柏レイソル

日本のサッカークラブ

柏レイソル(かしわレイソル、Kashiwa Reysol)は、日本千葉県柏市をホームタウンとする[1]日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。

柏レイソル
原語表記 柏レイソル
呼称 柏レイソル
クラブカラー     イエロー[1]    ブラック
創設年 1940年
所属リーグ 日本プロサッカーリーグ
所属ディビジョン J1リーグ
クラブライセンス J1
ホームタウン 千葉県柏市[1]
ホームスタジアム Kashiwa20120311-1.JPG
日立柏サッカー場[1]
収容人数 15,349[1]
運営法人 株式会社日立柏レイソル[1]
代表者 日本の旗 瀧川龍一郎[1]
監督 日本の旗 下平隆宏
公式サイト 公式サイト
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ
株式会社日立柏レイソル[1]
Hitachi Kashiwa Reysol Co., Ltd.
種類 株式会社
市場情報 未上場
本社所在地 277-0083
千葉県柏市日立台1-2-50[1]
設立 1992年4月1日
業種 サービス業
法人番号 1040001066366
事業内容 サッカークラブ運営
代表者 瀧川龍一郎[1]
資本金 1億円 (2016年3月期)[2]
決算期 3月期
主要株主 日立製作所 99.8%
外部リンク http://www.reysol.co.jp
特記事項:2000年に株式会社日立スポーツから法人名を変更[1]
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目次

概要編集

1940年に創部された日立製作所本社サッカー部(1970年に日立製作所サッカー部へ改称)が前身となり[1]1995年にJリーグへ加盟した[1]。運営会社は株式会社日立柏レイソルである[1]ホームタウン千葉県柏市であるが[1]東葛地域我孫子鎌ケ谷流山野田松戸の5市、印旛地域印西白井の2市をホームタウン活動エリアに設定[3] し、サッカースクールやホームゲームでのホームタウンデーなどを行っている[3]

チーム名はスペイン語の「レイ(Rey)」(王)と「ソル(Sol)」(太陽)を合わせた造語で、「太陽王」を意味する[1]。ホームスタジアムは日立柏サッカー場である[1](詳細は#スタジアム・練習場を参照)。マスコットは「太陽の王子」をイメージした「レイくん」である[1]

また、近年では育成にも力を入れているクラブで、スタメンの半分をU-18出身の選手でしめることもある。

'17シーズンからのルヴァン杯でのルール改正により、より若手の選手(ユース出身の選手)の活躍が期待されている。

歴史編集

Jリーグ昇格前編集

前身の日立製作所サッカー部は、日本サッカーリーグ(JSL)が創設された1965年から参加した8チーム(オリジナル8)のうちの1つ。JSLリーグ戦で1回、JSLカップで1回、天皇杯で2度、それぞれ優勝した。

1990年にプロリーグ(Jリーグ=1993年創設)参加を表明。1992年4月、運営会社となる株式会社日立スポーツを設立[1]。1993年、日立FC柏レイソルとクラブ名称を変更し[1]フジタ(現:湘南ベルマーレ)、ヤマハ(現:ジュビロ磐田)と共にJリーグ準会員に承認された。

1993年、当時ブラジル代表カレカを獲得。山口芳忠が初代監督として指揮をとった。ジャパンフットボールリーグ(JFL)は5位の成績でJリーグ昇格はならなかった。

1994年戸塚哲也柱谷幸一を獲得。10月23日、JFL最終節でNTT関東サッカー部に勝利したことで2位が確定し、Jリーグ昇格を決めた。カレカはこの最終節のゴールを決めた他、チーム最多の19得点を挙げた。

1995年 - 2005年(Jリーグ・J1)編集

1995年、1stステージは最終戦でそれまで10連敗していたホームで勝利をあげたが最下位(14位)。1stステージ終了後のゼ・セルジオを監督から解任し、7月の2ndステージからはアントニーニョが監督に就任。1stステージ優勝の横浜Mに2戦2勝するなど2ndステージは5位(年間成績は12位)。

1996年柏レイソルへクラブ名称を変更[1]。また、ニカノール・デ・カルバーリョが監督に就任。エジウソンや両サイドバックが激しく動く攻撃的なサッカーを展開、12連勝を達成するなど、年間5位の成績。

1997年、二カノール体制2年目。1stステージは,優勝争いに加わり3位であったが、2ndステージは10位に終わった。なお、エジウソンW杯出場を目指し,2ndシーズン途中に退団。また、シーズン終了後にニカノールが金銭面を巡ってクラブと合意に至らず監督を退任。

1998年、監督に西野朗が就任。また、7月にブルガリア代表フリスト・ストイチコフが加入した。

1999年、西野2年目。横浜Fから薩川了洋平塚から洪明甫を獲得した一方、2ndステージ前にストイチコフが退団した。リーグ戦は年間3位の成績。また、ナビスコカップで優勝し、クラブ初タイトルを獲得。

2000年、西野3年目。1stステージは4位。2ndステージは終盤まで優勝を争い、最終節の勝った方が優勝という鹿島との直接対決でスコアレスドローとなり優勝を逃す。 年間では最多の勝点を獲得したものの、1st/2ndステージ勝者[注 1] が年間1位/2位となるため、総合3位でシーズンを終えた。勝ち点1位のチームが優勝を逃したことはチャンピオンシップの結果によって何度もあるが、チャンピオンシップそのものの出場を逃したのはこれが唯一のケースであるとはいえ、年間勝ち点を争う時代ではない。

2001年、1stステージが6位、2ndステージが7位。なお、7月に西野を解任して、スティーブ・ペリマンが後任の監督に就任した。

2002年、1stステージは7連敗を喫するなど14位。8月にペリマンを解任し、マルコ・アウレリオが監督に就任。2ndステージは9位。

2003年、1stステージが9位、2ndステージが11位(年間成績は12位)。シーズン終了後にマルコ・アウレリオが退任した(事実上の解任である)。

2004年、日立製作所サッカー部OBの池谷友良がコーチから監督に昇格したが、1stステージは15位の成績。1stステージ終了後に池谷が退任し、早野宏史が後任監督に就任したが、2ndステージも15位。J1年間最下位に終わったが、J1・J2入れ替え戦福岡に勝利し、J1に残留した[注 2]

2005年韓国代表FW崔成国クレーベルらを獲得(崔は7月31日付でレンタル移籍を終了)。低迷打破のため、元ブラジル代表FWフランサを獲得し、元東京Vラモス瑠偉をコーチに起用した。

10月15日、アウェーの浦和戦で、2人の退場者を出すなどし、0-7で大敗。11月26日、ホームの東京V戦に5-1と大勝したが、年間16位の成績。

J1・J2入れ替え戦は甲府に、第1戦はアウェーで1-2、第2戦はホームで2-6と連敗し、Jリーグ ディビジョン2(J2)降格が決まった。[注 3]。早野は天皇杯(G大阪戦)を前に監督を辞任し、山形や川崎の元監督の石崎信弘が監督に就任。

2006年(J2)編集

チームスローガン : 「タフネス

明神智和がG大阪、波戸康広土屋征夫大宮玉田圭司が名古屋、大野敏隆が東京V、矢野貴章永田充新潟へ完全移籍したが、4年ぶりの復帰となった北嶋秀朗を清水から完全移籍で、SEパルメイラスから前年神戸でプレーしていたディエゴを期限付き移籍で獲得した。J2リーグ戦は横浜FC・神戸と自動昇格枠を争い、2位神戸と勝ち点差1の3位で迎えた最終節・湘南戦に勝利し、神戸が仙台に敗れたため、2位での自動昇格を決め、1年でのJリーグ ディビジョン1(J1)復帰を果たした。なお、84得点は2006年シーズンJ2最多得点であった。

2007年 - 2009年(J1)編集

2007年
チームスローガン : 「挑戦 ~進化しつづけるタフネス

石崎体制2年目。リカルジーニョディエゴが退団した一方、GK水谷雄一、MFアルセウマルシオ・アラウージョ、FW阿部吉朗、DF古賀正紘などが加入。J1復帰1年目の目標を「勝ち点45を取る」と設定した。また、3月末に運営会社の社長が小野寺重之から河西晋二郎に交代した。

リーグ戦は開幕戦で磐田に勝利。その後も苦手にしていたアウェーでも勝ち点を得るようになり、前半戦の台風の目となる。また、中盤戦は、2年前は大敗したアウェーの浦和戦を1-1で乗り切ると、苦戦が予想された8月を3勝2分と無敗で過ごす。特に浦和・横浜FMらとJ1最少失点の座を争い、8月までの23試合中12試合が無失点であった。9月23日の川崎戦で当初の目標の勝ち点45を残り8試合を残して達成したがその後は故障者が相次いだ事もあり、4連敗を含む1勝1分6敗であった。

2008年
チームスローガン : 「UNIAO ~ウニオン~ 団結・結束

石崎体制3年目。GK水谷雄一、MF谷澤達也が移籍したものの、GK菅野孝憲、MFアレックス、FWポポなどを獲得[注 4]。DFの補強は鎌田次郎[注 5] のみと攻撃陣の補強が目立った。

リーグ戦は第15節時点で3位につけたが、中盤以降は低迷して、最終成績は11位。天皇杯は、前身の日立製作所本社サッカー部時代以来、33年ぶりに決勝へ進出。決勝はG大阪に敗れたが、準優勝の成績を収めた。シーズン終了後に石崎が監督を退任した。

2009年
チームスローガン : 「Pra Frente,REYSOL ~共に前に進もう~

監督に高橋真一郎が、コーチに元日本代表DFの井原正巳、元清水シジマール・アントニオ・マルチンスが就任。アレックス千葉へ移籍した一方、2007年に在籍していたアルセウナイジェリアからアデバヨを獲得。また、柏レイソルユースから史上最多の5人の選手が入団した。

シーズン開幕後、アルセウがケガのため登録抹消。フランサ李忠成などが相次いで負傷離脱。大宮から小林慶行クルゼイロECからアンセウモ・ハモン、G大阪からパク・ドンヒョクをレンタル移籍で獲得したが、第17節終了時点でリーグ最多失点の17位と低迷したため、7月15日をもって高橋を監督から解任。東京V名古屋元監督のネルシーニョが後任監督に就任したが、第33節の大宮戦に引き分けて、2006年以来2度目のJ2降格となった。なお、ナビスコ杯はグループリーグ敗退、天皇杯は3回戦で敗退した。

2010年(J2)編集

チームスローガン : 「Vitoria

ネルシーニョ体制2年目。クルゼイロからレアンドロ・ドミンゲスを獲得した一方、杉山浩太が期限付き移籍満了で清水へ復帰した。また、シーズン途中にフランサが退団、菅沼実古賀正紘が期限付きで磐田に移籍した。J2リーグ戦は、開幕から19試合無敗と年間敗戦数「2」のリーグ敗戦数最少記録を樹立。第33節の岐阜戦で3位以内が確定。第36節の横浜FC戦に勝利してJ2優勝も決めた。天皇杯は4回戦で敗退した。

2011年 - (J1)編集

2011年
チームスローガン : 「Vitoria

ネルシーニョ3年目。右SBのレギュラーだった小林祐三が横浜FMへ、古賀、菅沼が磐田へそれぞれ完全移籍した一方、大宮から安英学京都から増嶋竜也福岡から中島崇典、清水から兵働昭弘サンパウロFCからジョルジ・ワグネルを獲得。シーズン6位以内を目標に掲げてシーズンに入った[4]。また、3月末に運営会社の社長が河西晋二郎から御手洗尚樹(日立製作所・執行役常務)に交代した[5]

リーグ戦はU-22日本代表酒井宏樹澤昌克ジョルジ・ワグネルらの活躍もあり首位戦線で健闘、名古屋G大阪と優勝を争い、第29節で首位に浮上。第34節(最終節)で浦和を破り、Jリーグ初となるJ1昇格1年目でのJ1初優勝を飾った[注 6][注 7][6]。また、J1、J2の両ディビジョンで年間優勝のタイトルを受賞した初のチームとなった[注 8]。ナビスコ杯は初戦敗退、天皇杯は4回戦で敗退した。また、FIFAクラブワールドカップ2011オークランド・シティFCモンテレイに勝利。3位決定戦でアル・サッドに敗退したが4位の成績を残した。

2012年
チームスローガン : 「Vitoria

ネルシーニョ4年目。藏川洋平熊本に、パク・ドンヒョク大連実徳に、仙石廉岡山)、池元友樹北九州)がそれぞれレンタル移籍していたにチームに完全移籍、兵働昭弘千葉に、相馬大士JFLFC琉球に、岡山にレンタル移籍していた山崎正登FC岐阜に、JFL・ブラウブリッツ秋田にレンタル移籍していた比嘉厚平山形に、岐阜にレンタル移籍していたエフライン・リンタロウが秋田にレンタル移籍、武富孝介の熊本への期限付き移籍期間も延長した。

補強は横浜FMから昨シーズン横浜FCに期限付き移籍していた藤田優人栃木SCからリカルド・ロボ磐田から那須大亮東京Vから昨シーズン北九州にレンタル移籍していた福井諒司を完全移籍で獲得、岐阜にレンタル移籍していた川浪吾郎、栃木SCにレンタル移籍していた渡部博文が復帰、ユースから山中亮輔が昇格した。また、リーグ戦の開幕後に三浦雄也が加入した。

シーズン途中に北嶋秀朗が熊本、リカルド・ロボが千葉、林陵平が山形、中島崇典横浜FC、三浦雄也が松本へレンタル移籍、酒井宏樹ブンデスリーガハノーファー96へ完全移籍し、元千葉のネット・バイアーノが加入した。

ゼロックス杯は、FC東京に勝利して初優勝。リーグ戦は6位の成績。AFCチャンピオンズリーグ2012はラウンド16、ナビスコ杯はベスト4の成績。

第92回天皇杯全日本サッカー選手権大会は、決勝戦でG大阪を下し、日立製作所時代以来37年ぶり3度目の天皇杯優勝を果たした。これにより、Jリーグ7チーム目[注 9]オリジナル10以外のチームでは磐田に次いで2チーム目の国内3大タイトル(J/J1・ナビスコ杯・天皇杯)獲得チームとなった。また、2回戦は柏レイソルU-18との「兄弟対決」となった。

2013年
チームスローガン : 「Vitoria

ネルシーニョ5年目。安英学三浦雄也エフライン・リンタロウネット・バイアーノ、GKコーチのシジマールが退団、那須大亮浦和水野晃樹甲府福井諒司東京Vに、北嶋秀朗熊本)、比嘉厚平林陵平(共に山形)、山崎正登FC岐阜)、中島崇典横浜FC)、兵働昭弘(千葉)がレンタル先にそれぞれ完全移籍。ユースから昇格した中川寛斗クォン・ハンジン、熊本にレンタル移籍中だった武富孝介湘南川浪吾郎徳島JFLFC琉球にレンタル移籍中だった相馬大士がJFL・町田にそれぞれレンタル移籍した。

補強面では、アルビレックス新潟から鈴木大輔横浜FMから谷口博之狩野健太、山形から柏ユース出身の太田徹郎Kリーグ釜山アイパークから金昌洙を完全移籍、CSL広州恒大からクレオを期限付き移籍でそれぞれ獲得。ユースからは秋野央樹木村裕小林祐介中村航輔が加入し、レンタル移籍した中川を含めて5人が昇格した。

FUJI XEROX SUPER CUPは広島に敗退した。

8月31日、アウェー鹿島戦終了後、ネルシーニョが辞意を表明するが、9月5日「感情的に熱くなって間違った態度を取った」と撤回、10月17日にはネルシーニョが2014年度も継続して指揮を執ることが発表された[7]

AFCチャンピオンズリーグ2013では、Jリーグ勢で唯一の決勝トーナメント進出を果たした。決勝ラウンドは準決勝で広州恒大に敗れた。

リーグ戦は10位の成績。ナビスコカップは決勝で浦和を破り、14年ぶり2回目の優勝を果たした。

天皇杯は4回戦で大分に敗れ、大会2連覇と2014年のACL出場は成らなかった。

2014年
チームスローガン : 「Vitoria

ネルシーニョ体制6年目。前年にJFL・町田にレンタル移籍していた相馬大士が引退、ジョルジ・ワグネル澤昌克が退団、クレオがレンタル移籍満了により退団、前年より湘南にレンタル移籍中だった武富孝介中川寛斗の移籍期間を延長、山中亮輔千葉谷口博之鳥栖にレンタル移籍、前年よりレンタル移籍中だったクォン・ハンジン(湘南⇒群馬)、川浪吾郎徳島)がレンタル先に完全移籍となった。

補強面では、湘南から高山薫ハン・グギョン水戸から柏レイソルU18出身の輪湖直樹アル・サッドから元G大阪レアンドロを完全移籍で獲得。U18から中谷進之介が加入した。

シーズン開幕後、5月にチーム内に負傷者が相次いだこともあり、U18から中山雄太大島康樹手塚康平会津雄生山本健司の5名を二種登録。8月にカンピオナート・ブラジレイロフィゲイレンセFCからドゥドゥ栃木SCからエドゥアルドをそれぞれレンタル移籍で獲得。 6月にレアンドロ・ドミンゲス名古屋グランパスエイト田中順也プリメイラ・リーガスポルティングCPに、8月にハン・グギョンがカタールSCにそれぞれ完全移籍した。

天皇杯は、3回戦で千葉との千葉ダービーでPK戦の末敗退。

スルガ銀行チャンピオンシップでは、CAラヌースに2-1で勝利し、4年連続となるタイトルを獲得した。

ナビスコカップは、2002年以来となるグループリーグからの決勝トーナメント進出を果たした。準々決勝は当時6年間リーグ戦負けなしの横浜FMに快勝したものの、準決勝は前年の準々決勝で破っていた広島に2戦合計3 - 2で敗れ、連覇の夢は潰えた。

ネルシーニョが9月17日に今季限りでの退任を発表した。

J1第28節の鹿島戦から第34節の新潟戦まで7連勝の4位でシーズンを終了した。J1優勝のG大阪が天皇杯も優勝したため、繰上げでAFCチャンピオンズリーグ2015の出場権を獲得した。2011シーズンから続いていた3大主要タイトルの連続優勝こそならなかったものの、ホームの日立柏サッカー場では、リーグ戦17試合中11勝5分1敗という好成績を残した。

井原正巳ヘッドコーチ、アレックスGKコーチ、ピメンテウフィジカルコーチが契約満了により、退任。

2015年
チームスローガン : 「MORE(モア)

新監督にダイレクターだった吉田達磨が就任。また、布部陽功コーチがヘッドコーチ、杉山弘一アユタヤFC(タイ)監督がコーチ、松原直哉U-18コーチがフィジカルコーチ、松本拓也アカデミーGKコーチがGKコーチ、 渡辺毅U-12監督がダイレクターに就任した。今年から全カテゴリー同じコンセプトで、ボールを保持するサッカーを目指す。

橋本和浦和高山薫湘南谷口博之鳥栖渡部博文仙台に完全移籍。木村裕長崎中村航輔福岡にレンタル移籍。ドゥドゥがレンタル移籍満了で退団した。

補強面では、VVVフェンローから大津祐樹を完全移籍、甲府からクリスティアーノを期限付き移籍で獲得。湘南にレンタル移籍中だった武富孝介中川寛斗千葉にレンタル移籍中だった山中亮輔が復帰。明治大学から三浦龍輝が新加入。U-18から大島康樹中山雄太が昇格した。また流通経済大学から湯澤聖人の2016年シーズン加入内定が発表された。

シーズン開幕後、U-18から滝本晴彦熊川翔浮田健誠の3名を二種登録。流通経済大学から湯澤聖人を特別強化選手に登録。6月に大宮から今井智基を完全移籍で獲得。7月にレアンドロ神戸に完全移籍。7月にアトレチコ・パラナエンセからエデルソンを完全移籍で獲得。

AFCチャンピオンズリーグ2015ではプレーオフからのスタートだったが、チョンブリーFCを3-2で下して予選を通過した。グループリーグでは日本勢の中では好調な滑り出しをして、第5節の全北現代モータース戦で勝利をおさめて決勝トーナメントに進出を果たした。

しかし、リーグ戦ファーストステージでは、初戦に前年まで監督だったネルシーニョが率いるヴィッセル神戸に勝利したものの、最終的にわずか4勝しか挙げられず、最終順位は14位と低迷。セカンドステージでは序盤巻き返しを見せ上位に食い込むものの、ACL敗退後はわずか2勝。年間10位、セカンドステージ8位でリーグ戦を終えた。

AFCチャンピオンズリーグ決勝トーナメントでは1回戦で水原三星(韓国)と対戦。1stレグはレアンドロの2得点をあげる活躍などで3 - 2で勝利。2ndレグは0 - 2と追い込まれていたが小林祐介のプロ初得点で、2戦合計4 - 4となったがアウェーゴールの差で勝利した。準々決勝では広州恒大(中国)と対戦。1stレグはホームの日立での戦いだったが3失点を許して敗戦。2ndレグでもクリスティアーノが得点して反撃を見せるが、1-3で落とし2戦合計2 - 4でACLの敗退が決まった。

天皇杯では、準決勝で浦和レッズに0 - 1で敗戦、決勝進出はならなかった。

シーズン終了後、吉田監督が退任した。

2016年
チームスローガン :「柏から世界へ UNIDOS SOMOS FORTES

新監督にミルトン・メンデスが就任。工藤壮人アメリカMLSバンクーバー・ホワイトキャップス(カナダ)へ、金昌洙韓国Kリーグ全北現代モータースへ、鈴木大輔スペインリーガ・アデランテジムナスティック・タラゴナへ、近藤直也千葉へ、狩野健太川崎へ、菅野孝憲京都へ、三浦龍輝長野へ、藤田優人鳥栖へ移籍。また、期限付き移籍のクリスティアーノ甲府に復帰。長崎へレンタル中の木村裕はレンタル延長となった。

補強面では仙台から鎌田次郎、U-18から手塚康平流通経済大学から湯澤聖人、甲府から伊東純也タイプレミアリーグチョンブリーFCからジュリアーノ・ミネイロブラジルセリエAAAポンチ・プレッタからディエゴ・オリヴェイラを獲得し、福岡に期限付き移籍をしていた中村航輔が復帰した。また、U-18から安西海斗滝本晴彦が昇格。田中順也が一年半ぶりにスポルティングCPから期限付き移籍で復帰した。

リーグ開幕後にはメンデス監督の構想外となっていたエドゥアルド川崎への期限付き移籍が発表された。フェホビアリアからパトリッククルゼイロECからドゥドゥをレンタルで獲得した(メンデス監督辞任後、パトリックは構想外となり未登録のまま退団)。

キャプテンを8名に任命する、練習と試合での指示が異なるなどチームは混乱、ちばきんカップではジェフ千葉に0-3と完敗し、リーグ戦開幕後も2連敗を喫した。 3月12日のリーグ1stステージ3節・ジュビロ磐田戦(日立柏2-2)後に、メンデス監督は家族の健康上の理由で辞任を表明した。

後任には、ヘッドコーチの下平隆宏が監督に昇格した。監督交代後は、アカデミー出身の中谷進之介中山雄太中村航輔らを中心としたディフェンス陣が貢献し、リーグタイ記録となる5試合連続完封勝利を記録した。1stステージは7位で終了。

5月28日、1997年から2004年まで在籍していた薮崎真哉が代表取締役を務めているジールホールディングスとユニフォームスポンサー契約をした。これによりユニフォームの背中下部には無償提供のセーブ・ザ・チルドレン・ジャパンとユニフォームスポンサーのジールホールディングスの2つのロゴが入ることになった。

6月22日にはクリスティアーノが甲府から完全移籍で再加入をした。7月20日にエデルソンCRヴァスコ・ダ・ガマへ期限付き移籍、8月5日には大島康樹富山へ育成型期限付き移籍、9月15日にはジュリアーノ・ミネイロが退団した。

2ndステージでは6節、14節に最高4位をマークするも終盤の失速が響き5位で終了、また年間順位は8位でリーグ戦を終えた。天皇杯は4回戦で湘南に敗れた。


2017年
チームスローガン :「柏から世界へ

下平体制2年目。山中亮輔横浜FM茨田陽生大宮稲田康志新潟太田徹郎鳥栖へ完全移籍。増嶋竜也仙台湯澤聖人京都秋野央樹湘南へ期限付き移籍。長崎へレンタル中の木村裕川崎へレンタル中のエドゥアルドはそのまま完全移籍となった。スポルティングCPからレンタルしていた田中順也神戸へ完全移籍となった。

補強面ではU-18から古賀太陽がトップチームに昇格。山口から小池龍太ブレンビーIFから尹錫榮仙台からハモン・ロペスが完全移籍で加入、流通経済大学から橋口拓哉が新加入した。また、富山へレンタルしていた大島康樹が復帰した。2月には中川創猿田遥己の2名が二種契約として登録された。

ちばぎんカップでは2-0で勝利した。

リーグ開幕後にはVfBシュトゥットガルトから細貝萌を獲得。また、U-18から宮本駿晃が二種契約として登録された。

前半戦は当初4-4-2の形ながらサイドのクリスティアーノ、伊東も攻撃参加する4トップを使用していたが、4月8日の清水戦までで2勝4敗となり、プランの練り直しを余儀なくされた。4月16日の神戸戦から2トップにクリスティアーノ、中川を置く前線のハードワーク型に変えると6月4日の浦和戦まで8連勝、6月25日の札幌戦まで10戦負け無しを記録。暫定首位に浮上したが、序盤の3連敗や上位陣への敗戦などが響き3位で折り返した。

ルヴァンカップはグループステージ敗退となるも、初戦で活躍した手塚康平がリーグ戦でも主力としてプレーするなどの収穫を獲た。

夏の移籍では全北現代モータースから金甫ギョンを獲得。今季絶望の重症となったドゥドゥは登録抹消、今季リーグ出場ゼロの安西海斗山形へ育成型期限付き移籍となった。

成績編集

ダービーマッチ編集

千葉ダービー編集

ちばぎんカップ編集

タイトル編集

国内タイトル編集

国際タイトル編集

個人別編集

スタジアム・練習場編集

 
日立柏サッカー場(2012年・柏熱地帯<ゴール裏レイソル応援席>増築後)
  • ホームスタジアムは日立柏サッカー場である。なお、過去の開催スタジアムは下表を参照のこと。
  • 練習場は日立柏サッカー場に隣接する日立柏総合グラウンドである[1]。過去は柏市内のあけぼの山農業公園芝生広場も使用していた。

本拠地問題編集

  • 柏の葉公園総合競技場(以下柏の葉)をホームとすることを前提として、日立柏サッカー場(以下便宜上「日立台」)をJリーグ基準の収容人員(15,000人以上)にすることで1993年にJリーグ準会員の承認を受けた。1999年に柏の葉が竣工するまで、日立台の収容人数を15,900人とすることで基準を満たし、柏の葉の完成後に本拠地を移転することとした。
  • 2005年秋になって、一部の報道では日立台の改修を2009年度以後に進める「市民スポーツ文化スタジアム」の基本構想をまとめ、整備する計画であると伝えられた。スタジアムとピッチの距離を保ち、今のアットホームな雰囲気を保つため、25,000人規模のスタジアムを目指しての改修ではなく、現状の規模を維持したままでの改修を望む声もある[注 10]。なお、柏市議会も2012年3月の開幕までに完成することを目指し、座席3,000人分の増築を検討していることを公表した[9]。2011年8月から増築工事が開始された[10]
  • 2012年3月11日に竣工。前述のとおりゴール裏について、「柏熱(はくねつ)地帯ホーム自由席」を西側へ変更すると共に二層式(新設の2階席は座席)とし、ビジター自由席を東側に変更した。また、メインスタンドのホーム側の座席も一部増築し、Jリーグ届出の収容人員が15,349人となった。市民寄付によるホームゴール裏の正門「柏シヴィックプライドゲート」が設置し、大型映像装置を西側から東側へ移設した。
  • なお、柏の葉でのホームゲームは下表の通り、公式戦では2009年以降開催されていない。柏の葉は2016年からJリーグの4部相当に当たるセミプロ「日本フットボールリーグ」のブリオベッカ浦安が本拠地として使用している[注 11]
年度別・競技場別の試合数[11]
※参考 リーグ戦ホームゲーム数(2006・2010年はJ2、ほかはJ1<1995-98年のJリーグを含む>)
1995年 26試合
1996年・1999-2004年 15試合
1997年 16試合
1998年・2005年・2007-2009年・2011年- 17試合
2006年 24試合
2010年 18試合
年度 リーグ戦 Jリーグ杯 ACL 備考
日立台 柏の葉 その他
1995年 23 - 国立3 非開催 不参加
1996年 12 - 国立2
新潟市陸1
日立台7
1997年 15 - 国立1 日立台3
1998年 15 - 国立2 日立台2
1999年 10 4 国立1 日立台4 Jリーグカップ優勝
この年柏の葉完成 
2000年 11 4 なし 日立台1
2001年 10 4 国立1 日立台1
柏の葉1
2002年 11 2 国立2 柏の葉3
2003年 11 3 国立1 日立台2
柏の葉1
2004年 11 3 国立1 日立台2
柏の葉1
2005年 11 4 国立2 日立台3 J2降格
2006年 21 3 なし 不参加 J1昇格
2007年 12 3 国立2 日立台3
2008年 15 0 国立2 柏の葉3
2009年 15 0 国立2 日立台3 J2降格
2010年 18 0 なし 不参加 J1昇格
J2優勝
2011年 15 0 国立2 日立台1 J1優勝
2012年 15 0 国立2 日立台2 日立台3 天皇杯優勝
2013年 15 0 国立2 日立台2 日立台6 Jリーグカップ優勝
ACLは決勝T3も含む
2014年 17 0 なし 日立台5 不参加 スルガ銀行チャンピオンシップ優勝
2015年 17 0 なし 日立台1[注 12] 日立台5 ACLは東地区プレーオフ1、決勝トーナメント1を含む[注 13]
2016年 17 0 なし 日立台3 不参加

ユニフォーム編集

ユニフォームの色
カラー シャツ パンツ ストッキング
FP(1st)
FP(2nd)
GK(1st)
GK(2nd) グレー グレー グレー
GK(3rd)
 
 
 
 
 
 
 
 
FP 1st
 
 
 
 
 
 
 
 
FP 2nd
 
 
 
 
 
GK 1st
 
 
 
 
 
GK 2nd
 
 
 
 
 
GK 3rd
 
 
 
 
国際試合用ユニフォームFP 1st
 
 
 
 
初代ユニフォームFP 1st

クラブカラー編集

  •    [1]   
    • 1993 - 2012 1st(FP) シャツ:黄 パンツ:黒
    • 2013 - 2016 1st(FP) シャツ:黄 パンツ:黄
    • 2017 1st(FP) シャツ・パンツ:黄+黒ライン
    • 2017 2nd(FP) シャツ・パンツ:ネイビー+黄ライン

スポンサー編集

掲出箇所 スポンサー名 表記 掲出年 備考
日立製作所 HITACHI
Inspire the Next[12]
1992年 -
背中上部 アメリカンファミリー生命保険会社 Aflac 2005年 -
背中下部 セーブ・ザ・チルドレン・ジャパン KASHIWA
Reysol×Save the Children JAPAN
2014年 - 無償提供
背中下部の上に掲出
2012年はパンツ
(表記は「セーブ・ザ・チルドレン・ジャパン」)
ジールホールディングス Zeal Holdings 2016年第14節 - 有償提供
背中下部の下に掲出
代表の薮崎真哉は元柏の選手
日立アーバンインベストメント 日立アーバン
インベストメント
2014年 - 2013年はパンツ
パンツ ローソン LAWSON 2017年 -
ローソンHMVエンタテイメント

ユニフォームサプライの遍歴編集

  • 1992年 - 1994年:アディダス
  • 1995年 - 1996年:リーグ戦はミズノ(2ndモデルの配色は、シャツ・紺、パンツ・白、ソックス・紺)、カップ戦はアディダス(2ndモデルの配色は、シャツ・パンツ・ソックス全て、白。)
  • 1997年 - 2010年:アンブロ(1997・1998年の2ndモデルの配色は、シャツ・青、パンツ・白、ソックス・青。1999年 - 2002年の2ndモデルの配色は、シャツ・紺×白、パンツ・紺、ソックス・紺。2003年 - 2010年の2ndモデルの配色は、シャツ・白、パンツ・紺、ソックス・白。)
  • 2011年 - 現在:ヨネックス(2011・2012年の2ndモデルの配色はすべて白。2013、2014年はパンツが紺、2015、2016年はパンツが青。2017年はすべて紺。)

歴代スポンサー年表編集

年度 背中上部 背中下部 パンツ サプライヤー
1992 HITACHI
Inspire the Next
- - - - adidas
1993
1994
1995 maxell Mizuno /
adidas
1996
1997 UMBRO
1998
1999 アメリカンファミリー
生命保険会社
2000
2001
2002 Aflac - maxell
2003
2004
2005
2006 Wooo
2007 uVALUE
2008
2009 麗澤大学
2010
2011 YONEX
2012 Harmonious Cloud セーブ・ザ・チルドレン・ジャパン
2013 Human Dreams.Make IT Real. 日立アーバンインベストメント
2014 KASHIWA Reysol ×
Save the Children JAPAN
日立アーバンインベストメント SOCIAL INNOVATION
IT'S OUR FUTURE
2015
2016 KASHIWA Reysol ×
Save the Children JAPAN
(上部)
Zeal Holdings
(下部・第14節 - )
2017 KASHIWA Reysol ×
Save the Children JAPAN
(上部)
Zeal Holdings(下部)
LAWSON

アカデミー編集

チケット編集

2014年現在J1・J2の40クラブで唯一[注 15]Jリーグのオフィシャルチケッティングパートナーであるチケットぴあでのチケット販売を行っておらず、ローソンチケットとJリーグの公式販売サイトであるJリーグチケットでのみ販売している(かつてはチケットぴあでの販売を行っていた時期があり、Pコード「592-120」が割り当てられていた)。

決算編集

柏レイソルの決算は、つぎのとおり。

損益編集

年度 収入 広告料 入場料 配分 その他 費用 事業費 人件費 管理費 利益 純利益
2005 3874 1782 529 250 1313 3858 3398 N.A. 460 16 1
2006 3244 2502 284 139 319 3462 3048 2188 414 -218 -197
2007 3143 1930 411 258 544 3105 2641 1693 464 38 37
2008 2997 1874 460 236 427 3048 2537 1694 511 -51 -67
2009 2859 1763 474 209 413 2930 2412 1580 518 -71 -55
2010 2743 1998 291 117 337 2698 2209 1485 489 45 28

出典: 各年度のJクラブ決算一覧。 200520062007200820092010

金額の単位: 百万円

人件費は事業費に含まれる。

年度 収益 広告料 入場料 配分 育成 その他 費用 人件費 試合 トップ 育成 女子 販売 利益 純利益
2011 3543 1878 496 230 74 865 3391 1919 153 268 36 0 1015 152 164
2012 3551 1989 576 234 74 678 3527 2047 174 225 38 0 1043 24 10
2013 3412 1947 646 204 71 544 3380 2118 198 266 40 0 758 32 3
2014 3165 1943 466 201 66 489 3195 2059 138 209 39 0 750 -30 0
2015 3019 1928 518 186 34 353 3083 1888 167 232 40 0 756 -64 -38

出典: 各年度のJクラブ決算一覧。 20112012201320142015

金額の単位: 百万円

年度 収益 広告料 入場料 配分 育成 物販 その他 費用 人件費 試合 トップ 育成 女子 物販 販売 利益 純利益
2016 2874 1929 435 185 30 61 234 2830 1753 132 180 39 0 48 678 44 57

出典: 各年度のJクラブ決算一覧。 2016

金額の単位: 百万円

 

資産編集

年度 総資産 総負債 純資産 資本金
2005 1336 1272 63 22
2006 756 890 -134 22
2007 758 855 -96 22
2008 553 717 -163 22
2009 466 685 -219 22
2010 1819 999 819 100
2011 2094 1110 984 100
2012 2456 1462 994 100
2013 2238 1241 997 100
2014 2038 1041 997 100
2015 2215 1256 959 100
2016 2225 1209 1016 100

出典: 各年度のJクラブ決算一覧。 200520062007200820092010201120122013201420152016

金額の単位: 百万円

 

注釈編集

  1. ^ 1stステージは横浜FM、2ndステージは鹿島で、年間優勝はチャンピオンシップ勝者の鹿島。
  2. ^ この年は、翌シーズンからのJ1リーグの所属クラブを16から18に拡大するのに伴い、J2リーグへの自動降格は無く、J1リーグ最下位(16位)の柏とJ2リーグ3位の福岡が入れ替え戦を行った。
  3. ^ なお、両クラブはそれぞれ前身(JSL)時代に、柏は日立製作所として甲府は甲府サッカークラブとして、入れ替え戦を戦ったことがあり、その際は日立が2戦2勝だった。
  4. ^ 同シーズンは過去に柏在籍経験があるMF茂原岳人も再加入したが、神戸在籍時(当時未成年)の不祥事により逮捕され、2008年5月16日付で解雇。
  5. ^ 2006年に特別指定選手として在籍。
  6. ^ 現J1相当のみの時代の2部組織であるジャパンフットボールリーグからの昇格組も1年目での優勝を果たしたチームはなく、これまでJ1昇格1年目での最高順位は2010年のC大阪の3位であった。
  7. ^ 前身の日立製作所サッカー部時代には1972年の日本サッカーリーグで優勝しており、トップリーグ優勝は39年ぶりであった。またオリジナル10以外のチームが優勝するのは磐田に続き2チーム目。1995年に加盟したJリーグチームでは初である。
  8. ^ 翌2012年に広島、2013年にG大阪が達成し、現在は柏と広島とG大阪の3クラブのみ。
  9. ^ 東京V鹿島横浜FM磐田浦和、G大阪に次ぐ。
  10. ^ 2010年11月には「日立柏サッカー場のアウェー席を増築し、消防法の収容人員が18,000人に拡張される」と報じられたが[8]、クラブから正式な改修の発表はこの当時はなされていなかった。
  11. ^ 本来の本拠地人工芝であり、Jリーグ・JFLでの使用が認められていないため。
  12. ^ ACL東地区プレーオフを敗退した場合はJリーグ杯に出場し、同大会3試合を主催予定だった。
  13. ^ POを勝利したためグループステージ3を追加。決勝トーナメント進出時はさらに追加有り。
  14. ^ Jリーグは2016年より背中下部へのスポンサー広告が解禁[13]となったが、柏はそれ以前の2014年より支援ロゴを掲載している。2016年以前に下部にロゴを提出していた例としてFC東京ガンバ大阪がある。(FC東京の場合は2009年から上部に選手の名前、下部にスポンサーのロゴ(LIFEVAL(2009年)、TEPCO(2010年-2011年4月)、Mitsubishi Corporation(2012年以降))を提出している。その代わり上部にはスポンサーではなくほかのチームでは下部に入る選手名を表記。2016年の解禁後も上部には選手名を表記、下部にスポンサーを掲出の形を継続していたが2017年よりMitsubishi Corporationが上部に移動した。G大阪は1992年から1996年の間、背中スポンサーであった松下電器産業(表記:「National/Panasonic」または「Matsushita Electric Industrial Co., Ltd. 」)を下部に入れていた。1997年以降は上部に移動している。尚、2016年の解禁後下部にはスポンサーは掲出していない。)
  15. ^ J3を含めるとSC相模原AC長野パルセイロ藤枝MYFCもチケットぴあでの販売はしていない。

出典編集

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w クラブガイド:柏レイソル”. 日本プロサッカーリーグ. 2014年4月18日閲覧。
  2. ^ 2015年度(平成27年度)Jクラブ個別情報開示資料”. 日本プロサッカーリーグ. 2016年8月20日閲覧。
  3. ^ a b ホームタウン”. 柏レイソル. 2013年4月28日閲覧。
  4. ^ 魅惑の攻撃サッカーで柏がJ1を面白くする。~レイソル躍進の理由と展望~ -NumberWeb: 2011年7月27日
  5. ^ “社長交代のお知らせ” (プレスリリース), 柏レイソル, (2011年2月18日), http://blog.reysol.co.jp/news/2011/011658.html 2013年4月28日閲覧。 
  6. ^ 本物の強さを証明した柏がJ1初制覇! 名古屋、G大阪の戦い方と徹底比較。 - NumberWEB: 2011年12月5日
  7. ^ “柏 ネルシーニョ監督が来季も指揮”. SponichiAnnex. (2013年10月17日). http://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2013/10/17/kiji/K20131017006827380.html 2013年10月23日閲覧。 
  8. ^ 日刊スポーツ西日本版(大阪・名古屋・西部本社発行)2010年11月30日
  9. ^ 2010年12月10日・朝日新聞
  10. ^ スタジアム増築に伴うホームゲーム開催時の運営方法変更について
  11. ^ フットボールガイスト、レイソル公式サイト
  12. ^ 「Inspire the Next」は日立グループのコーポレート・ステートメントである。Inspire the Next”. 日立製作所. 2013年4月28日閲覧。
  13. ^ “『スポンサー募集!Jリーグユニ背面下部の広告解禁”. 日刊スポーツ. (2015年12月15日). http://www.nikkansports.com/soccer/news/1579754.html 
  14. ^ “『2013年モデルレプリカユニフォーム』を注文されたお客様へ” (プレスリリース), 柏レイソル, (2013年1月30日), http://blog.reysol.co.jp/news/2013/014754.html 2013年4月28日閲覧。 

関連項目編集

外部リンク編集