NEO FASCIO
『NEO FASCIO』(ネオ・ファッショ)は、日本のシンガーソングライターである氷室京介の2枚目のアルバム。
『NEO FASCIO』 | ||||
---|---|---|---|---|
氷室京介 の スタジオ・アルバム | ||||
リリース | ||||
録音 |
サウンドスカイスタジオ フリーダムスタジオ 一口坂スタジオ | |||
ジャンル |
ロック ポップ・ロック | |||
時間 | ||||
レーベル |
東芝EMI イーストワールド | |||
プロデュース | 佐久間正英 | |||
チャート最高順位 | ||||
| ||||
氷室京介 アルバム 年表 | ||||
| ||||
EANコード | ||||
EAN一覧
| ||||
『NEO FASCIO』収録のシングル | ||||
|
1989年9月27日に東芝EMIのイーストワールドレーベルからリリースされた。前作『FLOWERS for ALGERNON』(1988年)よりおよそ1年ぶりとなる作品であり、ほぼ全曲に亘り作詞は松井五郎、作曲は氷室、編曲およびプロデュースは佐久間正英が担当している。レコーディングは日本国内にて、3名の限られた人数で行われた。本作はファシズムをテーマにしたコンセプト・アルバムであり、アドルフ・ヒトラーによる演説の演出を音楽での表現に取り入れる事を念頭に、ファシズムの危険性を音楽で表現した作品となっている[1]。
先行シングルとなった「SUMMER GAME」やカネボウ「'89秋のプロモーション・イメージソング」として使用された「MISTY〜微妙に〜」を収録している。しかし収録に際して副題の「〜微妙に〜」は削除されている。本作はテーマが難解であるが故に氷室本人はセールスが伸びない可能性を示唆していたが、オリコンチャートでは最高位1位を獲得しセールス的にも成功を収めた。
背景 編集
前作『FLOWERS for ALGERNON』(1988年)リリース後、氷室は「KING OF ROCK SHOW "FLOWERS for ALGERNON"」と題したライブツアーを同年10月1日の高松市民会館を皮切りに9都市全13公演敢行した[2]。ツアーファイナルの1989年1月3日、1月4日には東京ドームの2日間連続公演を実現した[2]。
東京ドーム公演の模様はNHK総合テレビジョンにて放送された他、氷室初の映像作品となったライブ・ビデオ『KING OF ROCK SHOW of 88'S-89'S TURNING PROCESS』(1989年)に収録された[3]。しかしライブでの演出に関しては暗中模索の中で試行錯誤が行われた結果、氷室自身が望むものとは大きく異なる事態となった[4]。7月21日にはNHKホールにて開催されたチャーリー・セクストンの単独公演にゲスト出演した他[5]、広島サンプラザホールにて開催されたイベントライブ「HIROSHIMA'89」に参加した[6][5]。
その後、「この国で音楽をやっていくということは、どういうことなのだろう」と自問自答する事となった氷室は、音楽という力の持つ影響力を考慮し、音楽家として何をすべきかを考えた末、限りなくゼロに近いところから自分一人で音楽を組み立てていくことを模索し始める事となった[3]。
録音 編集
本作において氷室は、前作よりもよりゼロに近い部分から一人で制作する事を検討、デモテープの段階から緻密に音を作り上げる作業のためスタジオに籠る状態となった[7]。その後、氷室は出来る限り少人数のスタッフと確実な意思の疎通が可能な状態で本作の制作を進める事をマネージメント側に提示、その結果プロデューサーとして佐久間正英、作詞家として松井五郎、ビジュアル面担当として森谷統、佐久間の指名によりドラマーとしてそうる透が選ばれる事となった[7]。佐久間はかつてBOØWYのアルバム『BOØWY』(1985年)や『JUST A HERO』(1986年)のプロデュースワークを手掛けたプロデューサーであり、当時は自らが所属する四人囃子の再結成やDe-LAXのプロデュースなどを掛け持ちで多忙な日々を送っており、その後腸閉塞症により2か月間入院する事となった[8]。入院中には氷室から花が届けられる事や本人が見舞いに来る事などもあったが、退院後すぐに本作のレコーディングが開始される事となった[8]。
レコーディングは氷室と佐久間、そうる透の3名のみで進められ、アレンジは氷室が制作したデモテープを基に行われた[7]。佐久間は本作での自身の役割に関して「音色の選びとトータル的なコーディネートをすることだと判断した」と述べている[7]。氷室はまず「CALLING」の歌詞を完成させ、松井とのコミュケーションをレポート用紙やコピー用紙などで行った[7]。完成した曲は森谷の元に届けられ、その都度ビジュアル化に向けて試行錯誤が行われた[7]。佐久間は病み上がりであったため、体力的な問題や2か月間楽器に触れていない事からリハビリしながらの作業となった[8]。カラオケは全て佐久間が制作し、自身のソロ作品以外で全ての演奏を完成させたのは本作が初であり、佐久間にとっても転機となる作品となったと述べている[8]。
またこの当時氷室は防音設備のないマンションに居住していたため、高速道路のパーキングエリアや日本武道館付近の駐車場などに停車し車中で曲作りを行っていた[9]。本作は箱根の山中や高速道路の路側帯などで曲作りを行っており、警察官に職務質問された事もあるという[9]。「SUMMER GAME」は車中で作曲された曲であるが、他の曲との方向性の違いからアルバムのどの位置に配置するか判断に困る曲であったと氷室は述べている[9]。
音楽性とテーマ 編集
本作のコンセプトは泉谷しげるが作詞を手掛けた前作の収録曲「独りファシズム」が切っ掛けとなり構想された[1]。また、同時期に映画『ピンク・フロイド ザ・ウォール』(1982年)のナチ党党大会におけるアドルフ・ヒトラーの演説を模したシーンを鑑賞した氷室は、ナチスが行った行為に関しては否定的であったが演説の演出面において感銘を受ける[1][10]。氷室はヒトラーの演説やパフォーマンスによる拡散作用を、自身の音楽やコンサートで表現する事を模索し始める[1]。この案に関しては、かつてミック・ジャガーやデヴィッド・ボウイがナチ党党大会で演説しているヒトラーこそロックスターであると発言した事なども影響した[1]。
その他にもジョージ・オーウェルによる小説『1984年』(1949年)の世界観に影響を受けていた氷室は、同書の影響によって制作されたボウイの曲「1984年」[11]を参考にアルバム1枚を同一のコンセプトで制作する欲求に駆られる事となった[1]。構想が纏まり始めた段階で氷室は、作詞家の松井五郎に対して「ファシズムをテーマにしたい」と告げて作詞をオファーし、松井はこれを快諾する事となった[1]。
テーマの難解さ故に、「もしかしたら、売れないかもしれないよ。だけどさ、そこの結果なんかよりも重いものを今回はテーマにしていきたいんだ」という本人の弁の通り、コンセプト・アルバムであることを明確にした[7]。本作のテーマを聴いたディレクターの子安次郎は、通常であれば売り込みが困難と思われる作品であるが、当時の氷室はファンとの信頼関係が積み重ねられていた事から特に問題視はしていなかったと述べている[10]。
リリース 編集
1989年9月27日にLPレコードおよびカセットテープ、コンパクトディスクの3形態でリリースされた。なお、本作がレコードでリリースされた最後の氷室のアルバムとなった。
2003年7月21日にはデジタルリマスターおよび紙ジャケット仕様で、コピーコントロールCDにてリリースされた[12]。
2020年7月21日には全作品のサブスクリプションサービス解禁に伴い、デジタル・リマスターされた音源が配信された[13]。
プロモーション 編集
アルバムリリース前に、東京都心を始め、地方都市に至るまで街角の広告用のボードにアルバムのジャケットを表示した広告を掲示していた[14]。また、先行シングルとなった「MISTY〜微妙に〜」(1989年)のミュージック・ビデオでは本アルバムのコンセプトを表現しており、独裁者(カリスマ)を氷室自身が演じ、やがて普通の人間に戻っていくストーリーとなっていた[10]。PV内では戦争によって傷ついた若者や氷室の手に血液が付着するなどの演出がなされていたが、当時発生した東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件の影響により、一部地域では放送禁止処分となり、放送可能な地域でもモノクロでの放送となった[14]。それ以外にもヨーロッパにおいても放送禁止となった[10]。
ツアー 編集
本作を受けての全国ツアーは「NEO FASCIO TOUR」と題し、1989年10月6日の群馬音楽センターを皮切りに23都市全36公演を実施、約13万人を動員した[5]。ツアーファイナルの1990年1月17日、1月18日には日本武道館公演を行っている[15]。また、その後追加公演として「NEO FASCIO ENCORE TOUR ARENA '90」と題し、7都市全7公演を実施し約15万人を動員、最終日の4月3日にはソロとして2度目となる東京ドーム公演を実現している[16][17]。
批評 編集
専門評論家によるレビュー | |
---|---|
レビュー・スコア | |
出典 | 評価 |
CDジャーナル | 肯定的[18][19] |
チャート成績 編集
オリコンチャートでは最高位1位、登場回数は10回となり、売り上げ枚数は54.6万枚となった。
結果としてアルバムはセールス的に成功を収めたが、氷室は自身が他のアーティストよりもセールスには無頓着であると語り、本作が大成功を収めたという感覚もあまりなかったと述べている[1]。また本作のリリース後にベルリンの壁崩壊が発生、その後も1991年に湾岸戦争、1995年に地下鉄サリン事件などが発生した事で本作が予言のような作品となった事を問われた氷室は、自身の趣味が後に大ブームとなる事や予知夢を見る事があるなど、「(自身には)予知能力がちょっとあるかもしれない」と発言している[1]。
収録曲 編集
一覧 編集
作詞: 松井五郎(特記除く)、作曲: 氷室京介(特記除く)、編曲: 氷室京介、佐久間正英(特記除く)
# | タイトル | 時間 |
---|---|---|
1. | 「OVERTURE」(作曲・編曲: 佐久間正英) | |
2. | 「NEO FASCIO」 | |
3. | 「ESCAPE」 | |
4. | 「CHARISMA」 | |
5. | 「COOL」 | |
6. | 「SUMMER GAME」(作詞: 氷室京介) | |
合計時間: |
# | タイトル | 時間 |
---|---|---|
7. | 「RHAPSODY IN RED」 | |
8. | 「MISTY」 | |
9. | 「CAMOUFLAGE」 | |
10. | 「CALLING」(作詞: 氷室京介、松井五郎) | |
11. | 「LOVE SONG」(作詞: 氷室京介、松井五郎) | |
合計時間: |
曲解説 編集
- OVERTURE
- NEO FASCIO
- ESCAPE
- CHARISMA
- 独裁者の苦悩と狂気を描いた楽曲。PVがある。
- COOL
- SUMMER GAME
- 3rdシングル。先行シングルとしてリリースされたが、「このアルバムのなかでは異質な曲」と後に氷室自身が語っている。
- RHAPSODY IN RED
- 3rdシングル「SUMMER GAME」のカップリング曲「Rhapsody in blue」とはアレンジ・歌詞が変更され、レゲエ調の曲になっている。
- MISTY
- CAMOUFLAGE
- デヴィッド・ボウイの「ファッション」(1980年)という曲に触発されて作られた曲。
- CALLING
- 何十回も喉が壊れるまでボーカル録りをやり直したという曲。映像作品『ファイナルファンタジーVII アドベントチルドレン』(2005年)のテーマ曲として使用された。ベストアルバム『Case of HIMURO』収録。
- LOVE SONG
スタッフ・クレジット 編集
参加ミュージシャン 編集
スタッフ 編集
- 佐久間正英 - プロデューサー
- 山口州治 - レコーディング・エンジニア、ミキシング・エンジニア(2,3,6,8曲目)
- 林雅之 - レコーディング・エンジニア
- マイケル・ツィマリング - ミキシング・エンジニア(2,3,6,8曲目以外)
- 小野誠彦 - マスタリング・エンジニア
- 長谷川文雄 - アシスタント・エンジニア
- 岡崎秀俊 - アシスタント・エンジニア
- 新島誠 - アシスタント・エンジニア
- 三木康広 - アシスタント・エンジニア
- 坂東宏治 - アシスタント・エンジニア
- 菊池洋一郎(東芝EMI) - A&Rディレクター
- 子安次郎(東芝EMI) - A&Rディレクター
- 広瀬哲(東芝EMI) - A&Rディレクター
- 土屋浩(ユイ音楽工房) - アーティスト・プロデューサー
- 渋谷高行 - プロダクション・チーフ
- 斉藤博 - AE-チーフ・プロデューサー
- 鈴木“ゾンビ”祥紀(ユイ音楽工房) - プロダクション・マネージャー
- 高野和彦(ユイ音楽工房) - プロダクション・マネージャー
- 宮野真一(ユイ音楽工房) - プロダクション・スタッフ
- あらきただし(ユイ音楽工房) - プロダクション・スタッフ
- ましのともみ(ユイ音楽工房) - プロダクション・スタッフ
- 鶴田正人(東芝EMI) - P.R.
- 小澤啓二(東芝EMI) - P.R.
- 森谷統 (LOUISIANA COMPANY) - クリエイティブ・ディレクター、アートディレクター
- きたざわひろよし - アートディレクター、デザイナー
- まつおみやこ - デザイナー
- 丹羽俊隆 - 写真撮影
- ブラッドフォード・ブランソン - 写真撮影
- 小木曽威夫 - 写真撮影
- 桜井久子 - スタイリング
- 朝倉弘一 (SASHU) - ヘアー・メイク
- 横原義雄 (PASS) - ヘアー・メイク
- ほりうちひろき (KOYO COLOR) - グラフィック・ペイント・ボックス
- わたなべかえで (LOUISIANA COMPANY) - ビジュアル・スタッフ
- とびたみき (LOUISIANA COMPANY) - ビジュアル・スタッフ
- 小泉洋(東芝EMI) - A&Rチーフ
- 後藤由多加(ユイ音楽工房) - エグゼクティブ・プロデューサー
- 石坂敬一(東芝EMI) - エグゼクティブ・プロデューサー
ライブ映像作品 編集
シングル曲については各作品の項目を参照
- OVERTURE
- NEO FASCIO
- NEO FASCIO TURNING POINT
- ESCAPE
- NEO FASCIO TURNING POINT
- CHARISMA
- NEO FASCIO TURNING POINT
- COOL
- NEO FASCIO TURNING POINT
- OVER SOUL MATRIX
- CASE OF HIMURO 15th Anniversary Special LIVE
- KYOSUKE HIMURO TOUR2003 "HIGHER THAN HEAVEN"AT YOYOGI NATIONAL STADIUM
- L'EGOISTE
- CALLING
- NEO FASCIO TURNING POINT
- Birth of Lovers
- CASE OF HIMURO 15th Anniversary Special LIVE
- ap bank fes '07
- KYOSUKE HIMURO TOUR 2007"IN THE MOOD"
- L'EGOISTE
- KYOSUKE HIMURO COUNTDOWN LIVE CROSSOVER 05-06 1st STAGE/2nd STAGE
- KYOSUKE HIMURO 25th Anniversary TOUR GREATEST ANTHOLOGY -NAKED-FINAL DESTINATION DAY-01
- KYOSUKE HIMURO 25th Anniversary TOUR GREATEST ANTHOLOGY -NAKED-FINAL DESTINATION DAY-02
- LOVE SONG
- NEO FASCIO TURNING POINT
リリース履歴 編集
No. | 日付 | レーベル | 規格 | 規格品番 | 最高順位 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 1989年9月27日 | 東芝EMI/イーストワールド | LP CD CT |
RT28-5555 CT32-5555 ZT28-5555 |
1位 | |
2 | 2003年7月21日 | 東芝EMI/イーストワールド | CCCD | TOCT-25086 | - | デジタルリマスタリング盤、紙ジャケット仕様 |
脚注 編集
- ^ a b c d e f g h i ぴあMOOK 2013, p. 16- ふくりゅう「LONG INTERVIEW 最新40,000字インタビュー 【第一章】1988~1994 ソロデビュー、アイデンティティの確立へ」より
- ^ a b “氷室京介 -KING OF ROCK SHOW "FLOWERS for ALGERNON"”. LiveFans. SKIYAKI APPS. 2021年1月2日閲覧。
- ^ a b PATi PATi 1992, p. 143- 紺待人「7つめの鐘を鳴らせ! VOL.2 もう一つのMASTER PIECE」より
- ^ ぴあMOOK 2013, p. 13- ふくりゅう「LONG INTERVIEW 最新40,000字インタビュー 【第一章】1988~1994 ソロデビュー、アイデンティティの確立へ」より
- ^ a b c ぴあMOOK 2013, p. 99- 松田義人 (deco) 「"Tabloid" Himuro Historic Clips 1988-2013」より
- ^ “氷室京介 -HIROSHIMA '89 LIVE”. LiveFans. SKIYAKI APPS. 2021年1月3日閲覧。
- ^ a b c d e f g PATi PATi 1992, p. 144- 紺待人「7つめの鐘を鳴らせ! VOL.2 もう一つのMASTER PIECE」より
- ^ a b c d 宮本英夫 (2013年9月26日). “【月刊BARKS 佐久間正英 前進し続ける音楽家の軌跡~プロデューサー編 Vol.2】80年代のプロデュース~BOΦWYからブルーハーツへ”. BARKS. ジャパンミュージックネットワーク. 2021年1月5日閲覧。
- ^ a b c ぴあMOOK 2013, p. 18- ふくりゅう「LONG INTERVIEW 最新40,000字インタビュー 【第一章】1988~1994 ソロデビュー、アイデンティティの確立へ」より
- ^ a b c d 田家秀樹 (2020年11月20日). “氷室京介が自己表現を確立するまで 当時のディレクターが回想”. ローリング・ストーン ジャパン. CCCミュージックラボ. p. 5. 2021年1月5日閲覧。
- ^ アルバム『ダイアモンドの犬』(1974年)収録。
- ^ “氷室京介15周年に復活シングル!さらに8タイトル紙ジャケ再発!”. HMV&BOOKS Online. (2003年5月13日) 2021年3月7日閲覧。
- ^ “今年60歳の氷室京介サブスク解禁、アルバムリリースに向けて楽曲制作”. 音楽ナタリー. (2020年7月21日) 2021年3月7日閲覧。
- ^ a b c PATi PATi 1992, p. 145- 紺待人「7つめの鐘を鳴らせ! VOL.2 もう一つのMASTER PIECE」より
- ^ “氷室京介 -NEO FASCIO TOUR”. LiveFans. SKIYAKI APPS. 2021年1月3日閲覧。
- ^ “氷室京介 -NEO FASCIO ENCORE TOUR ARENA '90”. LiveFans. SKIYAKI APPS. 2021年1月3日閲覧。
- ^ ぴあMOOK 2013, p. 100- 松田義人 (deco) 「"Tabloid" Himuro Historic Clips 1988-2013」より
- ^ a b “氷室京介 / ネオ・ファッショ [廃盤]”. CDジャーナル. 音楽出版. 2021年1月3日閲覧。
- ^ a b “氷室京介 / ネオ・ファッショ [紙ジャケット仕様] [CCCD] [限定][廃盤]”. CDジャーナル. 音楽出版. 2021年1月3日閲覧。
参考文献 編集
- 『PATi PATi』第8巻第11号、ソニー・マガジンズ、1992年10月9日、143 - 145頁、雑誌07555-10。
- 『ぴあMOOK 氷室京介ぴあ 完全保存版! 25th Anniversary Special Book』、ぴあ、2013年9月20日、12 - 15頁、ISBN 9784835622439。
外部リンク 編集
- DISCOGRAPHY(NEO FASCIO) - HIMURO.COM Kyosuke Himuro Official Site
- Himuro Kyosuke* - Neo Fascio - Discogs (発売一覧)