関口 芳則せきぐち よしのり1947年昭和22年〉1月10日[1] - )は日本映画撮影技師東京都出身[1]

せきぐち よしのり
関口 芳則
生年月日 (1947-01-10) 1947年1月10日(77歳)
出生地 日本の旗 日本東京都
国籍 日本
血液型 AB
職業 撮影監督
ジャンル 映画テレビドラマCM
活動期間 1965年 -
主な作品
ゴジラ』シリーズ
モスラ』三部作
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略歴 編集

1965年東京都立本所工業高等学校電気通信科を卒業。[要出典]同年、東宝に入社し撮影部に配属される[1][2]。元々は舞台の仕事を志望していたが、映画も好きであったためそのまま撮影の道に進んだ[1]

黒澤明監督作品の撮影助手チーフなどを務めたのち、『ゴジラvsキングギドラ』で本編班撮影監督に就任[1][2]。特撮映画では、本編と特撮のトーンをつなげることや、合成を自然に観せることに腐心した[1]

担当作品 編集

映画 編集

公開年 作品名 制作(配給) 役職
1965年 10月31日 大冒険 東宝
渡辺プロダクション
(東宝)
撮影助手
1966年 1月25日 女の中にいる他人 東宝
1969年 1月1日 クレージーのぶちゃむくれ大発見 東宝
渡辺プロダクション
(東宝)
4月27日 クレージーの大爆発
1973年 12月29日 日本沈没 東宝映画
東宝映像
(東宝)
1974年 8月3日 ノストラダムスの大予言
1977年 12月17日 惑星大戦争
1980年 8月30日 地震列島 東宝映画
(東宝)
1981年 8月8日 連合艦隊
1982年 2月16日 あゝ野麦峠 新緑篇
1983年 8月4日 TOSHI in TAKARAZUKA Love Forever 東宝
ジャニーズ事務所
1985年 6月1日 グリニッチ・フィルム
ヘラルド・エース
(東宝)
1987年 1月17日 映画女優 東宝映画
(東宝)
9月26日 竹取物語 フジテレビ
東宝映画
(東宝)
1990年 5月25日 黒澤プロダクション
ワーナー・ブラザース
1991年 5月25日 八月の狂詩曲 黒澤プロダクション
フィーチャーフィルムエンタープライズII
松竹
7月20日 リトル・シンドバット 小さな冒険者たち ウェイランド・ファイナンス・インク
東映アストロ
12月14日 ゴジラvsキングギドラ 東宝映画
(東宝)
撮影
1993年 4月17日 まあだだよ 大映
電通
黒澤プロダクション
(東宝)
協力撮影
12月11日 ゴジラvsメカゴジラ 東宝映画
(東宝)
撮影
1994年 7月9日 ヤマトタケル
1995年 12月9日 ゴジラvsデストロイア
1996年 12月14日 モスラ
1997年 12月13日 モスラ2 海底の大決戦
1998年 12月12日 モスラ3 キングギドラ来襲
2003年 12月13日 ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS
2005年 12月17日 劇場版 超星艦隊セイザーX 戦え!星の戦士たち ゼネラル・エンタテイメント
(東宝)

テレビ 編集

期間 番組名 題名 制作(放送局) 役職
2000年10月22日 2001年3月24日 鉄甲機ミカヅキ 序夜「謎の巨人 ミカヅキ出現」
第2夜「開かない扉」
第3夜「飛べミカヅキ 零から凱へ」
第5夜「激闘 ミカヅキVSシンゲツ」
第6夜「ミカヅキよ永遠に」
フジテレビ
メディアファクトリー
小椋事務所
B班撮影

脚注 編集

  1. ^ a b c d e f 最新ゴジラ大百科 1991, p. 97, 「ゴジラスタッフ名鑑」
  2. ^ a b 東宝SF特撮映画シリーズ11 1996, p. 61, 「スタッフが語る LDKバトルはいかに作られたか 僕の居間は戦場だった」

参考文献 編集

  • 鶴田義久『黒沢映画の美術』学研、1985年。ISBN 4051016994 
  • 『ENCYCLOPEDIA OF GODZILLA 最新ゴジラ大百科』学習研究社〈Gakken MOOK〉、1991年12月1日。 
  • 『モスラ』東宝〈東宝SF特撮映画シリーズVOL.11〉、1996年12月21日。ISBN 4-924609-66-8 

外部リンク 編集