石飛町
愛知県豊田市の町名
石飛町 | |
---|---|
石飛町の位置 | |
北緯35度12分20.7秒 東経137度12分18.4秒 / 北緯35.205750度 東経137.205111度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 愛知県 |
市町村 | 豊田市 |
地区 | 藤岡地区 |
町名制定 | 2005年(平成17年)4月1日 |
面積 | |
• 合計 | 0.924 km2 |
人口 | |
• 合計 | 379人 |
• 密度 | 410人/km2 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
470-0463[2] |
市外局番 | 0565(豊田MA)[3] |
ナンバープレート | 豊田 |
概要
編集豊田市の北西部に位置し、藤岡地区(旧西加茂郡藤岡町の町域にほぼ相当する)に属する。 町域南西部を矢作川支流である飯野川が縦貫する。飯野川には石飛川・間山川が注ぎ、合流部付近には採石場、採土場がある。愛知県道33号瀬戸設楽線が飯野川と併走し、人家も県道沿いに集中している。間ノ山と呼ばれる町域北東部は山林の深い地域だが、木瀬町から当地域を下り県道につながる一本の山道は外越(とごし、戸越)道と呼ばれ、小原から戸越峠を経て瀬戸を結ぶ街道のひとつであった[4]。大正期から昭和初期にかけて、陶土材が瀬戸まで運ばれた道筋である[5]。
歴史
編集沿革
編集- 江戸期- 寛永期の『三河国村々高附』においては「加茂郡石飛村」、天保期の郷帳においても「加茂郡石飛村」という表記が見受けられる[6]。
- 1635年(寛永12年)当時- 成瀬氏領であった[4]。
- 1701年(元禄14年)- 幕府領となる[4]。
- 1868年(明治元年)- 三河吉田藩領となる[4]。
- 1871年(明治4年)- 大区小区制施行により、第4大区第3小区に所属する[6]。
- 1878年(明治11年)- 郡区町村編制法施行により、加茂郡が西加茂郡と東加茂郡に分割される。これに伴い、石飛村の所属が加茂郡から西加茂郡に変更される[5]。
- 1884年(明治17年)7月- 戸長役場設置に伴い、石飛村、飯野村(いいのむら)、北一色村(きたいしきむら)、田茂平村(たもだいらむら)、西中山村(にしなかやまむら)、迫村(はさまむら)、深見村(ふかみむら)の7村が同組に組み込まれる[7]。
- 1889年(明治22年)10月1日- 市制・町村制施行に伴い、石飛村、飯野村、北一色村、田茂平村、西中山村、迫村、深見村の7村が合併して西加茂郡藤河村が誕生し[8]、石飛村は藤河村大字石飛に継承される[5]。
- 1906年(明治39年)4月1日- 藤河村、高岡村、富貴下村の内3大字が合併して藤岡村が誕生し[9]、藤河村大字石飛は藤岡村大字石飛に継承される[5]。
- 1978年(昭和53年)4月1日- 藤岡村の町制施行に伴い[9]、住所表示が藤岡町大字石飛に変更される[5]。
- 2005年(平成17年)4月1日- 藤岡町の豊田市への編入に伴い、住所表示が豊田市石飛町に変更される。
世帯数と人口
編集2019年(令和元年)7月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
町丁 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
石飛町 | 155世帯 | 379人 |
人口の変遷
編集国勢調査による人口の推移
2005年(平成17年) | 525人 | [10] | |
2010年(平成22年) | 484人 | [11] | |
2015年(平成27年) | 419人 | [12] |
学区
編集市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[13]。
番・番地等 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|
全域 | 豊田市立飯野小学校 | 豊田市立藤岡中学校 |
寺社
編集文化財
編集古窯
編集散布地
編集城館跡
編集- 石飛砦跡
- お須原山、及び東に隣接する御岳山と呼ばれる二つの丘陵の頂付近にあり、削平地に空堀と土塁が残る。石飛須原神社はここに鎮座している[4]。
その他
編集日本郵便
編集脚注
編集- ^ a b c “豊田市の人口 2019年7月1日現在人口 詳細データ - 町別面積・人口・世帯数”. 豊田市 (2019年7月11日). 2019年7月15日閲覧。
- ^ a b “石飛町の郵便番号”. 日本郵便. 2019年7月15日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2019年6月24日閲覧。
- ^ a b c d e f 『日本歴史地名体系』23:846ページ
- ^ a b c d e f 『角川日本地名大辞典 23 愛知県』:142ページ
- ^ a b 『日本歴史地名体系』23:1165ページ
- ^ 『豊田加茂の地名』:8ページ
- ^ 『角川日本地名大辞典 23 愛知県』:1170ページ
- ^ a b 『豊田加茂7市町村の合併の記録』:20ページ
- ^ “平成17年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年6月27日). 2019年3月23日閲覧。
- ^ “平成22年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2012年1月20日). 2019年3月23日閲覧。
- ^ “平成27年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2017年1月27日). 2019年3月23日閲覧。
- ^ “2019年度豊田市立小中学校区一覧表” (PDF). 豊田市 (2019年6月26日). 2019年7月15日閲覧。
- ^ a b c 埋蔵文化財一覧(豊田市ウェブサイト、2012年1月23日閲覧)
- ^ “郵便番号簿 2018年度版” (PDF). 日本郵便. 2019年6月10日閲覧。
参考文献
編集- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典 23 愛知県』角川書店、1989年3月8日。ISBN 4-04-001230-5。
- 有限会社平凡社地方資料センター 編『日本歴史地名体系第23巻 愛知県の地名』平凡社、1981年。ISBN 4-582-49023-9。
- 『豊田加茂7市町村の合併の記録』、豊田市、2005年。
- 深津重貞 「豊田加茂の地名」、1991年。