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秋田市立明徳小学校(あきたしりつめいとくしょうがっこう)は、秋田県秋田市千秋公園に所在する市立小学校。

秋田市立明徳小学校
Akita city Meitoku elementary school.jpg
秋田市立明徳小学校校舎
秋田市立明徳小学校の位置(秋田県内)
秋田市立明徳小学校
秋田市立明徳小学校 (秋田県)
秋田市立明徳小学校の位置(日本内)
秋田市立明徳小学校
秋田市立明徳小学校 (日本)
過去の名称 四如堂
東郭学校
明徳尋常高等小学校(秋田県師範学校代用附属小学校)(秋田県師範学校第一代用附属小学校)
明徳尋常小学校
明徳国民学校
国公私立の別 公立学校
設置者 秋田市
校訓 強く 正しく 明るく
設立年月日 1887年4月28日
開校記念日 4月28日
共学・別学 男女共学
学期 2学期制
所在地 010-0876
秋田県秋田市千秋公園1-13
公式サイト 公式サイト
プロジェクト:学校/小学校テンプレート
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沿革編集

経緯編集

文政4年(1821年)に私塾四如堂を創設したのが明徳小学校の起源である[1]

年表編集

  • 文政4年(1821年) : 明徳館文学黒沢四如(重巽)(天明3年生)私塾四如堂を手形新町下丁の(手形新栄町)自宅内に創設する。
  • 嘉永3年(1851年) : 第2代堂主、明徳館文学平元謹斎(重徳)四如堂を手形谷地町上丁の自宅内に移転。
  • 慶応4年/明治元年(1868年) : 第3代堂主、明徳館文学西宮端斎(藤長)手形新町下丁(新栄町)自宅内に四如堂を移転。
  • 明治5年(1872年) : 学制発布(教育制度ができる)
  • 1874年 : 教育令改正により四如堂廃止と共に東郭学校を手形新町下丁に移転する。移転後拡張し、約6カ年続いた。
  • 1880年 : 教育令改正により四如堂の再興を図る。手形郷一同協議し、東郭学校を閉鎖する。
  • 1881年 : 三度教育令改正により、四如堂に変わり香雲学校を設立する。見物敷地一切を使用。
  • 1883年4月28日 : 香雲学校、中通郷の仰高学校を併合し、公立明徳小学校を設立、土手谷地町佐竹大和邸跡に新築する。新校舎は洋風二階建。窓にはガラスを用い、当時は大変珍しいものであった。
  • 1888年10月 : 文部大臣森有札臨校。
  • 1896年 : 校地を現県民会館の所に移転する。
  • 1897年
    • 4月 : 学区改正のため旭小学校の77人を本校に編入する。
    • 10月 : 新川砂原で秋季運動会実施
  • 1902年 : 校地を現市立図書館に移転する。
  • 1905年11月2日 : 新校舎落成。県知事、市長他約200人参加する。
  • 1906年4月1日 : 明徳尋常高等小学校となる。
  • 1908年 : 校舎を増築する(講堂・その他)
    • 10月 : 5年生、6年生の男子有志、岩見三内へ一泊旅行。その他の学年も新屋まで遠足。
  • 1909年9月1日 : 秋田県師範学校代用附属小学校と改称される。
  • 1910年9月5日、6日 : 洪水のため臨時休校とする。
  • 1911年 : 手形・根小屋町・通町・川反を通学区とする。
    • 9月6日 : 全校遠足 1学年 手形 2学年 新屋 3学年 土崎 4・5学年 三倉鼻 6学年 神宮寺
  • 1912年明治45年/大正元年 : 1・2・3学期制。教生が就任し実習にあたる。
    • 2月 : 秋田市教育研究会を開く。
    • 4月1日 : 秋田県師範学校第一代用附属小学校と改称される。
    • 10月1日 : 佐竹義春が知事、市長と来校。
  • 1919年5月 : 秋田市小学校連合運動会を催す。
  • 1921年 : 記念館で学芸会を行い、2000人を超す保護者や地域の方々が参観する。
  • 1922年10月30日 : 市内小学校連合運動会で「桃の歌」で応援した。
  • 1924年1月14日 : 18日授業研究会を公開。
  • 1926年(大正15年/昭和元年) : 4月夜間中学校校内に開設。
  • 1929年2月11日 : 校旗樹立。
  • 1932年2月11日 : 校歌制定。
  • 1933年
    • 3月 : 代用附属解消となる。
    • 創立50周年記念式典を挙行する。
  • 1936年 : 4月尋常小学校となる。
  • 1938年 : 保護者による体育後援会が結成される。
  • 1940年2月 : 市理科研究会開催する。
  • 1941年
    • 4月1日 : 明徳国民学校になる。
    • 10月 : 八橋運動場において市内国民学校連合体育大会開催。
  • 1942年5月 : 全校児童寒風摩擦実施する。
  • 1943年
    • 9月28日 : 創立60周年式典をあげる。
    • 平田篤胤像を作る。「明徳之誉」刊行。
    • 秋田師範学校附属国民学校となる。
  • 1945年
    • 5月 : 山菜七百貫採取する。
    • 10月 : 両附属合同研究会
  • 1946年 : 6・3制の教育制度が作られた。
    • 5月1日 : 久保田中学校併設。
    • 中通と2部授業を行う。
    • 占領軍の強制的な指導の下で、戦時色一掃を強いられた。
    • 物資が不足し、学用品にも困る。
  • 1948年 : モロニー命によりPTAを設立する。
    • 3月 : 週五日制を実施。
    •  地域子供会が結成される。(千秋子ども会を先頭に全県下にさきがけて自主的な活動を始めた)
  • 1950年 : 秋田師範学校附属小学校解消となる。
  • 1951年11月 : ブランコ新設。
  • 1952年10月 : 改装工事着工。
  • 1953年10月 : 「希望と像」を前庭に建像。
  • 1954年8月 : 作文教育大会会場。
  • 1955年5月 : 全県図工、国語教育研究会会場。
  • 1956年5月 : 給食調理室完工。機会五種設置。
  • 1957年10月 : 改築工事完了。
    • 学校給食優良校として文部大臣表彰を受ける。
  • 1958年10月 : 秋田市教育委員会指定学習指導実験学校公開。(算・国・社)
  • 1962年10月 : 放送教育研究会東北大会主会場となり、授業を公開する。
  • 1963年9月28日 : 創立80周年記念式典を行う。

教育目標編集

強く 正しく 明るく

校章の由来編集

1929年(昭和4年)2月11日に、桃の地に「5本骨、3個の日の丸の扇」の中央に明徳の「明」の文字を入れた校旗が樹立された。5本骨の日の丸の扇は、源家にゆかりの深い藩主佐竹公の家紋であり、3本の扇によってそれぞれ、知・徳・体を表徴し、“強く、正しく、明るく”の明徳精神を表している。

学校行事編集

  • 4月 始業式・入学式
  • 5月
  • 6月 校外学習
  • 7月
  • 8月
  • 9月 明徳まつり
  • 10月 前期終業式・後期始業式
  • 11月
  • 12月
  • 1月
  • 2月
  • 3月 卒業式・終業式

通学区域編集

  • 秋田市
    • 千秋北の丸、千秋久保田町、千秋公園、千秋城下町、千秋中島町、千秋明徳町、千秋矢留町、手形学園町、手形休下町、手形新栄町、手形住吉町、手形田中、手形山崎町、中通二丁目、中通四丁目、中通六丁目

進学先中学校編集

学区内の主な施設編集

交通編集

脚注編集

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  1. ^ 学校沿革(全日制課程)”. 秋田市立明徳小学校. 2019年8月9日閲覧。

関連項目編集

外部リンク編集


この記事は、プロジェクト:学校/小学校テンプレートを使用しています。