松田寛夫

日本の脚本家 (1933-2022)

松田 寛夫(まつだ ひろお、1933年9月3日[1] - 2022年3月24日[2])は、日本脚本家

キネマ旬報社『キネマ旬報』第199号(1958)より。右から松田定次、松田寛夫、松浦築枝、松田照(牧野省三先妻)

人物

編集

京都市出身。松田定次松浦築枝の養子[3]京都大学文学部卒業[1]

1958年東映に入社。早くからチーフ助監督になるが、組合委員長として契約者の組織化などに働き[3]、常にひと言多いクセがたたり、岡田茂プロデューサーと喧嘩し、助監督を棒に振って東映東京撮影所に飛ばされた[3]

1967年に脚本家デビュー。当初はヤクザ映画アクション映画の脚本を執筆していたが、次第に時代劇ドラマと幅を広げていき、テレビドラマにも進出した。東映の脚本家は数名の共作で執筆することが多いが、比較的早くから単独執筆の映画に恵まれている。特に後年には、『花いちもんめ。』『社葬』などのオリジナル脚本でしばしば高い評価を受けた。

1985年、映画『花いちもんめ。』で第9回日本アカデミー賞最優秀脚本賞1989年、『社葬』で第44回毎日映画コンクール脚本賞を受賞。

2022年3月24日午前、悪性リンパ腫のため東京都内の病院で死去。88歳没。死去は4月1日に東映が発表した[2][4]

主な作品

編集

※は共作

映画

編集

テレビドラマ

編集
  • ジャイアントロボ(1967年 - 1968年、NET
  • バンパイヤ(1968年 - 1969年、フジテレビ
  • 河童の三平 妖怪大作戦(1968年 - 1969年、NET)
  • 花と狼(1969年、フジテレビ)
  • プレイガール(1969年 - 1971年、東京12チャンネル
    • 第33回「ギャング子守唄」
    • 第36回「女の肌は二度燃える」
    • 第50回「美少年仁義」
    • 第61回「女のすご腕」
    • 第78回「暗黒街の美少年」
    • 第92回「女は裸でグァム島航路」
  • 江戸川乱歩シリーズ 明智小五郎(東京12チャンネル)
    • 第17回「夜の墓場に踊る美女 夢遊病者の死より」(1970年8月1日)
  • 火曜日の女シリーズ日本テレビ
    • 「逃亡者 -この街のどこかで-」(1970年10月6日 - 11月17日)
    • 「蘭の殺人」(1970年11月24日 - 12月29日)
  • 土曜日の女シリーズ(日本テレビ)
    • 「明日に喪服を」(1973年5月19日 - 6月30日)
  • 白い牙(1974年、日本テレビ)
  • 影同心II(1975年 - 1976年、毎日放送
  • 土曜ワイド劇場テレビ朝日
    • 「危険な愛情 夫が妻を殺す時」(1980年5月17日)
    • 「第三の来訪者 危険な結婚」(1981年2月14日)
    • 「北海道殺人事件 わたしの婚約日記」(1981年7月11日)
    • 「ヒット曲は殺しのテーマ 忘れない女」(1982年3月13日)
    • 「妻と愛人の決闘 アリバイ証明」(1982年5月1日)
    • 「豪華ヨットの花嫁 500億財産を乗っ取れるか!? 車椅子に死体を乗せて…」(1984年10月27日)
  • 春の傑作推理劇場「ラストチャンス」(1982年1月28日、テレビ朝日)
  • 火曜サスペンス劇場(日本テレビ)
    • 「軽蔑 私は夫のあの目が許せない」(1984年10月9日)原作、「明日に喪服を」のリメイク。
  • となりの女(1988年、フジテレビ)
  • 金曜ドラマシアター「社葬 女たちの野望」(1991年10月18日、フジテレビ)原作、映画『社葬』のリメイク。
  • 柳生一族の陰謀(2008年9月28日、テレビ朝日)原作、映画のリメイク。

脚注

編集
  1. ^ a b 『読売年鑑 2016年版』(読売新聞東京本社、2016年)p.559
  2. ^ a b “脚本家の松田寛夫さん死去 「花いちもんめ」「極妻 惚れたら地獄」”. デイリースポーツ. 神戸新聞社. (2022年4月1日). https://www.daily.co.jp/gossip/2022/04/01/0015184259.shtml 2022年4月1日閲覧。 
  3. ^ a b c “「群像 連載2 東映東撮シナリオ陣」”. 映画芸術」1975年10~11月号 No307 編集プロダクション映芸 pp.108-109. 
  4. ^ 脚本家 松田寛夫訃報”. 東映株式会社 (2022年4月1日). 2022年4月1日閲覧。

関連項目

編集

外部リンク

編集