左 とん平(ひだり とんぺい、1937年昭和12年〉5月30日 - 2018年平成30年〉2月24日[1])は、日本俳優歌手タレント東京市王子区(現・東京都北区)出身。しまだプロダクション所属。世田谷高校卒業。

ひだり とんぺい
左 とん平
左 とん平
1962年
本名 肥田木 通弘(ひだき みちひろ)
生年月日 (1937-05-30) 1937年5月30日
没年月日 (2018-02-24) 2018年2月24日(80歳没)
出生地 日本の旗 日本 東京都北区王子
死没地 日本の旗 日本 東京都
身長 163 cm
血液型 O型
職業 俳優歌手タレント
ジャンル ソウルミュージック
活動期間 1957年 - 2017年
配偶者 あり
主な作品
映画
セックス喜劇 鼻血ブー
楢山節考
居酒屋兆治
テレビドラマ
時間ですよ
非情のライセンス
寺内貫太郎一家
ムー
ムー一族
西遊記II
監察医・室生亜季子シリーズ』
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来歴・人物

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父親は逓信省の役人で、退官後は旅館業飲食店などを手広く経営していた。高校卒業後、進学せずにブラブラしているのを見かねた父親から、新丸子にある寿司屋の経営を任せられる[2]

1957年、高校の同級生だった辻しげるらと劇団を結成。その後、三木鶏郎永六輔いずみたくらが在籍する冗談工房に入団する。当時のマネージャーは、のちに作家となる野坂昭如だった[3][信頼性要検証]。1957年にニッポン放送のバラエティ番組『トリロー・サンドイッチ』のメンバーになる。

芸名の由来は、本名の肥田木をもじって「左」を、名付け親の三木鶏郎の行きつけの居酒屋から「とん平」を取った。初めは「三木」を提案されたが、嫌な顔をしたために「左」となった[4]

1960年頃から新宿コマ劇場の舞台に出演し、1960年代後半にはザ・ドリフターズの喜劇映画の常連となる[5]1970年代にテレビドラマ『時間ですよ』や『寺内貫太郎一家』などでの演技が当たり、コメディリリーフを担う俳優として一躍人気者となった。

1973年に「ヘイ・ユー! ホワッチャー・ネーム?」(「Hey you! What's your name?」、トニー谷のギャグである「あなたのお名前何てぇの?」の英語版)というギャグが流行語となり、「とん平のヘイ・ユウ・ブルース」としてレコード化もされてヒットした[6]TBSの深夜番組『ぎんざナイトナイト』のコーナー「とん平のヘイ・ユー! インタビュー」では、銀座を歩く若い女性に「ヘイ・ユー!」と声をかけてインタビューするスタイルが話題を呼んだ。

1980年代には『楢山節考』や『居酒屋兆治』などのシリアスな映画にも立て続けに出演し、味のある名バイプレーヤーとしての地位を確立していく[7]

森光子淡島千景と親交があり、「お母さん」「とんとんちゃん」と呼び合う仲だった[8]。淡島のことは「淡島のママ」と呼んでいたという。

2017年6月に急性心筋梗塞で倒れ、長期入院を余儀なくされる[9]。一時は快方に向かうも[10]、翌2018年2月24日午後3時57分、心不全により東京都内の病院で死去。80歳だった[1]。葬儀・お別れの会は、長年CMキャラクターを務めたさがみ典礼が請け負った[11][12]

音楽的再評価

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1973年の楽曲『とん平のヘイ・ユウ・ブルース』をめぐって、スチャダラパーがデビューアルバム(1990年)でサンプリングしたのをきっかけに、同年代だけではなく若者にも評価が高まった。また、大槻ケンヂはファーストソロアルバム『ONLY YOU』(1995年)の中でもカバーをしている(左とん平自身も参加)。

クラブシーンでも楽曲のファンキーなサウンドに評価が高まり、同じ1995年にシングルCD、およびアナログシングルで再発。2000年と2006年にもマキシシングルで再発されている(「東京っていい街だな」「とん平の酒びたり人生」「続・東京っていい街だな」との4曲入り)。2004年にはお笑いコンビカンニングによってカバーされた。

ディスコグラフィ

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シングル

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出演

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映画

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1960年代

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1970年代

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1980年代

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1990年代

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2000年代

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2010年代

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  • 青木ヶ原(2013年、アークエンタテインメント) - トミさん
  • オケ老人!(2016年、ファントム・フィルム) - 及川さん

テレビドラマ

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1960年代

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1970年代

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1980年代

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1990年代

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2000年代

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2010年代

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バラエティ番組

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テレビ人形劇

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オリジナルビデオ

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ラジオ

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舞台

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  • 喜劇 売らいでか!(1968年 - 2014年、全国公演) - 山内杉雄
  • 東海林太郎物語・歌こそ我が命(1983年、新橋演舞場
  • 夢千代日記(1987年、芸術座
  • 人生は、ガタゴト列車に乗って……(1989年、芸術座)
  • 虹を渡るぺてん師(1989年、東京宝塚劇場
  • 佐渡島他吉の生涯(1990年、東京宝塚劇場) - 橘玉堂
  • TOP HAT(1992年、博品館劇場
  • 珍説 大忠臣蔵(1993年、明治座
  • 花のお江戸のかぐや姫 我楽苦多一座奮戦記(1994年、明治座)
  • 銭形平次 夕立のあとに(1995年、明治座)
  • いまが女ざかり(1997年、芸術座) - 潮田耕三
  • 弥次喜多忠臣蔵道中記(1999年、新宿コマ劇場
  • 泣き笑いの天使たち(2001年、新宿コマ劇場) - 桜竜次郎
  • 口八丁手八丁(2003年、帝国劇場
  • 喜劇 極楽町一丁目 嫁姑地獄篇(2004年、芸術座)
  • 喝采〜愛のボレロ〜(2004年、帝国劇場) - 佐伯五郎
  • 弧愁の岸(2004年、御園座) - 伊集院十蔵
  • 黒革の手帖(2006年・2009年、明治座) - 橋田常雄
  • 星屑の町〜新宿歌舞伎町篇〜(2008年、新宿コマ劇場) - 柴拓次
  • ミュージカル 天切り松〜人情闇がたり〜(2008年、アトリエフォンテーヌ) - 主演・村田松蔵
  • 三丁目の夕日(2008年、明治座) - 柴口錬太郎(シバレン)
  • Mr.レディ Mr.マダム(2009年、シアターアプル) - 主演・ジョルジュ
  • 棟方志功物語(2011年、明治座)
  • 歳末明治座 る・フェア 年末だよ!みんな集合!!(2013年12月21日 - 24日、明治座) - 藤原秀衡

脚注

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  1. ^ a b “左とん平さん死去 80歳「時間ですよ」「寺内貫太郎一家」などで名脇役”. スポニチアネックス. (2018年2月25日4時30分). https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2018/02/25/kiji/20180224s00041000477000c.html 2018年2月25日閲覧。 
  2. ^ 2013年2月20日放送 13:20 - 13:55 テレビ朝日 徹子の部屋”. TVでた蔵. ワイヤーアクション (2013年2月20日). 2021年12月18日閲覧。
  3. ^ 『ごごラジ!』(NHKラジオ)※2016年8月24日 左とん平ゲストの回の発言より。「野坂さんからは色々と教わり師匠だと思っている」
  4. ^ 週刊テレビ番組(東京ポスト)1985年3月15日号「芸名由来記」56頁
  5. ^ 追悼 2018 写真特集”. 時事通信. 2024年6月30日閲覧。
  6. ^ 「『俺をスリコギにしちゃう』男 左とん平」『サンデー毎日』1974年2月17日号、126-128頁。
  7. ^ 浜木綿子 とん平さん悲報にショック「舞台の夫を失った思い」”. スポーツニッポン (2018年2月26日). 2024年6月30日閲覧。
  8. ^ 2013年2月20日放送の「徹子の部屋」にゲスト出演した際に語っている今週の徹子の部屋”. テレビ朝日. 2019年5月7日閲覧。
  9. ^ “左とん平、昨年6月に急性心筋梗塞で倒れ長期入院中”. NEWSポストセブン. (2018年1月17日). https://www.news-postseven.com/archives/20180117_644925.html 2018年2月25日閲覧。 
  10. ^ 左とん平さん、死去 闘病9か月復帰叶わず”. スポーツ報知 (2018年2月26日). 2024年6月30日閲覧。
  11. ^ 昭和の喜劇スター、左とん平さん 葬儀は「さがみ典礼」で”. 2020年7月20日閲覧。
  12. ^ 左とん平さんお別れの会。「俺が死んだら葬式はとことん盛大にやってくれ」で、遺影は190インチモニター!”. 2020年7月20日閲覧。

外部リンク

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