クリス・ミーク(Kris Meeke、1979年7月2日[1] - )は、イギリス北アイルランドダンガノン出身のラリードライバー

クリス・ミーク
ミーク(2019年)
ミーク(2019年)
基本情報
国籍 イギリスの旗 イギリス
北アイルランドの旗 北アイルランド
生年月日 (1979-07-02) 1979年7月2日(44歳)
出身地 北アイルランドダンガノン
WRCでの経歴
活動時期 2002年 - 2008年2011年2013年 -
コ・ドライバー イギリスの旗 グレン・パターソン
イギリスの旗 クリス・パターソン
アイルランドの旗 ポール・ネーグル
イギリスの旗 セバスチャン・マーシャル
所属チーム プロドライブMINI)、シトロエントヨタヒョンデ
出走回数 104
チャンピオン回数 0
優勝回数 4
表彰台回数 13
ステージ勝利数 94
通算獲得ポイント 511
初戦 2002年 ラリーGB
初勝利 2015年 ラリー・アルゼンチン
最終勝利 2017年 ラリー・カタルーニャ
最終戦 2023年 ラリー・ド・ポルトガル
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2009年のインターコンチネンタル・ラリー・チャレンジ (IRC) チャンピオン。世界ラリー選手権 (WRC) では35歳で初優勝した遅咲きのドライバーである。

略歴 編集

ジュニアカテゴリ時代 編集

 
オペル・コルサS1600をドライブ

クイーンズ大学ベルファストで機械工学を修め、ラリーチームのMスポーツCADエンジニアとして働き始める[2]2000年、21歳の頃にラリーに初挑戦。2001年プジョー・106スーパーカップに参戦。その活躍が1995年のWRC王者コリン・マクレーの目に留まり、全面的なバックアップを受ける[3]2002年フォード・プーマS1600をドライブし、イギリスラリー選手権のジュニアクラスでチャンピオンを獲得。同年のラリーGBにてWRCデビューする。

2003年より、ジュニア世界ラリー選手権 (JWRC) にオペル・コルサS1600で参戦。2005年はクロノス・レーシング (Kronos Racingシトロエン・C2 S1600をドライブし、開幕戦モンテカルロでJWRC初優勝。年間ランキング3位となる(チャンピオンはチームメイトのダニ・ソルド)。2006年までJWRCに参戦するも、資金不足により2007年は活動の中心をアイルランド選手権に移す。

IRC制覇、MiniからWRCデビュー 編集

ミークのトップドライバーへ道は絶たれたと思われたが、2009年にプジョーUKと契約し、インターコンチネンタル・ラリー・チャレンジ (IRC) へ参戦する。ユニオンジャックのカラーリングをまとったプジョー・207 S2000をドライブし、出走9戦中4勝を挙げ、国際レベルのシリーズで自身初のチャンピオンを獲得する。2010年は1勝を挙げるも5度のリタイアを数え、年間ランキング3位となる。

2011年、WRCに新規参戦するMINIプロドライブ)とワークスドライバー契約を結び[4]ワールドラリーカー(WRカー)ミニ・ジョン クーパー ワークス WRCの開発を担当する。テスト参戦の初年度は6戦に出走し、2戦で入賞。しかし、2012年はチームの資金難によりペイドライバーにシートを譲り、WRC出場機会を得られず。MINIの活動自体もこの年限りで終了する。

シトロエンのエースへ 編集

2013年R5カーのプジョー・208 T16の開発を担当しながら、帝王セバスチャン・ローブが離脱した後のシトロエンの招聘を受けWRC2戦にスポット参戦する[5]。いずれもクラッシュに終わるが、2014年からシトロエンのワークスチームのレギュラーシートを確保し、シトロエン・DS3 WRCをドライブする。チーム代表イブ・マトンは、クラッシュは多いがスピードのあるミークの起用を「賭けだった」と正直に明かしている[6]。2014年は開幕戦モンテカルロでのWRC初表彰台を含めて3位を4回獲得し、年間ランキング7位。ドイツでは3SSを残して総合首位に立つも自滅クラッシュし[7]、速いが安定感に欠けるという評価を覆せなかった。

2015年アルゼンチンにてWRC初参戦から13年、57戦目にして初優勝を果たす[8]。英国人ドライバーのWRC優勝は2002年サファリのマクレー以来となり、優勝インタビューでは涙ぐみながら2007年に他界したマクレーに勝利を捧げた[9]。年間ランキングは5位で、2018年まで契約を延長し[10]、名実ともにシトロエンのエースとなる。

 
2016年ラリー・モンテカルロ

2016年はシトロエンが新規定のWRカー開発に専念するため、ワークス活動を1年間休止。ミークはサテライトチームPHスポールからスポット参戦となるが、ポルトガルで2勝目、フィンランドで3勝目を獲得する。フィンランドでの勝利は、英国人ドライバーとしては初の快挙であった[11]

2017年、新車シトロエン・C3 WRCをドライブし、メキシコで4勝目を獲得。この時余裕の首位であった最終SSでコースアウトし、観客用駐車場を迷走した末にコースに復帰し、辛うじてリードを守り切るというドラマを演じた[12]。その後は大転倒を繰り返すなどしてスランプに陥り、チームから一時休養を命じられる[13]。復帰後のカタルーニャではチャンピオンであるセバスチャン・オジェを圧倒するスピードを見せ5勝目を獲得する。しかし中盤でのスランプが響き年間ランキング7位に終わった。

2018年は開幕戦モンテカルロで4位、メキシコでは3位表彰台を獲得しまずまずのスタートを切るもアクシデントやクラッシュは減らず、第6戦ポルトガルでは雑木林に転落しマシンは大破した。シトロエン陣営は安全上の予防措置という理由で第7戦以降のミークの出走予定を全て取り消した[14]

トヨタ時代 編集

 
2019年ラリー・カタルーニャ

参戦打ち切りの後ミークはラリー界から距離を置いていたが、同シーズン中にフィンランドにあるTOYOTA GAZOO Racing WRT のファクトリーを訪れ、トヨタ・ヤリスWRCをテストした。監督のトミ・マキネンは元々ミークを高く評価しており、チーム立ち上げの際はミークに声をかけたこともあった。果たしてシーズン終盤にはシトロエンへ移籍するエサペッカ・ラッピと入れ替わる形でトヨタ加入が決定した。2019年より固定制となるカーナンバーは「5」を選択した。

2019年開幕3戦は堅実にポイントを重ねるがなかなか表彰台に届かず、シトロエン時代から続いているスランプから抜け出せずにいた。第7戦ポルトガルでは終盤までチームメイトのオット・タナクと優勝を争いながら、最終SSでクラッシュしてトヨタのワンツー・フィニッシュをふいにした。しかし第10戦ドイツで移籍後初となる2位表彰台を獲得。このラリーではチームメイトのタナクが優勝、ヤリ=マティ・ラトバラが3位となったことでトヨタとしては2017年の復帰後初の表彰台独占を達成した。しかし残りの3戦ではGBで初日首位を快走した以外は成績が奮わず、チームのマニュファクチャラーズ選手権も防衛できなかった。年間ランキング6位でシーズンを終えたが、シーズン終了後シートを失った。

WRC離脱後 編集

2020年は、APRC第2戦インターナショナル・ラリーオブワンガレイにマツダ2 AP4で出場することが決定した[15]が、新型コロナウイルスの影響により実現とはならなかった。

2021年はダカール・ラリーに初挑戦。PHスポール製のグループT3(軽量プロトタイプ)車両である"ゼファー"をドライブ。ナビはエリック・ファン・ルーンやマーティン・ファン・デン・ブリンクと組んで10年以上ダカールに参戦しているオランダ人のウーター・ローズガー[16]。2つのステージで勝利を記録したが、出火によりリタイアした[17]

2022年はシュコダ・ファビアの新型マシン(RS ラリー2)のテストドライバーを務めている[18]。またダカールではCovid-19感染疑いのあったTOYOTA GAZOO Racingのジニエル・ド・ヴィリエのリザーブとして急遽サウジアラビアジェッダに飛び、3日間の隔離生活を送った。結局ド・ヴィリエの安全が確認できたため出場はできなかったが、最新のGRダカールハイラックスT1+の試乗ができたことに満足していた[19]

北米のナイトロ・ラリークロスにも2022-2023年からジェンソン・バトンとシートをシェアする形で参戦している。

2023年、国籍は違えど同じアイルランド島出身でシトロエン時代のチームメイトであるクレイグ・ブリーンの事故死の後に、ミークはチーム・ヒョンデ・ポルトガルのラリー2プログラムを彼から急遽引き継ぎ、ポルトガル国内選手権に参戦することとなった[20]。またブリーンのナビだったジェームス・フルトンとコンビを組み、下位クラス(WRC2)ではあるがラリー・ド・ポルトガルからWRCに復帰した[21]

人物 編集

クラッシャーとしてのイメージが強いが、人柄は至って紳士である。勝田貴元はミークと会うなり、「電話番号を交換してくれ」「何か聞きたいことがあったらいつでもここに連絡すると良い」と言われたり、テストでも横で全開ドライブをしてもらえるなど、親身に面倒を見てもらったという[22]

戦績 編集

WRC以外のイベント 編集

  • 2002 - イギリスラリー選手権ジュニアクラスチャンピオン
  • 2005 - JWRCドライバーズランキング3位(シトロエン)
  • 2009 - IRCチャンピオン

WRCでの優勝 編集

# 大会 開催国 コ・ドライバー
1 2015 XION ラリー・アルヘンティーナ アルゼンチン ポール・ネーグル シトロエン・DS3 WRC
2 2016 ヴォーダフォン ラリー・ド・ポルトガル ポルトガル
3 ネステ ラリー・フィンランド フィンランド
4 2017 ラリー・グアナファト・メキシコ メキシコ シトロエン・C3 WRC
5 ラリー・RACCカタルーニャ -コスタ・ブラバ スペイン

画像ギャラリー 編集

脚注 編集

  1. ^ KRIS MEEKE WRC Driver Profile”. wrc.com. 2017年3月18日閲覧。
  2. ^ Kris's biography page.6”. KRISMEEKE.com. 2017年3月18日閲覧。
  3. ^ “ミークがマクレーのクサラWRCをドライブへ”. ラリーXモバイル. (2017年10月20日). http://rallyx.net/news/%E3%83%9F%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%81%8C%E3%83%9E%E3%82%AF%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%81%AE%E3%82%AF%E3%82%B5%E3%83%A9WRC%E3%82%92%E3%83%89%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%96%E3%81%B8-15258/ 2017年10月21日閲覧。 
  4. ^ “ミニWRC発進! ドライバーとしてミークと契約”. Rallyplus.net. (2010年10月1日). http://www.rallyplus.net/8700 2017年3月18日閲覧。 
  5. ^ “ミーク、オーストラリアでソルドの代役”. Rally-X. (2013年8月13日). http://www.rallyx.net/news/%E3%83%9F%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%80%81%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%81%A7%E3%82%BD%E3%83%AB%E3%83%89%E3%81%AE%E4%BB%A3%E5%BD%B9-9486/ 2017年3月18日閲覧。 
  6. ^ “マトン、「ミークの今季起用は賭けだった」”. Rally-X. (2014年1月27日). http://rallyx.net/news/%E3%83%9E%E3%83%88%E3%83%B3%E3%80%81%E3%80%8C%E3%83%9F%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%81%AE%E4%BB%8A%E5%AD%A3%E8%B5%B7%E7%94%A8%E3%81%AF%E8%B3%AD%E3%81%91%E3%81%A0%E3%81%A3%E3%81%9F%E3%80%8D-10140/ 2017年3月18日閲覧。 
  7. ^ “波乱ドイツ、ヒュンダイ&ヌービルがWRC初優勝”. Rally-X. (2014年8月25日). http://rallyx.net/news/%E6%B3%A2%E4%B9%B1%E3%83%89%E3%82%A4%E3%83%84%E3%80%81%E3%83%92%E3%83%A5%E3%83%B3%E3%83%80%E3%82%A4%EF%BC%86%E3%83%8C%E3%83%BC%E3%83%93%E3%83%AB%E3%81%8CWRC%E5%88%9D%E5%84%AA%E5%8B%9D-10883/ 2017年3月18日閲覧。 
  8. ^ “WRCアルゼンチン:苦節13年、ミークがWRC初勝利”. AUTOSPORT.web. (2015年4月27日). http://archive.as-web.jp/news/info.php?c_id=3&no=64928 2017年3月18日閲覧。 
  9. ^ “大荒れのアルゼンチンでシトロエンのクリス・ミークがWRC初優勝を達成!”. 日本ミシュランタイヤ. (2015年4月27日). http://nihon.michelin.co.jp/Motorsports_report/wrc/2015/04/04-argentina-report.html 2017年3月18日閲覧。 
  10. ^ “シトロエンがミークとの3年契約を発表、16年はプライベーターでスポット参戦も”. Rallyplus.net. (2015年12月16日). http://www.rallyplus.net/16490 2017年3月18日閲覧。 
  11. ^ “WRCフィンランド:英国人初の快挙。ミークが“グラベルグランプリ”制覇”. AUTOSPORT.web. (2016年8月1日). http://www.as-web.jp/rally/35293 2017年3月18日閲覧。 
  12. ^ “WRCメキシコ:最終ステージでコースオフも、シトロエンのミークが劇的勝利【動画】”. Rallyplus.net. (2017年3月13日). http://www.rallyplus.net/32021 2017年3月18日閲覧。 
  13. ^ “WRC:シトロエンのクリス・ミーク、第8戦ポーランドで布陣外れる。代役はミケルセン”. AUTOSPORTweb. (2017年6月12日). http://www.as-web.jp/rally/131392?all 2017年10月21日閲覧。 
  14. ^ “シトロエン、ミークの今季参戦打ち切り決定”. J SPORTS. (2018年5月25日). https://www.jsports.co.jp/motor/wrc/news/news_20180525_01.html 2018年5月25日閲覧。 
  15. ^ “クリス・ミークがAPRCワンガレイに参戦、クスコレーシングのマイケル・ヤングとも対戦へ”. Rally.net. (2020年3月3日). https://www.rallyplus.net/67890 2020年5月8日閲覧。 
  16. ^ Wouter Rosegaar navigeert Martin van den Brink in Dakar Rally
  17. ^ Kris Meeke putting plans in place for Dakar return, with unexpected Qatar race the perfect preparation
  18. ^ “シュコダが開発中の新型ファビア・ラリー2、テストドライバーにクリス・ミークも”. Rally.net. (2022年2月17日). https://www.rallyplus.net/84692 2022年2月17日閲覧。 
  19. ^ No regrets as Kris Meeke misses out on Dakar Rally
  20. ^ MEEKE TO CONTEST PORTUGUESE CHAMPIONSHIP IN BREEN’S HONOR
  21. ^ ジェームス・フルトン、WRCポルトガルでクリス・ミークのコ・ドライバーに
  22. ^ 『auto sport No.1522』 三栄書房 2019年12月27日発売

関連項目 編集

外部リンク 編集