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概要編集

抗争&流血シーンは一切無い、やくざ映画にしてやくざ映画にあらず、テーマは抱腹絶倒の人間喜劇という冒険企画[1][2][3][4]。一般の庶民感覚からすれば時代錯誤もいいところな古式に乗っ取った壮重な代目承継式を舞台に、これこそ生業だと信じ込むやくざの滑稽さを描く[1]

キャスト編集

スタッフ編集

製作編集

企画は当時の東映京都撮影所(以下、東映京都)所長・佐藤雅夫[1]。東映京都は、1950年代時代劇1960年代任侠映画1970年代実録映画と上手く切り換えがなされ[1][2]、それぞれ黄金時代を創り上げ、1980年代は"不良性感度"の素材をいろんな形で創出し、年々厳しくなる映画興行凋落のパンチを何とか凌いで来た[1]。しかしヤクザ映画もかつてのパワーはなく、時たま製る時代劇もジリ貧で[1]、東映京都としては長い間の課題である現代劇で活路を開くべく、度々トライを続け、1989年の『社葬』で未来への展望が拓けたと判断された[1]。翌1990年の『遺産相続』は配収5億円に届かず、『社葬』に比べ、約1億円配収を減らしたが、アウトロー路線以外の開拓は容易にできる道でないため、それらに続く人間喜劇(シリアスコメディ)路線として本作の製作を決めた[1][2][5]。また、『お葬式』『マルサの女』『ミンボーの女』などの伊丹十三監督による社会喜劇からの刺戟を受けた[1]。伊丹作品より多少重目で、情念芝居たっぷりに仕込んだシリアスコメディとして差別化を計りたいというコンセプトが打ち出された[1]。「今までのヤクザ映画はまちがっていました」と言って、深作欣二が怒鳴り込んだといわれる[6]

監督・脚本編集

1992年3月の暴力団対策新法施行で様変わりした新路線として[2]、雰囲気をガラリと明るく変え、監督には青春映画の達人・大森一樹が抜擢された[2]。脚本は東映の勝負作を任されるようになった松田寛夫オリジナル[2]。儀式の裏側で起きるヤクザのてんやわんやに上手く着目した[2]。設定も公開当時を舞台としている[2]。 製作が公表された1992年1月の時点では『社葬』のやくざ版と発表されていた[7]

キャスティング編集

"真田広之古手川祐子緒形拳、大森一樹、吉田拓郎主題歌)と、ヤクザ映画になんのゆかりもない人達が東映京都撮影所に集合"と宣伝された[5]。真田広之、緒形拳とも東映の常連スターだが、現代ヤクザを演じるのは初めて[1][4]。緒形は五社英雄監督作品で二度やくざに近い女衒の役を演じているが、古手川祐子は勿論、監督の大森も含めて四人はやくざ映画初体験である[1]。他にも異色のキャスティングが組まれた。

作品の評価編集

興行成績編集

こうした人間喜劇は、前宣伝で観客に面白さを伝えることが難しく[1]、過去の『蒲田行進曲』や『お葬式』なども封切り当初は観客動員のパワーは弱かったが、口コミで映画の面白さが伝わり尻上がりにパワーを増幅させた高配収を上げた[1]。しかし映画を取り巻く状況が1980年代とは大きく変わり、配収予想は難しかった[1]

この年5月公開の東映自社製作『寒椿』と合わせ、作品の出来はよいと評価されたが[8]、『寒椿』配収2億5000万円で[9]、本作は2億円に届かず[9]、1992年の大手映画会社の封切劇映画では最低クラスの成績だった[9][10]

キネマ旬報からは「ヤクザ映画はおちゃらけたらダメ」と評され[6]、東映は1993年もヤクザ映画を一杯ラインナップに並べていたため先行き不安視された[6]

脚注編集

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o 岡田剛(東映取締役東京撮影所所長)・佐藤雅夫 (東映取締役京都撮影所所長)「映画製作活性化を担う旗手たちは今... 撮影所長はプロデューサーなのか」『AVジャーナル』1992年8月号、文化通信社、 22–27頁。
  2. ^ a b c d e f g h 「新作ビデオ紹介」『AVジャーナル』1993年2月号、文化通信社、 46頁。
  3. ^ a b 継承盃”. 日本映画製作者連盟. 2019年7月30日閲覧。
  4. ^ a b 継承盃 東映ビデオ
  5. ^ a b c 継承盃のチラシ - ぴあ
  6. ^ a b c 脇田巧彦・川端靖男・斎藤明・黒井和男「映画・トピック・ジャーナル」『キネマ旬報』1992年10月下旬号、キネマ旬報社、 161頁。
  7. ^ 「フジ共同製作二本etc 高岩淡専務会見」『AVジャーナル』1992年2月号、文化通信社、 14頁。
  8. ^ 「東映・岡田茂社長インタビュー 『危機と見るか体質改善好機と見るか』」『AVジャーナル』1992年9月号、文化通信社、 22–23頁。
  9. ^ a b c 「1992年度邦画3社番組/配収」『AVジャーナル』1993年1月号、文化通信社、 66–67頁。
  10. ^ 「惨敗続きの邦画秋の陣 正月興行作品に期待大」『AVジャーナル』1992年10月号、文化通信社、 7頁。

外部リンク編集