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王氏

漢姓
琅邪王氏から転送)

王氏(おうし、わんし)は

目次

中国の王氏編集

各種表記
繁体字
簡体字
拼音 Wáng
注音符号 ㄨㄤˊ
ラテン字 Wang
広東語発音: Wong4
上海語発音: Waon1
台湾語白話字 Ông
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現代の中華人民共和国では王はもっとも多い姓である[3]。北方各省においては第1位の姓で、特に東北部の吉林省遼寧省では省の総人口の10%以上を占める[4]

広東語呉語で「」と同音であるため、「3本の王」「画数3の王」などと呼ぶことが多い。特に「黄」が2番目に多い名字である広東語圏では「黄」と勘違いされることが多い。

琅邪王氏、太原王氏などの始祖は東周霊王の太子・姫晋とされる。姫晋は王位継承前に死去(『春秋左氏伝』)、あるいは廃され(『新唐書』)、王位は弟の姫貴(景王)が継承した。姫晋の子孫の家は「王家」と呼ばれ、その呼称が氏になったと伝える。このほか、の王族(子姓)や(媯姓)の子孫と伝える流れもある。また、魏晋南北朝時代以降に漢化した異民族出身者が名乗り始めた例も多く、完顔氏からの改姓の例などが知られている。

琅邪王氏編集

の将軍王離の長子の王元の末裔といわれる王吉を祖とし琅邪郡臨沂県を本貫とする。太原王氏は同族にあたると伝わる[5]

王吉編集

           王吉
           ┃
           王駿
           ┃
           王崇
           ┃
           王遵
           ┃
           王音
           ┃
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           ┃    ┃
           王仁[6]  王時
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         王融  王叡
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       王覧  王祥
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 王彦 王基   王会    王正    王裁
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  王敦  王含 王舒 王彬 王廙 王曠 王導
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                ┃   ┃
               王籍之 王羲之
                    ┃
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        ┃   ┃   ┃   ┃   ┃   ┃   ┃
       王献之 王操之 王徽之 王粛之 王渙之 王凝之 王玄之
        ┃       ┃
       王靖之     王楨之
        ┃       ┃
       王悦之      ?
                ┃
                ?
                ┃
                ?
                ┃
                王法極(智永)

王雄編集

   王某
   ┃
   王雄
   ┃
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 王乂  王渾
 ┃   ┃
 王衍  王戎
 ┃   ┃
 王玄  ┃
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   ┃   ┃
  王万   王興

王導編集

        王導
        ┃
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 王薈 王劭 王協 王洽 王恬 王悦
          ┃
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        ┃   ┃
        王珉  王珣
            ┃
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       ┃   ┃  ┃  ┃
       王孺 王曇首 王柳 王弘
           ┃     ┃
          王僧虔    王僧達
           ┃     ┃
     ┏━━┳━━╋━━┓  ┃
     ┃  ┃  ┃  ┃  ┃
     王彬 王楫 王志 王慈 王道琰
        ┃        ┃
        王筠       王融

太原王氏編集

上記の王離の次子の王威を祖とする氏族で、琅邪王氏とは同族と伝わる[5]。後漢末の王允とその甥王淩などが著名である。

朝鮮の王氏編集

朝鮮半島で918年王建が建国した高麗では、王氏は王族として栄え、家臣にも王姓を下賜したため、高麗末期には王氏の人口に占める割合は大きかったという。

ところが、高麗を滅ぼし李氏朝鮮を建国した李成桂は、1394年に旧高麗勢力の叛乱を懸念し、主だった高麗王族を殺害した上で王族の血をひく王氏を一ヶ所に集め皆殺しにした。生き残った者は、姓を玉、全、田などに改めて逃げのびたという伝承がある。また、かつて王姓を与えられた家もすぐさま元の姓に戻している。李氏朝鮮の体制が盤石になった後も王氏の摘発と弾圧は形骸化しながらも続き、17世紀になって中国系の済南王氏が帰化するまで解かれなかった。

現代の韓国では李氏朝鮮時代に帰化した数系統の中国系王氏が存在し、人口は2万人程度である[7]

日本における王氏編集

王氏は諸王の集団であり、令制では天皇の孫(二世)から皇玄孫(四世)までを範囲としていた。慶雲3年(706年)に五世王まで拡大されるが、貞観12年(870年)に諸王の数が429名に定められた。嵯峨天皇以降は臣籍降下が増え、諸王の数は減少する。推挙は第一親王(親王の中で官位の最も高い者)の役割だったが、院政期になると法親王制の確立により親王がいなくなり、花山天皇の子孫で神祇伯を世襲した白川伯王家が、是定王氏長者)として氏爵を行うようになった。

沖縄県の王氏編集

沖縄県では、琉球国時代の1392年久米三十六姓と呼ばれる華僑集団が、当時は沿岸の島だった那覇久米村に移住し交易に携わった。琉球への定住帰化後も1650年まで数百年間、中国式の習俗を続けていたという。これらの中国系住民のうちに福建省出身の王氏があった。沖縄では中国式の姓(唐名)と日本式の名字(大和名)を一族の名乗りとし、王氏国場家といったように称する。王氏の子孫の門中には国場、小渡、新崎、上運天、仲宗根などの各家がある。

脚注編集

  1. ^ 東晋まで続く。
  2. ^ まで続く。
  3. ^ 笹原宏之. “名字・名前と漢字 第2回 漢字圏の名字事情(1)”. 大修館書店. 2015年10月5日閲覧。
  4. ^ 呂利丹、段成栄. “大姓区域分布研究”. 全国公民身分証号碼査詢服務中心. 2016年9月6日閲覧。
  5. ^ a b 新唐書』宰相世系表二中より。
  6. ^ 晉書/卷033中、「王祥,字休徴,琅邪臨沂人,漢諫議大夫吉之後也。祖仁,青州刺史。父融,公府辟不就。」による。
  7. ^ 河村啓介『韓国時代劇にとことんハマる!歴史と人物の真実』学研パブリッシング、2011年

出典・参考文献編集

関連項目編集