極道の妻たち
『極道の妻たち』(ごくどうのおんなたち)は、1986年、東映京都撮影所製作・東映配給により公開されたヤクザ映画。監督五社英雄。主演岩下志麻。好評を博し、主演女優・監督を替えながらシリーズ化された。通称『極妻(ごくつま)』。岩下志麻の劇場シリーズは1998年のシリーズ10作目『極道の妻たち 決着(けじめ)』で一応の完結となっている[1]。
概要編集
家田荘子のルポルタージュを原作にそれまでのヤクザ映画では脇役が多かった女性側の視点から描いた異色のやくざ映画シリーズ[2]。原作本は「極道の妻たち」(ごくどうのつまたち)であり、読み方が異なる。愛する夫を組同士の抗争や内部の謀略で失った『極妻』が自らの手で仇を取るという復讐劇[3]。
製作経緯編集
企画編集
企画は日下部五朗[2]。東京に行く新幹線で『週刊文春』に連載された家田荘子の原作を読み、家田に直接会って映画化の交渉を行う[2]。日下部が引かれたのはまずタイトル、さらにリアリティーが持つ非日常的な迫力に圧倒された。日下部もそれまで多くのヤクザ映画を手掛け、ヤクザの世界にはかなり通じているつもりでいたが、それ以上に知らない生態を体当たりで取材している[2]。聞けば、既に松竹と話が進み、テレビからも声がかかっていた[2]。日下部はやや強引に「おこがましいようだが、こういうものを作らせたら、東映にかなう会社はありませんよ。しかもこの手の企画なら、わたしが一番だという自信がある。誰にでも聞いてみて下さい」などと説得、家田を口説き落とすことに成功した[2]。岡田茂東映社長(当時)には事後承諾の形となったが、幸い岡田社長からすんなり了承を得た[2][4]。
キャスティング編集
1960年代のヤクザ映画全盛のオールナイト興行には、体制に不満を持つ学生を中心に、底辺で働く若者や水商売の女性、あるいは都会の片隅で孤独に生きる人たちが多かった。バブル期直前の1980年代半ばの日本には、代わってごく普通のOL、あるいは女子学生にも広く受け入れられる映画が要求された[2]。ヤクザ映画はマンネリといわれたが、方法論を変えれば打破できるはずだと日下部は考えていた。一般の主婦やOLは、ヤクザ映画には抵抗を持ちながら、一方で見てみたいという気持ちを強く持っている。それには、主婦やOLに違和感なく、ヤクザ映画には縁のない、テレビなどで好感度の高い大物女優を主人公に起用して安心感を与える[2]、ヤクザ映画とは全然関係のないスターを起用することで、ヤクザ映画に市民権を持たせたかった[5]。日下部は当初、「"極妻"は東映の監督陣と日本を代表する女優たちとで回していきたい」と、一作目の主演女優を岩下志麻、二作目を十朱幸代、三作目を三田佳子、四作目を山本陽子、五作目を吉永小百合という構想を練っていた[6]。ところが、四作目の製作が決定した際に、岡田社長が「やっぱり岩下に戻そうや」と"鶴の一声"を発して以降は長く岩下が主演を務め、"極妻は岩下"の代名詞となるほどの岩下の当たり役シリーズとなり[6][7]、シリーズ終了後も岩下が出演するCMは"極妻"のパロディーで制作されたものが多かった[8][9]。岩下は同じ五社英雄監督の1982年、『鬼龍院花子の生涯』で、既に"姐御"役を経験していたが、本作では凄みの効いた低い声で「あんたら、覚悟しいや!」と拳銃をぶっ放し"姐御"イメージを決定的にした[4][10][11]。岩下自身「"極妻"は自分の財産になる作品になったと思うんです。こんなに長いシリーズ物をやらせていただいたのは、女優生活で初めてなんですね。年代的にもう中年になってから、こういう主演作に巡り逢えるとは思いもよらなかった」と述べている[4]。忘れられない3本として『心中天網島』(1969年)、『はなれ瞽女おりん』(1977年)とともに『極妻』を挙げている[4]。
岩下とともに"極妻"に欠かせない女優がかたせ梨乃[2][12]。かたせは当時テレビを中心に活動していたが、官能的で毒の部分を表現できる女優が、ヤクザの男たちの好みのタイプと判断しキャスティングされた[2]。映画の大役は初めてで極度に緊張して、岩下がかたせに宝石店で指輪をはめてあげるシーンでは、かたせの手が震えて指輪がなかなかはまらなかった[12]。第1作ではかたせと世良公則の濡れ場シーンが大きな話題を呼んだ[13][14]。最初はお色気担当のような役割だったが、次第に姐さんとともに闘う女に変身していった[12]。かたせは芸能生活10年目で初めて手にした大役をやりとげ、出演者の中で最多の8作品に出演し、女優として大きな成長をとげた[2]。
かたせ以降も、若手女優のヌードや濡れ場シーンが必ず入る。
シリーズ4作目『極道の妻たち 最後の戦い』(1990年)で岩下が復帰した際に、岩下が日下部に監督に山下耕作を希望した[15]。
脚本編集
家田の原作は亭主が浮気するとか、家に金を入れないなどの苦労話で、日下部の下に付いていた奈村協プロデューサーや監督の五社、脚本の高田宏治も「『鬼龍院花子の生涯』のようなパワーのある、燃焼できた物の後、いまさらヤクザの嫁さんの話でもないだろう」という意見で一致。このため東映上層部の意向は無視して原作にこだわることなく、もう一回アクションの原点に戻し、女に借りたヤクザの実録というコンセプトで脚本が書かれた[16]。脚本の高田は家田の原作に、当時の山一抗争や高田が脚本を手掛けた三国事件(『北陸代理戦争』)を素材に物語を構成した、そういった時代を入れたから迫力のあるスケールの大きな話が出来た、と述べている[16]。
岩下の役作り編集
- セリフ
ホテルの部屋でセリフの練習をしている時に友人から電話がかかってきた際、役に入り込み過ぎて、電話を取った第一声が「わてや」になってしまったという[17]。
- 刺青
京都撮影所の俳優センターに「刺青部屋」が当時あり、専属の刺青師が朝の5時から3時間かけて岩下の背中の刺青を描いた[18]。勿論実際の彫り物ではなく後で落とせるものであるが、絵の具を伸ばす際に使う刷毛がチクチクするのと、絵の具を乾かすときに塗るベンジンに刺激があり、少し痛みがあったという[18]。
- ファッション
衣装は五社監督と相談したものだが、着こなしは岩下自身が工夫したもの[18]。着物にピアスやネックレスをすると下品になるが、岩下はあえて小さなイヤリングとプチネックレスをつけた[18]。着物は襟首の下で合わせるのが普通だが、岩下は胸のところにほくろがあり、ほくろを目安に襟を開けた[18]。また着物を着たときは内股が常識だが、歩き方も外股にし、あごを上げて上から見下すような感じで、声のトーンをなるべく下げてものを喋ってみた[18]。一作目はそんなに低くないが『新極道の妻たち 覚悟しいや』(1993年)あたりがかなり低い。
- くわえたばこ
岩下はもともと非喫煙者だったが、役作りのために周りの同世代が禁煙を始める頃からたばこを吸い始めた[18]。以来チェーンスモーカーになったが、"極妻"が終わって5年くらいでたばこをやめた[18]。
- イメージ
岩下は『グロリア』(1980年、ジョン・カサヴェテス監督)が大好きで[19]、"極妻"をやってるときにはいつもジーナ・ローランズのイメージがあったという[19]。『グロリア』をベースにした脚本やシノプシスを自身で作り、企画を出していたが実現できずに結局諦めたが、「実現できててたら『レオン』よりずっと早かったのに」と話している[19]。
興行編集
一作目の大ヒット以降、少しずつ興行成績は落ち[5]、7作目あたりで1作目の半分程度の成績だった[5]。しかしそれと反比例してテレビ放映時の視聴率が高く[5]、ビデオも東映の劇場公開映画では当時一番のヒット商品で、二次使用でも大きな力を持つシリーズだった[5]。
評価編集
初公開時には観客は主演の岩下志麻を見て、あっと驚いた[7]。くわえたばこで足を組み、ブランデーをあおり、「あほんだら、撃てるもんなら撃ってみい!」と啖呵を切る。背中に刺青、懐にはピストル。どこから見ても筋金入りの極道一家の姐さんだった[7]。ヤクザ映画のファンはそれまでコアな男性層だけだったが、本作は女性層にも支持された[7]。保身と駆け引きに明け暮れる男たちとは対照的に、意地を貫き通す"極妻"たちのかっこよさに、普通の女たちが快哉を叫んだ[7]。本シリーズが大ヒットした背景には、男が弱く、女が強くなっていく時代の流れがあったと評される[7]。公開された1986年は、職場での男女平等を確保する「男女雇用機会均等法」が施行された年で、闘う女を主人公にした"極妻"はそうした時代の流れと深部で共鳴していたのである[7]。
外部からはスター監督の五社英雄を起用する一方で、内部では土橋亨や関本郁夫といった冷や飯を食わされていた男たちを起用するなど「やる気があるのかないのか見えない点」も東映フリークからは好評だった。五社が二作目以降に監督を降ろされた理由について、高田が日下部に聞いたら「すべて五社の手柄にするから」と言っていたという[20]。高田は「もし五社さんの続投に踏み切っていたら『極妻』シリーズは日本の映画史に燦然と残るエンターテインメントの金字塔になってかもしれない。日下部がいみじくも家田さんに力説したように、この手の危ない素材を自分の血と肉にして、大衆を興奮させるだけのロマネスクに仕上げる手腕において、五社さんに勝る監督が日下部の手持ちの中にはいなかったんです」などと述べている[20]。
逸話編集
俊藤浩滋は「家田荘子の原作が出る以前に『山口組の姐さんたち』というタイトルの映画の企画を東映に出した。岡田社長がそれをジャーナリストとの対談で喋ったことがある。しかし企画は通らず、それからしばらくして『極妻』が作られることになったので、「おかしいやないかと言うたら、わしのとこへ了解を取りにきた」と話している[21]。
シリーズ10作目で、岡田社長が突然「これで10作になるのでやめます」と宣言し『極妻』シリーズは終了した[9]。岩下もイメージを引きずって、他の役がやれない恐怖があったので「よかった」と思ったという[9]。しかし岩下="極妻"イメージはしばらく続き、CMも「〇〇させていただきます」と"極妻"風に言う依頼が続いた[9]。しかし振り返るとやっぱり「これだけの作品をやれた、娯楽作品でこれだけのシリーズを持たせていただいたというのは、私の大きな素晴らしい財産です」と話している[9]。
高島礼子版極妻編集
劇場シリーズの完結後もレンタルビデオで好評のため、東映ビデオの企画として高島礼子主演で新シリーズが製作された。しかし、レンタルビデオ主導の企画であることから予算規模は大幅に縮小され、劇場用の35ミリフィルム撮影ではなくスーパー16ミリでの撮影となり、短期間に小規模上映された。東映ビデオと共同でTBSが制作に関与しており、TBS系のゴールデンタイム枠などで放送されることもある。またテレビ東京系でも放送歴がある。
高島抜擢の経緯編集
高島礼子は1988年にとらばーゆのCMを見た松平健の目に留まり、東映京都撮影所に招かれ、25歳のとき『暴れん坊将軍III』の"御庭番"役で女優デビューした。その後、日本酒「黄桜」のCMを見た東映首脳が高島の着物姿に惚れ込み1999年、極妻の四代目ヒロインに抜擢されることになった。しかし歴代の主演女優に比べて、高島は当時30代半ばと若く不安視されたが、関本郁夫が『彼女に合わせて極妻の誕生編を撮ったらいい』と提案し、これが採用されピタッとハマった。高島は高校時代から仁侠映画のファンで、『緋牡丹博徒』の藤純子(富司純子)や、鶴田浩二に心酔し『仁義なき戦い』も研究していた。高島の起用は東映社内でも大きな賭けであったが大ヒットし、岡田社長も「この子はスターになる」と手放しで喜び、高島主演でシリーズ化が決定[22][23]、高島は本シリーズを出世作とした[24]。
逸話編集
高島版シリーズ二作目の『極道の妻たち 死んで貰います!』は、高島の他、斉藤慶子、東ちづるの三人の女優が共演し、役柄的にはもらい役の東にどうしても目が行ってしまうところであったが、高島は「絶対負けるもんか」という女のライバル意識が強烈で、二人は舞台挨拶で一言も口を利かなかったといわれる[22]。
黒谷友香版極妻編集
シリーズのタイトル編集
東映制作作品編集
極道の妻たち(1986年)※監督:五社英雄
- 出演:岩下志麻、かたせ梨乃、佳那晃子、竹内力、清水宏次朗、家田荘子、内藤やす子、円浄順子、春やすこ、八神康子、芹明香、明日香尚、絵沢萠子、小林勝彦、成瀬正、不破万作、有川正治、岩尾正隆、水上功治、五十嵐義弘、中村錦司、川浪公次郎、宮川珠李、三村敬三、栗田芳廣、磯村憲二、大木晤郎、藤田恵子、石井博泰、古川勉、土岐光明、丸平峯子、斉藤絵里、伊藤久美子、小川美那子、松宮由季、首藤真沙保、タンクロー、勝野賢三、石倉英彦、土佐一太、山村嵯都子、星洋子、福本清三、森源太郎、矢部義章、笹木俊志、疋田泰盛、白井滋郎、細川純一、石田謙一、木谷邦臣、司裕介、小峰隆司、富永佳代子、内藤康夫、川辺俊行、木下通博、小船秋夫、藤忠勝、得居寿、清家三彦、武井三二、福中勢至郎、大熊敏志、塙紀子、北村明男、松尾和子、鹿内孝、小松政夫、大坂志郎、佐藤慶、成田三樹夫、汀夏子、藤間紫、世良公則
- 配給収入7.5億円[25]
極道の妻たちII(1987年)※監督:土橋亨
- 出演:十朱幸代、かたせ梨乃、木村一八、柳沢慎吾、竹内力、光石研、藤奈津子、円浄順子、戸恒恵理子、和田アキ子(主題歌も担当)、中島ゆたか、速水典子、亜湖、高倉美貴、伊織祐未、岩尾正隆、山村弘三、野口貴史、有川正治、丘路千、高並功、白川浩二郎、蓑和田良太、五十嵐義弘、西村泰治、吉川雅恵、丸平峯子、草笛光子、神津友子、石井洋充、野上志津香、稲泉智万、三原由美、大槻智之、広瀬朋子、加藤寛治、竹本貴志、河本忠夫、有村由美子、小林哲麿、白木原和音、成枝三郎、新島愛一朗、長谷川美佳、長崎任男、浜田隆広、毛利清二、宮城幸生、泉好太郎、木谷邦臣、笹木俊志、波多野博、白井滋郎、司裕介、細川純一、木下通博、小船秋夫、柳美希、井上みよ、佐々木由美、タンクロー、首藤真沙保、真鍋美穂、安岡力也、内田稔、名和宏、趙方豪、草薙幸二郎、大前均、片桐竜次、市川好朗、佐川満男、綿引勝彦、夏夕介、遠藤太津朗、月亭八方、神山繁、藤岡琢也、村上弘明
- テレビ放送は、他の東映制作シリーズがフジテレビ系で放送されるのに対し、本作のみ日本テレビ系「金曜ロードショー」枠で放送される(最近の放送は2007年12月21日)。
- 和田アキ子は主題歌「抱擁」で、同年の第38回NHK紅白歌合戦(和田が紅組司会も担当)にて紅組のトリを飾った。
極道の妻たち 三代目姐(1989年)※監督:降旗康男
極道の妻たち 最後の戦い(1990年)※監督:山下耕作
新極道の妻たち(1991年)※監督:中島貞夫
新極道の妻たち 覚悟しいや(1993年)※監督:山下耕作
新極道の妻たち 惚れたら地獄(1994年)※監督:降旗康男
極道の妻たち 赫い絆(1995年)※監督:関本郁夫
極道の妻たち 危険な賭け(1996年)※監督:中島貞夫
極道の妻たち 決着(けじめ)(1998年)※監督:中島貞夫
東映ビデオ制作作品編集
極道の妻たち 赤い殺意(1999年)※監督:関本郁夫
極道の妻たち 死んで貰います!(1999年)※監督:関本郁夫
極道の妻たち リベンジ(2000年)※監督:関本郁夫
極道の妻たち 地獄の道づれ(2001年)※監督:関本郁夫
極道の妻たち 情炎(2005年)※監督:橋本一
極道の妻(つま)たち NEO(2013年)※監督:香月秀之 ※本作のタイトルは家田荘子の原作本の通り「ごくどうのつまたち」と読む。
この節の加筆が望まれています。 |
脚注編集
- ^ 東映チャンネル | 極道の妻たち 決着(けじめ)
- ^ a b c d e f g h i j k l #クロニクル「証言 製作現場から 『女性向けヤクザ映画はいかにつくられたか』 「極道の妻たち」企画 日下部五朗」、342-343頁
- ^ 極道の妻たち|一般社団法人日本映画製作者連盟
- ^ a b c d #悔いなき、286-301頁
- ^ a b c d e #キネ旬199592、115-118頁
- ^ a b 『アサヒ芸能』2013年6月20日号、66-69頁
- ^ a b c d e f g #岩下、174頁
- ^ 志摩スペイン村や日清食品のカップ麺「ごんぶと」など。
- ^ a b c d e #岩下、186-187頁
- ^ #伊良子、171-172頁
- ^ 岩下志麻、女優人生と代表作『はなれ瞽女(ごぜ)おりん』、『秋刀魚の味』を語る@第19回神戸100年映画祭、「覚悟しいや!」"極妻(ごくつま)"シリーズ歴代姐さん頂上決戦ランキング、「極妻」岩下志麻 当初は戸惑いと葛藤があったことを明かす
- ^ a b c #岩下、185-187頁
- ^ 完全保存版美女優69人「伝説の本気濡れ場」誌上再現 vol.3
- ^ 美女たちの豊かなバストを一挙チェック!(3)CMで悩殺した吹石一恵のスタイル、華原、世良公則のために「おっぱい磨き」 - 日刊スポーツ
- ^ #岩下、185頁
- ^ a b #高田142-147、216頁
- ^ #岩下、179頁
- ^ a b c d e f g h #岩下、179-183頁
- ^ a b c #岩下、188-189頁
- ^ a b #高田237-238頁
- ^ 俊藤浩滋・山根貞男『任侠映画伝』講談社、1999年、274頁。ISBN 4-06-209594-7。
- ^ a b 「高島礼子(51)“リアル極妻”半生記」『週刊文春』2016年7月14日号、文藝春秋、 34-36頁、2016年9月10日閲覧。
- ^ “高島礼子、陽炎3で「春満開」”. zakzak. (1997年3月31日). オリジナルの1997年7月14日時点によるアーカイブ。 2016年9月10日閲覧。“【高島礼子】ピカッと輝き続ける「成長美」“劇場版ポケモン”で声優に挑戦”. zakzak. (2013年7月11日). オリジナルの2013年7月14日時点によるアーカイブ。 2016年9月10日閲覧。
- ^ “【甘口辛口】「薬やるなら死んでもらいます」…薬物犯罪には厳罰を”. SANSPO COM (産業経済新聞社). (2016年7月2日). オリジナルの1997年7月14日時点によるアーカイブ。 2016年9月10日閲覧。“3大芸能ベテラン美人女優の大異変!(1)”. 徳間書店 (2016年7月9日). 2016年9月10日閲覧。
- ^ 「1986年邦画4社<封切配収ベスト作品>」『キネマ旬報』1987年(昭和62年)2月下旬号、キネマ旬報社、1987年、 130頁。
- ^ 「1990年邦画3社<封切配収ベスト作品>」『キネマ旬報』1991年(平成3年)2月下旬号、キネマ旬報社、1991年、 144頁。
- ^ 「日本映画業界決算」『キネマ旬報』1997年(平成9年)2月下旬号、キネマ旬報社、1997年、 157頁。
参考文献・ウェブサイト編集
- 『クロニクル東映:1947-1991』1、東映、1992年。
- 『クロニクル東映:1947-1991』2、東映、1992年。
- 五社巴『さよならだけが人生さ ー五社英雄という生き方』講談社、1995年。ISBN 4-06-206361-1。
- 「極妻10周年記念特集 "毒の中の華"それが極妻の魅力だ 対談:企画・日下部五朗×監督・関本郁夫 司会・北川れい子」『キネマ旬報』1995年9月下旬号。
- 西谷拓哉・高田宏治『高田宏治東映のアルチザン』カタログハウス、1997年。ISBN 4905943337。
- 岡田茂『悔いなきわが映画人生:東映と、共に歩んだ50年』財界研究所、2001年。ISBN 4-87932-016-1。
- 『映画界のドン 岡田茂の活動屋人生』文化通信社、2012年。ISBN 978-4-636-88519-4。
- 伊良子序『昭和の女優 今も愛され続ける美神たち』PHP研究所、2012年。ISBN 978-4-569-80326-5。
- 立花珠樹『岩下志麻という人生 いつまでも輝く、妥協はしない』共同通信社、2012年。ISBN 978-4-7641-0644-4。
- 春日太一『あかんやつら 東映京都撮影所血風録』文藝春秋、2013年。ISBN 4-1637-68-10-6。
- 東映キネマ旬報 2010年春号 Vol.14 | 電子ブックポータルサイト
関連項目編集
- GREE…ソニー・デジタルエンタテインメント・サービスによってスマートフォン用GREEにてゲーム化。