からない」と発言した[8]

翌28日、森は入院先の病院で死去した[9]。42歳没。死因は溶連菌の感染による敗血症壊死性筋膜炎)であった[10]

森の訃報は沖縄セルラースタジアム那覇で行われた対千葉ロッテマリーンズ戦の試合前に球団から辻発彦監督へ伝達され[9]、西武の選手たちにはロッテ戦の試合終了後に伝えられたという[11]

6月30日、対オリックス・バファローズ第9回戦(メットライフドーム)の際には、森の逝去を悼み球団旗に代わり弔旗が掲げられると共に選手が喪章を着用し、試合開始に先立って黙祷が行われた。ドームに直結する獅子ビルには献花台が設置され、三塁側ベンチと森が常駐していたブルペンには森のユニホームが掲げられた[12]

9月2日、BCリーグ時代に在籍した石川ミリオンスターズの対富山GRNサンダーバーズ戦(金沢市民野球場)が「ありがとう森慎二さん 3,400人の集い」というタイトルで行われた[13]。3,400人は当時の背番号34にちなむ。試合では全選手が背番号34を着用した[14]。試合終了後、石川球団は背番号34を永久欠番とした[15]

詳細情報編集

年度別投手成績編集





















































W
H
I
P
1997 西武 38 3 0 0 0 6 2 9 -- .750 251 57.2 61 4 20 3 0 61 3 0 24 21 3.28 1.40
1998 52 9 1 0 0 8 8 5 -- .500 490 111.0 112 9 55 3 0 110 8 0 53 47 3.81 1.50
1999 41 13 0 0 0 5 8 0 -- .385 505 113.1 116 11 54 4 2 128 10 1 62 58 4.61 1.50
2000 58 0 0 0 0 5 6 23 -- .455 299 78.2 51 6 20 2 0 101 4 0 16 16 1.83 0.90
2001 28 0 0 0 0 5 4 1 -- .556 194 46.0 38 9 16 0 0 52 5 0 21 20 3.91 1.17
2002 71 0 0 0 0 6 7 1 -- .462 327 78.1 61 4 29 5 0 102 9 1 25 18 2.07 1.15
2003 61 0 0 0 0 7 3 2 -- .700 287 70.0 55 6 22 1 2 92 5 0 19 18 2.31 1.10
2004 34 2 0 0 0 0 4 4 -- .000 235 49.0 50 5 38 1 0 49 2 0 35 25 4.59 1.80
2005 48 0 0 0 0 2 2 5 17 .500 214 49.0 44 5 19 0 3 60 0 0 24 23 4.22 1.29
通算:9年 431 27 1 0 0 44 44 50 17 .500 2802 653.0 588 59 273 19 7 755 46 2 279 246 3.39 1.32
  • 各年度の太字はリーグ最高

タイトル編集

記録編集

初記録
その他の記録

独立リーグでの投手成績編集












































W
H
I
P
2013 石川 9 0 0 0 0 .000 5.1 27 7 0 6 2 1 6 4 0 1 0 6.75 1.69
2014 14 0 0 0 0 .000 14.2 65 19 1 13 6 3 6 4 1 1 0 2.63 1.70
通算:2年 23 0 0 0 0 .000 20.0 92 26 1 19 8 4 12 8 1 2 0 3.60 1.70

背番号編集

  • 19 (1997年 - 2002年)
  • 11 (2003年 - 2005年)
  • 34 (2009年 - 2014年)
  • 89 (2015年 - 2017年)

脚注編集

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  1. ^ 新監督決定のお知らせ
  2. ^ 2010~2013年の前期と2014年後期。
  3. ^ 選手登録のお知らせ
  4. ^ 森 慎二監督 退任に関する記者会見のお知らせ石川球団公式サイト2014年10月11日配信
  5. ^ 2015年度 コーチングスタッフ発表!西武球団公式サイト2014年10月11日配信
  6. ^ 森慎二 一軍投手コーチおよび小野寺力 ファーム投手コーチ兼育成コーチ就任のお知らせ西武球団公式サイト2016年5月6日配信
  7. ^ “西武ショック!森慎二投手コーチが休養発表翌日に急死”. サンケイスポーツ. (2017年6月29日). http://www.sanspo.com/baseball/news/20170629/lio17062905070002-n1.html 2017年6月29日閲覧。 
  8. ^ “西武・森投手コーチが病気休養 渡辺SD「まだ病名分からない」”. Sponichi ANNEX. スポーツニッポン新聞社. (2017年6月28日). http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2017/06/28/kiji/20170627s00001173425000c.html 2017年6月28日閲覧。 
  9. ^ a b “西武・森慎二投手コーチ死去 42歳…辻監督「ショックです」”. Sponichi ANNEX. スポーツニッポン新聞社. (2017年6月28日). http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2017/06/28/kiji/20170628s00001173388000c.html 2017年6月28日閲覧。 
  10. ^ 西武・森慎二コーチの死因は「溶連菌の感染による敗血症」 父親が明かす - 東スポWeb 2017年7月4日
  11. ^ sundaylions795のツイート (880062909748977664)
  12. ^ “急死の森慎二コーチ追悼セレモニー 両軍選手とファンが黙とう” (日本語) (HTML). 東京スポーツ. (2017年6月30日). http://www.tokyo-sports.co.jp/sports/baseball/703945/ 2017年7月4日閲覧。 
  13. ^ 「ありがとう 森 慎二さん 3,400人の集い」のお知らせ”. ジャパン・ベースボール・マーケティング (2017年8月9日). 2017年8月16日閲覧。
  14. ^ “きょうミリスタ元監督・森氏の追悼試合 球団社長ら全力プレー誓う”. 北國新聞. (2017年9月2日). http://www.hokkoku.co.jp/subpage/H20170902104.htm 2017年9月3日閲覧。 
  15. ^ 2017年9月2日 - 石川ミリオンスターズ公式twitter

関連項目編集

外部リンク編集