アイザワ証券グループ

日本の東京都中央区にある証券会社

アイザワ証券グループ株式会社(アイザワしょうけんグループ、: AIZAWA SECURITIES GROUP CO., LTD.)は、アイザワ証券などを傘下に置く日本金融持株会社

アイザワ証券グループ株式会社
AIZAWA SECURITIES GROUP CO., LTD.
本社
種類 株式会社
機関設計 監査等委員会設置会社[1]
市場情報
東証プライム 8708
2006年2月22日上場
本社所在地 日本の旗 日本
105-7307
東京都港区東新橋一丁目9番1号
東京汐留ビルディング
設立 1933年昭和8年)10月3日
業種 証券、商品先物取引業
法人番号 5010001036574 ウィキデータを編集
事業内容 持株会社
代表者 藍澤卓弥
代表取締役社長CEOCHO
資本金 80億円
(2019年3月31日現在)
発行済株式総数 4,752万5649株
(2019年3月31日現在)
売上高 連結:127億1百万円
単体:114億84百万円
(2019年3月期)
純利益 連結:2億46百万円
単体:4億25百万円
(2019年3月期)
純資産 連結:536億26百万円
単体:530億47百万円
(2019年3月31日現在)
総資産 連結:859億13百万円
単体:852億46百万円
(2019年3月31日現在)
従業員数 781人(2019年3月31日現在)
決算期 3月31日
会計監査人 有限責任あずさ監査法人[2]
主要株主 藍澤基彌 5.14%
アイザワ 5.03%
GOLDMAN,SACHS & CO. REG 4.56%
鈴木啓子 3.44%
(2019年3月31日現在)
主要子会社 アイザワ証券株式会社
アイザワ・インベストメンツ株式会社
外部リンク https://www.aizawa-group.jp/
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アイザワ証券株式会社
AIZAWA SECURITIES CO., LTD.
種類 株式会社
本社所在地 日本の旗 日本
105-7307
東京都港区東新橋一丁目9番1号
東京汐留ビルディング
設立 2021年4月1日
(アイザワ証券分割準備株式会社)
業種 証券、商品先物取引業
法人番号 8010001217122
金融機関コード 9548
事業内容 投資・金融サービス業
代表者 藍澤卓弥
代表取締役社長兼社長執行役員)
資本金 30億円
発行済株式総数 3万株
従業員数 791人(2024年3月31日現在)
決算期 3月31日
主要株主 アイザワ証券グループ株式会社 100.0%
外部リンク www.aizawa.co.jp
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概要

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独立系の中堅証券会社で、関東を地場とする老舗の旧藍澤證券に関西の平岡証券が合併した。2024年7月1日現在で国内42店舗を展開する[3]

いちよし証券岩井コスモ証券極東証券丸三証券水戸証券東洋証券と並ぶ、中堅証券会社に位置づけられる。

外国株の取扱に力を入れており、中国株香港深圳上海)をはじめ、韓国台湾タイ、シンガポール、マレーシア、インドネシア、フィリピン、イスラエル、アメリカなど幅広く取り扱っているのが特徴。

日本橋一丁目東地区再開発事業に伴い、2021年8月に東京汐留ビルディングへ本社・本店を移転した[4]

沿革

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  • 1918年大正7年) - 藍澤彌八が港屋商店として証券業務の取扱いを開始。
  • 1926年(大正15年)9月 - 常盤証券株式会社を設立。
  • 1933年昭和8年)10月 - 株式会社藍澤商店として設立。
  • 1940年(昭和15年)9月 - 日本証券投資株式会社を設立。
  • 1944年(昭和19年)5月 - 株式会社石崎商店を合併。
  • 1948年(昭和23年)10月 - 藍澤證券株式会社に改称。
  • 1949年(昭和24年)6月 - 伊豆証券株式会社を設立。
  • 1952年(昭和27年)1月 - 日本証券投資株式会社を合併。
  • 1953年(昭和28年)11月 - 永徳屋証券株式会社を設立。
  • 1958年(昭和33年)2月 - 伊豆証券株式会社(本社・静岡県)の営業権を譲受。
  • 1959年(昭和34年)11月 - 常盤証券株式会社(本社・静岡県)の営業権を譲受。
  • 1960年(昭和35年)10月 - 山甲証券株式会社を設立。
  • 1965年(昭和40年)8月 - 永徳屋証券株式会社(本社静岡県)の営業権を譲受。
  • 1967年(昭和42年)- 山甲証券が山梨証券株式会社に商号変更。
  • 1968年(昭和43年)3月 - 山梨証券株式会社(本社・山梨県)の営業権を譲受。
  • 1968年(昭和43年)4月 - 証券業免許取得。
  • 1991年平成3年)9月 - 本社ビル完成。東京都中央区日本橋一丁目20番3号に本店を移転。
  • 1999年(平成11年) - インターネット取引を開始。
  • 2002年(平成14年)10月 - 平岡証券株式会社(本社・大阪府大阪市)と合併。
  • 2005年(平成17年) - 中華人民共和国上海に現地法人を設立。
  • 2006年(平成18年)2月 - ジャスダック上場。
  • 2007年(平成19年) - 一任勘定取引であるSMA(ラップ口座)の取り扱いを開始。
  • 2013年(平成25年)5月 - 八幡証券株式会社(本社・広島市)を完全子会社化。
  • 2015年(平成27年)3月 - 東京証券取引所市場第1部に市場変更。
  • 2016年(平成28年)2月 - 八幡証券株式会社を吸収合併[5]
  • 2017年(平成29年)3月 - 日本アジアグループ株式会社より日本アジア証券株式会社の全株式を取得し、完全子会社化[6]
  • 2018年(平成30年)7月 - 日本アジア証券株式会社を合併[7]
  • 2021年(令和3年)10月1日 - 会社分割による持株会社体制に移行し、アイザワ証券グループ株式会社に商号変更。アイザワ証券株式会社に金融商品取引業を承継[8]

不祥事

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  • 2011年平成23年)6月に、杉戸支店長(埼玉県杉戸町)が、前任の生駒支店(奈良県生駒市)での株の無断売却を隠蔽する目的で、奈良県生駒市の顧客の自宅に不法侵入し、両手で顧客の首を締め殺害しようとしたとして、奈良県警生駒署に逮捕された[9][10]。その後、2012年6月1日に奈良地裁で殺人未遂と業務上横領などの罪により求刑8年に対し、5年6月の実刑判決が下されている[11]

過去スポンサー番組

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これが縁でテレビCMにバックス・バニー(CV:富山敬)が起用されていた。
  • クイズタイムショック(テレビ朝日系、生島時代)※名古屋、静岡地区のみ安藤証券がスポンサー。
  • 1980年代末期には、「久保田利伸ランド・オブ・グルーヴ」など、TOKYO FM系列の全国ネットのラジオ番組のスポンサーでもあった他、TOKYO FMの22時~23時台にCMを流していた。当時の同社のCMは、自社の取扱商品のPRよりも、社員個人に対する営業ノルマがないなど就職活動中の学生に対し自社の労働環境をPRする内容が主体である点に特色があった[要出典]

脚注

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  1. ^ コーポレート・ガバナンス - アイザワ証券グループ株式会社
  2. ^ 四半期報告書 2021年1月6日閲覧
  3. ^ 会社概要 | アイザワ証券
  4. ^ 本社組織移転のお知らせ | アイザワ証券
  5. ^ 八幡証券株式会社との合併(簡易合併・略式合併)に関するお知らせ - 藍澤證券ニュースリリース、2015年8月14日
  6. ^ 日本アジア証券株式会社の株式取得(子会社化)に関するお知らせ - 藍澤證券株式会社 2017年1月27日
  7. ^ 日本アジア証券株式会社との合併(簡易合併・略式合併)に関するお知らせ - 藍澤證券株式会社 2017年9月26日
  8. ^ 会社分割による持株会社体制への移行に伴う吸収分割契約締結および定款変更(商号、事業目的および機関の変更等)に関するお知らせ” (PDF). 藍澤證券株式会社 (2021年4月28日). 2021年10月9日閲覧。
  9. ^ 顧客を殺人未遂容疑 - 元証券会社支店長を送検 - 奈良新聞、2011年6月8日
  10. ^ 弊社社員の逮捕について (PDF) - 藍澤證券ニュースリリース、2011年6月7日
  11. ^ 毎日新聞 2012年6月2日

外部リンク

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