神戸町
神戸町(ごうどちょう)は、岐阜県安八郡に属する町。濃尾平野の北西端にある。
ごうどちょう 神戸町 | |||||
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国 | 日本 | ||||
地方 | 中部地方、東海地方 | ||||
都道府県 | 岐阜県 | ||||
郡 | 安八郡 | ||||
市町村コード | 21381-1 | ||||
法人番号 | 1000020213811 | ||||
面積 |
18.78km2 | ||||
総人口 |
17,924人 [編集] (推計人口、2024年11月1日) | ||||
人口密度 | 954人/km2 | ||||
隣接自治体 | 大垣市、瑞穂市、揖斐郡池田町、大野町 | ||||
町の木 | もちの木 | ||||
町の花 | バラ | ||||
神戸町役場 | |||||
町長 | 藤井弘之 | ||||
所在地 |
〒503-2392 岐阜県安八郡神戸町大字神戸1111番地 北緯35度25分02秒 東経136度36分31秒 / 北緯35.41736度 東経136.60853度座標: 北緯35度25分02秒 東経136度36分31秒 / 北緯35.41736度 東経136.60853度 | ||||
外部リンク | 公式ウェブサイト | ||||
ウィキプロジェクト |
地理
編集瑞穂市以外の隣接市町村にはすべて山があるため、神戸町域に山はないものの山が迫っているように見える。
隣接している自治体
編集安八郡の中で唯一大垣市の北に位置する市町村であるが、これは大垣市の市域の大半が元々安八郡に属していた事情がある。この地域が昭和の大合併(旧墨俣町を除く地方自治体)によって大垣市となったことから、その他の地域の安八郡と分断されたためである。
地名
編集歴史
編集比叡山延暦寺の荘園時代(当時、当地を「平野庄(ひらのしょう)」または「平野荘」と称した)と、中心部を最澄が通った際に建立された寺をきっかけに建立された日吉神社の門前町として、明治はじめまで市が立ち栄えた。
また、町域南端を中山道がかすめている。
沿革
編集- 1889年(明治22年)7月1日 - 神戸村、川西村、下宮村、新屋敷村が合併し神戸村発足。
- 1892年(明治25年)8月6日 - 町制施行し神戸町となる。
- 1897年(明治30年)7月1日 -
- 1950年(昭和25年)4月1日 - 北平野村と合併(白鳥のみ現池田町へ)。
- 1954年(昭和29年)4月1日 - 下宮村、南平野村と新設合併(南平野村青木・草道島は赤坂町、現大垣市へ)。
- 1960年(昭和35年)4月1日 - 大野町(旧揖斐郡川合村)西座倉を編入。経緯については川合村の項参照。
- 2004年(平成16年) - 住民投票により大垣市との合併協議から離脱。
関ヶ原の戦いにまつわる噂
編集関ヶ原の戦い直前の徳川家康が揖斐川を渡り当地に入ろうとした際、石田三成方に銃撃されたという噂もある(『美濃神戸ふるさと百話』による)。これは作り話の可能性もあるが、後に将軍となったため緘口令がしかれた可能性もある。なお、家康が当地を通ったのは事実であるが、柿を手に取って「大柿我が手に討つ」と大垣にいた三成を指して言い、甘柿にもかかわらず「ああシブかった、シブかった」(四部勝った+四部勝った=八部勝った、という意味)と言ったといわれている(同書)。
なお、石田三成は天正19年(1591年)に神戸とは伊吹山地を挟んだ佐和山城に入っているが、当初は蔵入地の代官として佐和山城に入ったもので、正式に佐和山城主になる文禄4年(1595年)以前の三成本人の所領は神戸とその周辺にあって佐和山から統治していたとする指摘が出されており[1]、神戸は三成が領主を務めたゆかりの土地であったことになる。
人口
編集神戸町と全国の年齢別人口分布(2005年) | 神戸町の年齢・男女別人口分布(2005年) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
■紫色 ― 神戸町
■緑色 ― 日本全国 |
■青色 ― 男性
■赤色 ― 女性 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
神戸町(に相当する地域)の人口の推移
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総務省統計局 国勢調査より |
行政
編集- 町長:藤井弘之(2022年7月4日~)
- 1代:河出義一
- 2代:高崎善慶
- 3代:渡辺昭一
- 4代:吉田弘義
- 5代:谷村成基
- 6代:藤井弘之
なお、2005年まで神戸町には社会福祉協議会がなく、町が福祉センターで直接行っていた。
姉妹都市・友好都市
編集- 提携都市(災害時相互応援協定)
公共施設
編集教育
編集中学校
編集小学校
編集なお、池田町の岐阜県立池田高等学校の校庭のグランド部分が当町にかかっている。これは神戸町もかつて高校誘致をした名残りである。また、岐阜経済大学のグランドも当町に存在する。
交通
編集鉄道
編集バス
編集- 路線バス
- 十九条・古橋線の「神戸町柳原」バス停が神戸町内にある。
道路
編集- 高速道路
- 県道
文化
編集本町通りの商店街の道幅は昔から30メートル程と広い。平成に入ってから1車線ずつの車道と広い路肩とを塗り分けるカラー舗装がなされている。なお広神戸駅の名もこの道幅にちなむとの説がある。
夜叉ヶ池伝説の里。平安の昔に日照りが続いた際、時の有力者安八太夫安次が何気なく降雨のなさをボヤいた相手がたまたま夜叉ヶ池の龍神の化身だったヘビだったため、龍神が雨を降らせた見返りに安次の娘が龍神に嫁入りすることとなり、以来日照りの際には夜叉ヶ池に雨乞いするようになったという話(詳細はリンク先参照)。毎年8月17日には龍神祭が、安次の子孫(すべて「石原伝兵衛」を襲名)によって、伝兵衛の住む神戸町安次の夜叉堂で行われる。また夜叉ヶ池と神戸町との間で毎年7月、夜叉ヶ池伝説マラニックというマラソンが行われる。
名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
編集名所・旧跡
編集- 日吉神社 - 旧社格は県社。三重の塔は戦国武将稲葉一鉄、狛犬は不破光治がそれぞれ寄進し、いずれも重要文化財。
- 善学院 - 神護寺善学院ともいい、日吉神社の別当寺である。
- 瑠璃光寺 - 「紙本墨書白隠慧鶴書跡」は岐阜県指定文化財。
- ばら公園いこいの広場 - 約9,000㎡の敷地に、約300品種3,300株のバラが植えられている[2]。
祭事・催事
編集著名な出身者
編集脚注
編集- ^ 伊藤真昭「石田三成佐和山入城の時期について」『洛北史学』4号、2003年
- ^ “ばら公園いこいの広場”. 神戸町役場. 2024年7月8日閲覧。