ジェリー・ウェスト

アメリカのバスケットボール選手、エグゼクティブ (1938 - )

ジェリー・アラン・ウェスト (Jerry Alan West, 1938年5月28日 - ) はアメリカ合衆国バスケットボール選手。選手時代にはNBAロサンゼルス・レイカーズでプレー。シュートの名手としてチームを牽引し、1度の優勝を経験。土壇場に強いことから「ミスター・クラッチ」のあだ名を持っていた。引退後にはバスケットボール殿堂入りを果たした。背番号「44」は永久欠番である。のちに同チームのゼネラルマネージャーとなり、レイカーズの7度の優勝に貢献した。その後メンフィス・グリズリーズでも同様の役職に就いた。1960年ローマオリンピック金メダリスト。ウェストバージニア州チェリアン英語版生まれ[1]

ジェリー・ウェスト
Jerry West
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2019年、ホワイトハウスにて
ロサンゼルス・クリッパーズ
役職 球団最高顧問
殿堂 バスケットボール殿堂 (1980)
永久欠番 レイカーズ  44 
ポジション(現役時) PG/SG
身長(現役時) 190cm (6 ft 3 in)
体重(現役時) 79kg (174 lb)
基本情報
本名 Jerry Alan West
愛称 Mr. Clutch
ラテン文字 Jerry West
誕生日 (1938-05-28) 1938年5月28日(83歳)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 ウェストバージニア州チェリアン
出身 ウェストバージニア大学
ドラフト 1960年 2位
選手経歴
1960-1974 ロサンゼルス・レイカーズ
指導者経歴
1976-1979 ロサンゼルス・レイカーズ
受賞歴

選手時代

エグゼクティブ時代

Stats ウィキデータを編集 NBA.com
Stats ウィキデータを編集 Basketball-Reference.com
代表歴
キャップ アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 1959, 1960
獲得メダル
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
オリンピック
1960 ローマ バスケットボール
パンアメリカン競技大会
1959 シカゴ バスケットボール

NBAのロゴで赤と青を背景にドリブルをする白いシルエット[2]は、ウェストをモデルにしたもの。

少年期と学生時代編集

ウェストは炭鉱で電気技師として働く父のもとに生まれた。慎ましい少年時代を送りながら、自宅の近隣などでバスケットボールの練習を重ねた。その熱心さのあまりビタミン剤の注射を受けたことがあった。

地元の高校では長らく控え選手だったが、最終学年の前までに身長が10センチ以上伸び、チームの中心として活躍するようになった。ウェストは州の高校バスケットボール史上初めて900点以上を得点した選手になり、チームを州大会優勝に導いた。

 
大学時代のウェスト

60以上の大学から誘いを受けたが、地元のウェストバージニア大学に進んだ。大学でチームの正式な選手としてプレーし始めた2年生の時には平均17.8得点11.1リバウンド、3年生時には26.6得点12.3リバウンド、4年生になると29.3得点16.5リバウンドをあげ、全国的に注目される選手になった。3年生の時にチームはNCAA男子バスケットボールトーナメント決勝に進出したが1点差で敗れた。準決勝以上で際立った活躍で大会最優秀選手に選ばれた。

大学でのプレーを終えた1960年の夏、ローマオリンピックに出場し、金メダルを獲得した。この時の代表チームにはオスカー・ロバートソンもいた。

プロのキャリア編集

 
1972年

1960年のNBAドラフト英語版オスカー・ロバートソンに次ぐ全体2位でミネアポリス・レイカーズに指名された。まもなくレイカーズはロサンゼルスに移転し、ロサンゼルス・レイカーズとなった。

1年目のシーズン、平均17.6得点、4.2アシスト、7.7リバウンドと優秀な成績を残した。レイカーズは36勝48敗と負け越したがプレーオフでは地区決勝まで進み、当時強豪だったセントルイス・ホークスに3勝4敗で敗退した。新人王はロバートソンが獲得した。

翌シーズンは平均30.8得点(リーグ5位)、5.4アシスト(リーグ6位)、7.9リバウンドと活躍し、オールNBAファーストチームに初めて選出され、引退するまでの間にこの賞を10回受賞することになる。1962年1月17日に1試合63得点を記録した[3]

レイカーズはプレーオフを勝ち進み1962年のNBAファイナル英語版に進出するが、ボストン・セルティックスに敗退。これ以降もレイカーズはファイナルでセルティックスと幾度も対戦し、その度に敗れることが繰り返され、優勝には届かないスター選手として過ごしていった。

ウェスト個人の活躍は目覚ましく、1965年の平均31得点はリーグ2位、1970年の31.2得点はリーグ首位と高い水準の得点を記録し続け、チームも1962年1963年1965年1966年1968年1969年1970年にNBAファイナルに進出した。このうち1969年までは全てセルティックスに、1970年にはニューヨーク・ニックスに敗れ、優勝を逃した。1962年のNBAファイナル英語版は第7戦を3点差で、1966年のNBAファイナル英語版には同じく第7戦を2点差で、1969年のNBAファイナル英語版も第7戦を2点差で落とした接戦だった。この第7戦では42得点・13リバウンド・12アシストで、ファイナルでは史上初の40得点以上によるトリプルダブルで、この記録は2015年のNBAファイナル英語版レブロン・ジェームズが記録するまでは唯一であった。

1970年のNBAファイナル英語版第3戦で放ったシュートはよく知られている。試合間終了間際にコート中央から打ったシュートがブザーと同時に決まって同点、試合は延長に続くことになった。レイカーズは結局この試合を2点差で落とし、最終の第7戦にも敗れ優勝を逃した。

1971-72シーズン、既に30歳を過ぎており怪我も多かったウェストは引退も考えたが、このシーズンのレイカーズは歴史的な躍進を果たすことになった。リーグ新記録である33連勝を含めてシーズン成績は69勝13敗。ウェストの平均9.7アシストはリーグ首位となった。1972年のNBAファイナル英語版に進んだレイカーズはニューヨーク・ニックスを4勝1敗で破り、自身初の優勝を経験した。

その後2シーズンを過ごしたウェストは、怪我で31試合の出場に留まった1973-74シーズンが終了すると引退した。

指導者とエグゼクティブのキャリア編集

引退後のウェストは、1976年より3シーズンにわたってレイカーズの監督を務めた。この間145勝101敗で勝率58.9%だった。プレーオフを逃していたレイカーズを3年連続でプレーオフに進出させた。初年度に地区決勝で敗れたのが最高の成績で翌年は1回戦敗退、3年目は地区準決勝敗退だった。

1979年よりコンサルタントとしてレイカーズのフロントに入り、この役職で2年間を過ごした。1982年にはゼネラルマネージャーとして選手人事に関わる仕事を受け持つことになった。当時のレイカーズはカリーム・アブドゥル=ジャバーマジック・ジョンソンを擁し、前年度よりパット・ライリー監督を据えた強豪になっていた。さらにジェームズ・ウォージーを加えたレイカーズは1980年代に黄金時代を迎え、これらの選手を核にしてチームの補強に努めた。

1980年代の終わりにアブドゥル=ジャバーが引退すると、ユーゴスラビア人のブラデ・ディバッツを獲得。ディバッツはNBAで活躍した最も初期のヨーロッパ人となった。レイカーズは1990年代前半には低迷期に入ったが、チームのバスケットボール部門取締役副社長に昇格した1994-95シーズンにエディー・ジョーンズなどを獲得し、48勝34敗まで持ち直したことにより、NBA最優秀役員賞を受賞した。

1996年シャキール・オニールコービー・ブライアントを獲得した。2000年フィル・ジャクソン監督を招聘するとレイカーズは2000年のNBAファイナル英語版に進み12年ぶりに優勝し、ここから3連覇した。ウェストが選手人事の仕事に携わって以降で合計7回目の優勝となった。

2002年、レイカーズのフロントを退き、メンフィス・グリズリーズとバスケットボール部門社長として契約し、同チームへ赴いた。グリズリーズはチーム創設以来成績が低迷していたが、ヒュービー・ブラウンを監督に迎え入れ、このシーズンは過去最高の記録だった28勝54敗で乗り切った。翌シーズンは50勝32敗と躍進し、レイカーズ時代に続き2度目のNBA最優秀役員賞を受賞した。2007年に辞任。

NBA個人成績編集

略称説明
  GP 出場試合数   GS  先発出場試合数  MPG  平均出場時間
 FG%  フィールドゴール成功率  3P%  スリーポイント成功率  FT%  フリースロー成功率
 RPG  平均リバウンド  APG  平均アシスト  SPG  平均スティール
 BPG  平均ブロック   TO  平均ターンオーバー  PPG  平均得点
 太字  キャリアハイ    リーグリーダー    優勝シーズン

レギュラーシーズン編集

シーズン チーム GP GS MPG FG% 3P% FT% RPG APG SPG BPG PPG
1960–61 LAL 79 35.4 .419 .666 7.7 4.2 17.6
1961–62 75 41.2 .445 .769 7.9 5.4 30.8
1962–63 55 39.3 .461 .778 7.0 5.6 27.1
1963–64 72 40.4 .484 .832 6.0 5.6 28.7
1964–65 74 41.4 .497 .821 6.0 4.9 31.0
1965–66 79 40.7 .473 .860 7.1 6.1 31.3
1966–67 66 40.5 .464 .878 5.9 6.8 28.7
1967–68 51 37.6 .514 .811 5.8 6.1 26.3
1968–69 61 39.2 .471 .821 4.3 6.9 25.9
1969–70 74 42.0 .497 .824 4.6 7.5 31.2
1970–71 69 41.2 .494 .832 4.6 9.5 26.9
1971–72 77 38.6 .477 .814 4.2 9.7 25.8
1972–73 69 35.7 .479 .805 4.2 8.8 22.8
1973–74 31 31.2 .447 .833 3.7 6.6 2.6 0.7 20.3
通算:14年 932 39.2 .474 .814 5.8 6.7 2.6 0.7 27.0
オールスター 12 11 28.4 .453 .720 3.9 4.6 13.3

プレーオフ編集

シーズン チーム GP GS MPG FG% 3P% FT% RPG APG SPG BPG PPG
1961 LAL 12 38.4 .490 .726 8.7 5.3 22.9
1962 13 42.8 .465 .807 6.8 4.4 31.5
1963 13 41.4 .503 .740 8.2 4.7 27.8
1964 5 41.2 .496 .792 7.2 3.4 31.2
1965 11 42.7 .442 .890 5.7 5.3 40.6
1966 14 44.2 .518 .872 6.3 5.6 34.2
1967 1 1.0 1.0 0.0 0.0
1968 15 41.5 .527 .781 5.4 5.5 30.8
1969 18 42.1 .463 .804 3.9 7.5 30.9
1970 18 46.1 .469 .802 3.7 8.4 31.2
1971 15 40.5 .376 .830 4.9 8.9 22.9
1973 17 37.5 .449 .780 4.5 7.8 23.6
1974 1 14.0 .222 2.0 1.0 0.0 0.0 4.0
出場:13回 153 41.3 .469 .805 5.6 6.3 0.0 0.0 29.1

ヘッドコーチ成績編集

NBAヘッドコーチ実績表略号説明
レギュラーシーズン G 試合数 W 勝利数 L 敗戦数 W–L % レギュラーシーズン勝率
ポストシーズン PG 試合数 PW 勝利数 PL 敗戦数 PW–L % プレイオフ勝率
チーム シーズン G W L W–L% シーズン結果 PG PW PL PW–L% 最終結果
LAL 1976–77 82 53 29 .646 パシフィック1位 17 9 8 .529 カンファレンスファイナル敗退
1977–78 82 45 37 .549 パシフィック4位 3 1 2 .333 カンファレンスセミファイナル敗退
1978–79 82 47 35 .573 パシフィック3位 8 3 5 .375 カンファレンスセミファイナル敗退
Career 246 145 101 .589 22 8 14 .364

私生活編集

2019年6月1日、ドナルド・トランプ大統領はウェストに大統領自由勲章を授与することをTwitterで発表した[4]

関連項目編集

脚註編集

[脚注の使い方]

外部リンク編集


  1. ^ basketball-reference.com
  2. ^ basketball-reference.com
  3. ^ basketball-reference.com