獅子てんや・瀬戸わんや
獅子てんや・瀬戸わんや(しし てんや・せと わんや)、略称:てんやわんやは、戦後長きに亘り活躍した漫才コンビ。大柄のてんやが、小柄で額の禿げ上がったわんやをいびり、わんやがムキになって怒るスタイルで人気を博した。警察官と役人という、二人共堅い前職の持ち主だった。
獅子てんや・瀬戸わんや | |
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獅子てんや・瀬戸わんや(1955年) | |
メンバー |
獅子てんや(本名:佐々木久雄) 生年月日:1924年6月25日(95歳) 瀬戸わんや(本名:妹尾重夫) 生年月日:1926年3月10日 没年月日:1993年2月10日(66歳没) |
結成年 | 1952年 |
解散年 | 1993年(わんやの死去による) |
活動時期 | 1952年 - 1992年(実質的には1987年) |
師匠 | 内海突破 |
出会い | 内海突破の門下生同士 |
芸種 | 漫才 |
過去の代表番組 | 家族そろって歌合戦 |
受賞歴 | |
若手漫才コンクール第1位(1952年) 第1回NHK新人漫才コンクール優勝(1953年) 日本放送作家協会大衆芸能賞(1967年) 他 |
来歴・人物編集
内海突破の兄弟弟子同士で、1952年(昭和27年)コンビ結成。芸名の由来は獅子文六のベストセラー小説『てんやわんや』から。なお苗字の「獅子」は、獅子文六から借用、「瀬戸」は『てんやわんや』の舞台が瀬戸内地方だったことによると思われる。
無断借用された獅子文六は「獅子となのるのは乱暴だ」と思っていた[1]。なお、のちの1967年ごろに、てんや・わんやの二人が、獅子文六の家に「無断借用のおわび」に来たことがあったという[2]。
大塚駅前天祖神社の夏祭りで初舞台を踏み、ドサ回りで習練を積んだ。
1956年(昭和31年)産経新聞社主催若手漫才コンクールに国定忠治の出し物で一位、翌年の第1回NHK新人漫才コンクールにも「世界旅行をかえりみて」というネタで優勝し、並居る若手漫才の中で図抜ける。新作に取り組む姿勢は積極的で、その中から「ひよこと卵」「なんで行ったの」などの定番ネタが磨かれた。
1966年(昭和41年)から約14年間放送されたTBS『家族そろって歌合戦』の司会でも全国的人気を博した他、1967年(昭和42年)に第7回日本放送作家協会大衆芸能賞受賞、フジテレビ放送演芸大賞も二度受賞し、テレビ・ラジオで重宝がられる。
正月席などハレの場では、鼓・扇を持ち三河万歳を陽気に披露していた。「外れ」のない安定感は抜群で、下卑た話題を避け芸が綺麗なことから東京演芸界中とりわけ優等生的な地位に就き、関西のいとし・こいしと双璧とする評もあったが、コンビ時代の末期以降、仲は決して良くなかったとされる。地方公演の移動では、別行動をとり、宿泊では、てんやはホテルで洋室に、わんやは日本旅館に和室が常であった。
わんやが健康面に不安を抱えた1970年代中頃から、思うような反応を見せられないわんやに対し、てんやが客前で苛立った表情を露にするようになり、それに対してわんやがふて腐るなど、稽古不足も相俟って晩年の舞台は荒れて行った。1987年(昭和62年)遂にわんやが病に倒れて活動休止、そのまま復帰叶わず亡くなり、コンビも消滅した。
メンバー編集
獅子てんや(しし てんや、1924年(大正13年)6月25日 - )
- 東京府荏原郡平塚村(現・東京都品川区)下蛇窪生まれ、本名:佐々木 久雄(ささき ひさお)。ボケ役。
- 1937年に高等小学校を中退し、東京市芝区三田(現・港区三田)の電機製品工場に就職。徴用で豊島区池袋の軍需工場に移り、1943年、19歳で海軍に応召。追浜・霞ケ浦の予科練で敗戦を迎える。間もなく警視庁に採用され、原宿警察署・丸の内警察署の巡査を経て、1950年の国家警察予備隊(自衛隊の前身)の発足と共に分隊長に昇進。しかし、柔道訓練中の怪我で療養中にラジオから流れる漫才に心奪われ、当時人気絶頂の内海突破に警察手帳を示して1週間通い続け、根負けした師匠から弟子入りを許される。相方わんやの死後は芸能界から退き、妻の勧めで在家仏教協会に入会、講演活動を行った。
ギャグ編集
- 「たまごの親じゃ、ピーヨコちゃんじゃ。ぴっぴっピーヨコちゃんじゃ、アヒルじゃがぁがぁ。」
- 「いーとこはーとこいとはとこ」
- 岡山のおばあちゃんネタ「何で行ったんだ」
- 「例えばだよ・・」
楽曲編集
CM編集
ラジオ編集
弟子編集
孫弟子編集
パロディ編集
- 『オレたちひょうきん族』の「ひょうきんスター誕生」(『お笑いスター誕生!!』のパロディ)コーナーで、てんやわんやを模した「てん丼・わん丼」で漫才をした(ビートたけしがてん丼、片岡鶴太郎をわん丼)。これを基として、鶴太郎がリーダーを務めた「ピヨコ隊」が結成され、『ザ・ベストテン』のパロディ企画「ひょうきんベストテン」コーナーに登場。名物キャラクターになった。
- 『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!』の「絶対に笑ってはいけないスパイ24時」(番組総指揮の菅賢治がガースー・ブラック・ファルコンのひ孫役で登場)。