リズム・アンド・ブルース
リズム・アンド・ブルース(英: rhythm and blues)は、ポピュラー・音楽のジャンルである。略称はR&B(アール・アンド・ビー)。
リズム・アンド・ブルース | |
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様式的起源 | ブルース[1]、ゴスペル[2] |
使用楽器 | ドラムセット、ベース・ギター、サクソフォーン、トランペット、トロンボーン、ピアノ、オルガン、エレクトリック・ギター |
派生ジャンル | ファンク、スカ、ソウル、レゲエ、ロック・ステディ、ヒップホップ |
サブジャンル | |
コンテンポラリー・R&B | |
融合ジャンル | |
アーバン・コンテンポラリー |
激しいビートに乗せて、ブルースやゴスペルに影響された歌を叫ぶように歌うのが特徴である。ロックンロールなどのジャンルにも影響を与えた[3]。第二次世界大戦後、ニューヨークやデトロイト、シカゴ、メンフィス、フィラデルフィア、ニューオリンズのような都市でジャズやブルース、ゴスペルなどが混ざり合い、誕生した[4]。
概要
編集戦前にすでに存在した黒人音楽と関係の深いジャンルには、ラグタイム、ブルース、ジャズ、スウィング、ジャイブなどがあった。R&Bは戦前には、まだジャンルとしては確立されていなかったが、ビルボード誌上では1943年ごろには、早くも記事の中にリズム&ブルースの記述が見られた。正式に音楽ジャンル名としてビルボードが使用したのは、1947年にビルボード誌のジェリー・ウェクスラー[5]の提案によるものである[6]。ウェクスラーが名付けるまでは、アフリカ系アメリカ人の音楽を「レイス・ミュージック」と呼び、ビルボード誌でも順位をレイス・ミュージック・チャートとして発表していた。しかし1947年に、もう人種的視点で呼ぶ時代ではないだろう、という議論がビルボード誌編集部内でおこなわれた。後日ウェクスラーが「リズム・アンド・ブルースはどうか」と提案したことから、これが採用されている。
ロックンロールは白人のカントリーと黒人のブルースの融合から、1954年か55年ごろに生まれた[注 1]とされているが、R&Bの影響も大きかった。その後、リズム・アンド・ブルースは、1960年代にはソウルミュージックとも呼ばれるようになる。当時、両ジャンルに明確な区別をつけるのは難しかった。1960年代のアメリカでは公民権運動による黒人たちの地位向上と共に、彼らのアイデンティティを高揚し、アフリカンアメリカンとしてのルーツを誇示する傾向があらわれた。ソウル/R&Bは彼らの音楽であるだけでなく、もっと幅広い黒人生活全般を示すキーワードにもなった。
詳細
編集Motownは、1960年にスモーキー・ロビンソン&ミラクルズの "Shop Around"をヒットさせた。また南部では1961年にカーラ・トーマスの "Gee Whiz!がヒットした Staxレコードの次のメジャーヒットであるThe Mar-Keysの "Last Night"(1961年にリリース)によりメンフィスの純粋な南部サウンドをリリースするスタックス・レコードが知名度をあげた[7]。 ジャマイカでは、R&Bがスカの発展に影響を与えた。R&B界には、サム・クックやジェームス・ブラウン、アレサ・フランクリン、オーティス・レディング[注 2]らの大スターが誕生した。1970年代にはストリングスを使用したフィリー・ソウルも登場した。フィリー・ソウルの代表的なミュージシャンには、オージェイズ、ハロルド・メルヴィン&ブルー・ノーツ、ビリー・ポールらがいた。北部・東部のソウルだけでなく、1970年代にはアル・グリーンを擁したハイ・レコード[注 3]のような南部のレーベルも活発に活動していた。
R&Bインスト
編集歌唱なしのR&Bインストルメンタルの音楽家には、ビル・ドゲット、ブッカーT&MGs、キング・カーティスや、ジュニア・ウォーカー&オール・スターズ[8]らがいた。他にもザ・JBズ、ハイ・リズム、マーキーズ、フェイム・ギャング、マッスルショールズ・リズム・セクションらも活躍した。ジュニア・ウォーカーのヒット曲には一部ヴォーカルも入っているが、フォリナーの曲をカバーした「アージェント」などは、完全にインスト曲になっている。
ホワイトR&B
編集1960年代にリズム・アンド・ブルースはヨーロッパにも渡り、流行に敏感な若者たちの一部を虜にし、やがて彼らは自らリズム・アンド・ブルースを演奏するようになった。ヴァン・モリソンとゼムや、スティーヴ・ウィンウッドとスペンサー・デイヴィス・グループ[注 4]、アニマルズらはR&Bを演奏し、レコードを発表した[9]。こうして、リズム・アンド・ブルースは米国から世界へと広がっていった。
和製R&B
編集日本でも1960年代には内田正人のキングトーンズ[10]、和田アキ子、ザ・ボルテージ(桜井ユタカが歌唱指導)、安田明とビートフォークらが和製R&Bとして登場した。1970年以降は、大橋純子、宮本典子(mimi)、シャネルズ/ラッツ&スター、鈴木雅之、鈴木聖美らが和製R&Bの曲を録音した。その後、1980年代から1990年代には久保田利伸やバブルガム・ブラザーズがヒット曲を発表した。 小柳ゆきの「あなたのキスを数えましょう」は1990年代の代表的な楽曲だった。ブラザー・トムは、HUMAN SOUL 、REAL BLOODなどのR&Bグループを結成した。カンニング竹山は、左とん平の「ヘイ・ユウ・ブルース」をカバーしている。
1980年代以降
編集やがてリズム・アンド・ブルースはより洗練された方向に発展していき、1980年代以降はブラック・コンテンポラリー(ブラコン)と呼ばれることもあった。代表的な歌手にはフレディ・ジャクソン[注 5]、ルーサー・ヴァンドロスらがいたが、本来のR&Bの名にふさわしいのは、グレン・ジョーンズのような「ゴスペル・ルーツ」の歌手である。1990年代以降は、ソウルがブルース的位置づけで分離され、当時の若手のガイ[注 6]やジョディシィ、メアリー・J. ブライジなどがリズム・アンド・ブルース (R&B) と呼ばれるようになった。呼称は1960年代と同じであるものの、ヴォーカルやサウンドが洗練され、大きく変化してしまっている1950〜1970年代の黒人音楽を聴いてきた層にとっては、現在の「リズム・アンド・ブルース (R&B)」と呼ばれる音楽に違和感を覚える者も多い[要出典]。
サブ・ジャンル
編集脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ R&B 2023年3月31日閲覧
- ^ ゴスペル 2023年3月31日閲覧
- ^ 松村明『大辞林』三省堂
- ^ R&B - Encyclopedia.com
- ^ Weber, Bruce (August 15, 2008). "Jerry Wexler, a Behind-the-Scenes Force in Black Music, Is Dead at 91". The New York Times. Retrieved July 27, 2019. "Jerry Wexler, who as a reporter for Billboard magazine in the late 1940s christened black popular music with the name 'rhythm and blues,' and who as a record producer helped lead the genre to mainstream popularity, propelling the careers of Ray Charles, Wilson Pickett, Aretha Franklin and other performers, died on Friday at his home in Sarasota, Fla. He was 91."
- ^ Sacks,Leo(Aug. 29, 1993). "The Soul of Jerry Wexler". New York Times. Retrieved on Jan. 11, 2007.
- ^ “Mar-Keys – Last Night – Billboard Top 100 – 1961 – Top Billboard – mp3 song hits download full albums in mp3”. Mp3fiesta.com. December 11, 2019閲覧。
- ^ “Junior Walker”. AllMusic. 8 August 2020閲覧。
- ^ Spencer Davis group Guardian. 2023年2月3日閲覧
- ^ “ザ・キングトーンズ「おかえり~Our House And Family~/グッド・ナイト・ベイビー」 | FBCM-217 | 4544708003803 | Shopping”. Billboard JAPAN. 2024年4月10日閲覧。