山口芳忠

日本のサッカー選手

山口 芳忠(やまぐち よしただ、1944年9月28日 - )は、静岡県藤枝市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。選手時代のポジションはディフェンダー1968年メキシコシティーオリンピックにおいて日本代表が銅メダルを獲得した時の選手の一人。藤枝市初代市長山口森三は父に当たる。

山口 芳忠
名前
カタカナ ヤマグチ ヨシタダ
ラテン文字 YAMAGUCHI Yoshitada
基本情報
生年月日 (1944-09-28) 1944年9月28日(79歳)
出身地 静岡県藤枝市
身長 167cm
体重 62kg
選手情報
ポジション DF
ユース
1960-1962 静岡県立藤枝東高等学校
1963-1966 中央大学
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1967-1975 日立本社/日立製作所 121 (15)
代表歴
1964-1973 日本の旗 日本 49 (0)
監督歴
19??-?? 日本ジュニア代表
1988-?? 日本代表B/日本選抜
19??-?? ユニバーシアード日本代表
1989-92  日本 U-23
1993 柏レイソル
2000-05 中央大学
獲得メダル
男子 サッカー
オリンピック
1968 サッカー
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

略歴 編集

静岡県藤枝市出身。藤枝東高校時代はフォワードとしてプレー。日本ユース代表に選出され、1962年、1963年のアジアユース大会に出場した。

中央大学に入学してサッカー部に入部し、ディフェンダーへ転向。4年次には主将を務め1966年の関東大学リーグ制覇に貢献した。

また大学在学中の1964年に日本代表に選出され10月16日の東京オリンピック1次リーグガーナ戦で国際Aマッチデビュー[1] を飾り、これ以降左サイドバックのレギュラーとして定着。1968年のメキシコ五輪銅メダル獲得に貢献したのを始め、1974年に退くまで国際Aマッチ49試合に出場した。堅実で激しいディフェンスで、スッポンの異名で呼ばれた[2]。そのDF能力を買われ1972年5月26日の日本対サントスFC戦ではペレのマンマークを担当したが、2得点を許した。

大学卒業後は日立製作所(現在の柏レイソル)に加入。1972年シーズンの日本サッカーリーグ初優勝に貢献するなど、121試合出場15得点の記録を残した。また1968年から7年連続でベストイレブンに選出される等、日本を代表するDFの一人であった。

引退後は指導者としてユニバーシアード代表U-23日本代表など若い世代の指導を長く務め、大学生を中心とした若手で編成された日本代表Bを率いて予選を勝ち抜きAFCアジアカップ1988決勝大会出場や、14年ぶりのマラハリムカップ  インドネシア)優勝などの成果を上げた。1993年に古巣の柏レイソルへ復帰。2000年からは中央大学のサッカー部監督を務めていた。

これらの功績により2007年日本サッカー殿堂入りをした。2014年3月、藤枝MYFCの名誉総監督への就任が発表された[3]

所属クラブ 編集

個人成績 編集

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 JSL杯 天皇杯 期間通算
1967 日立 6 JSL 14 1 - - 14 1
1968 14 2 - - 14 2
1969 13 3 - - 13 3
1970 3 14 2 -
1971 8 1 -
1972 JSL1部 14 2 -
1973 16 3
1974 16 1 -
1975 12 0 -
通算 日本 JSL1部 121 15
総通算 121 15

指導歴 編集

監督成績 編集

年度 所属 クラブ リーグ戦 カップ戦
順位 試合 勝点 勝利 引分 敗戦 ナビスコ杯 天皇杯
1993 旧J1 5位 18 - 9 - 9 予選リーグ 1回戦
  • 1993年の成績は通年(一時代行の期間をはさむ)。

代表歴 編集

出場大会 編集

試合数 編集

  • 国際Aマッチ 49試合 0得点(1964-1973)


日本代表国際Aマッチ その他期間通算
出場得点 出場得点出場得点
1964 1 0 8 0 9 0
1965 4 0 7 0 11 0
1966 7 0 9 0 16 0
1967 4 0 8 0 12 0
1968 3 0 15 1 18 1
1969 4 0 17 0 21 0
1970 12 0 14 0 26 0
1971 6 0 10 0 16 0
1972 5 0 6 0 11 0
1973 3 0 5 0 8 0
1974 0 0 3 0 3 0
通算 49 0 102 1 151 1

脚注 編集

  1. ^ 代表デビューは1964年7月31日のウクライナ選抜戦。
  2. ^ 東京五輪直前に19歳で抜擢。1対1の強さに“すっぽん”といわれたDF 山口芳忠(上)”. 賀川サッカーライブラリー. 2013年8月31日閲覧。
  3. ^ 「藤枝MYFC、本拠初戦敗退 初勝利お預け」朝日新聞 (2014年3月17日) 2016年9月23日閲覧

外部リンク 編集