三井辨雄
三井 辨雄(みつい わきお、1942年〈昭和17年〉11月24日 ‐ 2021年〈令和3年〉4月2日)は、日本の政治家、実業家、薬剤師。
三井 辨雄 みつい わきお | |
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生年月日 | 1942年11月24日 |
出生地 | 日本 北海道札幌市 |
没年月日 | 2021年4月2日(78歳没) |
死没地 | 日本 北海道札幌市 |
出身校 | 昭和薬科大学薬学部卒業 |
前職 | 医療法人理事長 |
所属政党 |
(新進党→) 民主党(羽田G→鳩山G・樽床G・高木G) |
称号 |
正四位 旭日重光章 薬学士(昭和薬科大学・1966年) |
公式サイト | 三井わきおのホームページ(2013年3月13日時点のアーカイブ) |
第15代 厚生労働大臣 | |
内閣 | 野田第3次改造内閣 |
在任期間 | 2012年10月1日 - 2012年12月26日 |
選挙区 |
(比例北海道ブロック→) 北海道2区 |
当選回数 | 4回 |
在任期間 | 2000年6月25日 - 2012年11月16日 |
衆議院議員(4期)、国土交通副大臣(菅直人第1次改造内閣・菅直人第2次改造内閣)、厚生労働大臣(第15代)などを歴任し、青山会(樽床伸二グループ)代表世話人を務めた。報道等では新字体で三井 弁雄(みつい わきお)の表記も用いられる。
来歴
編集北海道札幌市生まれ。札幌市立柏中学校、北海高等学校、昭和薬科大学薬学部卒業[1]。薬剤師免許を取得し、1967年登録。1975年、三井薬品株式会社を設立し、同社代表取締役に就任。その後医療法人交雄会の理事長に就任し、北海道内に3病院・2介護福祉施設を開設。
経営者時代から自由民主党の羽田孜の知遇を得ており、1996年の第41回衆議院議員総選挙に羽田が当時所属していた新進党公認で北海道3区から立候補するが、石崎岳(自民党)、荒井聰(旧民主党)の後塵を拝し、得票数3位で落選する。新進党解党後、民主党に入党。2000年の第42回衆議院議員総選挙では、選挙区調整により比例北海道ブロック単独で立候補し初当選(北海道3区からは荒井聰が立候補し、石崎岳を破り当選)。2003年の第43回衆議院議員総選挙では北海道2区に国替えし、自民党の吉川貴盛を破り当選した。2005年の第44回衆議院議員総選挙では吉川に約2,300票差まで詰め寄られるも振り切り、3選(吉川も比例復活)。2009年の第45回衆議院議員総選挙では、自民党の吉川に比例復活も許さない大差で圧勝し、4選。当選後、民主党国会対策委員長代理に就任した。
2010年9月、菅直人第1次改造内閣で国土交通副大臣に任命される。同年10月、樽床伸二を中心に結成された「青山会」[2]の代表世話人に就任した。
2011年1月、菅直人第2次改造内閣で国土交通副大臣に再任。
同年6月1日、小沢一郎が菅内閣に対する不信任決議案への賛成を示唆し[3]、これに同調して国土交通副大臣を辞任する意向を固める。同日の不信任案提出後、三井、東祥三、鈴木克昌、内山晃、樋高剛の5人が辞表を提出し、菅内閣不信任決議案に賛成する意向を示した[4][5]。この事態を受け、菅は東日本大震災への対応に目処がついた時点で退陣する考えを表明[6]。これを受け、三井ら5人は翌2日の採決では反対票を投じた[7]。翌3日、菅の慰留を受け辞意を撤回した[8]。
同年9月、野田内閣発足に伴い国土交通副大臣を退任し、民主党政策調査会長代理に就任。
2012年6月、消費税増税を含む社会保障・税一体改革関連法案の採決では賛成票を投じ、小沢一郎ら反対派が民主党を離党して結成した国民の生活が第一には参加しなかった。
同年10月、野田第3次改造内閣の厚生労働大臣として初入閣。薬剤師免許保持者では初の厚生労働大臣である。
同年12月、第46回衆議院議員総選挙にて自民党の吉川に敗北、重複立候補した比例北海道ブロックでも比例復活ならず落選。
2014年の第47回衆議院議員総選挙には健康上の理由で出馬しない意向を示し、党を除名された松木謙公(維新の党)を後継候補として指名した[9]。この選挙では三井らが支援した松木と党北海道連が推薦した池田真紀で事実上の民主分裂選挙となったが、松木が比例復活、池田は落選した。
2021年4月2日2時23分、呼吸不全のため、札幌市内の病院で死去[10][11]。78歳没。死没日をもって正四位に叙される[12]。
政策・主張
編集人物
編集- 民主党所属の国会議員の中では指折りの資産家であり、国会議員の所得・所有財産の番付では常に上位に名前が掲載される。
- 元々は元首相の羽田孜の知遇を得て政界入りしたが、同じ北海道選出の衆議院議員であった元首相の鳩山由紀夫(北海道9区選出)にも近い。
- かつては小沢一郎の側近であり、小沢の民主党在籍期間中は小沢グループの幹部であった。しかし、2012年に小沢グループ所属議員の多くが離党し、国民の生活が第一を結党した際はこの動きに加わらず、民主党に残留した。小沢グループ幹部では三井の他、奥村展三や田中眞紀子、中塚一宏らも新党への参加を見送っている。
- 選挙区内に北海道では数少ない旧民社党系の支持組織である北海道電力労働組合の本拠地があるため、民社協会に所属している。ただし旧民社党自体にはさしたる接点はない。
所属団体・議員連盟
編集脚注
編集- ^ “選挙@HTB”. web.archive.org. 北海道テレビ放送 (1997年1月28日). 2023年8月11日閲覧。
- ^ 「樽床グループ(青山会 せいざんかい)発足」 樽床伸二 2010年10月10日
- ^ [1] 日テレNEWS24 2011年5月31日
- ^ [2] 日テレNEWS24 2011年6月1日
- ^ 鈴木総務副大臣ら5人が辞表提出 朝日新聞 2011年6月1日
- ^ 菅首相、辞任の意向 「震災に一定のめどの段階で 朝日新聞 2011年6月2日
- ^ 影山哲也「内閣不信任案:辞表提出の副大臣・政務官5人の慰留検討」毎日新聞 2011年6月2日
- ^ 東内閣府副大臣ら4人が辞表撤回 首相の慰留受け 日本経済新聞 2011年6月3日
- ^ “三井辨雄・元厚生労働相、不出馬を表明…衆院選 : 読売新聞”. 読売新聞. (2014年11月19日) 2017年10月29日閲覧。
- ^ 民主党政権で厚生労働相 三井辨雄元衆院議員死去 78歳 - NHK 2021年4月2日
- ^ 三井辨雄氏死去 元厚生労働相 - 時事ドットコム 2021年4月2日
- ^ 『官報』第487号9頁 令和3年5月10日号
- ^ 国会議員署名これまでと今後の展望 - 空港はいらない静岡県民の会(2009年3月7日時点のアーカイブ)
- ^ 民主党ホームページ:中国残留孤児・今こそ政治決断で支援を(コメント)[3]
- ^ 週刊かけはし(日本革命的共産主義者同盟 (JRCL)発行)JR採用差別問題で院内集会 [4]
- ^ 歴代厚労相12人を夕刊フジが直撃! 統計不正調査問題で…「大臣、報酬返納しますか?」zakzak 2019年2月3日
- ^ “役職・議員連盟”. 三井わきおのホームページ. 2012年8月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年7月31日閲覧。
公職 | ||
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先代 小宮山洋子 |
厚生労働大臣 第15代: 2012年 |
次代 田村憲久 |
先代 馬淵澄夫 三日月大造 |
国土交通副大臣 池口修次と共同 2010年 - 2011年 |
次代 奥田建 松原仁 |
その他の役職 | ||
先代 (新設) |
青山会代表世話人 初代:2010年 - |
次代 (現職) |